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心知らぬ死神の愛した世界  作者: 桐生桜嘉
第一章 自己嫌悪
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金木犀


「うん、いいよ。じゃあその時は、安らかな、穏やかな死を、ちょうだい」

「あぁ、わかった」


 お互いの同意を確認し、契約の契りへと移行する。契りと言ってもそんな難しいものじゃない。


「お前の髪、一本もらうぞ」


 彼女の有無を聞くことなく、問答無用で一本どころか数本拝借した。

 痛がる彼女を横目に、それを手の中でまっさらな紙に変化させる。そして、自身の指を噛んで血を出し、それでペンを創り出した。

 別に彼女の体なわけじゃないのに「わっ、痛そう……」と顔をしかめる彼女。やっぱり人間は不思議だと思いながら、紙とペンを彼女に渡す。


「お前の生年月日と名前、そこに書いて。あ、あと名前の読み方もよろしく」


 彼女の丸みを帯びた綺麗な字で、それらが紙に記されていく。“遠野(とおの) 桂花(けいか)”――それが彼女の名前だった。つい最近誕生日を迎え20歳になったらしい。


 未だ流れる血から生み出した炎で、彼女から受け取ったその紙を燃やす。

 散り散りになり灰となったそれらは、彼女と俺それぞれの胸に吸い込まれるように消えていった――。


「契約成立。早速、お前の感情もらうぞ」


 鎌で刈り取れるのはその命だけ。感情を奪うには、別の方法になる。

 俺は彼女の腰を抱き寄せ、彼女の唇に自身のそれを寄せた。目を見開き驚きの表情を見せる彼女に構うことなく、俺は彼女の感情を吸い取るようにして食らう。

 それは、俺が思っていたよりもずっと大きなものだった。一度で食らうなんてできたもんじゃない。

 そもそも感情を持ち合わせていない死神が持つにはあまりに大きすぎる。頭を殴られたかのような衝撃と共に、胸が締め付けられたような感覚に息苦しさを覚えた。

 体を離し、息を整えるように小さく息をつく。


「人間ってこんな毒みたいなやつ持ってんのかよ、すげぇな……」


 人間は脆い。すぐに疲弊し、傷つき、そして簡単に死ぬ。それは外的要因に限らず、感情という内的要因によってもなる。だから、弱い生き物だと思っていた。

 だが、こんな毒みたいなものを抱えて、彼女はああして笑顔を浮かべていたのかと思うと、“弱い”とは到底思うことはできなかった。


「少しラクになったかも。……でもまだ、感情、あるよ?」

「悪い。一度に全部は無理だ。俺がもたねぇ」

「……そっか」


 気落ちした様子だというのに、彼女は俺を責めることはせず、ただ静かに小さく微笑んだ。

 そんな彼女に俺はどこかもどかしい感情に急かされるように口を開く。


「一番強く出ている感情を喰らうことになるらしい」

「ん? うん。……?」


 何が言いたいのかわからないというように首を傾げる彼女。正直俺自身もよくわかってはいなかった。ただ、彼女のその寂し気に浮かべる笑顔を何とかしたかった。


「だから……お前にとって奪ってほしい感情が強く出てきたら、その時それを喰らってやる」


 そう言うと彼女は、呆気にとられたように数回瞬きをして、そして吹き出すように笑った。


「あなたは、死神なのに優しいんだね」


 その笑顔に胸を撫でおろし、つられるように笑みを返す。

 その時ふと、甘く柔らかい香りが鼻孔をくすぐる。すると彼女からもらった感情が徐々に落ち着いていった。同時に、まるで胸の中で浸透するように姿を消し、その感情が自分のものになったことがわかる。

 きっと彼女はこの香りが好きで、この香りに救われ支えられていたのだろう。


「良い香りだな」


 思わずそう呟くと、彼女もその香りを堪能するように、目を瞑り深呼吸するように一呼吸して言った。


「――金木犀の香りだよ。実はわたしの“桂花”って名前はね、金木犀の別名なんだって」


 「ほら、そこにある」と目を開けた彼女が示した方に目を向けると、そこには橙色の点がいくつも施された木があった。彼女曰く、その点々は花らしい。


「金木犀の香りがするとね、“あぁ、秋が来たんだな”って思うんだ」


 そう言って金木犀を見つめる彼女の真似をするように、俺も同じことをしてみるものの、彼女が言っていることはよくわからなかった。春夏秋冬というものが現世にあることは知っていたが、そこに想いを馳せたことなど一度もない。季節に、花に、何かしらの想いを馳せるのは、感情をもつ人間ならではのものなのだろう。

 しかし死神の俺でも、彼女の言う“秋が来た”というものは、言葉通りの秋の到来だけを意味するものではないというのは何となくわかった。


 ――彼女の表情が何かを堪えるように歪みながらも、大切なものを見つめる人間のそれと同じ目をして微笑んでいたから。


「この香り、気に入った」

「それは良かった」


 彼女はずっと金木犀のほうを見ていたから、知らないだろう。

 嬉しそうに笑う彼女を見ていた俺は、俺自身も気づかぬうちに顔が綻んでいた。その時芽吹いた“何か”の正体はわかっていなかったが、とても心地が良かったのは確かだった――。


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