死んでも尚、想う愚男
依頼を終えた海嵐は一人生活に最低限必要な家具家電しかない自室へ戻っていた。しかし部屋に入った瞬間に後ろから殺気を感じたのである。
「――――――シッ!」
「がァッ!?」
背後から襲い掛かった何者かを裏拳で吹き飛ばす。そして吹き飛ばされた何者かは壁にぶつかってしまう。しかし、倒れたものの瞬時に立ち上がったその刹那。
背後に回った海嵐は、その何者かの首を腕で締め上げるのだ。
「やはり、お前か」
その何者かは、頭に犬耳と尻尾をを生やした黒髪ショートヘアの少女であった。年齢は高校生か大学生。服装はスーツを着ている為に分かりづらい。
端正な顔立ちに長い睫毛、白い肌にスラリと伸びた手脚は可愛いというよりカッコいいという分類に分けられるだろう。紅い瞳で彼女は即座に呼吸の確保の為に彼の肘の方へ顎を動かす。
が、その前に海嵐は彼女のスーツ下にある白シャツの袖で締め上げるのに即座に変更したのだ。「うぇ゛ッ」という短い叫びにも気にせずに彼は確実にジリジリと締め上げていくのだ。
「ぁ゛っ………カフッ!ぉ゛ぉ゛ぁあ゛…………ブッ!?あ………あァ…………」
必死に拘束から逃れようと藻掻く彼女だったが、徐々に暴れる力も無くなっていく。更にせっかく端正な顔立ちなのに、顔を真っ赤にさせて涙を流し鼻水も垂れながら目を見開き、そして瞳が徐々に上の瞼の裏に上がってしまうのだ。それが、意識が遠退いていく証拠。
その結果、彼女は暴れることもなく全身に力が抜けてしまう。だらん、とした姿は死んだかと思うだろう。
力が抜ける前に、手を離した海嵐であったが残念な事に彼女の股からちょろちょろと液体が流れ出る。それはスーツを汚し、床へ広がっていくのだ。
「…………おい、起きろ」
心底嫌な顔をする海嵐は、失禁したスーツ少女の頬を手加減なく叩くのだ。ペチンっ、ではなくバシンっ!と叩いていると彼女の身体がピクリっと動いて、ゆっくりとその瞼を開けるのだ。
「ぁ…………おはようだなっ♪」
「さっさと退け。あとソレ始末しろ」
「許せ。ボクは一日一回、絞め落とされた時のこの脱力感を味わないといけないんだ。それはもう兎に角堪らなく好きで好きで……この感覚を堪能したいんだっ」
「20の女が何言ってる。重いからさっさと退け、あと臭い」
「はっはっはっ!ヤダよ、フツーに。君を膝枕も中々乙なものでね。あと10分待ってくれ」
「今すぐにしろ」
「そんなに言うなら条件がある。無論、君のベッド上でまたボクを絞め落としてくれ」
「は?」
「イヤならいいさ。けど、報告はしないよ?それでもいいのかい?」
スーツ少女の言葉に舌打ちをする海嵐は渋々10分待つことになる。まさかこんな女性として理想的なカッコいい姿を具現化した少女が、絞め落とされ失禁する姿は酷いものだろう。もし彼女を知る者達からすれば失望は免れない。
「じゃっ、シャワーと洗濯機借りるからねっ♪」
後始末をした彼女は股を濡らしたままシャワー室へ向かう。何時ものことなのか海嵐はテレビを付けニュースを眺めていた。
「今日、泊めてねー」
約30分後、シャワーから出てきた彼女はバスタオルだけを纏い戻ってきた。洗濯と乾燥には時間が掛かる為か海嵐の部屋で寝るつもりらしい。しかし海嵐は拒否することもなく、ただニュースを眺めるだけだ。
「ご飯は?」
「この前テメェが置いていったヤツがある」
「カイは?」
「いらん」
「あっそ」
素っ気ない遣り取りで彼女は冷凍食品の豚の角煮を電子レンジで作り始めながら、棚からグラスを取り出す。そして共に取り出した酒瓶の栓を外し、そのグラスへ注いだのだ。それをクッ♪と呑み干した。
「おい【白兎】。報告は」
「やっと名前で呼んでくれたねっ♪」
彼女の名は【鶏徳白兎】。海嵐と同じ【御子神家】の者であり、分家の人間でもある。実力屈指の実力者であり、【御子神家】の令嬢を護衛する役目の一人だ。
「君のお姉さんと妹さんは問題なく生活を送ってるよ。変な虫もちゃんと払ってるからね」
「…………そうか」
「けど、妹さんに婚約者が正式に決まったよ」
「それは知っている。上層部が年密に厳選した相手だ。問題無いだろう。姉も後二年後には相手と結婚する予定だ」
「健気だねぇ。君の事は死んだと思っている二人を今尚心配してるなんて。君に想われている二人が羨ましいよ。ねぇねぇ、ボクも褒めて褒めて〜。あ、勿論絞め落とすんだよッ♪」
バスタオルははだけ落ち、一糸纏わぬ白兎は海嵐を押し倒す。ベッドの上で馬乗りとなった彼女は彼の両目が隠された布を外すと、そこには瞼を閉じられた素顔がそこにはあった。もし、両眼が見えていたら、まさしく美少年だ。いや、彼の身長や変わるも出来なかった声なら性別を偽る事も可能だろう。心底悔やまれる恵まれた筈の容姿を見下ろしながら彼女は耳元で囁く。
「それとも、シたい?シたいならボクがエスコートして――――」
「お前の独りよがりに相手するつもりはない。他の男にでも股開けば満足出来るだろ」
「あーっ!そんな酷いこと言うんだっ!」
「事実、お前の専門だろ」
「ソーだけどさぁっ!」
彼女は元諜報員。無論、女性が故に己の武器である容姿と身体を使い男共から数多の情報を手に入れてきたのだ。短期間ではあったものの、彼女の腕はこの変態性からは想像つかない程の成果を上げていた。その腕を見込まれ、本家の令嬢護衛として抜擢されたのである。
「あの女がいいのかなー、海嵐は」
「あの女?」
「海嵐が捕縛した【金森星華】だよ。あの女、御子神家の七割の男を掌握していたみたいだけどさ。容姿と身体で男を籠絡していた魔性の女だよ。あんな毒牙にかかってほしくないんだけど」
「容姿身体なんぞ、見えんオレには意味がないが」
「それでもだよ〜!こぉんな美女に想われてる海嵐は幸せ者なんだよぉ」
「へぇ……」
「あッ!信じてないなぁッ!?これでも中等部から大学まで【騎士様】って呼ばれるくらいに人気だからねっ!」
「中等部……?あぁ、中高大一貫だったな」
「ソーだよ?ねーねーっ、海嵐も一緒に通おーよッ!ボクの学園護衛生活がバラ色に――――っ!」
「オレの学力では無理だ。精々、高等部に入れたら幸運だろう」
「え、中等部じゃないの?」
「…………オレの容姿でいけると思うのか。あと喧嘩売ってるのか」
「うん、余裕で。でも流石に中等部だとボクと付き合ってるというには無理―――――――いや、むしろそれがいいかもっ♪普段男装してクールなボクが、中等部の海嵐に躾けられてると皆々に知られれば…………あぁ、それも少し――――いや、むしろメチャクチャにっ♪」
「行かねぇぞ、オレは」
「でも、高等部なら妹さんの護衛できるんじゃないかな?」
「二人とは会うことすら許されてない。それもオレ自身、承知しているし必要性も感じられない。監視は白兎、お前以上に適任はいない。妹に関しても婚約者がいる。ソイツも信用に足る奴だ」
「……ぇ?妹さんの婚約者、知ってるのかい」
「あぁ。前に殺り合った仲だ」
「うーん?」
海嵐の発言に白兎は一瞬、意味を理解できなかった。まさか彼の妹の婚約者の事を知っているとは。そもそも今日、婚約者の事を知らされたのだ。しかもその婚約者と殺し合った、とは信じられない。
だが、ハッ!と何かに気付いた白兎は涙目になりながら海嵐を抱き締めるのだ。
「まっ、ままままさかッ!!!ダメだよ海嵐ッ!!!男同士なんてッ!確かにあの婚約者さん、可愛らしいエルフだけどさァッ!!!」
「何バカ抜かすか、バカ犬。そもそも妹の婚約者とそんな関係になるか。そもそもオレにそんな趣味はない。まだお前の方がマシだ」
「うっ……うぅっ……じゃ、じゃぁ、ボクと結婚してくれるぅ?」
「構わん、好きにしろ」
「――――――――――いいの?」
「そもそもお前に頼む際に、報酬は何でも構わないと言ったのはオレだ」
「じゃぁ、ここに婚姻届に記入とサイン……してくれる、よね?勿論、ボクのは記入済みなんだけど」
「なら代わりに書け。印鑑なら押してやる」
「ほ、ほほほほんとうにっ!?」
「さっさとしろ」
裸のまま、白兎は婚約届に海嵐の代筆をする。ご丁寧に点字で婚約書に記載されているものの確認を済ませた海嵐は、最後に己の印鑑を躊躇なく押したのであった。
実は白兎の顔も姿も分からない海嵐であったが、普段から姉と妹の護衛に関しての情報を報告してくれる彼女に恩義は感じていた。彼女も「海嵐に何でも一つ望む事をする」という報酬に釣られて引き受けたのだ。まさか、その何でもが婚姻する事も可能とは想像つかなかったが嬉しい誤算。
無事に記入とサインを終えた婚姻届。
婚姻届には、鶏徳白兎と九十九海嵐の名前と印鑑が嘘偽りもなく記載されていた。
「ほわ〜〜〜っ!ほわ〜〜〜っ!こ、これで海嵐と………ッ!!!」
「いいのか白兎。いい、とは言ったがこの婚姻が上層部に認められない可能性が――――」
「大丈夫だよ。ボクと海嵐が結婚するなら、むしろ喜ぶんじゃないかな」
「喜ぶ……?」
「簡潔に言うと【御子神家】の安泰の為、かな。だって、考えてもみなよ。タダでさえ海嵐はその経歴的に【御子神家】を裏切る危険性もあるんだ。本人の意思関係なく、そう疑われてるんだよ君は。けれど、最も扱いやすい存在。しかし裏切りの危険性もある。でも、そんな君が【御子神家】の本家ではなく同じ分家の小娘と婚約すれば今よりかは危険性は低くなる、と上は思うんじゃない?」
「……あぁ、そうか。そう、だな」
「君を裏切らない、のはボクも知ってるけど周りはそうとも思わない。例え元本家の子息で、本家にいる実の母親と姉妹が居たとしても………ね」
「理解はしている。で、婚姻届は」
「念の為に上に報告してから提出するよ。でもでも、苗字は今のままだからね。悲しいけど、ボクの苗字が九十九になったら周りに勘付かれるから。あと海嵐もボクの苗字、鶏徳になったらなったらで面倒だから」
「安心しろ。別にお前が愛人を作ろうが、その子供を孕もうが黙っておく」
「あ、そう?なら今ぶっちゃけると、ボク六歳の子供がいるんだよね。周りは知らないんだけどさ」
「一児の母親……いや、14で産んだのか」
「んふふ♪色々あったんだよ〜。因みに養子じゃなくて、ちゃぁんとお腹を痛めて産んだボクの子なのさ」
「(そういえば暫く休んでいたのはそのためか)」
鶏徳白兎と関わったのは、彼女が13の時。つまり海嵐が11の時だ。当時は既に海嵐の両目視力は無かった。しかし、その関係というのは今のようなものではない。今でこそ、海嵐が上で白兎が下のようだが、当時は真逆であった。しかも白兎は非常にも加虐体質の持ち主であり、その対象は酷く海嵐を虐待していた過去がある。
しかし、あることを切っ掛けに立場は虐待したのだ。そして更には白兎自身加虐体質は無くなり海嵐に従順になった。
11の時、つまり虐待を受けていた時期に白兎13歳が暫く顔を出さなかったことがあったのである。その時だろう。しかし、まだ任務を任せられる程の歳ではなく、諜報員として動いていたのは彼女が15の時だった。
「別にお前が子持ちでも構わねぇよ」
「海嵐ぁっ、愛してるよぉっ!けど、海嵐ならそう言ってくれるとわかってたけどネッ」
「変な期待をしているな。オレは寝るから」
「あ、ボクも寝る寝るぅっ♪」
「勝手にしろ」
こんなオレと……物好きな奴だとため息を溢しながら海嵐は意識を手放す。彼は事実両眼の視力がなく、実際に白兎の容姿がどうであろうが興味はない。良くも悪くも判断も出来ない。そもそも彼は形だけだと思っていた。愛などない形だけ、それが普通だと理解している。数ヶ月、数年もすれば離婚し、他の男へ移るだろうと考えていた。
白兎を信用はしているが、信頼はしていない。
「(それよりもあの女をどうするか…………明日、決める……か)」
【金森星華】の処遇は未だに決めかねていた。しかし、最低限情報が聞き出せないか明日の己に任せるしかないと意識を手放すのであった。