目覚めは地獄の園
「―――――ぅぁ」
意識が覚醒し、まず感じたのは身体中の痛みだ。
しかし、彼の両目は隙間一つもない漆黒の布に覆われ封じられていた。自分の意思では外せない拘束具。視力がない為、頼れるのは聴覚と人智を超えた嗅覚のみ。
血の臭い、焼けた灰の香り。そして辺りに燃え広がる炎の匂い。
「夢、か」
視力が無くとも夢は見れるものだが、余りにも現実味はあった。聴覚も嗅覚もあったのだ。まるで、自分が何処かに移動……というより表現するには難しい。
「任務は――――」
海嵐は、身体を起き上がらせ辺りを確認する。身体に痛みはあり、出血も多量ではあるが運良く身体の欠損はない。四肢に異常が無い事を確認した彼は、近くに倒れていた人物に気付いた。そして彼の嗅覚で上からの命じられた組織のスパイである女性の排除、そして捕縛し捕虜とする依頼内容だ。
「(組織の男達を魅了した女、か。魅力の力を持つが故に、適任者はオレのみ。しかし、これで依頼は達成された…………が、被害は大きい。気絶していたのは数分。この女を連れてここから――――――っ!)」
自分より背の高い女、恐らく170cmはある女性を担いだ瞬間、ぼとりと何かが落ちたのだ。そして酷い血の臭いが担ぐ女性から漂う。
もしや、と思い女性の身体を確認すると首は繋がってはいた。が、右腕が無いのだ。そして近くに右腕があったのだ。大量出血で死んでいるか、と思ったが脈と息はある。戦ってみて手練れだったが、ゴキブリ並のタフな生命力らしい。
「死んでないならいい、か。腕はくっつくかはわからないが回収した方が良さそうではある、な」
右肩に女を担ぎ、左手には彼女の右腕を掴みこの場から闇夜に紛れて消え去ってしまう。そしてその数分後に消防車や救急車が鳴り響くサイレンが聞こえてくる。しかし、この無人の廃ビルに残されたのは燃え広がる火に焼却される血痕の数々であった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
【御子神家】。
日本に存在する四大貴族の一つであり、その影響力は世界中を巻き込むほど。日本という存在よりも、四大貴族の一つという意味で恐れられる存在である。
その御子神家の本家である屋敷にて、分家の男が満身創痍になりながらも依頼を終えて薄暗い大きな間にいた。
そしてその横には今にも死に絶えそうな血濡れの美少女。しかし彼女の右腕はまる鋭い刃で切断されたかの様に斬られていたのだ。
直ぐにその少女の治療処置の為に場所を移されたが、現当主の男は言う。
「やはり無傷では無理だったか」
「申し訳ございません。かなりの手練れでして」
「何処の者か検討は付くが、御子神家内部に使用人として先入し、数多の男を容姿と身体で魅了した女だ。実力も申し分がないほど。我等の方で飼い慣らしたいのだが――――――海嵐」
「はっ」
「奴の存在は魅力という言葉を具現化したかの様な存在だ。男だけではなく女子供までもが快楽に墜ちる―――――が、それはあくまで“視覚情報”。しかし、視力がない盲目の貴殿なら適任だ。更に、その女はまるで神々から愛されたかの様な人智を超えた身体能力と無尽蔵の魔力を有するバケモノ。しかしそのバケモノも右腕欠損―――――暫く周りも静かになるだろう。故に、あの女【金森星華】を懐柔せよ」
「懐柔、ですか…………それは難しいかと。容姿は見えないので分かりませんが、かなり臭い女です。加えて暴力的で、人に従わない」
「ならば薬物漬けにすればいい。中毒者ともなれば従順になるだろう。或いは、彼女を薬漬けにした上に行為すればより従順になるのではないか。タダでさえ数多の男達に抱かれ快楽を好む女、と報告は受けている。貴殿も男だ。あの女で発散しても構わない」
「…………殺すのが得策では」
「【金森星華】は表向き一般人だが、敵組織の幹部の一人。殺しても構わんが、情報は欲しい。あわよくば二重スパイとして―――――」
当主は望み薄、心もない事を話しながらも結局は【金森星華】を好きに使え。そして【御子神家】の糧にしろ、とのお達しであった。いや、どちらかと言うと言葉の裏に「殺せばよかったのに」と残念そうな言葉も含まれていたのだ。
海嵐は【金森星華】をどう始末するか、或いはどう扱うかを考えながらこの部屋から去ってしまう。
「にしても――――【金森星華】。あの女の脅威は無くなった。そして愚かな女だ。まさか、かつての九十九海嵐を助ける為に潜入したのにも関わらず、その九十九海嵐に敗北するとは…………それが、単なる師弟愛ではないか。一人の女として愛した少年は、もう居ないんだよ」
真実は残酷だ。
そして九十九海嵐と金森星華両者も知らない。いや九十九海嵐は例え知っていたとしても無情に相手をしていただろう。しかし金森星華には地獄だ。まさか殺し合いをしていた相手が、助け出そうとしていた少年だったことに。
「さて、金森星華。君はこの真実を知っても尚、我々に牙を向けられるのかね。むしろ、このまま我々の元―――――いや、九十九海嵐の元に降った方が幸せじゃないかい?」
『――――――ッ!!!――――ッ!!!』
当主の手には、一つの無線機が。そしてその無線機からくぐもった叫び声が響いていた。その声は女であり、何か酷く激昂したもの。同時に何か悲しみに暮れた悲壮感ある嘆きでもあった。
「よく考えるがいいさ。例え君が彼に正体と真実を明かしても意味がない。既に手遅れだ。真相に気付いた時には、既に終わっている。愚かなことだ。では、我々の期待を裏切らない応えを楽しみにしているよ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「――――――ッ!!!〜〜〜ッ!――――――ッ!!!!」
そこは【御子神家】の医療室。
医療台には何人もの医療師が治療と処置を終え、無線機が置かれていた。そして医療台には治療を終えた一人の女性がいたのだ。身動きが取れぬ様に拘束されているが、そもそも四肢は麻酔で身体は動かない。更には包帯なども巻かれており、所々血が滲んでいたのだ。
「(殺すッ!!!コロシてやるッ!!!【御子神家】当主ッ!!!あの子をッ、よくもあの子を、あんな姿にッ!!!】)」
『よく考えるがいいさ。例え君が彼に正体と真実を明かしても意味がない。既に手遅れだ。真相に気付いた時には、既に終わっている。愚かなことだ。では、我々の期待を裏切らない応えを楽しみにしているよ』
無線機から聞かされたのは彼女【金森星華】にとって、あまりにも酷な内容であった。
彼女は【御子神家】に侵入していたスパイ。任務は【御子神家】の情報を流す事だ。その為に、彼女は【御子神家】の男の護衛や関係者に親族達に身体で誘惑し、行為で仲を深めてじっくりと情報を収集したのだ。
全ては九十九海嵐という少年を救うために。
かつて、星華は海嵐が小学生の頃に新人教師として出会った。目をくりくりさせた可愛らしい男の子だ。しかし、彼が家でどの様な扱いをされたのかを知り直談判したのだが結局は無駄に終わった。分家とは言え本家が【御子神家】。権力によって、証拠も全て握り潰されたのだ。どうあがいても海嵐は日に日に痩せ細り、何度も倒れてしまう姿は見てられなかった。だが、彼女は新人教師として何もすることが出来なかったのだ。
この世には不幸な人間はいる。
海嵐だけではない。
それは、当たり前の話だ。
しかし。
しかし、だ。
その不幸な人間が、誰にでも優しく出来る子だったら。もし、心を折れかけていた自分を優しく声をかけてくれた子だったら。
彼女は新人教師ではあったが、元暗部の人間でもあった。元々幼い頃から夢見ていた教師だったが、未来ある子供を守り育てるという夢が砕け散った瞬間だったのだ。
彼が、使い捨ての暗部の人間にされたことを知り彼女の夢は完全に壊れた。
彼女は理想が高かったこともある。元暗部繋がりでそれを聞かされた時に、三年目経った教師生活を終わりを告げた。三年の教師生活で、唯一助けられなかった少年を救う為に【御子神家】の潜入スパイとして名乗り上げ、使用人として働いた。
しかし彼と会うことすら出来なかった。忍び耐え続け、スパイだとバレて逃亡したのだ。そして逃亡の先に両目を隠した少年か青年に行く手を阻まれ、結果として敗北し捕らえられたのだ。
そして、その相手が探していた九十九海嵐であった。あの時の様な面影はなく、食事を十分与えられていなかったのかあの時よりも数cmしか伸びていない。感情も抜け落ち、盲目になった理由も分からない。変わり果てた姿に、【御子神家】当主に対する憎悪は膨れ上がる。そしてその憎悪が報えるわけがない。
「(クソッ!クソがァッ!!!)」
暴れても身体は動かない。
暫く叫んでいた彼女だったが、徐々に力を無くしこの場には啜り泣く声のみが響く。
理想の教師を夢見た彼女は、一人の教え子を救う事は叶わなかったのであった。