研究所の設立
よろしくお願いします。
いつもカントが私の部屋に来る三十分前に、カントのいる執務室着いた。
カントはまだ書類と格闘していて、『もう少しだけだから、座っていて』とソファに座るように言われた。
私は静かに座ってカントを待っていた。
魔法師団長執務室付きのメイドがお茶を入れてくれて、私はお先にいただくことにした。
紅茶は私の部屋と同じ茶葉のようで、私の好きな味だった。
少し離れた所に控えていたメイドに、『美味しい』と言うと、そのメイドはパッと顔を赤くして、『ありがとうございますっ』と緊張気味に答えた。
そうか、王女からの声掛けなんて普通はないのか。
私は私の部屋付きのメイド達を思い浮かべて、あの気安さは慣れなんだな、と理解した。
私が一杯目を飲み終える頃、カントがソファへとやってきた。
「遅くなってすみません。それにしても、シャーロットから来てもらえるなんて嬉しいですね」
そう言って私の頬にキスをした。
後ろに仰け反って壁にぶつかったメイドが見え、さらに副団長の方からは、『はっ』という声とバサバサという紙が落ちる音が聞こえた。
そうか、これも私の部屋では普通でも、ここでは驚くことなのか。
つくづく私の部屋は特殊なんだと理解した。
「今日からは、私が毎日こちらへ来ますね。あの書類は大変だもの」
「ね、書類の量が多いでしょ?私はあれの他にも侯爵領の仕事もあるんですよ」
「そうよね。それで考えたんだけど、研究の書類も多いでしょ。いっそのこと研究所を作って、カントがそこの所長になるというのはどうかな、と」
「へえ、それは面白い。しかし討伐などに行くことを考えると、研究所にそれほど人員を割くわけにはいきませんね」
「そうよね。だから、研究所の人間はあくまでも魔法師団の一部を派遣してもらう。討伐などには今まで通り頭数には入れてもらってかまわないという形でね」
「成程。研究の書類は研究所長が見るから、団長はその分仕事が減る」
「かなり大きいと思うけど」
「良いですね。それは陛下には?」
「さっき思いついたから、まだ話していないわ」
「ぜひ、提案しましょう。二人で行きましょうか?」
「こういうことに私もでしゃばって良いのかしら」
「あなたは王女で、魔法師団長である私の婚約者です。この提案は褒められこそすれ諌められることではありません」
「それなら」
カントは私の手を握って、『やっぱり話して良かったでしょ?』と笑った。
「カントが何も言わなかったのは、やっぱりそれなのね」
「これから結婚して長く共にいるんです。言いたいことは言わないと、あっという間に破綻しますよ」
「そうね。よくわかったわ」
「では、私の方から陛下へ面会の申し出をしておきますね」
「お願いします」
「はい。ああそれにしても、ここにあなたがいるのは嬉しいですね。ここからシャーロットの部屋まで七分かかります。往復で十四分。その分今日から長く会える」
「何言ってるの?その分書類を捌くのよ。その為に私はここに来ているのだから」
「う〜ん、私の未来の奥様はなかなか厳しい」
「研究所の話が決まってもすぐには稼働しないだろうから、それまでこうしていきますよ。頑張ってくださいね」
「それなら、今日みたいに朝も来てもらえますか」
「朝?良いわよ。今のところ何もないし」
「それなら頑張ります」
私は朝と午後、カントの執務室に日参することが決定した。
お父様へ提案する日は翌日の午後に決まり、私はカントと二人で説明した。
宰相も側で聞いていて、感触的には悪くなかったと思う。
近日中に答えを出すとお父様から言葉をもらい、二人でカントの執務室に戻ってきた。
一つ仕事が終わったと安堵した私に、カントはやっぱり優しく微笑んで、『あなたといるのは楽しい』と頬にキスをしてくれた。
さすがに毎日この調子なので、メイドも副団長も見慣れたようだけど、『ここだと人目があるから口吻ができないな』とのカントの言葉には、メイドは俯くし副団長は書類をばら撒くしで、周りがかわいそうだった。
私がここに通い詰めると、こんなことにも慣れるのだろうか。それより、慣れさせて良いのだろうか。副団長はともかく、年若いメイドには良くない気がする。
「そういうことは、私にだけ聞こえるように小さい声でお願いします」
「こうやって?」
私の耳元で囁いたカントを見て、メイドはやっぱり壁にぶつかる程仰け反っていた。
かわいそうに。
研究所設立は、それから五日後に発表された。
カントが所長で、研究員として魔法師団から六人派遣される。
そしてなぜか、私は名誉所長という仕事を仰せつかった。
名誉所長とは何をするのか。
お父様に聞いてみると、『カントはシャルが側にいると仕事が捗るらしい。側にいて何かできることがあったら手伝いなさい』と言われ、結局はっきりした業務内容はわからなかった。
これから新しく動き出すのだから、というアバウトな状態なのだろうか。
私の魔力量を使って、何か試験的なこととかするのだろうか。
それでも良いかな、と私もあまり深く考えずにお父様の決定に頷いた。
研究所を訓練場の側に建てるということで、結局稼働は三ヶ月後となり、私は今日も魔法師団長執務室に来ている。
メイドは日替わりで二人いるようだけど、どちらも私とカントのやりとりに耐性ができたようだった。
カントが書類と格闘している時は、私はメイドと雑談をしている。
彼女達もだいぶ気安く話してくれるようになった。
彼女達からカントの話も聞いたけど、カントはこの部屋では滅多に笑わないということに驚いた。
私の中のカントは微笑みながら話すので、笑わないで話しているなんて想像できなかった。
書類に向かっているあの真顔で話をするのか。ああ、だから最初にメイドも副団長も驚いていたのか。
「私はね、誰彼かまわず愛想を振り撒くつもりはありませんよ」
一区切りをつけたカントが私の隣りに座って、私にの唇に軽くチュッと口吻をした。
人目があるからって言っていた筈なのに、この部屋に居る誰もが気にしなくなっている。
皆、見て見ぬふりが上手。
いや待てよ。いくら軽くとはいえ、私の部屋でもマイリー達が居る時には口吻なんてしなかった。これは私が流されているってことなのか?
「カント、人目は?」
「誰も見ていないからね」
「気を遣わせるんじゃないわ」
「私の未来の奥様は気遣いができる人で良かった」
「そうじゃないわよ」
そんな私達のやりとりを、周りはあたたかく見守っていた。
研究所はまだ稼働しないけど、私はカントに来ている研究についての書類を見ていた。
一種類だけだけど、過去に来ていた書類から始めて、最近来たものまで読んだ。
私が読んだのは『最小限の魔力量で最大限の威力を出すための研究』だった。
とんでもない研究だと思う。
これが実現できたら、魔力量が少なくても魔法の種類さえ覚えれば魔法師団としても即戦力だ。
魔法同士を掛け合わせて威力を測る。また、掛け合わせる割合を変えてみたりする。
ただ、その掛け合わせの割合などは、やっぱり人が変わると上手くいかず、誰が誰と組んでも失敗のない方法、そして掛け合わせる魔法の種類など。
一度読んで、もう一度最初から読んで。
面白くて何度でも読み返してしまう。
こんなことやっていたら、とてもじゃないけど時間が足りない。
研究部署を別に切り離してよかった。
そしてこれからは、私もそれに関わることができる。
嬉しい。楽しみ。私もこの実験に参加したい。
目の前で見たい。
これに関われるようにしてくれたお父様、ありがとうございます。
心の中でお父様にお礼を言って、もう一度読み始めた。
「ねえ、シャーロット。私がいることも忘れないでくださいね」
「ごめんなさい。忘れてるわけじゃないのよ。ただ、面白くて」
「私達に子供ができたら、子供と親との掛け合わせも調べられますね」
「わあ、凄い。子供と親だとどうなんでしょうね。早く見たいわ」
「シャーロット、わかって言ってます?あなたが生まないといけないんですからね。頑張りましょうね」
私も一瞬、『うっ』と息が止まったけど、久しぶりにメイドが壁にぶつかったし、副団長は机に頭を打ちつけていた。
「男の子と父親、男の子と母親、女の子と父親、女の子と母親、調べたいことは沢山あります。お願いしますよ」
カントがニッコリと笑う。
その実験は見たいけど、約束はできない。でも、『が、頑張ります』とだけ言って俯くことしかできなかった。
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読んでいただき、ありがとうございました。




