現実
よろしくお願いします。
「──だから、私と結婚してください」
カントのその言葉は、ゆっくりと私の心に入ってきた。
言葉を反芻していると、同じくらいゆっくりとカントの顔が近づいてきた。
あ、と思った時にはもう唇が触れ合う直前。
銀の瞳が近すぎて、思わず目を閉じてしまった。
優しい人だ。
唇が触れ合ったときにそう思った。
もちろん、初めての口吻なので、比較などできない。
でもカントの口吻は、とても優しかった。
最初は触れ合う口吻を数秒。
少し唇が離れたと思ったら、優しく食むような口吻をされた。
何度かされた後、唇が寂しくなり、ゆっくりと顔が離れていく感じがした。
目を開けると、私を切なげに見るカントと目が合う。
「ね、返事を」
銀の瞳が揺れている気がする。
なんでそんなに不安気なのだろう。
いつも自信たっぷりなのに。
「シャーロット、教えて。あなたの気持ちを」
そんなに優しく言われたら、逃げ道がない。
もう、観念するしかないのだろう。
私は銀の瞳を見たまま、心を整えて答えた。
「カントと、結婚したいです」
勇気を振り絞って声を出した筈なのに、まるで囁いているかのように小さい声だった。
だけど、カントはちゃんと聞こえたようで、一瞬目を見開いた後、私はカントに抱きしめられていた。
「嬉しい。ありがとう。ありがとう」
なんとなく声が震えているのは気のせいではない筈。
私は愛おしく感じて、カントの背中に手を回して、優しくポンポンとした。
「これから、ずっと愛してくださいね」
「シャーロットが望むなら、約束します」
カントが少し離れたと思ったら、額に、頬に、鼻先に、そして唇にキスが降ってきた。
もう、私はされるまま。
しかしその時、ホールとバルコニーを仕切るカーテンがさっと開き、ローズとミハエル殿下とマイリーが近づいてきた。
ビクッとした私達は三人を見て動きを止めたけど、ローズは、『はいはい、時間ですよ』と気にせず近づいてくる。
ローズの後ろからはミハエル殿下が気まずそうに、マイリーはニッコニコで近づく。
「いちゃつかないで、ただでさえ二人は注目の的なのよ。はい、マイリーお願いね」
「承知いたしました」
マイリーが私の化粧を直していく。
と言っても、口紅程度だったけど。
「コンシューリ団長は、ご自身の唇を拭ってくださいませ」
マイリーがカントにハンカチを渡す。
私の口紅が、とわかった時にはもう手遅れで、ローズが『まったくもう、いきなり手を出さないで』とカントに説教を始めていた。
カントはいつものように受け流していて、ミハエル殿下が、『ローゼリア様、良いじゃないですか』と宥めていた。
マイリーが『失礼いたします』とバルコニーから立ち去り、入れ違いでお父様とお母様が来た。
どこかで見られていたのかも、と疑うくらいピッタリのタイミングで、私は恥ずかしくなってきた。
「シャル、カントに決めたのか?」
お父様が私に優しく聞く。
私が頷くと、『こうなったのね、やっぱり』とローズが天を仰いだ。
「何?」
「あの練習場の時に、こうなる気がしたのよ」
「ええ?なんで?」
「だって、シャルは初心なんだもの。カントにかかったら、野ウサギ狩るより楽勝よ」
「私って、野ウサギ以下」
「野ウサギより数段可愛らしいですよ」
カントの言葉に頬が熱くなる。
「ほらほら、いちゃつかない。カント、節度を持って頂戴。あなたかなり年上なんだから」
「たった十一ですよ」
「十分おじさんよ」
「そうだったわ、カント、二十八歳だっけ。若く見えるから忘れていたわ」
「幾つに見えました?」
「う〜ん、二十四?」
「それならシャーロットとは七歳違いですね」
「シャル、こんなおじさんやめてもいいのよ。今ならまだ間に合うわ。それにカント、あなた『シャーロット』なのね」
「思いが通じ合った恋人ですから」
「ああ、もう、なんかムカつくわ」
ローズはミハエル殿下が側にいるのに、口調が全く甘くない。
前回のお茶会は、ローズの『恋してます』って雰囲気がバシバシ出ていたのに。
婚約したら、もう良いのだろうか。
少し心配になってきたわ。
「ローズ。口調が······ミハエル殿下がいるのに」
「大丈夫なの。ミハエル殿下は全部知っているから」
ローズの言葉を聞いてミハエル殿下を見ると、とても愛おしげにローズを見ていた。
甘えられるのも、こうやってはっきり物を言っているのも、ミハエル殿下は受け入れてくださっているのだとわかった。
愛されているのが見ただけでわかる。
理想的な関係を見ているようで、私はとっても嬉しくなって笑ってしまった。
「シャル?何がおかしいの?」
「ふふっ、ローズが可愛いなぁって思って」
「あら、それならシャルも可愛いってことよ。私達は一卵性なんだから」
「見た目じゃなくてね、ふふっ、可愛いなぁって」
私の言いたいことがわかったのか、ローズは頬を染めてそっぽを向いた。
私達のやり取りを見ていたお父様は、『討伐の後に、シャルとカントの婚約について話を進める』と教えてくれた。
「それなら早く討伐を終わらせなくては」
カントが私に向かってそう言うと、お母様が『ああ、シャルは討伐は不参加よ』と言い出した。
「え?なぜ?」
「だって、これから婚約する二人が野営ありきの討伐なんて、時期としてはまずいわ」
確かに、討伐から帰った後に婚約を結ぶとなると、あまり外聞が良くないかもしれない。
いや、でも行きたいな、と何か方法はないかと考えていたら、
「婚約できるのなら、私は今回の討伐に二人で行くことは諦めます。シャーロット、城で私の帰りを待っていてください」
カントが言い切って、結局私は留守番となった。『そのかわり、一週間の予定でしたけど、早めに切り上げられるように頑張りますよ』なんて言ってくれたけど、やっぱり討伐に行きたかったな。
セイヴァーを含むミハエル殿下御一行は、当初の予定通り二週間で帰って行った。
セイヴァーは、これから意中のご令嬢との婚約のために動くと言い、来年は必ず良い報告とともに帰国すると約束してくれた。
ミハエル殿下御一行が帰国すると、次は討伐の話で城中はもちきりだった。
カントはキッチリ終わらせるために、現地の情報をきちんとレクチャーしてもらっていた。
そこで一つ疑問が出てきた。
討伐に行くシューレン領は、今回は魔鹿の大量発生だけど、十年前は魔狼だった。
そしてその十年前は魔鹿。
このシューレン領には何があるのか。
一度しっかり調べなくてはいけないとの結論は出たけど、たぶん次は十年後なので今じゃなくても良いとなった。
ただ、単なる繁殖による大量発生とは違う可能性が捨てきれないので、討伐後は調査を入れることは考えているらしい。今回の討伐でシューレン領へ行ったら、領主と話を詰めてくると言い、『もしかすると、帰城が遅くなるかも』と嫌そうに話していた。
私としては、多少帰城が遅くなっても無事なら良いんだけど、そんなことをカントに言ったら、あの笑顔が降り注がれることが容易に想像できて、恥ずかしくて言えなかった。
カントはダンスの練習がなくなっても、毎日会いに来た。
護衛の近衛騎士にも何やら通達が出たようで、カントは顔パスで私の部屋まで来ていた。
討伐前で忙しいのに、毎日、毎日。
短い日は五分だけ。長くても三十分。ダンスの練習の時に比べると、会える時間はかなり短い。それでも私は嬉しかったし、それだけはちゃんと伝えた。
毎回、別れ際に口吻をする。
そして、『体調は?精神的には?』と聞かれる。
たぶん、私に受けいれられるか不安なんだろうけど、申し訳ないくらいに絶好調だ。
一つ難点をあげるなら、フワフワと地に足がつかないくらいだ、と言ったらまた口吻された。
こんなことができるのは、私がカントと会っている間は皆退室するから。
扉を少し開けておけば問題ないとニッコリ笑うマイリーが、『後で全部教えてくださいね』と私にこっそり言ったけど、教えることはないと思って今でも何も教えてない。
でも、どうやら知っているようで『仲が良くて良かったです』といつもニコニコしている。
討伐の日がやってきた。
午前八時に出発というのは普段よりとても早いそうで、きっとそれは私のせいだと申し訳なく思う。
でも、魔法師団の方々は皆優しくて、『我々も早く帰れるのは嬉しいです』なんて言ってくれた。
カントは、『何かお土産を持って帰りますね』と言って旅立った。
魔鹿のお土産。角かな?大きいけど、持ち帰れるのかな?なんて、呑気に考えていた私は、四日後に討伐の現実を知った。
魔法師団が放った魔鳩が、魔法師団からの援軍要請とポーションの追加要請を知らせてきた。
その中にあった一文は、私を凍りつかせた。
『ドラゴン三体発見。討伐する』
更新は毎日二十一時を予定しています。
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