拒食症のAV女優
キリスト教圏の社会の話だ。
聖職者が死んだとしよう。何ヵ月経過してもその遺体が腐らなかったのなら、聖人と解釈され崇拝の対象となる。
が、もし死んだのが酒飲みだとか素行の悪い者だとか異教徒であった場合、その遺体は吸血鬼と解釈されて恐怖の対象となり、心臓に杭を打ち込まれるなどして辱められてしまう。
つまり、同じ、“遺体が腐らない”という事象が全く違った価値と意味持つのだ。
似たような話は他にもたくさんある。炎は家事の現場では忌むべきものだが、調理の場面では道具であり、儀式の場面では畏敬の対象となるし、糞尿は人間の身体に付着すれば穢れだが、田畑に撒かれれば肥料だ。
つまり、文化的な事象がどのような価値を持つかは、コンテクスト…… 状況や文脈によって変わって来るのである。
男性社会において、女性が露出度が高い衣服を身に纏うという事もこれと同じだ。男性の欲望を満足させる為に女性が肉体の魅力を強調する姿を無理矢理にさせられていたのなら、“男性優位社会の犠牲者”となる。が、女性が自らの性的な魅力をアピールする為に行っているのだとすれば、それはむしろ“男性優位社会への抵抗”となる。
――男系社会では、特定の女性を独占する為に、女性が性的な魅力をたくさんの男性にアピールする行為を禁止にする場合が多い。
これは実は外部からでは判断が困難だ。その女性にとって、それがどんな意味を持つかが重要だからだ。
そして、彼女にとって、自らの性的な魅力をアピールする事は、間違いなく“性の解放”を意味していた。
彼女の父親は、幼い彼女にとても甘かった。彼女が欲しがる物は買ってくれる事が多かったし、叱る事も滅多にしない。
ただ、異性との接触や衣服などに関しては大変に厳しく、彼女が少し目立つ服を着ようとしただけで激怒をした。特に性的な事柄が連想される彼女の行為を見つけると、何時間でも説教をし、時には暴力すら振るった。
父親のそのギャップに彼女は酷く怯えていた。母親が自分には無関心だったこともあって、やがて彼女は父親のご機嫌取りばかりをするようになっていた。
地味な服ばかりを着て、男の子とは決して話そうとしない。同年代の女の子達とのおしゃれの輪にも入れず、だから一人で本などを読んで過ごす事が多かった。
その所為で彼女は、学校では根暗で大人しい女の子だと思われて孤立しいじめられていた。
そんな彼女が変わったのは、中学二年のある日のことだった。彼女はまだ父親と一緒にお風呂に入っていたのだが、彼女は父親が自分の性器を凝視していると感じたのだ。
性的な事柄を禁止する一方で、自分に性的な視線を向けて来る。その矛盾に、彼女は生まれて初めて自分の父親を嫌悪した。
彼女には、父親が自分に地味な姿を強要する事は、自分を閉じ込めて独占する為の極めて歪で身勝手な愛情に思えたのだ。
それは父親が己の欲望を満足させる為の行為であって、自分の為を想って為されていたものではない。
父親の「お前の為だ」という説教も白々しく思え、図々しさに不快感を覚えた。
それから彼女は変わっていった。派手で可愛い服を好むようになり、異性とも積極的に話すようになった。父親がそんな彼女を厳しく叱るので、彼女は頻繁に家出を繰り返すようになっていた。
中学生を過ぎ、高校生になると彼女は夜遊びを覚えた。そして、次第に自分の女性的な魅力に男達が強く惹かれている事を自覚するようになった。勉強も運動もあまり自信はなかったが、その点だけは彼女の自信になった。
高校の卒業が近付いて来ると、彼女は自分のその性的な魅力を武器に生活をする事を考えるようになった。ただそれには一つだけ難点があった。彼女はコンディション管理能力が低く、油断すると直ぐに肥ってしまうのだ。
「ぽっちゃり系が好きな男もいるよ」
などと無責任なアドバイスをしてくる者もあったが、痩せている時と肥っている時では男達の自分に対する反応は明らかに違っていた。
だから彼女は肥ってはダイエットをして痩せるという事を繰り返す生活を送るようになった。食事制限による無理なダイエットは健康を害するだけでなく、肥り易い体質をもつくってしまう。
彼女にとってそれは地獄の入り口だったが、その頃はまだ気付いてはいなかった。
高校を卒業すると、彼女は夜の仕事に就くようになった。ただ、競争は激しく、思っていたほど甘い世界ではなかった。また、暴力団関係者の怖い噂も何度も聞いた。薬漬けにされていいように利用され破滅していく女性達が何人もいるらしい。
“このままでは、リスクが大き過ぎる”
そして、自分の将来について悩んでいた彼女は、ある日女優としてアダルトビデオに出演する話を聞いたのだった。
アダルトビデオに出演すれば、安全で高い収入も見込めるのだという。もちろん、中には危険な会社もあるが、その会社は心配いらないのだという。彼女はその言葉を信じた。
ただ、アダルトビデオに出演する女性は顔もスタイルもレベルが高い。そこで安定して高い収入を稼ぐ為に、彼女は整形手術に手を出したのだった。
整形手術を行った顔は見る者が見れば直ぐに分かる。そういう女優はネットなどで多少は叩かれていたが、気にする男性は意外に少なかった。アダルトビデオに出演すると彼女は人気者になり、アダルト雑誌だけなく一般雑誌からの取材依頼も来て、グラビアアイドルと一緒に写真まで撮った。根強いファンがつき、関連グッズもそれなりに売れた。
が、有頂天になって油断したのが失敗だった。油断した彼女の体重は増え、スタイルが崩れてしまったのだ。
整形手術とは違って、男性達はスタイルの変化には敏感に反応した。彼女は酷く馬鹿にされ、出演作品の売上げにもそれは如実に反映された。
制作会社は、彼女にダイエットを求めた。
彼女はその状況に危機感を覚え、厳しいダイエットをするようになった。ダイエットに成功すると彼女の人気は復活した。ただし、その人気は一時的なものだった。AV女優の入れ替わりは激しい。彼女はその頃になると既に飽きられ始めていたのだ。
しかし、彼女はそうは思わなかった。“まだ、ダイエットが足りないのだ。だから、男達は自分を愛してくれないのだ”と、そう思っていた。
彼女自身は無自覚だったのが、その時の彼女の脳裏にあったのは、自分に無関心な母親と厳し過ぎる父親の記憶だった。幼い頃のトラウマ。愛情に飢えていた彼女は、男性達から嫌われる事を酷く恐れていたのだった。
――だから、ダイエットをし続けた。
撮影現場にやって来た彼女を見て、撮影スタッフは驚いた。明らかに痩せすぎていたからだ。もっと健康的なスタイルが理想なのに。
マネージャーやスタッフは彼女を説得した。「もう少しくらいは肥らないと駄目です」と。彼女はそれに「分かっている」と応えた。だけど、それでも相変わらずに彼女は痩せたままだった。
彼女も頭では分かっていた。これ以上痩せても意味がない、と。しかし、それでもどうしても食べると罪悪感を覚える。心配で吐かない訳にはいかなくなる。吐くと安心感と、そして快感を彼女は覚えた。
実は“吐く”という行為は、繰り返すと快感を覚えるようになってしまう。彼女はそれに依存するようになってしまっていたのだ。
「――このままでは駄目ですよ。健康的な体型にならないと」
スタッフがそう忠告をして来る。しかし彼女はその通りにしようとすればするほど、食べられなくなってしまうのだった。
そのうちにスタッフは「こういうスタイルにも需要はあるから」と、彼女に何も言わなくなっていった。作品の売上げは減っていたが、それでもある程度の収入にはなる。だから放置したのだ。完全に使えなくなるまでは、出演させよう……
それはもちろん、彼女が見捨てられた事を意味していた。彼女はそれに気が付いていた。しかし、それでも肥れなかった。
性的な魅力で男性達から高い人気を得る。それは、彼女にとって自分を独占しようとした父親からの、つまり男性社会からの解放だった。
それは、優秀な遺伝子や子供を育てられる能力を持った男性を求めるという、生物的な本能に即した行為でもあった。
が、それでも彼女は決して仕合せとは言えなかった。
――女性性を解放する事と、女性が仕合せな人生を歩む事は、必ずしも一致するとは限らない。もっとも、閉じ込められたままの一生を送っても、多くの女性は仕合せを感じられないのだろうが。