別荘
「ネックレスを着けてきてくれたんですね」
シルヴァン殿下は別荘を案内してくれる時に、こっそり私の耳元でそう囁いた。
(殿下! 耳打ちする相手が間違っています!)
なぜかシルヴァン殿下が私の隣にいる。フェリシテお姉さまの相手は別の方だ。ユベールにも女性がついて、どうしてこのペアになったのか問いたい。
「ゆっくりしていってくださいね。リリアーヌ嬢」
どうしてこうなった!?
シルヴァン殿下に別荘へ招待され、私たちは三人でそこに訪れた。
迎えに現れたのはもちろんシルヴァン殿下。それとシルヴァン殿下の乳兄弟であるアルフォンス・グランジェ様、そしてその妹のエディット様がいらっしゃった。
アルフォンス様はシルヴァン殿下を補佐する身分で、次期宰相とも言われている方だ。黒髪黒目で表情の薄い方だが、お姉さまと同じで誰にでも分け隔てなく態度が同じ。ただ笑顔が殆ど見られないため何を考えているか分かりづらいとか。
実際お会いしてみてそれは理解できる。シルヴァン殿下に比べて華やかさはないが整っている顔をしているのに、瞳に光が灯っていない。どこを見ているのか、少し虚ろな感じもするのだが、シルヴァン殿下が軽い冗談を言うと、鋭い突っ込みを飛ばす。
(不思議な方だわ。殿下がとても信頼なさっているとは聞いたことがあるけれど)
そして妹のエディット様も同じ黒髪黒目だが、アルフォンス様と違い明るい方で、あどけない笑顔がとても眩しい。愛らしいというのはこういう方を言うのだろうな。という、笑い顔である。
しかし、二人の性格はどうも似ているようだ。
「急に呼ばれたので、何事かと思いましたが、婚約破棄してすぐ女性を呼ばれるとは思いませんでした」
しれっと発言するアルフォンス様。
「殿下は世間の噂に耳を持とうとしませんもの。やっと婚約破棄できたのだし、楽しまないと、ねえ?」
爆弾発言するエディット様。
二人の言葉にこちらが身の置き場に困る。聞いていないふりをすべきか? ユベールとお互い視線を泳がせてしまった。
「二人とも、うるさいよ。リリアーヌ嬢は二人に会ったのは初めてかな。ユベール君もエディットは初めてだろう。口うるさい二人だが二人とも友だちが少ないから仲良くしてくれるかい?」
「い、いえ、こちらこそ。よろしくお願いします」
シルヴァン殿下の説明にユベールは恐縮して挨拶を交わしたが、エディット様がばちんとユベールに向かってウインクをした。いいところの令嬢にあるまじき仕草だが、ユベールは予想外のウインクに顔を赤らめる。
「さ、ユベール様、邸内を案内しますわ」
「では、フェリシテ嬢、ご一緒に」
エディット様がユベールを促すと、なぜかアルフォンス様がフェリシテお姉さまをエスコートした。
すっと出された腕にフェリシテお姉さまも当たり前のようにエスコートを受ける。
そうして余った私にシルヴァン殿下が腕を出した。
「さあ、行きましょう。リリアーヌ嬢」
(ど、どうしてこうなるの!?)
「ネックレス、とても似合っています」
「あ、ありがとうございます」
賄賂は受け取ったので、証拠として一応着けてきたわけだが、フェリシテお姉さまににやにや見られて着けてきたのを後悔したとは言えない。
フェリシテお姉さまに誤解を受けたくないのだが、お姉さまはほんのり笑顔で私のネックレスをスルーした。どなたからもらったのか聞いてこなかったのが幸いだが、
(賄賂。賄賂だから!!)
心の中でどれほど叫んだことか。
それよりも、
「他にお客さまがいらっしゃるとは思いませんでした」
「お伝えしておくべきでしたね。休暇を取ったので、アルフォンスにも休暇を取らせたんです。エディットも一緒に行きたいと言うので連れてきました」
シルヴァン殿下はわざわざ休暇を取って私たちを招待したらしい。政務があるのだろう。婚約破棄して間もなく休暇を取って大丈夫なのか、こちらが心配になる。
「バルバストル令嬢との婚約破棄は、前々から決まっていたのです。その発表する日も決まっていましたが、王が発表を早めました。ただそれだけのことですよ」
何も言っていないのに聞きたいことが分かったか、シルヴァン殿下は遠慮げに言う。
クリステル様との婚約は幼い頃に決まったが、お互いの性格なども鑑みて白紙に戻そうという話は前からあったそうだ。クリステル様の所業に父親のバルバストル様も頭を悩ませていたようだ。
「バルバストルが娘を改心させるには婚約破棄が一番だろうと。私も思うところがあったので、破棄の方向で動いていました。さすがに、王があのような場所で婚約破棄を言い渡すとは思いも寄りませんでしたが」
まさかのパーティでの婚約破棄発言である。醜聞どころではない。
バルバストル様も大きく落胆しただろう。公式な発表ではなかったのだから。場合によってはバルバストル様の進退にも大きく影響を及ぼしてしまう。
しかしそれを無視するほどだったのだから、王の怒りは相当だったのだ。
「バルバストルなら問題ありませんよ。監督不行き届きではありますが、失態はないとお咎めは軽い謹慎のみです。破棄の方向に進んでいたのが功を奏しました」
聞いていないのだが、問いたいことが簡単に分かってしまうようだ。顔にそこまで出ているだろうか。
「まあ、その後は分かりませんが…」
ぼそりと言うのが聞こえたが、その後とはどういう意味だろうか。
ディオンの言う通り、婚約破棄は決まっていたわけだ。しかしやはり原因はクリステル様にあり、どうにもならなかったようである。バルバストル様の罰も少ないと言うのも聞いた通りだった。
説明はありがたいが、とりあえず、そういう説明はフェリシテお姉さまにしてほしい。
フェリシテお姉さまはアルフォンス様と何を話しているか、いつも通りの笑顔を見せている。アルフォンス様はお姉さまのエスコートができて嬉しいのか、若干雰囲気が柔らかいように見えた。気のせいだろうか。
ユベールについてはエディット様の奔放さに振り回されているか、エディット様の言葉に顔を赤らめたり驚いたりしている。
(ユベールは構わないけれど、お姉さまは…)
シルヴァン殿下がフェリシテお姉さまの隣にいなければならないのに、シルヴァン殿下は私の隣にいて、こちらを見てにこにこ微笑むだけだ。アルフォンス様とエディット様はカモフラージュのためにお連れしたのだろうけれど、ここまで来たのだからエスコートはお姉さまにしてもらいたい。
照れ屋なのだろうか。別荘に招待しておいてそれはないと思うのだが。
「あの、フェリシテお姉さまと一緒に行かないでよろしいんですか?」
「……あなたに色々聞きたいことがあるので」
(なるほど。リサーチね。納得したわ!)
「どんとお任せください!!」
令嬢にあるまじき、胸を大きく叩いたせいか、シルヴァン殿下は一瞬間を置かれたけれど、すぐににこりと微笑む。
(賄賂分、しっかり働きますから、安心してください!)
そう決心しながら案内されたのは各自泊まる部屋で、充てがわれた部屋に私は驚いた。
さすが王太子殿下の別荘か、部屋の豪華さや調度品の美麗さ、それに部屋から見える庭の美しさに感嘆してしまう。
「素敵なお部屋ね。リリアーヌ」
「気に入っていただけましたか?」
「素敵です。ありがとうございます」
自分には縁のない場所だが、フェリシテお姉さまのおまけでこんな素敵な部屋に案内されるなんて、ラッキーとしか言いようがない。お姉さまには感謝しなければ。
部屋に惚けていると、いつの間にかシルヴァン殿下だけが残った。フェリシテお姉さまとユベールの部屋はアルフォンス様とエディット様が案内しているようだ。
「すみません。ぼうっとしてしまいました。フェリシテお姉さまのお部屋に行きましょう」
「大丈夫ですよ、ゆっくりで。それより、部屋の眺めはいかがですか? お好きな花が分からなかったので、見栄えの良い庭園向きの部屋にしたのですが」
「美しいです!とっても!」
「それは良かった。花はどんな花が好きなのですか?色は?」
「私は、薔薇など華美な花も好きですが、小さな花が一斉に咲くのも好きなんです。色は、ピンクもいいけれど、青や紫なども…」
(って、私の話ではないわ! お姉さまの話を聞かれているのよ!!)
危ない、危ない。シルヴァン殿下は、誰が、とは言わないから、つい勘違いしてしまう。
「フェリシテお姉さまは、オレンジなどの明るい色が好きなんです。お花は百合などの大きなお花を好んでいます!」
「そうですか。では、リリアーヌ嬢に差し上げたネックレスは気に入っていただけましたか?」
「ありがとうございます。素敵なネックレスで、少々、驚きましたが…」
「気に入っていただけませんでしたか?」
「気に入ってます。気に入ってます!!」
「それならば良かった」
シルヴァン殿下は顔を綻ばせた。にこにこ笑顔とは違う、朗らかな笑みだ。
「あ、ふぇ、フェリシテお姉さまも髪飾りを喜んでいました」
「そうですか。それは良かったです」
おまけのように言ってしまったが、シルヴァン殿下は嬉しそうに笑んだ。
(そ、そうよね。フェリシテお姉さまが喜んでいるのが嬉しいのよね)
何だかやけに近いので、勘違いしそうになる。フェリシテお姉さま狙いだと分かっているのに、情報を得るために自分のそばにいるのに、シルヴァン殿下が柔らかな表情を見せるものだから胸がどきどきしてきた。
「そ、そろそろ参りましょう。フェリシテお姉さまのお部屋はどこでしょうか」
「案内します」
そうしてスッと腕を出す。そんな、エスコートはしなくていいのだが。その腕にそっと手を当てて、私はシルヴァン殿下とゆっくり廊下を歩き出す。
顔が火照るのは、きっとお屋敷が暖かいからだ。
先にユベールの部屋に案内されると、ユベールはエディット様とテラスで雰囲気良く話をしていた。
ユベールの顔が赤らんでいる。少しからかわれたらしく、エディット様が隣でケラケラ笑っていた。
ユベールも私と同じでフェリシテお姉さまのお相手を探すばかりで、自分の相手の女性を探したりはしていなかった。お姉さまの前例があるので、お父さまが私たち二人の相手を早めに探すようなことは言っていたが、今のところそういった話はない。
だからだろうか、ユベールが女性と二人で仲良く話している。しかも、そこそこ弁が立つユベールをからかう女性を見るのは何とも珍しいように思う。
(あの子も満更でもないのでは?)
「弟さんの相手も確認を?」
突然シルヴァン殿下が耳元でぼそりと問うてくる。耳に息が掛かり、私は後退りそうになった。
「いえ、そういうつもりでは!!」
シルヴァン殿下は私がフェリシテお姉さまに近付く男たちをチェックしていることに気付いているようだ。昔から牽制していたのだから、すぐに分かるのだろう。シルヴァン殿下のチェックはしていないと言いたい。
「けれど、気になるのでは?」
「お母さまが倒れられて、フェリシテお姉さまは私たちを構ってばかりだったんです。だから幸せになってほしくて。ユベールも同じ気持ちなんです。だからか、女性と二人でいるユベールを見るのは初めてな気がして」
「知っていますよ。二人ともとても姉思いなのだと。パーティでも見掛けましたから。華麗に助け舟を出す、お二人を」
さすがに見られるのは恥ずかしい。時々相手の男の足を踏みつけたりしているのだが、それは知られていないだろうか。
「だから、ずっと気になっていました」
シルヴァン殿下は顔を近付けて私に囁くように言うと、ふわりと微笑んだ。
(お、お姉さまのことよ! お姉さまのこと!! 言葉のチョイスが誤解しそうになるのよ!!)
シルヴァン殿下はクスリと笑い、私を促した。早くフェリシテお姉さまの部屋に行かなければ、私の心臓がもたない。
穏やかな笑みでありながら時折色気を感じて、直視するのは憚れる。中性的なわけではないのだが、独特の雰囲気があるのだ。
王太子殿下たる気品なのか、王族たる風格を自然にまとっているのか、人を呑み込むようなその気配に圧倒されそうになった。