噂
別荘へのお誘いが来る前に、私は旅行用の買い物をすることにした。フェリシテお姉さまに似合うドレスや靴を選びたい。
フェリシテお姉さまはお金を使うことをあまり好まないところがあるので、お姉さまは一緒に買い物に行っても自分の物を購入しないのだ。だから今日は私が独自に選んで贈り物としたい。
シルヴァン殿下に見せるのだから、派手すぎずけれどお姉さまの魅力を引き出せるデザインが好ましい。
お店前に馬車が停まり、私はお店の中に入ろうとした。
「リリアーヌ?一人か?」
「あら、ディオン。お店にいるのは珍しいわね」
店の中にいたディオンは打ち合わせでもしていたのか、店の者に見送られて店を出ようとしていたところだった。
ここはディオンが開いた店の一つである。流行りに敏感なのはこれが理由だ。
「お姉さまのドレスと宝石を選びに来たのよ。プレゼントするためにね」
「何か良いことでも?」
「実はね…」
私はディオンに耳打ちする。内緒よ。と釘を刺すのは忘れない。フェリシテお姉さまがシルヴァン殿下のお誘いをいただいていることを打ち明けると、ディオンは何かを考えるような仕草をした。
「どうかした?」
「他で話そう。詳しく聞きたい」
「そんなに話すことなんてないわよ?」
何か心配事でもあるのか。ディオンは私を近くのレストランに連れて行った。個別の部屋に連れて行かれたので、周りに聞かれる心配はない。
「それで、フェリシテ令嬢が別荘に泊まりで?」
「そうよ。すごいでしょう? パーティの後殿下にお茶に誘われて、そのままとんとん拍子で決まってしまって、私も驚いたのよ」
「婚約破棄が決まってすぐなのに、殿下は随分用意周到だな」
「私もそう思うわ。こんなに簡単に…、じゃなくて、殿下がクリステル様との婚約をよく思っていないと言う噂は本当だったのね」
「殿下とバルバストル令嬢が親しいわけではないということは、前から王宮では周知だった。子供の頃から仲が良かったわけではなかったからな」
ディオンは、それは分かっていたと軽く頷く。王宮では前々から噂されていたことで、クリステル様は王太子妃になることはないだろうとまで言われていたそうだ。
「では、殿下はお姉さまのことが前から好きで、それで婚約破棄をする気だったのではないかしら。王様がクリステル様に婚約破棄を言い渡したのは、それが決まっていたからでは?」
いつからかシルヴァン殿下はフェリシテお姉さまに恋をして、その姿を追っていたのかもしれない。クリステル様と行動を共にするのを控え、お姉さまを心の中で想っていたのだ。
クリステル様には申し訳ないが、婚約破棄は自業自得である。
「確かにバルバストル令嬢は度を越したところがあったから、当然といえば当然なんだが…」
「何を気にしているの?」
ディオンは何か気になっていることがあるらしい。少しばかり口籠もると、考えあぐねるように口元をなでた。
「ボラン子息を知っているか? あと、パルク子息」
急に言われて面食らうが、私は二人の男を思い浮かべる。
「どちらも知っているわよ。お姉さまのお相手としては少し年下だけれど、チェックはしているわ。ボラン子息は少し引っ込み思案で会話が上手くないのよね。パルク子息は男尊女卑が過ぎてお姉さまに相応しくないわ。家庭に入れたら奥様を見下すタイプだもの」
「そう言う意味で聞いたわけじゃ、いやそう言う意味だが…」
何のことか、ディオンは顔を抑えるが、唸りながら話を続ける。
「婚約の申し出はなかったか?」
「うちに!? あるわけないじゃないの。あっても追い出してるわよ。ボラン子息はともかく、パルク子息はね! どこでそんな噂を?」
「まあ、色々。だがやはり来てないのか」
「来てないわよ。聞いたこともないわ」
二人ともフェリシテお姉さまより年下でもお姉さまを選ぶところは誉め称えたいが、残念ながら私のお眼鏡にはかなわない。
「偉そうに言うな。でもそうか、来ていないんだな…」
「それがどうかしたの?」
「いや、けれどフェリシテ嬢か。ならいいんだ」
良く分からないが、ディオンは少しだけ安堵した顔を見せた。何故かコホンと咳払いをする。
「クリステル様の婚約破棄に、何の関係があるの?」
「王太子殿下が邪魔をしたんじゃないかと思って」
「殿下が? え、そう言うこと!?」
シルヴァン殿下がフェリシテお姉さまに求婚する者たちの邪魔をしている。
それが本当ならば、シルヴァン殿下はいつ自身の婚約破棄ができるか、やきもきしていたのではないだろうか。
「だから、バルバストル令嬢の婚約破棄は、かなり早いうちに決まっていたんじゃないかと」
「あら、やはり? 次にまた立場を貶めるような真似をしたら、婚約破棄にすると決めていたのでは?」
「そんな最近ではなく、もっと前からということだよ」
「前からって、どれくらい前からよ」
「…少なくとも、三、四年は前だろうな」
「そんな前…?」
何の根拠があってそんなことを言うのか。しかしディオンは何かを掴んでいるようで、確信はないがと言いながらその確率が高いことを示唆する。
「贅沢は許されていたみたいだ。婚約者としての矜持を保つためなのか…」
「婚約のための必要経費ではないの? 仮にも王太子殿下の婚約者なのだし。ドレスや宝石などは贈られるでしょう」
「その代わり、勉強と称して観劇などは勧めていたが、妃教育はほとんど進んでいなかったらしい」
「子供の頃に婚約が決まっていたのに、妃教育がほとんど進んでいないのは、さすがにおかしいかもしれないわね…」
クリステル様の頭の良さは聞いたことはないが、婚約してから十年近くを経ていながら妃教育が進んでいないとなれば、いささかのんびりしている。
婚約破棄がなければそろそろ結婚というような時期であったのに、妃教育が終わっていないのならばむしろ遅すぎるのではないだろうか。クリステル様の能力が低かったのだろうか。
「贅沢や遊びは許されていたが、妃教育を終えていない。わざと甘やかしていたのではないかと」
つまり、本来妃教育は終わっていなければならなかったということか。
しかし未だ終えておらず、そしてここで婚約破棄。最初から結婚する気がなかったのだと言われても仕方がないようだ。
「正確な情報ではないけれどな。それでも、別の令嬢を狙っていたのならば納得の話だと思って。殿下は穏やかそうな性格をしているように見えて、結構な策士だから」
「そうなの?」
シルヴァン殿下の噂は大抵が良い話で固められていた。婚約者のクリステル様の素行が悪すぎて、比べられる殿下の株が上がりやすいこともあったが、悪い噂は聞いたことがない。
「策士が悪いわけではないから、耳に入らないだけかしらね?」
「そうかもな。王宮では殿下を敵に回すなとか、あの笑顔に流されるなとか口にするやつはいるが」
「性格が悪いってこと?」
「あの笑顔の中で多くを考えているってことだ。別に性格が悪いというわけじゃない。悪態をついたことなんて見たことないからな。ただ、悪意を持たない聖人なんてこの世にはいない。殿下の場合はそれを上回る頭脳があるってことだよ」
悪意を持ってもその頭脳で解決してしまうということか。敵対者を潰せるという意味に取れるのだが。それはとても敵に回したくない。
しかし、味方に引き入れればこの上ない方である。シルヴァン殿下がフェリシテお姉さまを愛しているのならば、大船に乗っていられるわけだ。
「殿下が婚約破棄を望んでいたとすれば、納得の結果になった」
「なるほど。殿下の思い通りになったってことなのね」
「それに、バルバストル軍司令官はともかく、バルバストル一族は影響を大きくしつつある。王もその勢いは削ぎたいのではないかと」
バルバストル軍司令官はお優しく権力を求める方ではないらしいが、他の者たちが同じであるわけではない。
「ここで王太子妃の席にバルバストル令嬢が座るとなると、バルバストル一族の影響は計り知れなくなる。では、ここでその娘にその座を退いてもらおう。そう王が考えたのならば…」
「それは…」
想像以上に話が大きい気がする。私はただフェリシテお姉さまに幸せになってほしいだけで、王族の権力云々は考えもしなかった。
ディオンの考えでは、シルヴァン殿下は別の方を想っており、王はバルバストル一族の勢いを止めたかった。二人の利害が一致し、婚約破棄の流れになっていたのではないかと言うのだ。
「ま、全て勝手に囁かれているだけだけれどな。実際バルバストル軍司令官へのお咎めは少なく、バルバストル令嬢は自主的に謹慎しているだけだから」
その謹慎も本人がしたくてしているわけではないだろうが。
ディオンはそう付け足して、軽く鼻で笑った。
「どちらにしても、バルバストル令嬢が王太子妃になることに反対派が増えていたのだから、結婚前に覆っていたかもしれないけれどな。とりあえず、次の相手がフェリシテ令嬢なら安心だ。あの人なら間違っても癇癪を起こしてワイングラスを投げつけたりしないから」
「私もフェリシテお姉さまのお相手がシルヴァン殿下だったら嬉しいわ。別荘には私もユベールも行くから、話が進んだら教えるわね」
「リリアーヌも呼ばれているのか!?」
「そりゃ、婚約前の女性を一人、呼ぶわけないでしょう?」
「それはそうだが…。リリアーヌも行くのか…」
また何か気になったか、ディオンは眉根を顰めた。
「フェリシテ令嬢を誘ったついで、ということだよな?」
「当然でしょ。何で私がシルヴァン殿下に誘われるのよ」
ディオンの言葉を軽くいなすと、ディオンは少しだけ表情を緩めて、ならいいんだ。と呟いた。
シルヴァン殿下がフェリシテお姉さまを選んだのは、幼い頃会っていたからだろうか。元々親しかったようであるし、もしかしたら婚約する前から気になっていたのかもしれない。
幼心に年上の女性にキュンとすること、きっとあると思う。
ディオンの話は気になるものだったが、シルヴァン殿下が純粋にフェリシテお姉さまを想っていれば問題はないだろう。