番外編 シルヴァン2
「ご婚約者は相変わらずですね」
「アカデミーから出た後、クリステルが大人しくなっているか、誰かと賭ければ良かったな」
「皆、大人しくならないに賭けるでしょう」
そんな馬鹿げた賭け、結果は分かっていたとアルフォンスは澄ました顔で言う。「むしろ磨きがかかったのでは?」と付け足すくらいだ。
アルフォンスの毒舌に笑いたくなるが、あれが自分の婚約者だと思うとため息しか出ない。
「妃教育が進んでいないようです。マナーなどはともかく、座学での集中力は最悪だそうで」
「らしいな。宝石を身に着けることにしか集中力は発揮できないのだろう」
「王はバルバストル一族を気にされているようです。先頃影響力を増やしていますので。婚約してから年月も経っております。王太子妃になるのは決定ですから、他の貴族たちも尾を振り始めたようですね」
「王はその尾を引っこ抜きたがっているだろうな」
婚約はこのまま継続され、別の誰かに変わることはない。クリステルは王太子妃になり、王が自分になればクリステルは王妃。何とも鼻で笑いたくなる話である。
「アルフォンス。ブルレック家の令嬢を知っているか?」
「フェリシテ令嬢のことですか?」
出てくるのはそちらの名か。アルフォンスは少しだけ緊張した面持ちを見せた。
(そっちは狙っていないと言うべきか?)
「妹の方だ」
「名前は確か、リリアーヌ令嬢でしたね。その方が何か」
「姉のことはよく知っているんだな」
「有名な方ですから」
「どこが?」
「その美貌は妖精のようだと」
「そうだったか?」
その美貌があったとして、あれは案外面倒な女だろうに。無害そうな素知らぬ顔をしているが、腹に一物ありそうな女だ。アルフォンスはそれに気付いていないのだろうか。
「姉の方はお前には扱いが難しいと思うぞ。私と似たような性格だからな」
「それは逆に扱いやすいと言うのでは?」
一度口を開けばこれである。アルフォンスはいつも一言多い。
「よく分かりました。妹のリリアーヌ令嬢を調べて参ります」
「何も言っていない」
「お気になさらず。私が気になっただけですので」
アルフォンスはそのまま部屋を出ていった。あの男のことだ、妹を調べ、ついでに姉の周囲もしっかり調べてくるだろう。
まったく分かりやすい。しかし、アルフォンスならば多くの仕事をこなしてくれるはすだ。
「シルヴァン。お前の婚約者は妃教育が進んでいないようだな」
「そのようですね」
父上は私を呼び出すと、世間話と言ってクリステルの話を持ち出した。さて、どうしたものかとこちらをチラリと横目で見遣る。
「彼女の努力が本人の今後の糧となるのです。行いには褒美をやり、彼女の努力を褒めてやれば良いのでは?」
「ふむ、なるほど。努力せぬならば、先には進めぬからな」
「努力したいと言うのならば、努力させれば良いと存じます」
「では、そうしよう。お前の婚約者のことだ。良い方向に進めたいものだな」
父上はそう言って部屋を出ていく。良い方向がどの方向なのか聞いてみたいものだ。
努力する気がないから妃教育が進まないのに、それを戒めようとはしない。
(バルバストル一族が邪魔だと、そう言えばいいものを)
アルフォンスが持ってきた書類には、バルバストル一族が隣国の商人にまで関わりを持ち始めていたことが書いてある。今後王妃となるクリステルの親族として、次期王となる私の庇護があると話を持ち掛けているようだ。
多方に力を広げようとしているのはバルバストル本人ではなく、バルバストルの妻やバルバストルの弟、従兄弟たち。バルバストルの名は古くから継がれた名家なだけあって、基盤がある分厄介だ。
婚約破棄をするには理由がいる。古くに決めた婚約者だ。周りの勧めもあったが賛成する者は多く、バルバストルも父上には良い臣下である。
だからこそ、娘が周囲の令嬢に嫌がらせをした程度で婚約破棄になどならない。その様を父上や私が見たわけではない。噂は噂であって、その被害が公になる規模ではない。
では、どうやって破棄へ進めるか。
父上はこれ以上クリステルの妃教育を進めないだろう。彼女が嫌がるのならば強制せず、行う気があれば進めさせる。しかしそれさえも彼女が喜びそうな教育へ徐々に変更し、本来の妃教育から少しずつ外してくだろう。
永遠に終わらない妃教育。それを周囲はどう思うだろうか。妃教育を終えられない、愚かな婚約者。権力を笠に着て、ひけらかすしか脳のない者。元から噂が悪いのに、輪を掛けて評判は落ちていく。
しかし、それでも理由は薄い。クリステルを甘やかしただけだと言われるだけだ。
プライドだけは高いクリステルを、上手く誘導する必要がある。
「殿下。お久し振りですわ。このところお会いできず残念に思っていましたの」
妃教育のために王宮に訪れていたクリステルが、私を見付けて挨拶をしてきた。
先ほどまでクリステルは妃教育としながら外で優雅に茶をしていた。マナーなど今更教えるわけがないのだが、隣に教科書は置いてあったので、やる気のないままお茶をさせていたようだ。
妃教育を行う講師はそのままだが、クリステルの妃教育を終えられなければ講師自身の名誉に関わるだろうに。それでもこのような茶番に賛成したのは、クリステルが王太子妃に相応しくないと判断したのだろう。
元々クリステルの教育は厳しいものではない。厳しくすると癇癪を起こして授業にならなかったからだ。幼い頃それで許されていたのがおかしいのだが、それをうまく利用するのだろう。
緩んだ妃教育をさらに緩めることになっても、クリステルは気付いたりしない。
「せっかくお会いできたのだもの、お茶でもいたしませんこと?」
「そうですね…」
考えあぐねるように言ったのだが、クリステルは肯定と受け取って鼻を高くするように笑う。何に誇示しているのか、メイド相手か、それとも私に当然だと言いたいのだろうか。
「ですが、忙しいので、これで失礼いたします」
「殿下!? いつもそうおっしゃって、私との時間を作ってくださらないのは、婚約者としていかがなものかと思いますわよ!」
「残念ですが、私にその時間はありません。それより、クリステル、そのドレスとてもお似合いですよ。…前にも見たような気がしますが」
「なっ、殿下!?」
クリステルが真っ赤な顔をしているのを後ろにして、私はさっさとその場を立ち去る。
クリステルとは距離を置くのは、周囲にクリステルとの婚約を快く思っていないと気付かせるためだ。周りはクリステルを軽く扱うようになるだろう。
そこから本人がどう動くのか。先ほどの言葉を鵜呑みにして、ドレスを買い漁り、装いを今以上に気を付ける。クリステルは妃教育に派手なドレスや宝石を着けてきていた。王太子の婚約者として恥ずかしくないようにと言うより、誇示するためだが。
似合っているのかもしれないが、それがこの場で適切かは疑問だ。周囲はなおさら彼女を軽視するだろう。
(あとは他に誰か望む者がいると勘違いさせることだな)
「他の令嬢には悪いが…」
努力を別の方向に使わなければ何も起きない。今後どうなるかは、クリステルの動向に左右されるのだ。
「ご婚約者殿がリリアーヌ令嬢と一戦交えたそうです。リリアーヌ令嬢はご婚約者殿とフェリシテ令嬢の舌戦に参戦し、ご婚約者殿に勝利したとのこと」
アルフォンスから届いた報告に、私は頭を抱えそうになった。フェリシテは年が上で自分の相手となると少々年が離れているのだが、それなのにフェリシテを私の相手になり得る者だと認識したようだ。
アカデミーを出てから、フェリシテと会話を交わしたことなど挨拶程度くらいしかないが、クリステルの敵意は私に近い年頃の女性全般に行き渡る。
特に目立つフェリシテならば、クリステルが目を付けて当然か。
「殿下がドレスや装飾品などのカタログをやたら取り寄せたり、商人を呼んだりした弊害ですね」
「自分に贈られると想像しないのか?」
「そうならないように思わせている方の意見とは思えません」
アルフォンスの言葉に肩を竦める。
「あの女は、誰にでも喧嘩を売りたいようだな」
「殿下が婚約者殿とご一緒しないため、周囲の方々から舐められ始めているようですから」
それで癇癪を起こしてあちこちに喧嘩を売るのだ。何とも扱いやすい女である。
既に王宮の金を使う穀潰しとまで言われ始めていた。それに気付いているのか、自分の地位が揺らぐのではないかと周囲を牽制し続ける。
餌食になった令嬢はどれだけいるのだろう。
しかし、フェリシテに何かあればリリアーヌはすぐに立ちはだかる。フェリシテとの戦いはリリアーヌが代理を務めて勝利した。
勝利するのはさすがだと笑いたくもなるが、クリステルは思った以上に粘着質だ。
「クリステルに仕返しをされないように注意してくれ。言い返されただけで嫌がらせのレベルを上げるからな」
「既に取り巻きにけしかけ、その弟を使い、パーティで恥をかかせるつもりだそうです」
クリステルの側にはこちらの手の者が入り込んでいる。そちらの情報では、楯突いた者によく嫌がらせを行っているとあったが、リリアーヌにもやる気らしい。
「毎度やることが同じだな。捻りもない。いつのパーティだ?」
「来週の女神の祭祀です」
今年の女神の祭祀はそこまで趣向のあるものではないが、クリステルには丁度良いパーティになったようだ。
「殿下、本日はご一緒していただけるのね」
「女神の祭祀です。当然ですよ」
クリステルは口端を上げた。銀髪を綺麗にまとめて大きな白い生花や小さな花を髪飾りのように着けているが、ドレスに合っていても性格には似合いそうにもない。毒花でも身に着けたほうが余程お似合いだろう。
自分も胸元に小さな花を飾った。今日のパーティは花を身に着けることが条件だ。
女神の祭祀がただの祭りに成り下がっているが、誰もそんなこと気にもしない。
普通に花束を持ち、女性に贈る者もいるため、花を身に着ける条件は数年に一度行われている。
(何かをそこに仕込むのは簡単だろうな)
久し振りに行動を共にすることになったためか、クリステルは人の腕をとって鼻高々と歩いた。
鼻持ちならぬが婚約者として共に挨拶をしなければならない。集まってくる者たちの挨拶を受けて、クリステルは婚約者のいない年頃の女性たちに見下すような視線を向ける。
女性たちは威嚇されているように思えるだろう。クリステルは胸を張り自分が王太子の婚約者であることを声高に言いたいはずだ。
途中、クリステルの取り巻きである令嬢たちも挨拶に来た。クリステルの視線に一人の令嬢が居心地悪そうに頭を下げる。
セリア・ラチエと言ったか。取り巻きの中でも一番気の弱い令嬢で、弟が一人いる。
弟の姿はここにはなかった。アルフォンスに目配せをすると、弟の場所は把握していると、こくりと頷き首を軽く傾けた。
「クリステル、少し外します」
「殿下!?」
しつこく腕を掴んでくるクリステルの手を無理に剥がし、私はアルフォンスの方へと歩む。
「弟は?」
「顔色悪く休憩室にこもっております。リリアーヌ令嬢はいつも通りフェリシテ令嬢の側で目を光らせております」
リリアーヌのその姿を見ていないのに想像できて吹きそうになる。リリアーヌはフェリシテに花を渡したがる男たちを端から蹴散らしているのだろう。良い縁談相手がいればそうはしないのだろうが、リリアーヌの眼鏡にかなう相手はいるだろうか。
アルフォンスをちらりと見遣る。一度フェリシテにけしかけてみたいものだ。
「何か企んでいますか?」
「まだ、何も」
「どうやら、弟の方は行動を始めたようです」
部屋を出てくるセリア・ラチエの弟、エメ・ラチエは痩せ細った男だった。姉と同じで気の弱さが見えるような表情をしている。
手には小さな切花を持っていたが、やけにそちらの袖を気にしていた。
「ラチエ殿。お一人ですか?」
「で、殿下! ご挨拶申し上げます」
エメ・ラチエは悲鳴を上げそうな声を出してすぐに頭を下げた。
「少し話をしませんか。我が婚約者のご友人の弟君だ。いつも婚約者殿と仲良くしてくれて嬉しく思っているんですよ」
親しそうに声を掛けたつもりだが、エメ・ラチエは震えるように顔を上げると、小さく唾を飲み込む。居心地悪そうにするのは姉と同じで、ちらりと持っている花に視線を下ろした。
「パートナーはどこです? 部屋で休んでいたようですが、体調が悪いのですか?」
「い、いえ。パートナーは姉で、その、今ははぐれてしまいまして」
「そう…。袖口に何を持っているのかな?」
そう口にした瞬間、エメ・ラチエはその腕をびくりと動かした。すぐにアルフォンスが腕を取ると袖から細いナイフが見えて、エメ・ラチエは、ひっ、と悲鳴を上げる。
「王宮のパーティに武器を持って入ることが、どんな意味か、分かっているのかな?」
「これは、ち、違うのです、これは…っ!」
アルフォンスに体重を掛けられ、エメ・ラチエは床に膝を付いた。顔色が見る見る青白くなり、汗を吹き出させる。
「王族に対しての謀反と受け取ったよ。アルフォンス。この男を牢にいれ手足を斬り、首を斬り落とせ」
「お許しください。お許しください! 違うのです、これは、頼まれて!」
「誰に?」
「そ、それは……っ、ぎゃっ」
エメ・ラチエが口籠ると、アルフォンスが体重を掛けたまま腕を捻り上げた。エメ・ラチエは大きく悲鳴を上げて涙目になる。
「ただ、ドレスを裂けば良いと言われただけで、仕方なくっ!」
「だから、誰にだ?」
「クリステルさまっ、クリステル様です!!」
エメ・ラチエは時間も掛けずに白状する。元々それだけの精神力などないだろう。女性のドレスを切り裂けるほど器用な真似ができるとも思えないが、クリステルは失敗して気付かれても構わないと思っているはずだ。
要はリリアーヌに恥をかかせられれば良いのだから。
エメ・ラチエが失敗しても、男にドレスを引き裂かれるような女だと思わせればいい。パーティ会場でリリアーヌはそんな女だと囁かれるだろう。男から何か恨みを買うような真似をしたのか、そんな適当な噂を好んで話す者は多い。
クリステルに命令されたと言われても、クリステルが怒りでもして反論されれば立場が弱いのだから切り捨てられるだけだ。
「連れていけ」
私の命令に控えていた者たちが、エメ・ラチエを連れて行く。
エメ・ラチエが現れなければ、セリア・ラチエに怒りの矛先がいくだけだろう。失敗したと分かって、すぐにエメ・ラチエも切り捨てるだろうか。
事件を表沙汰にしたいところだが、クリステルには直接ダメージはない。しかし、今回のことは今後のために利用できる。
「バルバストルから破棄を了承できるように使えそうだな」
「短慮な真似をしたものですね」
「まったくだな。だが、良い拾い物をした」
「同情しますね」
「あのような婚約者を得た私にか?」
アルフォンスはこちらを眇めた目で見遣ってくる。無言なところが腹立たしい。
「今は黙認するが、クリステルに気付かれれば罰を与えると伝えておけ」
「その後、結局罰を与えるのでは?」
「今は、と言っているだろう」
気の弱いラチエは簡単に頷く。アルフォンスはすぐに指示を出した。パーティの間は監視付きだ。その後大人しくしようと、クリステルの命に従い武器を手にした罪は重い。
クリステルはエメ・ラチエを待ち侘びていることだろう。それが行われぬとは知らぬまま。
ターゲットにされるはずのリリアーヌは、いつも通りとフェリシテの側にいた。
「まるで陳列された特売品みたいですわ」
リリアーヌは別の女性を笑った男たちに、そう言い放った。
このパーティでフェリシテを手にしようと張り切って装う男たちを前に、リリアーヌのきつい言葉が突き刺さる。周囲は事の一端を耳にして、くすくすと笑った。
「殿下、衆目がありますよ」
彼らと同じように吹き出して笑いを堪える私に、アルフォンスが冷たい声を掛けてくる。
「お前だって笑いたいだろう? リリアーヌ令嬢は、さすがの反応だ」
「姉を守るための勇気は称賛しますが、あれでは敵を増やしてしまうでしょう」
「リリアーヌは敵だらけだな。さすが、フェリシテの目の上のたんこぶと名高い。だが、他の男が行えぬことを行っているのだから、リリアーヌに感謝するんだな」
リリアーヌがフェリシテの周囲をうろつく男たちを蹴散らすのを、喜んで見ている男は多いだろう。はっきりした物言いと堂々とした態度は好ましいが、蹴散らされた方はどうだろうか。
アルフォンスはフェリシテの元へ戻っていくリリアーヌを目で追いつつ、遠目から睨みつける男を幾人か目に入れる。
「好きにして構わないぞ」
「承知しました」
アルフォンスにとっては同じくフェリシテを狙う相手なのだから、潰すには丁度いいだろう。リリアーヌに何かする前に、関わらせないようにしたい。
「リリアーヌの許可が取れないと、フェリシテは落とせないな」
誰に言うでもなく呟くと、アルフォンスが冷めた目をよこす。
「殿下こそ、このまま見ているだけでよろしいので?」
婚約者がいる状況で、他の令嬢に粉をかければ、それこそクリステルが何をするか分からない。逆上されても面倒だ。それに、婚約者がいながら近寄ってくる者を、リリアーヌは信用しないだろう。
「リリアーヌ令嬢には仲が良い男性がおりますね。どなたかと違ってまっとうな方です」
「余計なお世話だ。あの男か?」
リリアーヌに近付いたのは焦げ茶色の髪をした男だ。モーリアック家の次男で、ドレスや宝飾類の商売をしている。家の名を商売に使ってはいたが品は良く、デザインも洗練されて貴族たちが好んで購入していた。母上ももれなくその一人である。
ただ、宝石の質をもう少し珍しいものにしてほしいとは言っていた。王宮御用達とまではいかないが、良い品があれば見せに来いと言うくらいには利用している。
リリアーヌは笑顔で対応した。ディオン・モーリアックは澄ましながらも好意を持っているようだ。リリアーヌは気付かぬようだが、フェリシテは気付いているだろう。笑っている割に、視線が鋭い。
「守るような姉ではないな」
「お互いに相手になる者を吟味しているのでは」
それにリリアーヌは気付いていないようだが。しかし、放置するには近すぎる男である。
「バシュレ家には娘がいたな」
「はあ、可哀想に思えてきました」
アルフォンスのわざとらしいため息は聞かぬふりをして、私は鼻で笑う。
「いつまでも友人面している方が悪い」
「商売が軌道に乗るまで待っていたのでは?」
「勇気がないだけだろう。姉より先に婚約する気がないからまだ大丈夫だとでも思っているんじゃないか? そのうち相手が現れるかもな」
「そうなれば、リリアーヌ令嬢も同じですね」
ああ言えばこう言う。アルフォンスの言葉に舌打ちしそうになるが、アルフォンスはそのまま後ろに下がったのを見て口を閉じた。クリステルがこちらに向かってくる。
「殿下。探しましたわ。一体どちらにいらしていたのです」
「こちらにおりましたよ。あなたを探したのですが、どこにもいらっしゃらなかったようなので。クリステルこそ、どちらに?」
「…休憩していただけですわ」
どうせエメ・ラチエがいないと聞いて騒いでいただけだろう。リリアーヌはそこでディオンと踊っている。何もないリリアーヌを見て、後ろにいるセリア・ラチエを罵っていたのではないだろうか。
「何かありましたか? 顔色が悪いようですが」
「い、いいえ。何も」
私がセリア・ラチエに問うと、彼女は怯えるように肩を揺らして否定する。
「体調が悪いようね。部屋に戻ったらどうなの?」
「し、失礼します」
クリステルはすぐにセリア・ラチエを追い払った。余計なことを勘繰られたくないと、こちらに振り向き話を変える。
「私、まだ殿下とのダンスを楽しんでいないのですけれど?」
「申し訳ありません。鍛錬で足を痛めてしまいましたので」
「普通に歩いているように見受けられますが!?」
「周囲に気付かれるわけには参りませんから」
「—————っ、殿下、少々、失礼が過ぎるのではないですか」
「失礼? 私はここにおりますから。パーティを楽しんでください。誰とダンスをするわけでもありません」
「————————っ」
クリステルは怒りを噛み締めるように口を閉じた。周囲の目線が気になったか、鼻を鳴らして踵を返す。
「おみ足を痛めていたとは、存じませんでした」
「そうか? 実はダンスが踊れるほど痛みは軽くなくてな」
アルフォンスはその返事に返すことなく、目を眇める。茶番は十分だとでも言うように口を閉じたが、一瞬気が逸れた。別の女性がこちらに近付いてきたからだ。
「フェリシテ令嬢、久し振りですね」
「お久し振りです、殿下。ご挨拶が遅れたことをお詫びいたします」
「一人とは珍しい。いつも妹君が一緒では?」
フェリシテはその問いに答えず、うっすらと笑う。その笑みは一層美貌を引き立てるのだろうが、どうにも嫌味な顔にしか見えない。
「ご婚約者様はご一緒されていらっしゃらないのですね。あまりご一緒されないようですが」
「先ほど話しておりましたよ」
「あら、それは、私の勘違いでしたわね」
うふふ。と笑う姿がわざとらしい。アルフォンスに問いたいところだ。この女のどこがいいのだ?
「リリアーヌを覚えていらっしゃいますか?」
「もちろんです。フェリシテ令嬢を思う姿が印象的ですね」
「実は、最近リリアーヌに来た縁談が急に取りやめになりまして。何かご存知でしょうか?」
「なぜ、私が?」
「殿下ならばたくさんのことをご存知かと思いまして。私の大切な妹ですの。急な取りやめはリリアーヌの心を痛めるだけですわ」
「それは、残念なことですね。リリアーヌ令嬢もご存知で?」
「…いいえ。父へ話が届くとすぐに断りが入りました。不思議でございましょう? まるで、どなたかから、止められたような」
「それは、また、どなたからでしょうね」
フェリシテは挑戦的な物言いをしてくる。それに返せば、すう、と目を細めた。
「リリアーヌの耳には入っておりませんから、それについては安堵しておりますわ。リリアーヌには正直な心根を話せる方を選んでほしいものですから。心の内を口にできぬようならば、どんな方でも、先に進めませんけれども?」
「それは、フェリシテ令嬢のお好みですか?」
「まあ、どの女性もそう思ってましてよ。自分にだけでも正直になられる方でなければ、信用などできませんでしょう?」
フェリシテは思った以上に攻撃的だ。言いたいことを言うだけ言って、緩やかに微笑むと、さっさと行ってしまった。
「だ、そうだぞ」
「だ、そうですよ。正直な心根をお持ちください」
「お前には、彼女は荷が重いのでは?」
「余計なお世話です」
アルフォンスに転嫁しつつ、私はため息をつきそうになった。
正直な心根とは、痛いところを突いてくる。フェリシテは容赦ない。それができれば苦労はしないのだが、言っていることには概ね同意だ。
「今年の誕生日の贈り物は用意したか?」
「殿下が適当に用意しろと言われたので、皆で相談し合って購入はしております」
「贈らなくていい」
「…承知しました。性格の悪い殿下の嫌がらせで、ご婚約者は癇癪を更に増やすことでしょう」
「姉君のご要望だ。正直にさせてもらおう」
ディオンとダンスを終えフェリシテを探しているリリアーヌを階上から見下ろして、私は静かに笑った。
「よくできている資料だな」
「結婚が間近であると認識させ、国内だけでなく隣国にまで影響を伸ばしております。特に気になる点は、武器が製造できる鉱山の売買かと」
「ふむ。唯一の王太子を手に入れれば敵なしと思っているようだな。この国を乗っ取る気なのだろうか」
まるで不安がるように問うてくるが、実際そこまで行うほどの勢力ではない。
反旗を翻すつもりなどなくとも、購入した物が武器にもなり得る。
それに似通うような真似をしていると糾弾するには従分な買い物だ。意図せぬ誤解を生んだと言っても、王が疑いを持ったと言うだけで状況は変わるだろう
それなりの資料を集めたつもりだ。父上もそれを望んでいたと、内心ほくそ笑んでいるだろう。
こちらに非はない。バルバストル一族が臣下の身でありながらわきまえずに、怪しげな行動をしている。これ以上バルバストル一族に力を強められたくないとは言え、父上はそんな理由でバルバストル一族を陥れるつもりだ。
だが、今回はそれを利用させてもらう。
「クリステルの件、証言した者は全てこちらの手に」
「…ふむ。クリステルも愚かな真似をしたな。バルバストルを呼べ」
バルバストルは一族が勝手にのさばるのを好んでいない。だが自身が活躍し父上の信頼を得るほど、周囲は影響力を増やそうとする。
父上は婚約破棄の決定を伝えるだろう。クリステルはリリアーヌ以外にも問題を起こしていた。屋敷にこもって出てこなくなった令嬢もいる。
自分が思う以上にクリステルは動いてくれた。
バルバストルは良い人材だが、娘や周囲を御しきれなかった。ただそれだけだ。
「婚約破棄を言い渡す!」
父上の声高な声が耳に届いたのをそのままにして、私はリリアーヌを追う。もう帰ってしまったか。
すれ違ったディオンはこちらに気付いていないか、屋敷の方へ戻っていった。
(いつまでも友人ポジションでは、後々後悔するだろう)
「こちら、落とし物ですか?」
リリアーヌはいつも通り、他の令嬢たちとは違う視線でこちらを見上げる。
私には興味がない。相手にもしていない。声を掛けたのもフェリシテを望んでいるのだと勘違いをする。
(勘違いでもいい。少しでも話して、距離を縮められれば)
「お詫びに、ぜひ、お茶などを。ご招待いたします」
その喜びの笑顔を、自分だけに向けさせたい。
「こんなに遠回りで結果を出されるとは思いませんでしたわ」
「フェリシテ嬢。君は時々私にきついように思うのだけれども?」
「あら、申し訳ありません。妹を思うあまりです」
「アルフォンスと結婚できたのも、私のおかげだと思わないだろうか?」
「アルフォンス様が努力された結果です」
フェリシテは笑顔のまま、はっきりと発言してくる。容赦ないのはむしろ通常運転だ。
こちらを目の敵にしているような気もするが、そんな気がするだけだろう。湖では随分と協力いただいた。
「アルフォンス、偉そうな顔をするな」
「しておりません」
とりあえずアルフォンスに当たっておいて、私はまだ来ぬリリアーヌを待っている。待っている間、フェリシテが突っかかってくるが、妹を思うゆえ、と我慢しよう。
「まあ、殿下が卑怯な手をあの手この手と使ってでも、リリアーヌの心を射止めたことは、評価いたしますけれども、リリアーヌを危険に晒したことは評価できませんわね」
それについては何も言えない。クリステルが短気を起こしたため、王宮で刃傷沙汰が起きてしまった。私を助けるためにクリステルに体当たりしたリリアーヌには心臓が止まりそうになったほどだ。
それを根に持っているか、フェリシテは私に厳しい。フェリシテは今しかないとでもいうように、わざとらしく、ほうっ、とため息をついて、
「あの子は真っ直ぐな子ですので、せいぜい愛想を尽かされぬようになさってください」
笑顔でそんな言葉を口にしてきた。
「お前の妻だったな。何か言ったらどうだ」
「何も聞いておりませんでした」
アルフォンスはフェリシテの横で他所を向く。まったく、少しは注意したらどうだと言いたいところだが、アルフォンスが尻に敷かれているのは目に見えていたので、我慢することにする。
「リリアーヌ。まあ、素敵よ」
現れたリリアーヌに言葉が一瞬出てこなかった。
白の衣装に身を包んだリリアーヌは今まで以上に美しく、自分の心を乱すには十分だったからだ。
無意識に跪き、その手に口付ける。
「リリアーヌ。この喜びをどう表現すれば良いのか」
「で、殿下。そんな、と、とにかくお立ちください」
焦る姿もまた可愛らしい。頬を染めておたおたと私に手を差し伸べる。
「どうか、名前で呼んでほしい」
まだ名前で呼んでもらったことがない。そう懇願すると、リリアーヌは更に顔を赤くして目を泳がせる。周囲の者たちはやれやれと部屋を出ていくが、それを気にせずじっと見つめていると、観念したように唇を震わせた。
「し、シルヴァンさま…」
「やっと、私のものになる」
声に出す気はなかったが口から漏れていたようだ。リリアーヌは恥ずかしげに肩をつぼめたが、それが愛らしくついそのまま口付ける。
「で、殿下!」
「名で呼んでほしいと」
「し、シルヴァン様。その、口紅が、落ちてしまいます」
「そうだね。では、後にしようか」
リリアーヌは顔を真っ赤に染めた。これ以上何かすると怒られそうなので、仕方なく我慢をする。
結婚の儀式には多くの者が参列する。リリアーヌはこれからその場を歩かねばならないと緊張気味だった。
「周りを見る必要はない。前を見て、怖ければ私を見るといいよ」
既に多くの者たちの声が耳に届いてくる。そのざわつきだけでどれだけの人数が集まっているか想像がつくだろう。
触れる程度に私の腕に添えていた手に少しだけ力を入れると、リリアーヌはそろりと顔を上げた。
何か言いたげな顔をして、しかし口を閉じてしまう。
いつもフェリシテにたかる男たちには強気なリリアーヌだが、私の前では少々大人しい。時間が経てば昔のように軽口がきけるのだろうか。それは今後のお楽しみとしておけば良いだろうか。
「何か、聞きたいことがありますか?」
「あ、あの。その、いつから、わたしを…。いえ、何でもないです。緊張してしまって」
リリアーヌは言いながら、途中で言葉を止めて俯いてしまう。
(いつから想っていたか、難しいな…)
初めて会った時から気になっていたと言って、信じてくれるだろうか。リリアーヌが覚えていない、あんな幼い頃の話。
だが、時折思う。
もし、最初から、君が婚約者だったならば、どれほど幸せだっただろうか。
「リリアーヌ。これだけは知っていてほしい。私がどれほど、この時を望んでいたかを」
扉の前で足を止めると、リリアーヌは私を見つめた。恥ずかしさなのか緊張してなのか、琥珀色の瞳を潤わせる。
その顔を見て、はやる気持ちを抑えるのは難しいだろう。
これから、どれほど君を溺愛するかなど、聞く必要もないことを、教えたい。




