砂漠の王と不思議な死体
超絶スランプ脱出の為の修行的作品です。
暇潰しになれば幸いです。
大陸の中央にある砂漠にその蛇は生まれた。
砂漠といってもまばらに植物もあり石と岩だらけの岩砂漠だった。
厳しい環境ながらも大小様々な生き物達がわずかに生息していた。
生まれたばかりで鱗も柔く、牙も細い蛇は、格好の捕食対象でその日も派手な羽根を持つ孔雀に追い立てられ必死に逃げ惑い岩場を抜け妙に柔らかい砂地を目指す。
親はとうに今追って来ている毒蛇を好んで食べる悪食の鳥達に食われて死んだ。
親の仇という概念は、止まったら死ぬという恐怖に書き消された。
後、何も食う暇すらなく追われ絶え間ない飢餓にさらされながら逃げているのでもう親の存在など子蛇の頭にはなかった。
その砂はとても柔らかかった。
ここでなら潜る事もできあの孔雀から身を隠せるだろう。
コロコロと小石が転がる不毛の大地から砂漠へ抜け柔らかい砂地を目指す。
「ケェェェ!!」
奇声をあげ背後に迫る孔雀。逃げる子蛇。
後少しで追い付かれそうになりながらも子蛇はとうとう目的の砂に飛び込んだが、孔雀も逃がすつもりはなくそこに飛び込んで子蛇の頭をその足で捕まえた。
「シャーーー!!(ぴぇぇぇ!!)」
もうダメだ、せっかくここまで逃げたのに………せめて死ぬ前に腹一杯食べてみたかった。
そんな無念を胸に子蛇はガックリと項垂れた。
子蛇の絶望に気を良くした孔雀は、しかし地面だと思っていた柔らかい砂が水のように自分を飲み込んでいくことに気付き慌ててもがき、必死に足掻くが後の祭り。
底なしの沼の如く、流砂は孔雀の絶叫すらも子蛇もろともに飲み下した。
容赦のない砂の渦は孔雀を生き埋めにし、砂の濁流でその身を押し潰し絶命させたが、その硬い爪までは潰せなかったようで、気を失った子蛇の体は頭を守られ力の抜けた体は流れに逆らうことなく流されるまま流され流砂の底の空洞にたどり着いたのだった。
子蛇が目を覚ますとそこは暗い場所であった。
心細さより、助かった安堵が強く、蛇の目で熱源を見回しても近くに生き物はいない。
安心して死んだ孔雀で空腹を満たすことができた。
子蛇は怖さもなく、腹も満たされて幸福に眠りについた。
ちょっと野生が足りないのは、先程までの極限状態で追い詰められたせいだがそのうかつな無防備さを静かに眺めている存在があった。
自我というのも随分な幽かさでかつて土の精霊であった砂達が子蛇の無垢な喜悦にさざめいた。
砂達は遥かな昔に土の精霊としての力を失い命の営みに遠ざかっていたので、無邪気に眠る子蛇はとてつもない懐かしさと尊さを砂達に思い起こさせてひとつの決意をさせた。
もうとうに砂粒でしかなく、精霊の力もほとんどないが、せめてこの子蛇が少しでも腹を満たして安らかに眠れるように。
砂の流れをほんの少し操作し子蛇の元に餌を届けさせるように。
そんな祈りでしかない小さな願いを砂達は最期に願い、ただでさえ幽かだった精霊は虚空に霧散し、砂達は死んでいった。
とても小さな願い。
だが。
小さな砂粒のひとつひとつが願ってしまった。
流砂は大きく渦を巻き、規模を少しづつ増した。
砂に触れた生き物を全て飲み込む絶望の砂漠は小さな子蛇の為に静かにゆっくりとしかし確実に拡大していく。
その事が時間をかけて世界に様々な悲劇をもたらすなどついぞ知らず、子蛇は砂のもたらす恵みを食べて、地下の空洞ですくすく育っていく。
天敵もおらず、餌にも不自由しない。
そんな楽園で蛇は食っちゃ寝して過ごす。
寝る子は育つ、の言葉通り食えば食うだけ体は育ち、人が見れば悲鳴をあげそうな大蛇に成長した。
多分よその大蛇と比べれば随分ずんぐりむっくりぽっちゃりとした鈍重な体だが、比べる相手にあったこともないので蛇に己を振り返る機会はない。
たまに中々餌の落ちない期間もあったが自堕落に育った蛇に自分で狩りにいくという発想もなかった。
天から餌が落ちてくるのを、うたた寝しながら待つ、完全に野生を見失った蛇の身にある日とんでもないモノが降りかかる。
狭い地下しか知らぬ蛇どころか、地上に住まう人々さえ預かり知らぬ天上の世界で神々が2つの陣営で対立し、永い時をかけてあい争っていたのが、ついに決着がしたのだ。
またそれが酷かった。
敗色に自棄を起こした主神が最期の戦いで敵味方軍勢もろともに爆散。
↓
衝撃で天の境界ごと弾け飛び、その身が地上に降り注ぐ大惨事が起きたがこれで大戦は一応終結。
↓
勝利した神々は敗北した軍勢についた神々を邪神と称し天上から追放(勝利側は正神と呼称)。
↓
地上に落ちた爆散した神の欠片(正神、邪神含む)地上の生き物と合体、魔獣の誕生。
↓
地上の生物分布、魔獣によって大混乱。
↓
さすがにやべぇと思った正神により、魔獣に命を脅かされる人類に加護を与え、戦う力としてレベルシステムを開発し大冒険時代が始まる。
↓
地上に追放された邪神達が正神に対抗して、魔獣にレベルを付与し魔獣強化。
↓
人類VS魔獣の正邪の神々の代理戦争になる。
と言うわけで、地上の生きとし生けるもの全てが大変な事になっていた。
そしてここ、流砂の奥底も例にもれず………
蛇にも人生(蛇生)最大のピンチが訪れていた。
『ふざけんな!この真ん丸のボディーで蛇を名乗るつもりか!?ツチノコの方が貴様よりまだマシだぞ!どういう生活しとるんじゃこのたわけ!!動け!走れ!痩せるまでダッシュじゃー!』
「ふぇぇぇん!ごめんなさーいー!」
自堕落生活で丸々と太ってしまった蛇は突然降ってきた邪神の欠片にダイエットを強制されて食っちゃ寝の楽園の終焉を迎えたのだった。
のたのたと全力疾走?する蛇。
つぶれた球体に下膨れた頭と申し訳程度の尻尾を生やしたもっちりフォルムは確かに蛇と言うのも烏滸がましい。
あまつさえ、この蛇は瞳孔が縦に避けるタイプでなくつぶらな丸い瞳孔の愛らしい目をしているのでとんでもなく押しだしが弱い(つまり可愛い)。
地上で最も過酷なエリアと名高い死の砂漠、人呼んで『絶死の大砂海』に唯一君臨する砂漠の王がコレなのである。
邪神の欠片は絶句した。
爆発四散した邪神の欠片には、復活の為に地上の生物を取り込み魔獣化して力を蓄える企みがあった。
復讐と野心に未だ燃えていたが、欠片となった身では自身が物理的に燃え尽きてしまう前に少しでも力ある生物に取り憑く必要がある。
『絶死の大砂海』の奥底に唯一存在する砂漠の王の気配を見つけ出し、勝利を確信して突撃したら蛇と出会ったのだ。
その時の彼の心情は筆舌し難い。
とてもじゃないが蛇とは認められない、のんきな顔の潰れアンマンと遭遇したのだ。
だが邪神の欠片にはもはや他を探す余裕などない。
絶体絶命、崖っぷちに追い詰められてなお、その真ん丸ボディーをそのまま取り込むには激しい葛藤があった。
………だが、他に選択肢はなかった。
食べる事と眠る事しか知らなかった蛇は、いきなり脳内に『痩 せ ろ !』と怒鳴りこまれて、とてもびっくりした。
自分しかいないひとりぼっちの世界を、おこりんぼのナニカがヒビを入れてやって来たのだ。
それはとてもスゴい事件なのだ。
蛇は歓喜した。
欠片と言えど元は神であった者からの直接の交信。
言葉を知らずとも意味がダイレクトに伝わる、蛇のワガママボディーに物申したい邪神の欠片の主張。
それは蛇の思考に爆発的な成長を促した。
と言ってもが考えるという一歩を踏み出しただけなので、ようやく自我が芽生えたというものだが。
『赤ん坊かい!!』
取り憑いてしまった邪神は、この巨大な肉塊こと、多分蛇?(暫定砂漠の王)が突然の乱入者をきゃっきゃっと全身全霊で喜んでいる感情を直で浴びた。
敵意も怯えもない。混じりけのない無垢な好意。
子蛇が餅大蛇(?)に育つまでの永い期間、体は成長しても中身は一切育たなかった。
だから、落ちてくる餌を食べる事が蛇の全て。
それは永劫の孤独への防衛本能だったのかも知れない。
砂達の慈愛の余波かもしれない。
だが、自分以外の誰かに話しかけられて蛇は目覚めた。
いや、楽園にたどり着く前に多少はあった自我が覚醒し、止まっていた時が動き出したのだ。
邪神の欠片は何度目かの思考停止から、気を取り直したのにさらに頭を抱えたくなった。
『邪神』と定義付けられてしまい『存在変化』もしているが、元は神だ。
今正神と呼称しているもの達と主義主張を違えただけで邪悪とは無縁で、良識もあれば善良ささえも兼ね備えていた。
いきなりその身に宿った他人の意識に好意を隠さず懐こうとしているベビースネーク。
真ん丸フォルムにつぶらな瞳のファンシー アンド ラブリー(大きさを除く)な見た目も相まって彼の母性(今爆誕した)を直撃。
無防備な赤ちゃん蛇の精神を駆逐し乗っ取る算段は消え失せて、芽生えてしまった母性が自身が邪神に変化する前に、蛇を鍛えようと決意させた。
厳しい叱咤激励で蛇にハードな運動を強いる傍らで、同時に自らの知識を蛇に与えなければ話にならない。
ほとんどこの地下空洞しか知らない蛇に言葉による教育は効率が悪かったので、自身の持つ知識を神力をもって浸透させる。
乾いた大地が水を吸い込むように蛇は何でも受け入れた。
飛躍的に知識の増えた蛇は語彙が増えたおかげで少しばかり精神も成長を得て、赤ん坊から幼児に成長した。
………微々たるものだが立派な成長である。
ただし、経験に基づいたものではないので、それ以上精神的な成長は見られなかった。
蛇が邪神の欠片を『自分にいろんな事を教えてくれるいい人』と認識し「おじちゃん」と呼ぶようになった時は、邪神の欠片は自分の語彙力に問題があったのでは?とこっそり悩んだりもした。
知識を与え、体を鍛える合間に蛇の持つ能力(大体死蔵)をひとつひとつ解析する度に衝撃が走る。
「おまっお前!千年以上生きてるのか!?」
時間の感覚の無かった蛇は、きょとんとする。邪神の欠片が驚く意味はわからないが、共有した知識により千年生きた動物は神格を得て神獣になるのだと理解が及ぶ。
「僕、神獣なのー!?わーすごーい!」
二心同体なので、蛇に何がすごいのかよくわかってないことは筒抜けであった。
(道理で、混じらない訳だ………)
邪神の欠片は安堵した。
ただの蛇であれば、記憶など共有すれば思考はその蓄積量に影響されいずれ同化もあり得た。
無論、母性に目覚めた邪神の欠片にその気はなく、共有には細心の注意を払っていたのだが。
精神に時間の感覚がなく、その細胞から読み取るしかなかった経歴に震える。
本当に何にもなくただ千年をここで食っちゃ寝していただけだと完全証明を得てしまった。
天上にも音に聞こえた、死の砂漠の最奥に潜むと噂の支配者がコレ。
誰も見たことは無いが何者かが存在するのは確かだと噂はしかと届いていただけに。
わかっていても込み上げる感情を抑えきれない。
壮絶なガッカリ感を邪神の欠片は噛み締めた。
毎日、地下空洞を押し拡げながら運動させればぷにぷにだった体も多少………僅かに締まり始め?………少しはシュッとしたんじゃないかな?………と幾ばくかの希望的観測(気のせい)を抱きつつある頃、蛇の胃袋が異空間である事が判明した。
邪神の欠片に血管があったら二、三本はぶちギレたかもしれない。
異空間なのにそれに気づかず、腹の内容量に合わせて体を膨らませていた蛇。
千年生きて神格を得て、胃袋を異空間化した。だと容量と年数の計算が合わない。
悲しい現実だが、『絶死の大砂海』に向けられた周辺国住民の畏怖・絶望・憎悪………様々な念がすでに蛇(暫定砂漠の王)を早い段階で神格化させていたのだ。
蛇は全くもって知らぬ事実である。
「胃袋引っ込めんか!このあんぽんたん!」
「ぷぎゃーーー!ナニソレーー?」
邪神の欠片のスパルタ教育により、空間認識、把握、制御を叩きこまれて蛇のワガママボディーはなんとか普通の蛇らしくなった(大きさは除く)。
全く効果の出なかった強制ダイエットは一応蛇の基礎体力と筋力、運動能力を向上させたので習慣づけた。
体の容積がスッキリして動きやすくなったので蛇が楽しんでやるようになったのが救いだった。
たくさんの知識を持っただけでちっとも身についてない問題をどうするべきか。
邪神の欠片は考えた末、流砂から落ちてくる食料。死体に目を付けた。
「食べる前に、鑑定しろ。これが何と言う生き物だったか、どんな物だったか確認して情報をも糧としろ」
「はーい。『エレファントなうまん』は草原の動物でー」
蛇は言われるままに鑑定し、知識を深める。
覚えるだけだった情報が、意味をなしてどんどん塗り替えられてゆくのは蛇にとっても感動の嵐だった。
情報を糧とする。知識を理解していく。
とても面白い作業で蛇は夢中になる。
特に『人間』という種族の情報は物語のように興味深く、幼い蛇のもっと知りたいという単純ながら強い想いが知識欲に恐るべき進化を遂げさせた。
視覚情報から知識のデータベースを引っ張り出すのがせいぜいだった鑑定能力が、覗き見たい対象の歴史の過去視を可能にしたり、性質や能力の詳細分析など、ありとあらゆる『知りたい』を『知りたいだけ』蛇はもぎ取っていく。
邪神の欠片としては、人間は心が弱く感情制御もままならず負の面に落ちやすいので、蛇の教育にはあまりよくないと考えていたが、知識欲を奮い『知りたい』事の為に頑張っている蛇の楽しそうな様子に言葉を飲み込んだ。
こうして子供は大人になっていくのだと。
蛇の成長は望むところだ。
立派な大人に成長して欲しい期待感と今少し子供でいて欲しい寂しさが邪神の欠片の胸中に同時にあった。
ある日のこと。
「おじちゃん、おじちゃん。れべるしすてむが始まってるみたい」
「……魔獣対策か。人間には過ぎた力だが、正神ならいつかやるとは思っていた」
「ツヨーい魔獣と戦って、レベルを上げて強くなるんだって!カッコいいーねー」
その夢破れて命を失い、亡骸を砂漠に捨てられているのだがカッコいいのだろうか?
邪神の欠片はあえて突っ込まない。
蛇は『知りたい』事だけ知って満足しているらしく、知識量はガンガン増えている筈だが思考力はあまり変化がなかった。
相変わらずの無邪気さでのんきな顔して笑っていた。
それはそれで可愛いが、誤算である。
「もうちょっと成長してくれると思っていたのだがな………」
時が迫っていた。
「おじちゃん?」
長く蛇と二心同体でいたが『砂漠の王』で『神獣』の蛇に、魔獣化の心配はない。
それに胡座をかいてずっと憑依状態だった邪神の欠片。
蛇を育む母性のおかげで辛うじてつないでいた自我もそろそろ終わりが見える。
邪神と定義された世界で正気を失くせばもう蛇を守ってやるどころか害なす存在になろう。
そもそも感情も思考も全部明けっぴろげな蛇を騙して転がす方法などいくらでもあるのだ。
この子の自由を脅かす、そんな未来など絶対に許せない。
ならば。
蛇の進化した超鑑定能力の成果で砂漠の砂粒のひとつひとつが死せる大地の精霊の残骸と判明している。
幼くひ弱な蛇を生かす為に餌を運ぶ流砂になった先達がいた。
なんて心強いのだろう。
もう声をかける力も無く。
静かに蛇から離れ、広大な砂の海に意識を拡散し同化させてゆく。
邪神の欠片は砂よりも細かく砕けて消えていった。
「おじちゃん?返事して?………おじちゃん」
自分の中にいた筈の気配が消えて、蛇は寂しくて泣いた。
周りを囲む砂からほんの幽かに『おじちゃん』を感じるのに。
厳しくてスパルタでいつも蛇は泣かされていたのに、あの怒鳴り声がどこからも聞こえなくて堪らなく寂しい。
孤独を知らずに生きていた頃とは比べ物にならない寂しさに蛇の胸は張り裂けそうに痛む。
寂しくて寂しくてとてつもなく悲しい。
涙が溢れて止まらない。
「うわぁぁぁぁんおじちゃああああああん!!」
蛇は声をあげて泣き続けた。
その日『絶死の大砂海』が揺れる程、流砂が荒れに荒れ、近隣諸国はこの世の終わりが来たのかと怯え神々に救済を祈った。
祈りは届いたのか、届かなかったのか。
終末は訪れなかったが。
魔獣達が急激に成長を始めた。
地上に追放された邪神達により、魔獣のレベルシステムが発動されたのだった。
各地に強大な魔獣が君臨し、縄張りを作り魔獣の住みかと人類の住み分けが行われ、その後土地を巡り両者の争いは激化する。
何でも呑み込む流砂の海『絶死の大砂海』は常に渦潮の如く流砂と流砂がぶつかり合い荒れ狂う魔境と化したが元より訪れる者は無い。
荒れる砂海に怯え、生け贄を捧げる国もあれば、邪魔者を人知れず始末するのに利用する者も少なからずあった。
さらに戦乱で多くの死者を出し、亡骸を埋める暇もなく、砂漠に捨てる風習が普通に生まれる。
そのついでなのか瓦礫やゴミさえも砂漠に投棄されたがそれは些末な事であった。
そんなことは露知らず、蛇はしばらく泣き暮らしていた。
ふと、流砂から落ちた餌が、山積みになっているのに気がついた。
そしてお腹がペコペコなのも自覚して早速餌に飛び付こうとした。
食事を忘れて泣いていたのだから、空腹は深刻で今すぐ食べ漁りたい。
なのに『おじちゃん』の言葉が鮮明によみがえった。
『食べる前に、鑑定しろ』
「はい、おじちゃん………」
『これが何と言う生き物だったか、どんな物だったか確認して情報をも糧としろ』
『おじちゃん』の教えがまだ蛇の中で生きてる。
蛇は涙と空腹を堪えながら、鑑定し、その境遇や生き様を確認してからそれらを味わった。
そして、日課の運動や特訓も再開した。
寂しいのは変わらないのに自分の中に『おじちゃん』が確かに存在しているのを感じている。
大切なモノを沢山もらった。
それを失くさないよう蛇は頑張る。
きっと『おじちゃん』が、自分を見守ってくれてるから。
不安定な日々に怯え暮らした貧しい者も、権力を持ち国を動かすような富める者も死ねば等しく砂漠に葬られた。
それらが持つ物語をより集めれば、蛇にも世界情勢が知ることが出来た。
人間達のレベルシステムは数字の高さで強弱を示す。
魔獣側のレベルシステムもレベル数字を持つが、さらにその危険度を示すために、記号によりランク付けされているのを知った。
ランクGから上に行き最上位はAかと思いきや、それを超える超級位ランクSがありその縄張りは不可侵地帯になったらしい。
ちなみに『絶死の大砂海』は、死者を流す砂葬の風習が完全に定着し、大砂海の最奥には死者の国があるのだと信じられて、別格の『SSS級絶死領域』になっている。
そのトリプルSは『砂漠の王』にも向けられた称号でもあるのだが、当の蛇は「砂漠のむこうに死者の国があるんだ、こわーい」と怯えていた。
流砂の流れは荒々しいが、呑み込んだ物を蛇の元にまで届けるのに、その広大さゆえに非常にゆっくりと時間をかけて運んだ。
それゆえ熱砂の荒波に揉まれた死体はカラカラに乾燥し、干物の状態で蛇の元にやって来る。
ある日、いつもの干物の山の中に、随分とみずみずしい人間の死体がひとつあるのを見つけた蛇はたいそう驚いた。
鑑定した記憶でしか見たことのないまるで生きてるかのような、死にたてほやほやの人間だ。
人間の死体は、何らかの布を体に巻き付けてるものが多い。
だがそのみずみずしい死体は裸だった。
裸の人間も一定の割合でいる。
死んで身ぐるみ剥がされたのだろう。
裸ん坊は大体そうだ。
なんで干物になってないのだろう?とても不思議に思い、蛇はみずみずしい死体を引っ張り出して鑑定した。
「あれぇ?」
わからない。いつもなら名前や生まれ、今時の子ならレベルやステータスまでわかるというのに何も見えない。
「むぅ、どうしてぇ?」
見えないと余計に見たくなる。
蛇は目を凝らした。魔力を精査する魔眼に最大限の力を込めたが、全く見えず。
辛うじて見えない理由は『彼の存在がこの世界の者ではないから』と結論づける事は出来た。
次に体表面の記憶を読む時間魔法視を試みた。つまり過去視だが、見えづらい。
しかし魔眼よりかは期待値がある。
『おじちゃん』のスパルタを知る蛇には、乗り越えられない障害ではなかった。
その結果。
「えーと、異世界から召喚された勇者だけど、スキルがゴミだから追放されて、追い剥ぎに身ぐるみ剥がされて砂漠に棄てられた?」
蛇に見る事が出来たのは、彼がこの世界に喚び出されてから経験した全てだった。
「かわいそー」
蛇はたくさんの死体の其々の人生を眺めてきた。
この勇者よりも理不尽で残酷な運命の人間もたくさんいた。
自業自得な非業の死を迎えた者もいたし、平穏無事に人生を終えた者も、人ごとにいろんな生き方が人の数だけあるのを知っている。
おざなりに見えて純粋な本心の呟きで、決して煽っている訳ではないのだ。
のんきな声音の同情の一言に。
ピクリと死体が震えた。
普段の蛇なら気づいたかもしれない。
だが、蛇は今、目の前の読み方ひとつわからない異世界の情報源(新鮮全裸死体)に心を奪われていた。
好奇心旺盛で知識欲の塊の蛇は難読な異世界の存在を解明したくて堪らない。
生まれてすぐ死にかけた以降、安全な暮らししか知らない蛇。
敵とか脅威とかの記憶は遠い彼方。
安全安心の砂の楽園に守られて育った蛇は、一切の用心を忘れて勢いよく、同化を始めてしまった。
邪神の欠片でさえためらった同化。
『知りたいすべて』を知るために、最も短絡的な手段を蛇は選択する。
恐ろしい事に、それが唯一の方法と本能で感じとった叡知と行動力に全力を費やす蛇には、危険というファクターを考慮する能力がゼロなのである。
「わー!わー!スゴーい!」
砂漠の箱入り息子兼引きこもりの蛇に異世界はとにもかくにも刺激的な世界だった。
青年は現代の日本人で、早くに母親を亡くし父子家庭で育ち、幼い頃から母親の代わりに家事をこなし、その多忙さからクラスメートと馴染めずぼっちで過ごす事が多かった。
その分、すき間時間を読書に費やし、その内自らも執筆を始めネットに投稿し、それが注目を浴びいくつか出版もされた。
順風満帆ではないものの、ささやかに幸せな人生を青年はすごしていた。
それがなんの前触れもなく召喚に巻き込まれこの世界にやって来た。
青年の記憶の経験を追体験する蛇。
青年の世界は、見るもの食べるもの触れるもの全部が多様性に満ちて素晴らしかったのに。
蛇は砂漠しか知らないが自分の世界を愛しているので、余計に突然違う世界にさらわれてしまった青年がとても、かわいそうになった。
召喚されたその場で無能だと罵られる青年。
世界を渡ると、魂が界渡りの影響による変革で様々な能力を得る。
その力有る者達のことを『勇者』と呼んだ。
『勇者』と呼ばわられた者達の中で、青年だけがスキルを1つしか持たなかった。
1つだけ得たスキルは『レベル1』。
触れた者をレベル1にする呪いじみたスキルで、持ち主もレベルが1で固定されてしまう。
これ以外のスキルが無い青年は他の勇者と違って自分のステータスも確認出来なかった。
王宮魔術師がわざわざ鑑定し、青年の使えなさが露見したのだ。
寄るな、触るな、ゴミスキルだ、無能だ、役立たずだと、一緒に召喚されてきた他の勇者まで罵声を浴びせてきた。
そして、追放。
失意のまま王都を出ようと街を歩けば、物盗りに囲まれ殺された。
正に踏んだり蹴ったりである。
蛇は作家だった青年が心の中にたくさんの世界を持ち、いくつもの物語を紡いでいたのを体感し、純粋に尊敬の念を抱いた。
決して無能なんかじゃない。
素晴らしい人。
ドクン。
蛇は青年の人生や異世界の情報に夢中になるあまり、その振動にやっと気づいた時には青年を半分以上呑み込んでいた。
「あ……あぁ………」
千年以上も死体しか見てない蛇は、青年が死んでいると本気で思っていた。
みずみずしい死体だと。
…だって生きてる存在なんて蛇の人生で親と天敵の鳥ぐらいしか会ったこともなく、永過ぎる砂漠暮らしでもうほとんどうろ覚えになっていたし。
※『おじちゃん』は元が天上の神性存在の精神体の欠片で実体がないので生物の範疇ではない。
「い、いきてるぅぅぅぅ!!」
物盗りに刃物で刺されて絶命していた青年。
例え、かろうじて息があったとしても流砂に呑まれて流されてる合間に命がいくつあっても死ぬだろう。
そういえば、異世界の事が気になって青年自身をちゃんと見ていなかった、と蛇は目を凝らした。
「スキル『レベル1』すごーい……』
なんと、ゴミスキルと言われた『レベル1』だが、レベル1にした対象のそれまでの経験値がそのまま彼の命になると判明した。
レベル1から一つ上げるのに百の経験値が必要として、レベル2の人間を触っただけで青年は百回生き返る事が出来るのだ。
青年の命を繋いでいたのは、物盗りの経験値。
己のレベルが大きく減った事に気づかないままなら、物盗りどもは近く報いを受ける事になるだろう。
それはさておき、流砂に何度も殺されて、死と復活を何度も繰り返していた青年のステータスを見てみると、HPの同列に『ライフ』という他の人間にはない項目がありその数値が見る間に減ってゆく。
「きゃーーこの人死にまくってるぅぅぅ!!」
ライフの数だけ生き返るのだが、秒で死に、また再生している。
僅かに生きてる間の鼓動に蛇が気づいたのはむしろ僥倖に等しい。
初めましての生きてる人間が目の前で死んでしまう事に蛇はパニックを起こす。
「なんで死ぬの!?あーー僕のせいーー!!」
なんと青年の体は、異界の生物の同化による侵食を補食行為と認識し全力で抵抗しているのだ。
主にスキル『レベル1』が。
実際、蛇は青年を死体と思っていたので鑑定兼鑑賞が終われば完全に飲み込んでしまうつもりだったのでその認識は間違ってない。
でも、生きているなら食べたりしない。
だって蛇はずっと人間に憧れていたのだ。
流れてきた者達の人生をつぶさに観察してる内にどんどん憧れは強くなった。
幸も不幸もあった。それでも憧れた。
慌てて同化を止めるが、相手はレベル1ステータスのヨワヨワで死の連鎖が止まらない。
体半分溶かされて再生が追い付かない状態なので仕方ないのだが、完全に自分が悪い蛇は号泣した。
「わーん!ごめんなさいーーー死なないでぇぇぇ!!」
経験値という莫大だった数字が見る間に溶けていく。
青年を召喚した連中より、罵って追放した連中より、物盗り達より、ずっとずっとひどい事をしてしまった。
せめて自分にレベルがあれば少しはなんとかなったかも知れないが、蛇にレベルシステムが適用されたところで、戦闘経験が無いので結局レベルは1だから役には立たない。
一生懸命学んで貯めに貯めた知識で青年を救う方法を考えるが、焦りで中々良策が浮かばなかった。
蛇はますます号泣した。
「うわぁーん」
………酷い夢を見た。
異世界に召喚されて、無能だと追放された。
ラノベのテンプレならここからスキルを覚醒させて無双して成り上がるとこなのに、城を出てすぐ路上強盗に殺されてバッドエンドだった。
コンチクショウ。
あー夢だな、明晰夢だっけ?もう死んだんだから夢から覚めたいんだけど、体動かねぇし。
なんか近くで子供泣いててうるさいし。
親は何してんだよ。
小さい子泣いてたら可哀想だろ……起きてって…おじちゃん言うな、まだ二十代やぞお兄さんだお兄さん。お兄さんだって起きたいの。
体動いたら遊んでやるから泣くなって……
死んじゃうって誰が?俺?そういや死んだな…いや、夢だし……名前?蛇に名前を付けて欲しいって、ナニソレ。
「蛇なら、マンバ……地球最強の毒蛇ブラックマンバのマンバだ。カッコいいだろう?」
「マンバ!!ブラックマンバ!カッコいい!」
泣いていた子供が上機嫌で興奮しながらマンバマンバと繰り返していて微笑ましい。
男の子はなんかよくわからんけどカッコいい物に憧れるのだ。
いい仕事をしたからか、達成感と満足感に包まれる。
あぁ、意識が遠のいてく。きっとこの変な夢から覚めるの時が来たのだ。
「ありがとーあるじ!マンバ頑張る!」
子供のハツラツとした声がなんか言ってたが、よく聞き取れなかった。
ライフが尽きる間際。
ギリギリで隷従契約を結び、立場の逆転によるウルトラCでなんとか青年の死の連鎖が止まった。
名付けの儀式のみで契約に落とし込むのは、いささか以上に強引であったが他の方法では時間がかかりすぎた。
蛇としても全面的に自分が悪いと反省してるので、青年を主人と仰ぎ忠誠を尽くすのに問題はなかった。
何よりステキなステキな名前を付けてもらったし。
「うふふ、マンバ……カッコいい……うふふ」
半分同化した関係でマンバと青年は一心同体に完全融合した。
隷従契約で体の主導権は青年にあり、体のサイズも青年に準拠している。
本体である巨体の内、青年の体を再構築した余りの質量は異空間に仕舞ってある。
『おじちゃん』が胃袋認識から異空間を自在に利用出来るよう鍛えてくれたおかげで可能な所業だった。
ひとしきり名前を堪能した後、マンバは青年の魂に絡み付く悪縁の残滓を丸飲みした。
「あるじはマンバのあるじなの!おさわり厳禁でーす!」
触っている訳ではないが、召喚に組み込まれた術式には『国への従属』と『能力把握の為の情報開示』などが仕込まれていた。
青年を召喚した国家の都合のいい駒になどさせない!とマンバはすべての干渉を懇切丁寧に消滅してやる。
青年への非道が許せなかったのもあるが、マンバに読めなかった青年の情報をヤツらが、たやすく読んでいた事が悔しかった気持ちが強かった。
異なる世界の言葉の理解も含まれていたが、マンバが同化しているので通訳(聞く)も翻訳(話す)もバッチリの無問題。
青年は晴れて自由の身になった。
「あるじ、早く起きないかなぁ」
青年の右肘から先を自分に変換してにょろにょろ体の上を這い回る。太さは腕の太さから変わらない程度にただ際限なく長さだけ伸ばして青年の感触を堪能した。
「うふふ」
ひとりぼっちが永かったマンバはワクワクと青年が目を開けるのを待つ。
『おじちゃん』が去って真の孤独を知った。
主人はレベル1固定のヨワヨワ人間だがスキルのおかげで死ににくいからきっとずっと一緒だ。
ステキな名前もくれた。
なんてステキな主人だろう。
叶うなら、主人の創るお話をたくさん聞かせて欲しいけどそれは高望みだろうか。
何故かもう起きてるのに狸寝入りしている。
マンバは主人が目を開けた時に一番に視界に入りたくて胸の上でとぐろを巻いて上から主人を見つめた。
準備は万端、従者として初めての挨拶を頑張るぞ!と緊張と期待を込めて。
なんかにょろにょろしたものが笑いながら、体の上を陣取っている事に心底恐怖している青年が意を決して目を開けるまであと少し。
マンバ「ブラックマンバカッコいい!!でもぼく白くて毒ない蛇だからカッコよくなかった!ガーン!!」
青年「召喚!ゴミスキル!追放!最強(ランク詐欺)の従者ゲット!テンプレ踏襲してるのに俺が主人公じゃない件」
おじちゃん(砂)「突っ込み不在が辛すぎてしんどい」