瞳の月
ぼくは軍人。
世界防衛軍の隊員だ。
遠い国は悪いやつ。
ぼくらの国をのっとろうとしているんだ。
それを食い止めるために、ぼくは毎日へいたいとして戦っているんだ。
とっても強いこうせんじゅうで敵のへいたいを殺したり、敵のせんしゃを壊したり、敵のゆーふぉーを落としたりしてるんだ。
いつも隊長はぼくを『お前はほまれたかきわが軍のエリートだ』とほめてくれる。
『ほまれたかき』が、どういう意味なのかぼくにはよくわからないけれど、とてもすごいことなんだってことくらいはぼくにもわかる。
だから落とそう。もっと壊そう。
そしていっぱい殺そう。
ぼくは世界防衛軍の、ほまれたかきへいたいなんだから。
ぼくは、ロボットが嫌いだ。
何でもできるロボットが嫌いだ。
どんなことでも文句を言わないロボットが嫌いだ。
作った人間よりもかしこいロボットが嫌いだ。
お父さんの仕事をうばったロボットが嫌いだ。
お父さんを捕まえたロボットが嫌いだ。
ぼくらのしあわせを壊したロボットが嫌いだ。
ロボットなんか、大嫌いだ。
ぼくは、ある任務についていた。
敵のスパイがある町に隠れているという情報を聞いたのだ。
さっそくぼくたちは武器を手に、その町へ飛びこむ。
たくさん探した。壁を壊したり、家の中をひっぺがえしたり、空から爆弾を落としたりもした。やりすぎかもしれないけれど、敵のスパイがいるかもしれないのだ。油断は禁物。
あるとき、ぼくは男にえりくびをつかまれた。
ぼくのお父さんくらいかな、と思う男は、ぼくに泣きじゃくって何か叫んでいる。悲しいとも怒りとも取れる顔をして。
「お前たち、なんてことをしてくれたんだ!?」
なんてこと? 敵を探すために決まってるじゃないか。
ぼろぼろに崩れた家の瓦礫。
壁に焼きつけられたこうせんじゅうの跡。
ところどころであがる火の手。
見慣れた戦場。まるで自分の部屋のようになじんでいる。
いったい、この男は何を怒っているのだろう。ぼくにはよくわからない。
瓦礫からはみ出た小さな白い手を見下ろしながら、ぼくは首をかしげるしかなかった……。
世界防衛軍の何人かが、【負け犬の道】を歩いていった。
負け犬の道とは、世界防衛軍の基地の出口に作られた通り道だ。
軍にいられなくなった――弱虫の通る道だ。
なんでも、この間の作戦に耐えられなくなったらしい。
何でだろう。あれは作戦なのに。敵を倒すのはあたりまえじゃないか。
だけど、いい気分でもあった。
これでぼくががんばるチャンスが増える。隊長に、もっとほめてもらえる。
くんしょうだってもらうんだ。金でできたぴかぴかのくんしょう。ぼくががんばったっていう印なんだ。もう五個ももらってるんだ。
もっともっともらって――ほまれたかきへいたいになるのが、ぼくの夢なのだから。
何日かして、代わりのへいたいが世界防衛隊にやってきた。
――そのときのぼくの顔が、想像できるだろうか?
そのへいたいは――ロボットだったのだから。
ひどくいやな気分だった。
ロボットは、人間との二人一組で組むことに決まった。ロボットに戦争のいろはを教えるためだ。
当然、ぼくもロボットと組まされることになってしまったのは言うまでもない。
いやだけど、隊長命令なんだから仕方がない。隊長は尊敬しているけれど、今は恨みたい。
ブリキの箱で作ったような不細工な体をしているロボットは、ぼくの前でぺこりとおじぎをして見せた。
ふん。人間ぶっちゃってさ。
「はじめまして。わたしは、ロボット・アドヴァンスド・ビー……」
「長い。聞きづらいよ」
「なら略します。わたしはRABITです」
「うさぎ?」
「はい。わたしのことはそう呼んでください」
ふうん、とぼくはつぶやく。
ロボットじゃなくてラビット……。何だ、どちらも大してかわらないじゃないか。
「これからよろしくな。ロボット」
「わたしはラビットです」
「うるさい。お前は今日からロボットだ」
「はい、わかりました。これからよろしくお願いします」
ぼくらは握手をし、互いに笑いあう。超合金でできたロボットの顔は変わらないけど。
握り潰してやろうと力いっぱい握ったのだけれど、超合金の手はびくともしなかった。
場所は戦場。
敵の戦車がぼくらに向かっていっぱい攻めこんできていた。このままじゃ負けてしまう。
「おい、ロボット! これを持っていけ!」
「これは、地雷ですか?」
「そうだ、これを持って戦車に走るんだ。そして思いっきりぶつかってやれ。わかるだろ?」
「はい、わかりました」
そういうと、ロボットはすっくと立ち上がって、ものすごいスピードで戦車に向かって走っていく。
思わずぼくはこみ上げる笑いを抑えられずに入られなかった。戦場で笑うなんていけないことだけど、だってあまりにも馬鹿すぎて。
爆弾を抱えて走ることがどういうことなのかわかってないんだ。だからロボットは……。
どかん、と大きな音。
――やった。
ざまあみろ。ぼくは思わずこぶしを握りしめる。これでロボットはいなくなった。しかも戦車を倒したんだ。ぼくの手柄だ。また隊長にほめてもらえる。
「よかったですね」
……え?
その声に、ぼくは思わず顔を上げる。
信じられないことに、そこにはロボットがいるではないか。
どうして?
「わたしは超合金でできています。これくらいの爆発ではびくともしません」
なんて頑丈なやつなんだ。あのまま死んでくれたらいっそよかったのに。
それからもぼくは、いろんな手段でロボットを壊そうとしてみた。
敵のこうせんじゅうの盾にしたこともあった。
事故と見せかけて泥沼に落としたこともあった。
敵が空爆してくると知っていて、わざとおいていったこともあった。
なのに、どんなことをしてもロボットは必ず帰ってくるのだ。
本当に、うっとうしいやつ!
ある日、基地にいるときにロボットがこんなことを聞いてきた。
「死後の世界を、どう思いますか?」
なんだ? ロボットが宗教なんて。
「わたしは、死というものを知りません。人間にとって、経験できないものであり、それゆえに理解しがたく、だから恐れているものだと、聞いています」
「それが何だよ」
「私たちがいるのは戦場です。死についてはあなたは誰よりも詳しいと思ったので」
――ああ、そうかよ。
「だったら簡単だ。敵は地獄。ぼくは天国だ」
「天国とは、どういう場所ですか?」
「高い空に浮かんでいるんだ。いいところだよ」
「なぜあなただけが天国にいけるのですか? その基準は何でしょうか?」
「敵は悪いやつ。ぼくはそれを殺してるからさ」
「二元論ですね」
「にげん……?」
「物事を二つに分ける概念です。
天国が地獄か。
正義か悪か。
自分か他人か。
必ず二者に分かれ、中間になることはありえません」
「なんだよそれ」
「自分の行動に疑問を感じたことはありませんか?」
何を言ってるんだこいつ?
「敵を駆逐することが正義だと、誰が保障してくれるのですか?」
そんなの決まってるだろう。
「――ここだよ。世界防衛軍さ」
「わかりました。世界防衛軍がわれわれの正義を保障してくれるのですね」
同じことを言うなよ。これだからロボットは……。
「ではもう一度質問をしてもよろしいでしょうか?」
「なんだよ」
うるさいやつだな。
「世界防衛軍の正義は誰が保障してくれるのですか?」
…………。
ぼくは一瞬、答えにつまる。
それは、それは……。それは……。えっと……。
ぼくはしばらく考え込む。底の見えない海をもぐってる気分。
そうだ!
「敵だよ。敵がいるからぼくらは正しいんだ」
そうだ。敵がいるからぼくらは戦うんだ。
敵は悪だ。悪いやつだ。
敵を殺すためにぼくらはいる。国を守るために世界防衛隊はあるんだ。
ぼくらが正義だ。ぼくが正義だ。
どうだ、ロボット。これ以上文句があるか?
得意げにぼくは鼻を鳴らしてやる。
だけど、ロボットは顔色一つ変えない。面白くないやつ。
「……質問があります」
何だよ。まだあるのかよ。
「敵はどうして戦うのですか?」
……え?
「敵はどうして戦うのですか?」
「……どういう意味だよ?」
「人間は、好きこのんで人殺しなどしないものです。戦うからには目的があるはずです。領土の拡大。資源の奪取。植民地化することで相手の国民から税を搾り取る……。攻めこむことで得られる利益は無数にあります。逆に、相手に奪われないように国土を防衛するというものもあります。種類が多すぎるので、大まかに二元化してしまえば――攻めるか守るかです」
「…………」
ぼくは、たくさんの言葉に押し流されて何もいえなくなる。
ロボットは話を続けた。
「私たちは正義を守るために戦っていると、世界防衛軍から聞きました。あなたも含めて。しかし、私が参加した作戦のほとんど――というよりもすべてが侵攻作戦でした」
「侵攻、って?」
「攻めこむという意味です。敵と呼んだ国に」
「…………」
「何もしていない国のどこに敵とみなすところがあるのでしょうか? 銃も持たない村人を殺すことが正義になるのでしょうか? 傷ついた彼らが武器を取って戦うとしたら、それは悪なのですか? それが敵の基準なのですか? 国を守るために戦うことが」
……あれ?
こいつ、何を言っているんだ?
だって、何かが、おかしいよ?
おかしいって、何が?
ロボットが? こいつの言ってることが?
何がおかしいんだろう……。
…………。
…………。
…………。
……ぼく?
「あなたに聞きたい。われわれはいつか死ぬ。ロボットも人間も、それは変わりません」
そういって、ロボットはずいとぼくに顔を近づける。
鋼鉄でできた、ひどく不気味なその顔を。
「われわれが落ちるのは天国ですか? 地獄ですか?」
文字通り鉄面皮のその顔に、ぼくは呑まれそうになる。押しつぶされてしまいそうだ。
何でだろう。ひどく、怖い。
息とつばを飲んで、ぼくはへいたいとしてのプライドをかけて、一言だけ答えた。
「お前なんかとは違う場所だよ」
それだけ言ってやって、ぼくはベッドにもぐりこんだ。
ぼくは軍人。
世界防衛軍の隊員だ。
遠い国は悪いやつ。
ぼくらの国をのっとろうとしているんだ。
それを食い止めるために、ぼくは毎日へいたいとして戦っているんだ。
そう思っていた。
あいつは――ロボットは今もこの戦場で戦っていて、ぼくを守るためにそばから離れない。
それ以上に、あいつの言葉がぼくの頭から離れない。
――死後の世界を、どう思いますか。
あのうっとうしい声を追い払おうと、ぼくはこうせんじゅうの引き金を引いていく。
だけど声は消えない。死体ばかりが増えていく。
敵の死体。人の死体。ぼくが殺した死体。ぼくが殺したぼくが殺したぼくがぼくぼくぼくが殺した……。
薄暗いものを感じて、ぼくはことさらに引き金を引く。だけど追い払えない。むしろ重くなっていく。
銃の音が重い。
銃そのものが重い。
罪が重い。
命が重い。
生きてることそのものが――こんなにも重い。
敵のへいたいを殺すのが正しいと思ってた。
――人間は、好きこのんで人殺しなどしません。
敵のせんしゃを壊すのが当たり前だと思ってた。
――私が参加した作戦のほとんど――というよりもすべてが侵攻作戦でした。
敵のゆーふぉーを落とすのがえらいことだと思ってた。
――敵はどうして戦うのですか?
そう……信じてきたのに。
隊長は言った。『お前はほまれたかきわが軍のエリートだ』と。
ほまれたかいって何?
それはえらいって意味?
どうえらいの?
何をしたからなの?
人を殺したから?
人殺しだから?
それは何なの?
それが何なの?
――われわれが落ちるのは天国ですか? 地獄ですか?
わからない。
当たり前だと思ってきたものが、今はかすんで見える。
ぼくは叫んだ。
意味もなく叫んだ。
叫びながら引き金をひいた。
一生懸命にぼくは探し求めていたんだと思う。
悪はどこだ?
敵はどこだ?
……正義はどこだ?
ぼくはあとで気づくことになる。
気づかなかったことに、気づいてしまう。
ぼくが――敵の戦車に狙われていたことに。
振り返ってこうせんじゅうを構える。
――あの中には人が乗っている。
そう意識した。
意識してしまった。
それが、ぼくの指をしめつける。
それがいけなかった。
戦車から、こうせんじゅうの何倍も強いれーざーがふきだされて、ぼくめがけてまっすぐに……。
ぼくが目を覚ましたとき、白いシーツが目に入った。
「目が覚めましたか?」
白衣の人が声をかけてくる。……おいしゃさん?
どうやらぼくは病院に運ばれたらしい。意識が戻ったぼくは、体のあちこちを調べてみる。驚いたことに、擦り傷くらいしか見当たらない。戦車のれーざーを受けたのに。
「危なかったところでしたね。あなたは敵の奇襲作戦に巻き込まれたんですよ」
「そうだったんですか……」
「運がよかったですね。あなたは町の人に助けられたんですよ?」
「……! 町、ですか?」
「ええ」
「敵の町、ですか?」
「ええ。傷ついているあなたを見かねたんでしょうね」
「そうですか……」
けが人をほうっておけなかったのだろう。敵だって、人間なのだから。
ここで、ぼくは思い出す。ロボットはどうしたのだ? ロボットは人間を助けるのが目的なのに。
「あの、ロボットは知りませんか?」
ぼくはお医者さんに尋ねてみる。
「ロボット? どのロボットですか?」
お医者さんは困ったように首をかしげる。
そうだった。ロボットなんて何千台もいるじゃないか。ええと、確かあいつの名前は……そうだ!
「ラビットです。そういう名前でした。確か」
「彼、ですか?」
「どこにいるんでしょうか? 聞きたいことがあるんですけど……」
お医者さんはしばらく考え込んで、そしてぼくに言った。
「今、立てますか?」
ひどく、重々しい声だった。
ぼくはロボットと再会できた。
「なんだよそれ……」
思わず、ぼくはつぶやく。
「どういうことだよ……」
もう一度いってみるが、返事は返ってこない。
「何とかいえよこのポンコツ」
悪口を言ってみるが、それも無意味だった。
だって彼には口が無いのだ。
さらに言えば耳が無い。だからぼくの悪口に気づかない。
それに目も無い。だからぼくがいることに気づかない。
それに手も無い足も無いひじも無いひざも無い関節も無いジャイロも無いエンジンも無い歯車も無い。
何も無いのだ。
ぼくの目の前にあったのは……ただの鉄の塊だった。
手よりも小さな、黒ずんだ石っころ。
それがあいつの姿だった。
「あなたを守ったんです」
ぼうぜんとするぼくの隣で、お医者さんが話してくれた。
戦車のレーザーからあなたを守ったんです。しかしさすがの超合金も、レーザーの熱には勝てなかった。それでもボロボロの体で救難信号を出して、町の病院がそれを拾ってあなたの元へ駆けつけたそうです。彼は町の人たちにこう言ったそうです。どうか彼を殺さないでください。彼は人間なんです。あなたと同じ人間なんです、と」
「…………」
「人を救うことで善行としたのかもしれない。人を殺すことに、彼は疑問を抱き始めていましたから。だから、天国へ行きたかったのかもしれませんね。……ロボットがエゴに走るなんて、おかしいかもしれませんが」
「…………」
真実は、どうなのだろう。
ただの、人間を守るというプログラムなだけだったのかもしれない。
あるいは、本当にエゴに走ったのかもしれない。
だけどもうわからない。
彼の人工頭脳ももう無いから。
もう何も考えられない。
もう何も話せない。
もう何もできない。
彼は……死んだのだ。
もう彼から何も聞くこともできないし、もう話せないのだ。
彼と話すチャンスは、一生なくなってしまった。
ぼくは、答えを一生見失ってしまったのだ。
「ラビット……」
初めて、ぼくはあいつの名前を口にしてみる。
かたん、と石っころが揺れた気がした。
それからぼくは、隊長に怒られた。
敵の人々に助けられるなど不名誉だと、つばを飛ばしながらぼくに叫んできた。
お前は隊の恥だと散々ののしって、ぼくに命令した。ここから出て行け、と。
隊長から背中を向けて、ぼくは歩く。
気がつくと、ぼくは負け犬の道の前にいた。
世界防衛軍の基地の出口に作られた通り道。
軍にいられなくなった――弱虫の通る道だ。
「…………」
ぼくは一歩、その道を踏みつけてみる。
ただのコンクリートだった。
制服は捨てた。
ぴかぴかのくんしょうもいらない。
こうせんじゅうはもう使わない。
ぼくは月を見上げる。まるで犬のように。
「……そこからぼくが見える?」
ぼくは呼びかけていた。
返事が無くったって、ずっと見つめ続けていた。
兎のいる月を。
月はいつでも、あなたを見ているから。