3 火を押し付けてはいけません
「アタシも吸おっと」
手札を裏にして置くと、少女は服のボタンに手をかけた。すかさずボスが覗き込む。
二つばかりボタンを外し、少女は胸元から煙草を取り出した。巻紙はシワだらけで、中の葉も少し見えている。谷間なんか無いので、服の裏に縫い付けておいたのだろう。
ボスは葉巻を深く咥えると、少女の前に顔を突き出した。これで火をつけろという事らしい。
(うわぁ)
ジョーンズはその光景を間近で見せられ、眉をひそめた。丁度ボスの後ろにいた部下と目が合う。だが、すぐに気まずそうに目線を逸らされた。
ボスの性癖については部下も頭を悩ませているようだ。
「アリガト」
さも当然のようにボスの葉巻で火をつけた。少女は手札を見ながら煙草を咥える。
自然な動作でカードを交換し、自然な動作で皿に灰を落とし、自然な動作でボスの手に煙草を押し付けた。
「ウオッツゥ!? 」
熱さと驚きでボスは手札を床に落とした。
ジョーンズは最初、皿と間違えて煙草を置いたと思った。だが直ぐにワザとだと分かる。
「アレレレー、おかしいぞー? 」
屠殺する豚を見るような目。少女はそんな目で床に散らばったカードを数え始める。
「いーち、にぃ、さぁん……どうしておじさんのカードだけ多いのかなぁ」
少女の言葉を聞いて、ジョーンズは思わず身を乗り出した。机に体が当たりチップの山が崩れる。
ジョーンズも自分で落ちたカード確認してみる。確かに一枚多い、少女の口にしたのは真実だった。
(つまり、イカサマってことか)
だからなんだ。
カードで勝とうが負けようが、ジョーンズ本人の負けは確定している。イカサマを糾弾したところで負けは覆らない。
むしろイカサマしてるのに全然勝てない事に驚いた。ボスにはギャンブルのセンスが皆無なのだ。
「このガキがぁ! 」
火傷した手を抑えながらボスは叫んだ。あまりの怒号で天井から埃が降り注ぐ。直ぐに部下達が少女を取り囲んだ。
だが少女の顔は眉ひとつ動いてはいない。
「だから何? 」
あの声だ。ジョーンズの背中に再び冷たいモノが流れる。それは部下達も同じだった。
威圧する様に部下達を睨みながら、少女は言葉を続ける。
「イカサマバレた雑魚がこれからどうするってぇの?
まさか腹いせにこんな美少女を寄ってたかって嬲ろうとか?」
少女は戯けるように、大きく肩をすくめて見せた。挑発はまだ止まらない。
「良いんじゃない。この店にはアンタに意見出来る奴は居なさそうだし。元からアタシのカラダ目当てだったんでしょ」
少女は椅子に座りなおすと左脚を大きく広げた。ピンと真っ直ぐに伸ばしたまま、机の上に放り出した。
うずくまっているボスからは、股の間が丸見えの状態だ。
ボスはそれを食い入るように見つめていたが、それ以上に店にいた全員がボスの対応に注目していた。いつもは澄まし顔のマスターも、今だけはグラスを拭く手を止めている。
チッ。
股の間から舌打ちが聞こえる。
ヌルリと顔を出すと、触れるか触れないかの距離でゆっくり首を上げていく。
眉間にシワを寄せながら、目と目が合う位置でピタリと止まった。少女は変わらず涼しげなままだ。
睨み合いは直ぐに終わった。根負けしたのはボスの方だ。
「いくぞ、ヤッてる最中に噛みちぎられちゃたまったモンじゃねぇ」
咥えた葉巻を床に吐き捨てるとボスは店の扉に向かった。慌てて部下達が後を追う。
ドバアァン!!
乱暴に扉を蹴り飛ばす音。
ジョーンズは糸の切れた人形みたいに、椅子の上に崩れ落ちた。両の手が震えている。首の皮一枚繋がった事実にまだ身体が戸惑っているようだ。
客達も元いた席に戻っていった。それでも少女には変わらず視線が注がれている。ヒソヒソ声で話す者に敵意を持って睨む者。
ジョーンズも少女を見ていた。汗ひとつかいていない。ならず者供相手に大見得切ったばかりなのに、呑気にあくびをしている。
これは想像以上のクセモノだ。
一息つけた事で、ジョーンズの思考もクリアになった。先程の一部始終を反芻する。
だがボスの立場からすればここで帰るのは最善だった、ように思う。
余所者の子供にコケにされたと陰で言われるだろう。だがそれだけだ。陰口なら普段から言われているし、面と向かって言える奴はこの街には居ない。
派手に暴れては馴染みの酒場が潰れかねない。子供相手に集団で乱暴したとなれば、金を握らせてる警備の兵も黙ってはいないだろう。
(まさかコイツ全部分かってて……)
「さぁてと」
少女は脚を下ろしてジョーンズを見つめた。目と目が合う。不意を突かれたジョーンズは身体をビクリと震わせた。ヘビに睨まれたカエルだ。
「オジサンはどーするの、続ける? 」
鈴のように爽やかな声。歳相応のくしゃくしゃに崩した笑顔。そこに威圧感はない。
だからこそ少女の考えが全く読めない。
かろうじて動く左手で、ジョーンズは額を押さえた。目を閉じて口を固く結ぶ。
(マズイ事になったぞ)