プロローグ
季節——春
四月後半——具体的に言えば四月二十三日
いつもに比べると少し暑く感じる程の天気。
空には雲ひとつなく、青い空を果てまで見ることができた。
机に肘をつき、頬杖の格好をし、俺は特別準備室の一つの席に着席していた。
「………」
もう少し、この体勢でいたら眠りに落ちそうと考えた俺は体勢を変えようと、一回、思い切り背伸びする。
体勢を変えたものの、七時間授業を終えた後では、さして眠気は飛ぶことは無かった。
「ふぁ〜…」
大きく口を開け、欠伸を一つ。
目尻に浮かんだ涙を擦りながら、結局、空を見ていた。
「アンタ、暇なら何か私の為にしなさいよ」
「……」
いやだな…イヤだな…嫌だな…
俺、コイツ嫌いなんだよな……
コイツだけに限ったことではないのだが。
「なに無視してんのよ?おーい。聞いてんのー?」
もう、この世界にも分かり易くテキスト出してくれないかな——?
【へんじがない。ただのしかばねのようだ。】って。
「んだよ?何で俺がお前の為に何かしなきゃならないんだよ?」
「はぁあ⁈アンタこそ何言ってのよ!」
お前こそ何言ってんだよ…俺はお前より頭いいぞ。口では説明しないが、生徒の時は顔が良ければモテるが、社会に出れば仕事できる人がモテるんだよ。
そんなテレパシーを送りつつ、今だにグチグチ言っている人間の方へ視線を向ける。
視線だけではなく、声の方向は右斜め後ろ。つまりは身体を捻らない限り、顔を向けることができないのだ。
俺は、めんどくささマックスで声の方に身体を向け、互いの目を合わせて一つ提案する。
「なあ、クソ女。俺と勝負をしようや。それで俺に勝てたら、何かしてやるよ」
笑うのを堪え、相手が乗ってくるのを待つ。
「はぁあ?勝負ぅ⁈バカじゃないの!」
あと少しか——?
「いや、別に俺は良いんだけど。お前が何かしてほしんだろ?」
相手の顔は何かを考える顔になり「ん〜」と声を出していた。
確信した。あと少しだ——
「分かった。言い方を変えよう。というかお前が乗り易く、してやろう」
対峙する人間は何度目かの「はぁあ?」という鳴き声を上げていた。
じゃあ、とどめの一言と行こう——
「お前が勝ったら、何でもしてやるよ」
彼女は、獲物を目で捉えた肉食獣の如く、眼の色を変え、口に笑みを浮かべて言った。
「乗った——!その言葉忘れるんじゃないわよ!」
はいはい。
「忘れねーよ。俺は約束は守る人間だからな」
さあ、楽しい時間を過ごそうぜ——クソ女
二時間後——
窓の外はすっかり暗くなり、左手首に巻かれた腕時計は、七時十五分を指し示していた。
眉間に皺を寄せ、目の前の女は机上に広げられた裏返しのトランプを眺めていた。いや、間違えた。そんな生易しいものではなかった。眺めているのではなく、睨んでいた。
今、俺たちがやってるのは只の真剣衰弱。
二時間経ったが、今だに壱ゲームも終わっていなかった。俺の得たペアは六ペア。相手は八ペア。
あと二分か…
「ふ、ふ、ふ。残念だったわね!私の勝ちね!」
どうやら、勝ちを確信したらしい。
ま、実際は俺の勝ちだけど。
「はいはい。早くやれよ」
あと、俺がする事は——と言っても、もう終わりか。
そして、ウェストミンスターの鐘、つまりはチャイムが黒板の上に設置されたスピーカーから聞こえてきた。
「あ、もう帰らないと、か」
時刻は七時二十分。完全下校は七時三十分。
「はぁあ⁉︎なに言ってんのよッ!まだ勝負ついてないでしょうが!」
うるせーな。
何故か気に入らないらしく、怒鳴り散らす。
「ま、俺の目的は最初から勝負なんだけどな…」
俺のそのボソッと溢した独り言を耳にした彼女はもう聞きたくもない「はぁは?」を口にしていた。
続いて口を開いてきた。
早く、帰らないとなんだけどな…
「どういう事よ⁈説明しなさいよ‼︎」
どうやら、頭が弱いらしい。
「最初から俺はお前に何かしようなんて考えてなかったんだよ。只の暇つぶしの相手にお前を選んだだけで」
「だからか…!コイツ……!」
何かを察した彼女は、羞恥でか、怒りでなのか、顔を真っ赤にしていた。
俺は良い気分だ。
じゃあ、もっと煽ってやろう(笑)。
「だってさ普通気づくだろう?だって学校からデパートまで片道二十分は掛かるのを敢えて俺が行って買ってきたんだぜ?不思議に思うのが当たり前ってもんだ」
手話の如く、手を動かして説明をするのを、数行前よりも赤面は増した顔で見ていた。
もっと恥をかかせてやろう——
「なのにお前は「あら、そう。偶には役に立つじゃない!褒めてつかわすわ」なんて恥ずかしい台詞を椅子に踏ん反り返って言ってるんだぜ?笑いそうになったよ」
おっと、これ以上は止めておこう。拳が飛んできそうだ。
爪が刺さって、血が出るんじゃないかと思うくらいに力強く握っているのが見て取れた。
「〜〜〜〜〜〜〜!」
声にならないような、表現のしようが無い声を上げながら、女は教室を飛び出した行った。
まあ、しょうがないよな。あんなに言われたら。
「ふぅ…」
一つ息を吐き出すと、窓に映る口角が上がっている自分に気づき、俺もスクールバッグを右手で持ち、席を立ち、電気を消し、下校した。