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首切り役

作者: 北本和久

 真夏の日差しが照り付ける中、加藤清左衛門の首には何度拭っても汗が湧いて出てきた。ただ暑いと言うだけではない。横に町奉行・鍋島内匠頭直孝が座っているのだ。それだけではない。加藤家は代々首切り役人を務めてきた家柄だったのだが、今日首切り役を務めるのは清左衛門ではない。長男の清太郎であった。

“本当に大丈夫だろうか”

清左衛門の目下の悩みは、この跡継ぎとなるべき清太郎だった。じきに二十五歳になろうと言うのに罪人の首切りどころか稽古の為の死体を切る事すら出来ないでいた。

 先日もつい鍋島に

「この加藤の家に首を切れん腰抜けは不要にございます」

と愚痴を言ってしまった。すると鍋島は

「罪人とは言え、人の命を奪うと思うと体が強張ってしまうのかもな。どうだ、清太郎を少し預けてみんか?」

そこまで言うのならと、清左衛門は息子を鍋島に託すことに決めた。

今日はその成果を見る為に、清太郎が首切りを行う事となった。

 刑場に後ろ手に縛られた男が引きだされてきたが、様子がおかしかった。血の気が無くないのは他の罪人も同じだが、いつの間にかさめざめと泣き出している。

「俺じゃぁない、俺が親方を殺したんじゃないんだ・・・」

“選りよって、悪霊憑きの首切りとは厄介な”


昨今、江戸の町には「悪霊憑き」が流行っていた。日頃は大人しい人間が、ある日突然凶暴になり、暴れまわって人を傷つけたり、ひどい時には殺めたりするのだ。厄介なのは、それが本当に悪霊に憑かれているのか、実は悪霊にかこつけて鬱憤を晴らしているのかが分からない事であった。余りの事に「白州で罪人が悪霊に憑かれたと言うのは言い逃れである。手心を加えることなく裁きを下し、首を刎ねても一向に構う事無し」とのお触れが出されているが、直に顔を合わせて吟味を与力や同心にとっては、憑りつかれているかもしれない者を裁かなくてはいけない心苦しさは大変な重荷であった。


 罪人に続いて刑場に出てきた清太郎を見た瞬間、清左衛門は暑さを忘れて震え上がった。清太郎の顔は青ざめ、全身が小刻みに震えていた。以前と全く変わっていない。

 それでも、顔面蒼白になりながらも清太郎が刀を抜いて振り上げていた。大変な進歩である。

「俺は狂っちゃいねぇんだ!」

しかし、必死の形相をした清太郎はただじっと罪人を見下ろしているだけだった。

“早う首を切ってしまわんか!”

その時、何の前触れもなしに刀が振り下ろされた。罪人の体はそのまま前のめりに倒れた。

「やった、遂にやりおった!」

清左衛門は嬉しさのあまり立ち上がり、清太郎のところへ駆け寄ろうとした。その時

「今しばらく待て!」

と鍋島が鋭い声で清左衛門を制した。はっとしてよく見ると、倒れた罪人の体の周りに黒い霧のようなものが漂っていたが、「くっ、恨みを晴らせず無念」と、野太く低い声で呟いて消えてしまった。

「悪霊は消えた。これで一安心」

鍋島の顔にようやく安堵の笑みが浮かんだ。

「では、あの罪人は本当に悪霊に憑かれていたのですか?」

「そうだ。しかし、傍目には区別がつかん。首を切られると思って体から飛び出してはじめて分かるのだ」

「左様でございますか。しかし、致し方なかった事とは言え、憑りついていた者の首を切ってしまいましたな・・・」

「その事なら、まだ手遅れではない。あの罪人、寸でのところで生きておる」

みると、確かに罪人がうなり声をあげ意識を取り戻しているところだった。

「清太郎は本当に首を切る積りで刀を振り下ろした。しかし、急所を外して殺しきれなかったのだ。必殺の気合で挑まなければ悪霊はすぐに察知して体から出て行こうとせん。しかし手を抜かずにやってしまうと、無実の者を殺してしまう。優しい清太郎ならではの紙一重の妙技よ」

「何と、あの役立たずの面汚しが・・・」

途端に鍋島の顔色が分かった。

「いい加減にせんか!首切り役人は掃いて捨てる程おるが、悪霊を祓えるのは清太郎ただ一人。これからは拝み伏してでも働いてもらわなければならんのだぞ!」

鍋島の恫喝に、清左衛門は「うっ」と喉に物が詰まったように目を白黒させたのだった。


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