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連れる旅の事象  作者: ゆぞぅ
第一章  義姉さんが来る
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公園始まり

 ポケットに両手を突っ込んで歩いた。

 身に着けているのは、白のカッターシャツに黒ズボン。手ぶらだが、学校から帰宅する途中だ。

 とても静かな公園だった。不揃いに隆起した地面と立ち並ぶ木々が、街の雑踏からこの空間を遮断しているようだ。その起伏全体が芝生に覆われている。一面緑色といかないのは時期の問題だろう。

 俺がずっと歩いてきたエンジ色の道は、その起伏の底辺をなぞって、左へ大きくカーブしている。足元のグリップが良すぎて、先ほどから靴底に不気味な感覚を味わっていた。それで足元ばかりが気になっていたところ、この公園内で初となる人を発見した。


 その男は、コンクリートのベンチで横たわっていた。

 身動き一つしない。残り一口分ぐらいになったペットボトルを、地面に置いていた。

 わざわざその男の眠りを妨げることもないので、横を通る際には距離を置いた。なぜこんな所で、などと思いながら男を一瞥すると、足が止まった。その服装に見覚えがある。それだけじゃない。顔が俺だった。


 目の前に自分の姿が見えたら駄目だろう。


 もっと近寄って観察するべきか、そのことに触れないでおくべきか……。

 もちろん、俺の心音は穏やかでない。追い討ちをかけたのは、五感にある違和感。すぐ近くの木の枝がビリビリと揺れているのに、その風の走る音が全く聞こえなかった。

 途端に、頭の中が不安で侵食されていった。

 首から背中にかけて、引き攣れるような感覚があって、それが恐怖を増幅していた。気を紛らすように、耳たぶを引っ張って、アーアーとやってみる。状況は何も変わらなかった。

 縋れる藁はないものか? 周囲に人を探す。そして異様に気がついた。風景に靄が掛かっているというより、景色全体の色彩が薄かった。そういうことなのか……。


「ビビって損したわいね」

 改めて声にすることで、これは夢だと確定した。そうすると、背中のつかえも緩んでいくように感じた。

 一息吐いたところ、今度は夢の中なのに、逆らい難い眠気に襲われた。瞼を指で摘まんで引き下げるような……。その外からの力に反抗心が湧いて、目を擦ったり、頬を両手で何度も叩いたり。

 閉じようとする瞼に、今、抵抗する必要がないのは、自分でもわかっている。軽い実験を楽しむつもり。我慢の限界に挑戦したくなっただけだ。

 しばらく余裕でその感覚を味わっていると、瞼は開いているのに、左右から視界が狭くなってきて、俺の家庭の医学レベルでは対処しきれなくなった。視界が闇に覆われたと同時に、意識が遠退いていった。


 木々の擦れる音がして、肌に風を感じた。

 先ほどとは少し状況が変わったようだった。

 見下ろしていたはずのこちらの俺は、いったいいつから寝ていたのだろうか。コンクリートの塊を組んだだけの質素なベンチから、冷たさと鈍い痺れが伝わってきた。

 どうせ居眠りするなら、通路を挟んだ真正面にある木のベンチの方が、寝心地は良いだろうに。選択ミスをした夢の中の自分を責めた。夢の中でも、周囲の音が耳に帰ってきていたことには、安堵していた。

 徐に上体を起こして、手足を確認した。鏡でもあれば顔も確認したかったが、今は両手で輪郭をなぞるくらいしかできそうにない。


 ここから立ち去ろうとしなかったのは、俺の耳にギターの音色が届いていたからだ。いつから鳴っていたのか、どうもはっきりとしない。だが所詮、夢とはこんなものだ。

 聞こえてくる方角に顔を向けると、すぐ傍らに太い幹をした木がそびえるように立っていた。それが邪魔で演奏している人は覗えなかった。

 俺は音楽には詳しくない。それでも、この曲は静かに聴いていたいような気になった。だから、今度は自分の意思で目を閉じた。状況設定の細かな矛盾は気にならない。それはもちろん夢の中だから。


 何とも心地良い時間を過ごしていると、細かい砂を蹴るような靴音が聞こえてくる。

 俺は少し窺って、またすぐに目を瞑った。

 水色のジャージを着た幼い女の子が、こちらに向かって来ていた。眉間にシワが寄る。この雑音が早く通り過ぎるように願った。が、無情にもその靴音は、俺の前でやんだ。


 コッコッと四回、ギターのボディーを叩く音がして、新しい曲が始まる。


 曲に集中したいところだが、目の前にいるであろう女の子のことが、気になってしかたない。向こうから話しかけてくるなら、相手くらいはする。しかし、その子は何もアクションを起こさなかった。

 意識のあるこちらとしては、じっと観察されているというのは面白くない。痺れを切らして目を開けると、そこにいるはずの女の子の姿はなかった。


 長く息を吐く。まぁまぁ抑えて……。所詮は俺の夢。俺のじゃなくても、夢なんて大概こんなものだろう。また目を閉じた。

 ゴロゴロゴーガッ。

 スー、ハーと深呼吸。いい加減にしてほしいものだ。

 これは聞き覚えがある。小さくて硬いタイヤが、強引に転がされる音だ。特に怪音ではないが、今は立派な雑音だと思う。その雑音が止んだ後に続く女性の声が、折角の寛ぎタイムを終わらせた。

 ――南海の。和紙。照る野に? キュウ!

「キュウ、起きろ!」

       

 平成十二年、冬――

 毎朝六時にセットされている目覚まし時計が、けたたましく働いていた。

 そこへ兄の武が、部屋のドアを蹴破らんばかりに入ってきて怒鳴った。


「久ぃ、目覚まし鳴っとるやんけ。いつまで寝とんねんボケ! お前の現場、何時からやねん」


 高校生活のイベントも、後は卒業式だけとなっていた。

 俺の通う学校では、三学期になると習得単位と出席日数に問題なく、進路も決定している生徒に限り、ほぼ自由登校となる。


「おい! 早よ、顔洗ぅて、飯食えや」


 まだ大学受験が終わっていない奴も多いだろうが、俺の進路はすでに決定している。自動車整備の専門学校へ行くのだ。

 今は、車の免許取得費用捻出のため、手っ取り早い肉体労働に汗する日々が続いていた。体力だけは有り余っていたので、友達からこのバイトを紹介されたときは、その誘いの途中で、食い気味にOKと返事をしていた。


「あっそや。久ぃ、ワシ結婚したしなぁ」


 今朝の夢は、以前にも何度か見たことがある。

 途中、自身で夢だと気づくという、俺にとっては珍しい類のものだ。初めてあれを見たとき、その日の学校で、友達に少し脚色して話していたので、よく覚えている。今度また見る機会があったのなら、あそこでああしてやろう、こうしてやろうと考えていた。そのことを今さらながらに悔いた。

 意味不明な単語を並べて、最後に起きろと言う女性の正体を、是非とも知りたいものだ、と思っている。親しい友人は男も女も、俺を〈キュウ〉と呼ぶし、声に聞き覚えがないので、何の手掛かりもない。


 それはさて置き……。

 俺は意味のわからないことを言い出した兄貴を、じっと見た。

 今、何て言った? 結婚したい人がいるとか、結婚しようと思っているじゃなくて、結婚したと言ったか? ちょっと待てよ。普通、そんな大事なことを、同じ屋根の下に暮らす実の弟に内緒にするかな? サプライズとしては面白いけれど、事後報告っていうのは酷くないか。


「結婚て、兄貴が?」


 冬の朝は布団から出るのがつらい。こういうときには勢いが必要で、俺は一気にパンツ一丁にまでなった。


「おぅ。だから、そう言うとぉやんけ。ほんで、もうさっそく来週から、ここで一緒に住むしな。お前、寮に入るやん。ちょうどええやん」


 確かに四月から、俺は寮生活を始める。ここを出ていくことになるわけだ。それでも卒業式までは、いるつもりだ。

 作業着に腕を通しながら、兄貴の顔からその言葉の意図を探ろうとした。

 義理とはいっても、俺に姉貴ができるのだぞ。

 兄貴に女がいるらしいという情報は、向かいに住むお節介なおばさんからの垂れ込みで、知っていた。俺には関係ないと思っていたし、兄貴が言わないのなら、それでいいと思っていた。


「結婚式、どないすんねん? 俺の服とか挨拶とかよ。弟って、お祝いに一曲歌わなアカンのとちゃうんけ!」


「そんな仕来りあるかボケ! っちゅうか、向こうといろいろ相談して、式は挙げへんことになったんやわいね。それで籍だけ……もう入れた」


 それは兄貴に貯金がないから?

 それとも、俺たちに両親がないからか?

 俺が兄貴のお荷物になっているという現状に加えて、二人のお邪魔虫になる未来は、容易に想像ができる。俺は特に人見知りをするタイプではないし、仲良くやっていけるとは思う。情報が少なすぎるとはいえ、十代の男の想像力を発揮すると、むさ苦しい男二人住まいの家に、女性が住むという変化の大きさに、期待が膨らんだ。

 お義姉さんといえば、ケーキを焼いたりするのだろう? 俺は甘すぎる物が不得意だ。だから、といって、悪い、義姉さん、それは食えへんわ、なんて言ったら、泣き出されたりしないだろうか。風呂は、洗濯物は、どうしたらいい? いろいろと大丈夫だろうか?


「何ちゅう顔しとんねん糞ボンチ! わかりやすいんじゃアホンダラボケ! それとなぁ、お前が学校へ行ってる間に、向こうのお義父さんもお義母さんも、何回かウチに来てはんねん。久とも会ぅときたい、て言うてはったし、また来はると思うわ。そん時はお前、わかっとるやろのぉ。ちゃんとせえよ!」

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