死なず兎達、墓で眠る
昔々。ある墓場で、昔話に登場する兎達が目覚めました。
●
まったく、面倒くさい。眠りから覚めて、外界に出るために墓石を持ち上げる僕の最初の一言はひどく苛ついていた。前々から入っていたスケジュールとはいえ、こうして当日になるとひたすら憂鬱。最悪の寝起きだ。ゆるんでいた紅い鉢巻きを頭に締め直して、夜空に向かって息を吐く。白く染まった息がふわりと宙で消えた。
大体、どうして墓で眠っている兎をこき使う必要がある。もはやとうの昔に語り尽くされたキャラクターだろうに、今更になって僕らを登場させるメリットはないんじゃないか。
はっきりいって兎が登場する物語なんて飽和状態だ。どう考えても過剰労働を強いられているようにしか思えない。いい加減僕もロートルの一端を担う老獪なのだから大人しく墓で寝させていてくれ。誰かが気を利かせて墓に供えてくれたピース缶から、暗澹たる思いでシガレットを一本取り出す。
そこで火が無いことに気がついて、気分がどん底に突き落とされる。火の無い煙草なんてただの草だ。そこらの野良兎もわざわざ好きこのんで乾燥したこいつを食おうとは思わない。
シガレットをお供えしてくれるのは大変結構だが、どうせならライターなりマッチなり一緒に置いてくれないと寝起きの一服すらままならないだろうに。まったく気の利かない参拝者だ。
「……夜っぱらから情けない顔してるねー。オッハー」
「………オッハー」
煙を出さずにエコを気取っている煙草をくわえて打ちひしがれていると、僕の墓石の後ろから声をかける別の兎がいる。いやな奴が来た。
「やや。元気がないねぇ。今日はキミの尻ぬぐいだろ。しっかりしてくれよ」
私みたいにな、とやって来た兎は言う。やたらと筋骨隆々の、おおよそ一般兎ばなれした体つき。自信に満ちあふれたその声と風体を誰かと間違えるはずもない。カチカチ山出身の兎だった。
「こちとら昔からぐーたらで通ってたからね。あんたほど僕は兎が出来ちゃいないんだ」
「はっは。ならば私と夜の墓場でトレーニングでもするかい? 眠ってばかりだとその贅肉が腹から消えることなんて一生ありえないぜ」
「たるんでていいんだよ、僕は。それが売りだったんだから」
「売り。売りねー。世界一自分の物語に興味が無いふりしておいて、言い訳に出典を振りかざすのはクールじゃないよー」
「寝起きで苛立ってるんだ。それ以上の嫌味は勘弁してくれ」
「そいつは失礼。おっと、どうやらキミは火が無くてお困りかな?」
カチカチがめざとく僕の口元にあるシガレットに目線を落とすと、どこから取り出したのか火打ち石を両手に持って僕の目の前で火を付けた。礼も言わずに口をすぼめて煙草の先端に酸素を送り込む。程なくして、先端と僕の口から紫煙がゆらめいた。肺まで届いた煙が寝起きの頭をガツンと刺激する。うん、ようやく目が覚めてきた。
相も変わらず、カチカチのは出典通り自信満々で、裏表がなくて、嫌味な奴で、そして最高に気の利く兎だった。思えば狸にいじめられていた爺さん婆さんを通りすがりのこいつが助けたのも、こんな風に気を利かせたからだろう。
結果として婆さんは狸に殴られて死んでしまったが、その復讐にやたらとサディスティックな方法で狸をこらしめたのは周知の事実である。悪魔的とも言えるその手段に出たところなんか超クールだね。ぐーたらの僕と比べたら発想力と行動力に満ちあふれている。まったく非の打ち所のないなんとも腹の立つ奴だ。
だからこいつに礼なんて絶対に言いたくなかった。
「……ヴォ」
一方的に気まずい空気を紫煙と一緒に吐き出しながら、カチカチと二匹そろって黙って夜空を見上げていると、さらにもう一匹、知った顔の兎が来た。
「ああ、因幡も来てくれたのか。おはよう」
「ヴォ」
全身包帯でぐるぐる巻きになったボンレスハムみたいな風貌のそいつは、背中に体積の何倍もありそうな大きな黒いボストンバッグを背負っていて、ぷるぷると震えながらおぼつかない足取りでこちらに近付いてくる。まったく痛ましい光景で目を背けたいところだったが、彼は僕の中ではかなり親近感を覚えている因幡の兎だった。重い腰を持ち上げて因幡の兎の元へと手を貸しに歩み寄る。
「おお、キミも来たのかい。仲間想いだねぇ、オッハー」
「ヴォヴォ」
「うんうん! いつ聞いてもなんて言ってるかわからないね! はっは!」
五月蠅い奴だな、と僕はカチカチを睨め付けて黙らせる。さすがに不謹慎だと思ったのか、彼もばつが悪そうに肩を竦めるだけでそれ以上なにも言わなかった。
——因幡の白ウサギ。サメに詐欺を持ちかけて海を渡った恐れ知らずなバカ兎が、彼の正体だ。白ウサギなんて言っても包帯の隙間から見える皮膚は赤々しくて、当時の面影なんてどこにも無いのだけれど。調子に乗った結果痛い目を見たところなんか僕とそっくりで、昔からこいつは他兎のようには思えなかった。
基本カチカチと違って自分の行いを悔いているところがいじらしくて、数ある昔話に登場する兎の中でも信頼のおける良い奴、というのが僕の評価。
「ところで因幡、それはなんだい」
僕は彼が背負っている大きな荷物が気になって、急かすように口をついて言葉をこぼした。黒いボストンバッグなんて昔話の延長にしては不釣り合いで、僕にはそれがなんだかひどく不吉な物のように思えたのだ。どう考えても普通じゃ無い。
因幡は僕の声にニヤリと口元を歪めると——包帯に隠れた口が見えたわけじゃないが、僕には彼が笑ったように見えた——そのボストンバッグをうやうやしく墓場のど真ん中に置く。
「ヴォー」
「いますぐ開けろって? やれやれ……」
言われたとおりにボストンバッグのジッパーに手をかける。煙草の灰がいくらかその黒い鞄を汚してしまったが、そんなことがどうでもよくなるくらいに頭のおかしい物が目に飛び込んできた。
「「……わお」」
カチカチと声をそろえて中身を覗く。それは武器だった。拳銃からライフル、機関銃、対戦車砲まである。他にも手榴弾、クレイモア、RPG、杵と張り紙されたモーニングスターなど物騒なことこの上ない。
「ヴォヴォ、ヴォ」
「ああそうか、因幡を助けた神様から……」
因幡の白ウサギは、痛めつけられ傷だらけになった身体をかわいそうに思った神様が助けてくれる、なんていう三文小説もびっくりなご都合展開でハッピーエンドを迎えるわけだけれど、どうやらこの物々しく黒光りする銃器の数々はその神様からの贈り物らしい。
なるほどね。その神様は因幡だけじゃなく、僕のケツを拭く手伝いをしてくれたってワケだ。クソみたいなご助力だことで。
「いよいよ昔話じゃなくなってきたね。大体、これ僕みたいな木っ端兎が扱えるのかよ」
「私ならなんでも扱ってみせるよ。なんてったって器用だからね」
「カチカチには聞いてない」
「はっは」
「ヴォッヴォ」
まったく憂鬱だ。紫煙を吐き出し終えたシガレットはフィルタだけ残して燃え尽きている。せっかくコイツでシャキッとしてきたというのに、これからの予定を考えるとすぐさま墓に戻りたい衝動に駆られる。しかし、そうも言ってられなかった。
こいつは僕の責任なのだ。
●
「……あー」
「うん。来たねえ」
「ヴォ」
三匹の兎が、そろって長い両耳をおっ立てた。音がする。地を這う低音だ。ずん、ずんと地が揺れる。ここまで音が近付いていることに、ついぞ今まで気がつけなかった。
レーダーのように正確な僕らの耳は、音のする方向へとしっかり向けられている。耳に引っ張られるように、僕はその方向へと目を向けた。
もう見える。巨大と称することすらおこがましい、山のごときその影が。
「銃を持て、カチカチ、因幡」
二人はそれぞれ、黙って神様からの贈り物を手に取った。僕もそれに続いた。ずしりとした殺意ある重量が両手に握られる。うん、クソみたいな贈り物だけど、不思議と手になじむ。昔話の幕を下ろすには中々悪くない。
「あー、今日は僕のために集まってくれてありがとう」
「ヴォ」
「私も狸が蘇ったとき世話になったからね。礼はよしてくれ」
しまった、と思った。こいつにだけは礼を言いたくなかったはずなのに。まぁいい、終わったら寝酒の一杯でも奢ってやるとしよう。
なぜなら、いまからおっぱじまる戦争は、あくまで僕が元凶なのだということを理解しているからだ。
僕らはあの山の正体を知っている。四つ足でがっぷりと大地を揺らすそいつが何者なのか、どうしようもないほど知っている。苔むした緑色の甲羅を背負ったそいつが、一歩、また一歩と僕らの墓場を踏みつぶそうと歩いてくる。
生死を賭けて僕とあの『亀』は競争して、そして僕は慢心故にあいつに負けた。敗北した僕は死んで。勝利した亀は最終的に一万年生きた。
「なぁカチカチ」
「なんだい?」
「僕も一万年生きたら、あのくらい大きくなれたかな」
「無茶だよ。兎と亀じゃ身体のつくりがそもそも違うからね」
「それもそうだ」
あの『駆けっこ』から一万年。あいつもまた、僕らと同じように眠らせておかなきゃいけない登場キャラクターのはずだった。昔話はもう終わったのだ。
「さて、兎と亀の話はとっとと終わらせて、ゆっくりみんなで永眠しようじゃないか」
「そうだね。なんならピロートークで筋肉の素晴らしさをあの亀に説いてあげるとしよう」
「ヴォ!」
きっとその眠りは官能的で、刺激的で、そしてこの上なく優しい。そんな眠りになるだろう。おっと、その前に、あいつを眠らせる墓穴を掘らなきゃいけないな。あのサイズの墓穴となると大変な労働になるだろうけれど、しっかり弔ってやらなければならない。
眠るのはそれからだ。眠る前に一杯のウイスキーと、何本かのピースがあれば最高だなと、僕は思った。
冷えきった夜の墓場に、紫煙と硝煙が混じった土煙が舞っていく。
●
めでたし、めでたし。