雪と狼と軍人と
一面真っ白銀世界。私はこの銀世界が好きだ。
北方ヴィクトリア山脈の一つであるこの山では、高い標高の所為で一年中雪が溶ける事は無い。そんな山から一人、私は双眼鏡を覗いていた。遠くでもよく見える双眼鏡は敵を探し出すのには最適だ。冬迷彩を施した服に、木製ストックのボルトアクションライフルを傍に置いた私は約3時間程ここで見張りをしていた。
―いや、一人じゃなかったな。
それは自分の傍でずっと座っている一匹の狼の事だ。昔私がこの山に配属された時、先輩が山から拾って来たのだ。どうやら親に捨てられたらしく雪の中倒れていたらしい。当時は生まれたての可愛い赤ちゃんだったので基地内では誰が飼うかで内乱が起りかけた程である。結果、先輩の判断により一番懐かれていた私が飼い主に決められた。それから十数年たって今ではどちらも立派な“大人”だ。
「よ〜しよし、そろそろ交代だからなぁ〜。もう少し我慢しようなぁ〜。」
「わふっ」
私が頭を撫でてやると気持ち良さそうに目を細めて吠える。だが、次の瞬間には目を開きある一点を見つめる。
「どうした?」
突然様子が変わったのを見て、私は双眼鏡を取り出して見つめる先を覗き込む。そこにはは冬迷彩を施した連邦の兵士が6人ほどこっちに向かって進んでいた。いつもならこんな所まで出てこない筈なのに最近やけに見かけるようになった連邦の兵士。一先ず私はこの事を味方に伝える為に、ライフルの脇に置いておいた信号銃を手に持つ。銃の中に信号銃の弾を装填して銃口を空に向けて引き金を引くと、そこからは赤い煙が立ち上がる。
――敵発見セリ――
これがこの煙の意味だった。撃った信号銃を背中に背負った小さなカバンの中に放り込むと急いでその場を離れる。コイツも、私に続いてその場を離れる。信号弾を打ち上げたらすぐにその場から離れないと・・・・
―バスバスバスバスッツ!!
といった着弾音と共に先程まで居た場所に複数の銃弾が飛んでくる。あのままあの場所に居たらおそらく一発位喰らっていただろう。
見張りは敵を見つけるのが仕事であって撃たれるのは仕事ではない。まぁ撃たれるのが仕事の人間が居るのであれば見てみたいが。
兎も角その場から離れた所にある岩陰に二人揃って隠れる。ボルトを操作して弾を送り込むと、岩の影から半身を出して敵が来るであろう方向に銃口を向ける。
「グルルルルル・・・・。」
私が銃口を向けている先に向けて唸る狼。すると、白い世界の中で何かが動いた。
「!!」
反射で引き金を引く。バンッ!という大きな発射音と共に、とてつもない速さで弾丸が飛び出す。弾丸は空気を切り裂きながら着弾し、雪を真っ赤に染め上げた。
「ありゃ?」
想定外の事態に一瞬呆けるが、すぐに我を取り戻してボルトを操作する。操作し終わった瞬間発砲音と共に銃弾が飛んでくる。
「(二人居たか・・・。)」
先程一人消えたから残りは一人だ。
そう判断した私は、狼に命令する。
「お前、裏から回りこんでこれるか?」
「(コクッ)」
狼が人語を理解できるのかどうかは知らないが、コイツは人の話すことが分かるらしい。頷いた狼はそのまま岩陰から敵の射線に入らない様に、まっすぐ進みながら離れて行った。後は狼が回り込むまでここで相手を引き付ける。私は、岩影から出た瞬間に相手に向かって引き金を引きすぐさま引っ込む。当たらなくても良い唯敵の注意を引き付けられればそれでいいのだ。そう考えて2発目を装填し、飛び出す準備をする。
だが私が飛び出す前に、向こうから敵の悲鳴らしい声が聞こえてきた。見てみると、そこに居たのは口を真っ赤にした狼。
「よくやった!逃げるぞ!」
追っ手を始末したなら長居は無用。後はさっさと逃げるだけである。真っ白な雪の上に足跡を残しながら私達は走っていた。
兎に角走りまくった。走っている内に基地に付いていた。銀世界に隠されるように作られたこの基地は一見空から見てもよく分からないほど丁寧に隠されている。
「よう、お帰り。」
基地の見張りの兵士と適当な挨拶を交わす。
「お疲れ、今第3部隊が出撃して行ったよ。後は任せてゆっくり休んでろってさ。」
「そうか・・・ありがとう。」
そう言って私と狼は基地の中へと入っていた。
自室で湯で温めたタオルを持って、血塗れた狼の口を拭う。狼は大人しく座って口を拭かれていた。最初は嫌がっていたがすぐに慣れ、今ではすっかり大人しくなった。
拭き終わると褒美のジャーキーを3枚程やる。狼は美味しそうにがつがつと食べるが、人間が食べるには若干不味い。そんなジャーキーを頬張る狼を横目にジャーリャを飲む。ジャーリャと言うのはこの地方で飲まれる酒であり、北方を代表する品でもある。アルコール度数が40度という数値を出して、とても強い酒とか言われているが私から言わせてみればたった40度と言う所である。南の方で飲まれているビールなんて水と同じだ。
だが狼はどうもアルコールの臭いが苦手なようで私が酒を飲んでいる時なんかは、アルコールの臭いが消えるまで近づいてこないのだ。
そんなに匂いはしないと思うのだが・・・。
とにもかくにも。今は束の間の休息を楽しむ事にした。
翌日は雪だった。薄暗い中を真っ白い雪が落ちてくる。そんな中でも哨戒任務というものは存在していて、いつも通り私と狼は山から辺りを見回していた。
「相変わらず寒いなぁ・・・。」
しかも雪が降っている所為で余計に寒い。息を吐く度に白い煙が昇る。銃の金属部分が酷く冷たい。こういう時は、
「おぉ〜。暖かいよぉ〜。」
狼の体ってホントに暖かいのよねぇ〜。毛皮何てもっふもふで抱き枕に丁度いい。むさ苦しいおっさんと肌を擦り合わせて寒さをしのぐ地獄は、コイツと出会ってから天国へと変わった。コイツは利口だから抱き付いても暴れたりしない。ただし酒を飲んだ後は抱き付くどころか近づかせてすらもらえないが・・・。そんな狼に抱き付きながら私は今日も山の上で見張りを続けていた。雪降る中、愛犬(狼だが)と二人きり。何とも寂しい事である。とかなんとかいう事を考えていた所で、狼が耳をピクピク動かす。次の瞬間抱いていた私を振り飛ばして吠えはじめた。
「なにすんだよ!」
暖かい抱き枕から突如冷たい雪の上に放り出され頭でも小突いてやろうかと思った時にそいつは現れた。エンジン音に金属が動く音。
聞いた事があるこの音は、今は会いたくない相手でもあった。
「ウルペース・・・。」
その悪魔の名を呟く。白く塗装された車体に、丸い砲塔。キャタピラを回してゆっくりと進むその鋼鉄の化け物を人は戦車と呼んだ。
勿論味方の戦車では無い。敵の―連邦の戦車だった。
「よりにもよって・・・俺の所に来るとか無いでしょ・・・。」
戦車の周りには歩兵が数人ほどいた。それよりも私が嫌に感じたのは
「3両とかありえんでしょ・・・。」
双眼鏡を覗きこんで見た先にはウルペースと呼ばれる戦車がが3両もいるのだ。見つかった瞬間主砲を打ち込まれて木端微塵に吹っ飛んでしまう。とりあえず手順通りに信号銃に弾を込めて発射する。今回は発射したら銃を放り出して即逃げ出した。無論狼も一緒である。撃った場所から10m位離れた所で爆発が起こった。
「うげッ!」
「キャイン!」
爆風の衝撃で二人揃って吹っ飛ばされる。雪の上に落ちたので大した怪我は無い。しいて言えば服の中に雪が入って冷たいという事ぐらいだが・・・。
「走るぞ!」
叫んで自分も走り出す。兎に角あの戦車から逃げなければ自分が死ぬ。
・・・だが、敵も逃がしてはくれないみたいだ。
「来るんじゃないよ!」
私は、後ろから追ってくる数人の兵士に対して引き金を引いた。当たりっこないが牽制としては十分だ。
兎に角戦車なんかとやり合ったら命がいくつあっても持たない。山道を走って基地まで逃げるはずだったのだが・・・。
「な・・・」
その道は雪によって塞がれていた。おそらくあの戦車の砲撃で小さな雪崩でも起きたのだろう。心の中で悪態をつきながらどうするべきかを必死で考える。持っているのはライフルと手榴弾が一発。こんな武装では何もできない。
だが、何もしないで死ぬよりは、なるったけ足掻いてから死ぬ方がいい。それは狼を拾った先輩が教えてくれた、生きる為に必要な事だ。
「お前はどうする?逃げるか?」
「フッ」
狼は鼻で笑いやがった。なら問題は無いな。
私達はお互いニヤッと笑うと、敵の最中へと突撃して行った。
―――
「そんで?その二人はどうなったんだ?」
とある飲み屋のカウンターで店長と客が話していた。
「さぁ?どうなったんでしょうねぇ?」
グラスを拭きながらそう答える店長。それを聞いた客はニヤニヤ笑いながら
「はは、もしかしたら二人とも生きてたんじゃないのかい?男の方は足を失ってその後飲み屋のオヤジにでもなったかもよ?」
「ふふふっ。そうかもしれませんねぇ。」
店長も笑いながらそう答える。
「それじゃ、俺はそろそろ帰るから。また来るよ。」
「ありがとうございました。」
そう言うと客は、店から出て行った。
相変わらずグラスを拭き続ける店長。その店長には片足が無かった。そんな片足の無い店長の傍に一匹の狼が寝ていた。
店の外は、あの時と同じく雪が降っていた。