第二話
「それで、『世界記録者』って奴の居場所はわかるのか?」
「『世界記録者』とは世界を記録する為に生まれたのですから、当然『人型世界地区』付近にいるものと思われます」
異なる世界観を持つ世界達は共存できず、普通の人間と世界住民の共存も望めない。故に三十年前から、各人型世界を隔離するという行動が始まっており、そしてそれがやがて「人型世界地区」を形成した。
三角の住むここは「非世界住民地区」と呼ばれる、その名の通り世界住民ではない者達の住む区域だが、「人型世界地区」とはかなり隣接している場所だ。だが彼らは余程のことが無い限りこちらには干渉してこないし、実際三角も昨日始めて世界住民を目にしたくらいだった。
「じゃあどうするんだよ? お前が飛び込むのって自殺行為じゃねえか」
「はい。でもなんとかしてメッセージを残せればなと思っていたんですが、逆に昨日襲撃されたことがいい宣伝になったとは思いませんか? 『人型世界地区』に於ける情報の伝達は素早いですよ、住んでる世界は違うくせにね。彼がそのメッセージを受け取ってくれることを願うのみですよ。そしてさっさと世界を記録してほしい」
現在日本には四箇所の「人型世界地区」が存在する。世界は多く削除すればするほどいいが、最低でも一つの「人型世界地区」の削除はしなければならないと九輪は言っていた。それが彼のノルマだと言う。
「で、もし『人型世界地区』にいなかった場合は?」
「絶対にあそこに居ますよ。七人童子曰く各地の『図書世界』に生まれつかせたそうなのですから」
「図書世界って……ああ、本の虫だらけ世界って八重によく言われている奴だな」
「八重?」
「隣に住んでる俺の幼馴染。人型世界についてのマニアックな知識を沢山持ってるんだよ」
へえ、と九輪は目を細めた。不健康な顔から何を思っているのかは読み取れない。
八重は九輪の存在をどう思うかと想像してみた。彼女は人型世界を好むと言うよりは好奇心旺盛な人物で、人型世界を好んだのも、それが彼女の知らないものであるというだけに過ぎなかった。彼女は九輪が世界を壊すことに興味を持つだろうか、それともまだ見知らぬ世界が壊れていくことを嫌悪するだろうか。
「そうだ、九輪、チョコケーキでも食べるか? すっごく甘くて食べたらすぐ太りそうなもんだけど、上手いんだぜ」
「結構です。脂肪はご自分で頂いてください」
九輪がニヤリと七歳の子供にはあまり似合わぬ笑い方をしたその直後、唐突に玄関の方から、なにやら不穏な物音が聞こえてきた。
九輪が体を硬くする。片手に椅子を抱えながら三角が玄関の方にそろりそろりと移動すると、鋼鉄製のドアは既に何者かの打撲を受けたかのようにでこぼこに歪みつつあった。
「九輪、逃げるぞッ」
椅子を放り出して合図する。自分達が太刀打ちできる相手ではない。どんな世界住民が転がりこんできたのかは知らないが、少なくともそれは『図書世界』のように平穏な世界なではなかった。
「どうやって?」
九輪が不安げに三角を見上げる。それもそのはず、三角の家はマンションの四階である。飛び降りるのには無理があった。
だが九輪の部屋のベランダは、隣の部屋の――即ち八重のベランダと隣接していた。上手くやればそこに飛び込むことも可能である。小さな九輪がそれを飛び越えられるかについての懸念はあったが、今はどうでもいい――
九輪を引っ張り走り出した三角の背後、蝶番が甲高い断末魔を上げた。振り返れば乱暴に破壊されたドアの向こうから、西洋風の鎧を纏い剣をその手に携えた長身の人間が五人ほど部屋に入ってくる。
リーダーであるらしい女は外国人であるようで、真っ白い顔に金色の髪をしていた。明らかに片手で持つものではないような巨大な剣を振りかざしている。彼女が傍らの黒髪の青年に目配せすると、彼は剣を構えて、言う。
「吾人は『騎士世界』に属す騎士である! そこの非世界住民よ、大人しくその少年を渡していただきたい。彼らは吾人どもの世界を滅ぼす者だ!」
「……っ」
九輪を渡すべきだろうか。
九輪には彼を世界住民には引き渡さないと約束したものの、誰がこんなことを予期しただろう。世界住民がドアを破壊して迫ってくるだなんて、思ってもいなかった。
九輪に視線を向けると、彼の不安げな目がじっとこちらを見ていた。三角は何度も唾液を飲み込み、そしてやっと勇気を振り絞ると、言った。
「き、騎士は……、ドアなんか蹴破って登場しない、よな」
「状況に依る」
青年は傲然と答えた。
「自分の家壊した奴に、引き渡せとか言われても、こ、困るんだけど。つ、つーか、物騒なもの、持ち込むなよ」
もごもごとそう言うだけで精一杯だった。寧ろ巨大な武器を手にした世界住民相手に何か喋れたほどでもいい方に入るだろう。
「繰り返しになるが吾人は『騎士世界』に属す者である。騎士は剣を携え、馬に乗るのが当たり前だ。残念ながら吾人の愛馬をここまで連れてくることは叶わなかったが」
「騎士なら礼儀に則り、『非世界住民地区』に入る許可を得てから入ってきたはずだと思うんだけど」
騎士を自称する世界住民達が一斉に振り返った。彼らの振り返った先で、八重が包丁を構えながら立っていた。黒い髪をオレンジのピンで留め、ださいフレームの眼鏡をかけた、小柄で野暮ったい少女が。
「なるほど、『非世界住民地区』に許可を得ず入ってきた非礼は詫びよう。何ゆえ緊急事態でな。吾人どもも焦ってしまった」
「焦っていても部屋に入る許可くらいは求めるべきだと思うよ。緊急事態でもドアめっためたにして入ってくような奴らに、誰が一緒にいる子を引き渡そうとか思うかな」
つらつらと言ってのける八重を騎士達が激しく睨み付けているが、八重は一歩も動かず、ただ包丁の切っ先を手近な騎士へと向けていた。彼女の勇敢にはわけがあるのだが、それでもその勇気には感服せざるを得ない。
「だが吾人どもにはどうしてもあの子を渡して貰わねばならない理由がある」
「どんな理由?」
「それは汝の如し非世界住民には関係のないことである」
「わたし、非世界住民だけど、両親とも世界住民よ。銃で遊ぶに飽きたから非世界住民になっただけだもの」
両親が世界住民であるにも関わらず、生まれた子に同一の世界観がないというケースも稀にある。例えそうでも子供の方は両親と共にその世界で過ごす内にその世界観を知り、世界住民となることが殆どであるが、八重はその世界住民にはどうしてもなれなかったのだという。
八重の両親は「銃士世界」で、歌声よりも銃声を好み、言葉を発するよりも撃鉄を起こした。八重はその世界観を付与されず、『人型世界地区』に一番近い『非世界住民区』に逃げてきたのだと聞かされた。
「『銃士世界』で生まれた異世界児か」
騎士が吐き捨てる。両親と同一の世界観を付与されなかった子供を、異世界児と呼ぶ。
「それがどうしたって言うの? 『現実世界』からして見れば、貴方達のほうがずっと異世界児よ」
言いながら八重が三角に目配せをする。一先ず自分の家に逃げろ、ということらしい。三角は頷き、九輪を促した。リーダー格の女騎士がそれに気づいたが、その前に八重が回りこんだ。包丁を突きつける。
「せめて許可を取ってから出直しなよ、自称騎士の異世界児さんたち」
次回は多分八重メイン。