夜、部屋にて 〜Rouge〜
夜、私はノワの部屋へ行った。理由は特にないんだけど、何となく行きたくなったからだ。
この間注意されたので、きちんとノックする。返事が聞こえたので、ドアを開けた。
「おじゃましまーす」
「何の用だ」
挨拶してみたら、抑揚のない声でいきなり用件を聞かれた。無表情なノワは椅子に座ったまま腕組みして、私をじいっと見つめている。うん、やっぱ機嫌悪い。
確かに、今日のノワはさんざんだったと思う。朝はよく分からない理由で怒られて、さっきはミアを助けてあげたのに、そのやり方について、夕食までミアやカリナさんにまで怒られてた。
ノワは悪くないのに怒られて、その不公平さにむっとしても無理は無いよね。
「フウ、用が無いなら出て行け」
「やだ」
そう言って、ノワのベッドに腰掛ける。用事はないけど出て行かないという意思表示は、しっかり通じたらしく、ノワの眉が吊り上がった。
「何か聞きたい事でもあるのか」
「ううん。ただ、ノワばっか怒られて、不公平だなーって思っただけ」
そう答えると、何故かノワは一瞬、酷く嫌そうな顔をした。けれど、直ぐに表情を元に戻して、肩をすくめる。
「価値観の違いだ。押しつけられるのは面倒だが、ここで過ごす以上は仕方ない」
「どういう意味?」
首を傾げると、ノワは少し考えるように手を顎にやって、私を見つめた。ゆっくりと口を開く。
「今朝のは、通常男女が寝台を共にしないというルールを破った故のもの。お前は気にしないだろうが、俺はその辺りを弁えろというわけだな」
「……ごめんなさい」
昨日のは、私の我が儘を聞いてもらっただけだ。そのせいで迷惑かけてしまったのは、凄く申し訳なくて、頭を下げた。
「気にするな。事情も知らずに、一般的な正義を押しつけるあいつらが悪い」
さらりと言って、ノワは許してくれた。ほっとして顔を上げる。
「帰りの件だが……フウ、お前は俺が金をすったと聞いて、どう思った?」
「うーん、しょうがなかったんじゃない? あれが1番無難だったんでしょ?」
勝手に喧嘩しようとしてノワに怒られたけど、その後のノワがやった事は、ノワらしい手際の良さだったと思う。
私の返答を聞いて、ノワが頷く。
「つまり、そういう事だ」
「へ?」
よく分からなくて、首を傾げた。それを見たノワが、少し考えて続ける。
「俺達にとっては問題解決の手段でしかない行動は、彼等にとっては犯罪以外の何ものでもない。実際、他人の金を盗むのは、悪い事だ。それを悪いと言い切れる彼等の方が一般的な常識に従っている」
と、そこでノワがもう1度肩をすくめた。
「ただ、俺にとって常識とは、建前で言いくるめる際の理論でしかない。昔はああやって生きてきたしな、今更罪悪感など持ちようもない」
「そうだろうねー」
ノワにとって、そんな事どうでも良いんだと思う。それはでも、私も同じかも。悪い事って聞いても、ノワは誰かを傷付けたわけじゃないし。
そう言うと、ノワは顔を顰めた。
「そういう問題でもないんだが……まあいい。ただ、これだけは言っておく」
そこで言葉を句切り、ノワは真剣な顔になる。真面目な話だと悟って、背筋を伸ばした。
「フウが「普通」になりたいのならば、あいつらの言う事にきちんと耳を傾けろ。どうしてそう言うのか、自分の、俺の、俺達の常識の何が、彼等にとっての間違いなのか、考えろ。あいつらに聞いても良い、それでも分からなかったら俺に聞け。——そうでもしなければ、お前はいつまで経ってもそのままだ」
そのまま。
「それは、私がまだ、駄目って事……?」
声が震える。大丈夫って昨日は言ってくれたのに、やっぱり駄目なの?
「違う。お前はもう、自分をある程度制御する術を覚えた。その年なら、フウくらい感情を制御出来ない奴は山ほどいる。ただ、魔法士の場合、それは周囲の危険になるだけだ。これから学んでいけば良い」
けれどそれは、ノワが直ぐに否定してくれて。ほっとする間もなく、ノワの言葉が続く。
「俺が言いたいのは、お前が今まで過ごしてきた環境は、「普通」の世界とはほど遠かったという事だ。何せ、側にいたのが俺とマスターだからな。間違っても「普通」にはなり得ないし、良識など存在しない」
「ふうん」
よく分かんないけど、ミア達の言う事をきちんと聞いてみろって言われたのは理解出来た。
「でも私、やっぱりノワの言う事の方が正しいと思う」
「何故」
「だって、ノワは悪い事する人にしか、そういう事しないもん。昔のノワの事は知らないけど、私の知ってるノワは、誰かを困らせる為に悪い事しないよ。今日だって、ミアの為だったし」
そう言うと、ノワの目がすうっと細くなる。
「……フウ、何をしに来た」
そろそろ、ここに来た理由に勘付かれたみたい。勢いを付けてベッドから降り、ノワの前に立った。
「怒られたノワを、慰めに」
そう言って、マスターにされるみたいに、ノワの頭を撫でてみる。
「……フウ、ちょっとかがめ」
「んー?」
唐突に言われて、首を傾げた。ノワが、無感情に繰り返す。
「良いから、かがめ」
「こう?」
膝を曲げて頭をちょっと下げてみた途端、目の前が真っ白になるくらい強く、拳骨を落とされた。
「痛いー!」
いつも叱られる時なんて比べられないほどの痛みに、涙目になってしゃがみ込む。うう、頭がずきずきする。
「本当にふざけるのはほどほどにしろよ。大方カリナ辺りに余計な事を吹き込まれたのだろうが、俺は叱られたら拗ねるガキじゃないんだ。お前と同じにするな」
いつも以上に怒気の込められた言葉に、頷くしか出来なかった。
「ごめんなさい……?」
「そこで疑問符が付くのはどういう事だ、実験体にするぞ戯け」
ノワならではの悪態をついて、ノワはいきなり立ち上がる。
「さて、客人か」
言葉とほぼ同時に、ドアが開く。ラルスさんが入ってきた。
「……カリナから聞いた。無茶をしたものだね」
苦笑しつつそう言うラルスさんに、ノワは無表情に答える。
「貴方の無茶に合わせてね。情報戦を行うのは理解出来ますが、この場合貴方の首を絞めるだけですよ」
「それはそうだがね……この地域は研究施設がある以上、過激派も多い。気を付けてくれ」
困った顔でお願いするラルスさんを無視して、ノワは問いかけた。
「それでは、改めてこの世界における闇や光の属性の認識について、徹底的にお伺いしましょうか。知っているでしょうが、嘘は通用しませんよ」
「君という人は……いや、いい。それでは説明しようか」
ラルスさんが諦めたように頷くと、ノワは部屋のソファをラルスさんに勧めた。お礼を言って座ってから、ラルスさんはゆっくりと話し始める。
「まず学生の認識については、ミア達程度のものだ。偏見を親から受け継いでいる貴族の子はいるがね。闇属性の人間は血も涙もない殺人鬼だと信じているのは、一般的な人々だ」
「一般的とは、下級貴族と平民、という認識で正しいですか?」
「ああ。上級貴族になると、アドニス皇国にいる闇属性の祓魔師の話を、ある程度小耳に挟む。そうして、彼等は闇属性の恐ろしさを思い知るのさ」
言葉とは裏腹に楽しそうなラルスさんを見て、ノワはちょっと顔を顰める。
「まあ、そんなものでしょう。上級貴族だけですか、知るのは」
「いや……SランクとAランクの1部の人間は知っている。寧ろSランクは貴族より詳しいだろうな。近いが故に違いが分かる」
「道理ですね。では、レオニード・アダモフ、学院長、治療を専門にしていると思しき年配の教師は、全てそのどちらかでしょうか」
ノワの言葉に、ラルスさんの眉が上がった。ラルスさんには珍しく、厳しい声。
「盗聴でもしたのか?」
「ばれるようなへまはしませんよ。それで?」
平然と答えるノワに、ラルスさんが溜息をつく。
「……年配の教師というと、おそらくドクトル・ダーヴィット殿だろう。アダモフ殿と同じく、Aランクだ。学院長はSランクだよ」
「成程、彼等の肝がそれなりに据わっていたのには、訳がありましたか」
そこで頷くと、ノワは私に真剣な目を向けた。そこまで何となく聞いていた私は、きちんと座り直して、会話に耳を傾ける。
「——それでは、「あれ」はどうなんです?」
「…………」
答えは直ぐに返ってこなかった。表情が固まったラルスさんを見たノワが、嘆息する。
「だから俺は、貴方を批判したんですよ」
「……そう、だな。君が「そう」なのか分からなかったから、怖くてその話題を持ち出せなかった」
強張った声でそう答え、ラルスさんは深く息を吐きだした。体の力を抜くと、ぼんやりと天井を長め、呟くように言う。
「枢機院と王族、陛下の側近の方々はご存知だ。そしてその機能上、研究機関である王立学院の職員も。だが……その他には、絶対の機密だよ」
「それを聞いて、少し安心しました」
ノワが目を細め、背もたれに身を預ける。その様子を見て、ラルスさんは緊張した様子で尋ねた。
「——君は、どうなのかね?」
かなり思いきって訊いた感じだったけど、ノワは何でもない事として答える。
「勿論「そう」ですよ。それほどの武器を手に入れる資格があって、手をこまねく俺に見えますか?」
「……そうか…………」
ラルスさんは何故か、諦めたように見えた。1度目を閉じ、ノワに目を向ける。
「闇の説明の時、もしやと思ってはいたのだが。制御は大丈夫なんだね?」
「使いこなせないままにしておく等、俺もマスターも許しません」
「……君がピエール氏の元で保護されていた、という言葉が、ようやく理解出来たよ」
そう言って、ラルスさんは静かに笑った。
「さて、光の属性については、簡単にすませようか。基本的に皆、希望の象徴、悪を浄化する力だと思っている。闇と同様の殺傷力を持つ事、闇とは異なる形で嘘を見抜く事は、専門家と1部のSランクやAランク、中枢部しか知らないよ」
「そうですか。貴方の娘はおそらく、浄化の力を少しだけ扱える程度でしょう?」
「それ以上の教育は、これから学院でも行われる」
ノワの推測を肯定したラルスさんは、すっと立ち上がる。
「さて、私はそろそろ失礼しよう。君達も明後日から朝が早い。体調をしっかり整えてくれ」
「……理解なさっているとは思いますが、ここでの話は他言無用ですよ。勿論、息子にも」
「それくらいは弁えている」
ノワの釘刺しにしっかり頷いて、ラルスさんは私に微笑んだ。
「それでは、お休みなさい」
「お休みなさーい」
にっこりと笑って見送り、私はノワに向き直る。
「ノワ、参加させてくれてありがとう」
ノワの返事を待たずに、私は自分の部屋へ転移した。




