第1の実験 〜Noir〜
今回長めです。
始めはその穏やかな物腰に、本当に王への発言権のある貴族かと疑った。だが、娘を思うと同時に、領主として、人として、至極真っ当な判断を下した彼に、素直に感心した。普通は娘への情で等閑にしてしまうだろう危険性をきちんと見据え、自分の果たすべき責任を弁えている。口で言うのは簡単でも、実行するのはかなり難しい。一見、外道の行いに見えるだろうからだ。
場所を変え、今俺と向き合う彼は、それをやり遂げるだけの胆力と、自信を裏打ちする実力を持っているようだ。本当に、素晴らしい。
「——お前は、何のためにここに来た」
重い問いに、簡潔に答えた。
「貴方の娘がそれを望んだから、そして、他に行き場も無いからです」
「仲間の元へ向かえば良いだろう。仲間を殺したことがばれ、制裁を受けるのが怖いのか?」
感情を瞬時に制御し、宥める。冷静な声がそれに応えるのを、やや動揺した心が聞いていた。
「まあ、進んで危険を冒したいとは思いません。同じ嘘でも、こちらでばれるのはさほど俺の害になりませんが、向こうでばれればその場で追われる身になるのは確定です。そうすれば、貴方の娘もただでは済まないでしょう。人里を追放されるのと殺されるのでは、選択肢として成り立っていません」
俺の答えに、彼がやや落胆したような顔をした。自分本位な答えに、失望したようだ。
「自分を優先しようとするのは当然でしょう。見知らぬ土地の、見知らぬ街の人間を気遣う程、俺は出来たモノじゃありません。……まあ、懸念を解消しておきますと、俺に人を襲う気は一切ありません」
とりあえず、腰を落ち着けて調べ物をする場所が欲しいだけだ。2年間も大人しく学校に通うつもりは、ない。
まだ誰にも言っていない本音を押し隠し、一言添える。
「何を期待なさっていたのかは存じませんが、懸念なさるような事を起こす気はありません」
彼は目を閉じ、何かを抑えるようなそぶりを見せた。次に目を開けた時、その顔には強い意志と、決意しか見えなかった。
「——そうか。ならば私は、お前に勝って、お前を追い出そう。無論、娘ごと」
「父上!」
ヴィルヘルムの叫びにも、ミアの息を呑む音にも、彼は反応しない。
「やはり、吸血鬼を信用することなど出来ない。口でどう言おうと、信じられるものか」
その言葉を、大事にして欲しいと思う。吸血鬼を信じてしまったら、行き着く先は破滅しかあり得ないのだから。
「……俺が勝った場合は、どうなさるのですか?」
試しに聞いてみると、少しも迷わず答えた。
「その時は、潔くお前を受け容れよう。パーヴォラ家の力を全て注いで、事実をねじ曲げ、お前達を匿う。……ただし」
そこで俺は、彼の冷酷な表情を、初めて見た。
「——お前が、外道な真似をしなければの話だが」
外道の基準はよく分からないが、怪我をさせるつもりも、卑怯な真似をするつもりも無い。この程度の相手、怪我などさせたら後で何を言われるか。
相手の殺気に答えて、再び刀を構える。余程この刀の形状が珍しいらしい。彼の目が、刃の輪郭をなぞった。
「準備はそれだけか?」
「? ……ええ」
曖昧な問いかけ——魔法の準備は良いのか、だろう——に答える。
「これで十分です」
「そうか。……では、始めよう」
言葉が終わると同時に、彼が仕掛けて来た。隙の無い剣戟と共に、精密に組み立てられた魔法を同時併用している。剣を受け止めても魔法が襲いかかり、剣と魔法を避けようとすれば、すかさず次の攻撃を繰り出せる姿勢を保持している。仲間のフォローがなくても、これは余程のことがない限り、負けないだろう。
「……魔法士6級、って所か」
呟き、俺はその剣を受け止めた。襲いかかってくる魔法の波を、障壁として意識的に展開した魔力で受け流す。
「……何っ!?」
目を見開いて驚愕する彼を見て、学校に行かないという選択肢を再考する必要性を感じた。
「魔力が魔法を受け止めた、だと……!?」
「魔力値の差です。それにしても、見事な剣筋ですね」
驚きを口にする間も、彼の手は止まらない。細身の剣を突き出し、切り払い、再び突く。相手が避けることを許さない、手本にしたいような剣だ。
……あくまで、技術的な話だが。
美しささえ感じるその剣を、剣身を叩いて軌道を逸らし、体の重心をずらして避ける。なるべく無駄な動きを廃して、彼の攻撃を捌いていく。
実戦において、剣技のレベルの高さはあまり関係ない。相手との駆け引きやその場の直感、精神力が大きな決め手となる。彼はそれなりに戦闘経験があるようだが、あくまで貴族にしては多いという程度だ。
毎日フウの剣を受けてきた俺には、避けることなど児戯に近い。
とはいえ、何時までも避けている訳にもいかない。体力勝負に持ち込んでも良いが、それでは時間がかかりすぎる。
細いばかりで受け止めにくいその剣を、刷り上げるようにして垂直にし、根元を強打した。
魔力によって強化された俺の刀が、剣をすっぱり両断する。
「……?」
手応えにやや違和感を覚え、1度距離を開けて相手の様子を伺う。彼の手には——変わらず剣が握られていた。
「……勘が良いな、君は。てっきりそのまま攻撃してくるかと思ったが」
不敵な表情でそう言って、彼は再び剣を突き出してきた。それを、大きく飛び退いて避ける。
さっきまで俺の立っていた場所で、水蒸気爆発が起こった。
水気と火気の制御。余波もなく、的確に敵の位置に爆発を起こしたその技は、思っていたよりも精度が高い。制御力だけならば、フウと同程度の魔法技術を有していると考えて良い。
その魔法に感心しつつも、俺は、先程折ったはずの剣が、威力を増して復活していることの方が気になった。
強度は勿論、流れる魔力量も増加。先程の剣と全くの別物と考えるのが自然だが、あの剣以外に武器を所持していない事は最初にきちんと確認した。同じものと考えるしかない。
だとすると、何が起こった?
剣を折る前と折った後。彼の魔力の波動に変化はない。あえて言うなら、魔法を構築するプロセスがスムーズになった程度だ。
それに思い至った時、剣を折った時の違和感を思い出す。折ったというよりは、切ったという感覚。俺の刀に組み込まれている魔術。その2つの条件から、ある仮説が組み立てられる。
——もし、これが正解なら。この世界も、悪くないかもしれない。
「戦いの最中に考え事とは、余裕だな!」
これからの生活にやや光明を見出したと同時に、父親が魔術を浴びせてきた。考えを纏めている間に組み上げたらしく、随分と大規模な魔術だった。
「……そんなものを構築する間に、攻撃魔法を数撃った方が確実だろう……」
口の中で呟いて、その魔術を解体する。頭に流れ込んできた魔法陣を解析し、残っていた魔力の残滓を使って、相手への攻撃魔術として組み立て直した。
莫大な砂塵を纏った突風が、彼の元へと跳ね返る。まともに受け止めれば大怪我になる事は間違いないその攻撃を、しかし彼は避けない。剣を複雑に動かして宙に印を描くと、風の勢いが急速に衰え、彼の元に届く頃には穏やかな微風になって、彼の周りに渦巻いた。
魔法を増強する印。古い書籍でしか見た事のないそれを、どうやら彼は使い慣れているようだ。時代錯誤なその様子に、やや頭痛を覚える。
「……今のは少し、驚いた。お前は思った以上に、魔法に精通しているようだな」
その評価に、苦笑の他、表情の選択肢を見つけられなかった。
ちらっと背後に視線を送ると、フウが似たような表情を浮かべている。
俺達からすれば、彼が次から次へと見せてくれる魔法が、化石採掘のようなのだが。
「貴方の魔法の使い方は、とても面白い。予想外です」
「……面白い、か。どこまでも甘く見られているようだな。たかが人間の魔法など、恐るるに足らないって事か?」
未だ彼の周りに渦巻いていた風が、突如勢いを増し、無数の矢となって飛来してきた。
「素直な感想ですよ。貴方程の実力者を、甘く見ることはありません」
問いかけに答えつつ、矢を刀で叩き落とす。ついでに、考察の結論を述べた。
「……貴方の魔法具は、吸収加工型の特性をお持ちでしたか」
俺の刀は化け物や理外の理である魔法、魔術、術式を切れるように魔術で強化しているから、魔法を付加させた魔法具は「折る」のではなく、「切る」が正しい。そして魔法具は、所有者の魔力が一定以下にならない限り、切られてもすぐに復活する。
おそらくだが、当初あの魔法具には、能力限定の魔術が組み込まれていたのだろう。それを俺の刀が切ったことで、復活した時に剣本来の力を発揮し始めた、というわけだ。
更にあの魔法具、相手の魔法具の特性を吸収し、己の付加属性に追加する特性を持っているようだ。俺がこの刀を使ってやっている事を、属性として吸収したのも、唐突な魔法具の能力向上の原因だったようだ。
上級魔法士は基本、魔法具を使用しない。それ故か、こちらの魔法具の技術は元の世界と匹敵している。調べてみれば、新たな発見があるかもしれない。
「…………分かってて切ったわけではなかったのか?」
微妙な表情で俺の刀を見つめる彼を見て、そこまで舐めた態度を取っているように見えていたのかと、密かに驚いた。
「進んで相手の武器を成長させるような真似はしませんよ。……さて、となると、迂闊に切り結ぶと損しそうですね」
刃を交えれば交えるだけ、こちらの手の内を奪われることになる。なるべく接近戦に持ち来ない方が良さそうだ。防御も、刀を使わないのが望ましい。
「させると思うか?」
剥き出しの闘気と共に、加速魔法を使って間合いを詰めてくる。1度刀を引いて攻撃を避けるも、流石にこの領域に達した剣士の攻撃を受け止めずに避けきることは厳しく、結局刀を使うことになった。仕方ないので、強度向上の魔法以外を、1度全て解除する。
「……愚かな。魔法具をただの刀同然にして、この魔法具に敵うわけもないだろう」
やや失望したような声で呟いて、彼が剣を閃かせる。途端、魔法具が輝きを纏い、魔法が飛び出した。
交互に飛んでくる剣戟と魔法を勘と反射神経で受け流し、反撃の隙を窺うが、元々が見事な剣技の持ち主、そうそう隙は見つからない。
膠着状態が続く中、俺は彼が、ある術式を組もうとしていることに気がついた。自然、口端が吊り上がる。それは、俺が待ち望んでいた術式だった。
——彼なら、娘のことで二の足を踏まず、きっとやってくれるだろうと思っていた。
娘を放り出し、路頭に迷わせる事を是とした彼ならば、俺と共に娘の命を危機に晒しても、俺を葬ろうとするだろうと。戦いに夢中になり、闘争心を煽ってやれば、尚更————
————吸血鬼滅殺術式を、発動させようとするだろう。
今までの俺は、それを発動させる側であり、極限まで威力を高めようと腐心してきた。この術式、人や他の化け物にも効果があり、威力の高い化け物用の術式として、愛用していた。
だが今は、これを受ける側だ。この身が吸血鬼になってしまった今、その効力を確認しておきたかった。
今まで出くわした吸血鬼達は、本能がそうさせるのか、この術式の気配を察するだけで怯え、凍り付いた。
だが俺には、この術式を防ぐ術がある。それを知り、実行するだけの余裕があって、その上で俺がどう反応するのか、知っておきたかった。
下手に吸血鬼の本能が勝り、過剰反応してしまうようでは、この先、どこかで吸血鬼であることを見破られてしまう。吸血鬼を見つけ出す手法には、その反応を利用するものが多い。本能を制御できないようでは、その手法を誤魔化す事など出来ない。そうなると、暢気に学校に行くより先に、するべき事が山積する。
早々にはっきりさせておきたくて、この戦い、あえて挑発的な戦い方をした。これで術式を組んでもらえなければ、戦いを長引かせた時間が無駄になってしまう。
やろうと思えば術式干渉を用いて強制終了させることも出来るが、それでは今まで戦いを引き延ばした意味が無い。相手の出方を窺っているように見せ、相手の攻撃を避けつつ、術式の完成を待つ。
8割方術式が完成したのを見て取り、1度大きく距離を取った。まずは第1段階の実験をと思い、魔術の構成を頭の中で練ろうとした、その時。
「…………!?」
唐突に視界が歪み、平衡感覚を喪った。頭に激痛が走り、思わず片手で強く押さえる。
魔術が霧散するのを感じたが、それどころではない。少しでも気を抜けば膝を突いてしまいそうな異常事態の、原因を探る。
周囲に異変はない。加えて、俺の様子に息を呑むフウ達には何の被害もない。俺とフウ達の間に障壁は展開されていないから、俺だけにダメージを与える攻撃だと思って良い。
だが、あの術式を組みながら、俺に気付かれずこれだけのダメージを与える魔法を彼が使えるとはとても思えない。
だとすると——
その時、彼と一瞬目が合った。絶え間なく呪文を紡ぐ彼の表情が勝ち誇っているのを見て、悟る。
対物理障壁を周囲に展開した途端、眩暈も頭痛も嘘のように消え去った。
「……やってくれる。超音波、か」
小さく呟くと、聞こえたのか、彼の口端が吊り上がる。
人には聞こえず、吸血鬼には聞こえる波長の音波を放つ。仲間にダメージを与えず、吸血鬼を怯ませる方法の1つだ。躯が変わったとはいえ、自身の感覚はまだ人のままだ、音に気づけなかった。
通常は一瞬の駆け引きの中で事を有利に運ぶために使われるそれを、このタイミングで使ってきた。要するに波を作り出すだけなので、術式の構築中でも扱えた、というわけだ。
そして、彼の狙い通り——
『——悪しきモノ、忌むべきモノ、我らの敵よ、今裁きを受けろ!』
——この時間稼ぎの間に、術式が完成した。
彼が呪文を唱え終えると同時に、特殊な魔力の奔流が、俺を目掛けてなだれ込んでくる。灼熱の炎を纏ったそれに、無意識のうちに躯が竦む。
咄嗟に構築しようとしてしまった魔法をぎりぎりの所で止めて、衝突の直前、鋭く唱える。
『防御、耐火、収束、無効』
魔力が解放され、相手の術式を包み込む。炎ごと収束した魔力層は、刹那の静止の後、轟音と共に爆散した。




