出逢い 〜Noir〜
視界が戻ると同時に、周囲を見回した。魔力を練って、いつでも魔法を使えるようにする。
俺が送られた先は、洞窟だった。ある程度の大きさを誇るその洞窟は、松明によって影が揺らめいて見えた。足下には、先程の移動魔法陣。そして、俺を取り囲むように立った大量の人影が、無言でこちらを凝視している。
人影——いや、違う。
相手の体から立ち上るのは、まぎれも無い妖気だ。人形をとっているのは、かなり強い化け物という証。
そして。その尖った耳、鋭く長い爪、吊り上がった目という特徴的な容姿には、嫌という程見覚えがあった。
——脳裏に赤く染まった光景が奔る。人々の呻き、泣き声、助けを求める声。そして、それらの声を上塗るように、嘲笑の混ざった声が響く。
『お前が、——か。弱いな。あまりにも無力だ。お前がそんなだから——』
込み上げる激情を無理矢理押さえ込む。今感情に任せて飛びかかるのは、自殺行為だ。
「……俺に何か用か?」
静かに問いかけると、洞窟内に動揺が走った。一見ひ弱そうな少年が莫大な殺気と魔力を漂わせているのだ、無理も無いだろう。
「djhosnskalkfnd」
目の前にいた化け物の発した言葉に、思わず眉を寄せた。人語を話せる筈のこの化け物が、聞いた事も無い言語を口にしている。
「何だと?」
「——dawjdk」
どうやら向こうもこちらの言葉を理解できていないようだ。俺の言葉に僅かに戸惑いを浮かべた後、何事か呟いた。
「……まあ、良いか。俺も早いとこフウを回収して帰りたいんでな。とっとと消えてもらおうか」
どうせ通じていないのは分かっているが、それでも不敵に言い放った。実際、この化け物を見逃すなんて選択肢は、俺に無い。私怨だが、こいつらには塵一つ残らず存在を消してもらう。俺の前に姿を現しやがった、この——吸血鬼には。
準備していた魔法を放つ。閃光と共に、周りにいた吸血鬼どもを吹き飛ばした。奴らが慌てた様子で体勢を整え始める。
「遅え」
嘲りつつ、第2波を放つ。それだけで、この場にいる4分の3が消し飛んだ。消し飛んだ奴らは欠片も気にせず、残りの連中を油断無く見据える。
——俺の魔法を防げるという事は、かなり強力な吸血鬼だ。だが、あの移動魔法を成功させるだけの力の持ち主はいそうにない。逃げたのだろうか。
まあ、もしそうなら、見つけ出して祓うだけだ。
そう結論づけ、飛びかかって来た吸血鬼の1体を、ずたずたに切り裂いて吹き飛ばした。
雄叫びを上げながら、5体程が同時に飛びかかって来た。互いに防御や攻撃を組み合わせ、強力な1体となって俺に挑む。
普通ならば、魔法士はおろか、その辺の化け物だって死を覚悟する攻撃。
——だが。
「通じるかよ、そんなもん。あの頃じゃあるまいし」
魔術で炎を召還し、そいつらに投げつける。いとも容易く防御を打ち破ったそれは、一瞬にして、奴らを骨も残さず燃やし尽くした。
残るは5体。一気に俺の目の前から消し去るべく、続けて魔術を構築しようとした、刹那。
「………!?」
凄まじい目眩に襲われ、平衡感覚を失った。足下がふらつき、目の前が暗くなる。勿論、魔術は霧散した。
幻惑の類いの魔法ではない。魔力の流れには気を配っていたが、魔法が行使された痕跡は無かった。万に1つも逃したくなくて、この周辺は俺の領域にしていたから、見落としは絶対にあり得ない。
魔力切れはありえない。体調不良でもない。
ならば、一体何故。
何にせよ、1つだけ確かな事があった。
この状況では、俺は何にも対処できない。そして、こいつらの前でそんな隙を見せるのは、致命的なミス。
——凄まじい威力の電流が、俺の躯を襲った。
「がぁっ!」
口から悲鳴が漏れ、その場に頽れた。直ぐに立ち上がろうとするも、全身が痺れて言う事を聞かない。
あちこちを痙攣させながら、それでも立ち上がろうともがく俺に、吸血鬼どもが近付いて来る。
「……くそっ!」
未だ続く目眩のせいで揺れる視界の中、化け物の気配だけを頼りに魔法を放つ。
——だが。吸血鬼どもを吹き飛ばす筈のそれは、具現化する事無く、魔力ごと、消えた。
「な……っ!?」
目の前で起こった事が、理解できない。
魔力ごと魔法が消えるというのは、聞いた事がない。そもそも、魔法を途中で打ち消すだなんて事、上級の魔法士だって苦労する。もしも打ち消したとしても、魔力はその場で無秩序な流れとなるものだ。そもそもが自然の1部である魔力が、今のように、消える事はあり得ない。
だが、今起こっている現象について考えている猶予はなかった。
「がっ、ああっ、ああああ!」
先程以上の威力を持った電流が、3度続けて俺の躯を流れた。余りの威力に、痺れている筈の俺の躯は、ひとりでに跳ね上がった。
「っ、こ……の……!」
もう一度魔法を放つも、やはり発動せずに消えた。まるでそれを予測していたように、吸血鬼どもは俺を包囲する。
にやりと歪んだ笑みを浮かべ、吸血鬼の1体が俺の腹を蹴り上げた。
呻く間もなく、俺の周りにいた全員が一斉に俺の躯を所構わず蹴り始める。
声が出せない。胃酸が逆流するも、喉元で詰まってしまう。全身が痺れているせいで、体を丸くして衝撃を和らげる事も出来ない。人外の力任せの攻撃を無防備に食らっていくうちに、次第に意識が遠のき始めた。
——やられる。こんな、奴らに。
俺はまた、何も出来ず、奴らの好きにされるのか——
「……っ、させ、るか!」
身の内で不自然な鼓動が生じる。熱を伴って度重なるごとに強くなるそれは、覚えのあるもの。——魔力の、暴走。
このまま抑えなければ、命に関わる。それは嫌という程知っていたし、マスターにも、暴走しかけた時には抑える事を最優先しろと、耳にタコができる程言われてきた。
だが、そんな事、今はどうでも良い。この暴走を、望んだのは俺だ。
自分で制御できるぎりぎりまで魔力が高まるのを待って、一気に解放した。
風が、炎が、雷が、水が、氷が、土が、闇が、暴力的なまでに荒れ狂う。
狼狽した声を上げ、周りにいた吸血鬼どもがよろめくように後ずさった。無差別な魔法の嵐が吹き荒れる中で、その源の側にいるような命知らずはいないようだ。
奴らに向けて、嵐を叩き付ける。ずたずたに切り裂かれて、吹き飛ぶのが見えた。
「…………!!」
全身に、先程の吸血鬼どもの攻撃など比べ物にならない程の激痛が走る。身の内から焼き尽くされていく感覚に、指1本動かせないまま、声にならない叫びを上げた。
覚悟はしていた。あれほどの魔力の暴走を利用し魔法を使えば、こうなる事なんて分かりきっていた。この反動が、仮に今抑えきれたとしても、俺の命を確実に削る事も。——それでも。
こいつらにだけは、やられたくはなかった。
全身を襲う激痛を堪え、うっすらと目を開ける。
視界に入ったのは、血塗れの洞窟に倒れる吸血鬼どもと——
「fajdg. afjidgjigje」
——軽くはない傷を負いながらも俺に歩み寄る、1体の吸血鬼だった。
「っ!!!」
思わず息を呑む。それを見た奴は口元を歪め、片手を掲げた。手から雷が生じる。
俺を4度襲ったそれは、先程よりも更に電圧が引き上げられ、黒い輝きを帯び始めていた。
「……っ……!」
咄嗟に魔法を使おうとするも、身の内に荒れ狂う激痛がそれを許さない。余りの痛みに声も出せず、それでも無理矢理攻撃魔法を使おうとした時、何故か、フウの声が聞こえた。
『駄目だよ、ノワ! ノワは——』
瞬間、吸血鬼が腕を振るい、黒く輝く雷撃が俺を襲った。
心臓が止まりかねない程の衝撃が走り、全身が嬲られる。視界が黒く染まり、俺の意識はそこで途切れた。