方針決定 〜Noir〜
一瞬頭を過ぎった下らない感傷を振り払い、事務的な話を続ける。
「さて、質問に答えよう。俺達の世界には、記憶操作の魔法がある。勿論俺は使えるし、この集落程度の人間に俺達の事を忘れさせる事くらい、造作もない。……そして」
そこで少し迷ったが、告げる事を選んだ。
「……お前達の弟の呪いを、解く方法も知っている」
2人は同時に、椅子を蹴って立ち上がった。食い入るように俺の顔を見つめ、真偽を測っている。彼らと目を合わせずに続けた。
「ただこの方法は、この世界には無い物。正直、あまりやりたくない。使えば、その魔法の正体を突き止めようとする奴が現れるだろうからな。ここで過ごす以上、異世界から来ました、なんて訳の分からない説明をするわけにもいかない。記憶操作の方を疑われても拙い。そこを結びつけられれば、一気に吸血鬼殺しの犯人にまで繋がってしまう」
2人は顔を見合わせた。期待を込めた表情でこちらを向いた兄妹に、言葉を重ねる。
「それでも構わない、なんて言うなよ。世界にはルールがある。それを破ってまで人を救うなんて大層な事、俺は……っ!」
いきなり頭上から、拳骨を落とされた。擦り込むように力一杯落とされた衝撃に、一瞬目の前が真っ暗になった。
「だったら無駄に希望を抱かせる真似をするな、この馬鹿弟子」
声の主を見ると、珍しく怒った表情のマスターと目が合った。
「……いきなり何ですか。俺は間違った事は言っていませんよ」
「言わなくていい事まで言っておいて、何を言う。この2人が心から家族を救いたいと願っているのを分かった上でそんな事を言い、彼らの真剣な心を踏みにじるほど、お前の心は腐ったのか。化け物に苦しむ人の傷を抉るような真似を、お前は是とするのか」
静かながら容赦の無い糾弾自体は、俺にとって何の意味も持たない。他者の批判など、どうでも良い。
だが、その内容に、俺は一瞬我を失った。
「巫山戯るな! そんなわけがないだろう!!」
椅子を蹴倒して立ち上がり、激しく怒鳴った俺に、マスター以外の全員がたじろいだ。マスターは動じることなく、冷徹な目で俺を睨み付けている。その冷たい光を見て、頭がすっと冷えた。謝罪を込めて、頭を下げる。
「……すみません、取り乱しました」
「お前達がこの世界で無事やっていけるように交渉したい気持ちも分かるが、この2人相手に小細工は必要ない。交渉するのではなく、頼みなさい」
マスターの諭すような言葉に戸惑い、口ごもった。
……頼み事の方法なんて、俺は知らない。
そんな俺の困惑を読み取ったのか、マスターは深々と溜息をついて、立ち上がったままの兄妹に声をかけた。
「馬鹿弟子は人でなしでな、普通の会話が出来んのだ。あまり気にしないでやってくれ」
言い返したい事は山ほどあったが、俺にも非があるために何も言えない。黙ってマスターの続く言葉を聞いた。
「要するにだ、こいつには君たちの弟君を救いたいという意思も、方法もある。だが、それをすると国が黙ってはおるまい。そこで、君たちの家の力を頼りたい。……大方、どんな呪いなのか、国側はきちんとは知らないのだろう?」
未だに俺の激昂に気圧されていたのか、ミアがはっとした表情で取り繕うように頷いた。
「ならば、他の解呪方法が使える魔物の呪いだったと言いふらしてもらいなさい。そうすれば、多少不満は残ろうが、まあ助かったならいいという事になる。……ただ、この方法を取るなら、おふたりのご家族には、全てを包み隠さず説明した方がいいだろう」
滅多に見ないまともなマスターの姿に、俺とフウが呆気にとられる中、ヴィルヘルムが頷いた。
「僕も、それは考えました。妹の事を家族にまで隠せるとは思えません。……彼が四六時中、行動を共にしなければならないでしょうから」
「おい待て」
全てをマスターに任せるつもりだったが、聞き捨てならない事を口走る彼に、我慢できずに声を上げた。
「俺は、そいつと常に一緒にいる気は無いぞ」
「「「……え?」」」
ヴィルヘルムとミアだけでなく、フウまで驚いた声を上げた。マスターまでもが意外そうな顔を俺に向けている。
「要するに、定期的に血を飲めればいい話だ。いつも側にいる必要は無い。勝手にやってくれ」
いつもいつも側にいられたら、邪魔で仕方がない。ただでさえ、フウという手のかかるじゃじゃ馬がいるというのに。
「お前、本当に男か? あんな美少女を侍らせる絶好の機会だぞ?」
訳の分からない事を言ってさっきまでのまともさを全てぶち壊しにしたじじいは放っておいて、話を続けた。
「家族が仕事で不在の時、寝ている時、いつでもいい。そっちの都合のいい時に会えばいいだろう。遠くでも連絡が取り合えるのは、フウで証明済みだ」
「……そうだけど……」
「お兄様、忘れていますよ。彼らは、異世界の方です」
「……ああ、そうか」
何か俺達には分からない理屈で通じ合った兄妹は、気を取り直した様子で俺に向き直る。
「ノワールは前の世界で、魔法士、つまり、祓魔師か何かでいらっしゃったのでしょう? という事は、この世界でもそうして生きるおつもりですよね」
「ああ。他に取り柄もないからな」
「私もー。化け物退治屋をやめる気は無いよー」
迷い無く頷く俺達に、ミアがとんでもない事を言った。
「この世界では、指定の魔法学校を卒業した生徒しか、魔法使い、または祓魔師の資格はとれません。もし資格もなく、魔法学校の生徒でもない人間が魔法を使えば、国の処罰対象になります」
嫌な予感が俺の胸をよぎった。まさか。
「……卒業資格を取って、魔法士の資格に準ずるものを取らなければならないという事か? 何か試験でも——」
「ノワールらしくもないですね。私は、「学校を卒業した生徒」と言いました。つまり、2人は私達と同じ学校に通う必要があるのですよ」
冷や汗が背中を流れるのを感じた。嘘だろう……?
「まあ、編入試験を受ければ、2人なら直ぐにでも5年生、つまり僕達と同じ学年になれますよ。あ、学校は7年間で、編入できる最高学年は5年生です」
ヴィルヘルムのフォローにも、俺は眩暈を禁じ得なかった。
「……………学校、だと?」
真剣に元の世界に帰りたいと思った。たとえ、祓われようとも。
学校など、もう随分と通っていない。昔すぎて覚えていないが、ほぼ1日中授業を受ける場だという事は覚えている。
最低でも2年、化石のような魔法理論をただ聞くだけの生活を送らなければならないだなんて、悪夢以外の何物でもない。
「私、学校行った事無いー! 楽しみー!!」
「そういうわけで、学校に行くなら、ほぼずっと行動を共にする事になります。そしてまさか、学校で血を飲むわけにもいかないでしょう? だったら、家で飲むのが1番いい。家は広いし、家族も口が堅いですから」
俺の心情を余所に喜ぶフウと、全く空気の読めないヴィルヘルムに、俺は無意識に片手を掲げた。その手をマスターに掴まれる。
「これノワール、落ち着きなさい」
「冷静ですよ、自分でも驚くほどにね。俺は冷静に、場を読めない馬鹿共に教育的指導を施そうと思っているだけです」
「それを落ち着いていないと言うんだ。現実逃避もほどほどにな」
そう言って腕を無理矢理下ろされる。俺も半ば冗談だったので、抵抗する事なく魔力を収めた。
「……分かった。学校の事は後々説明してもらうし、家族に俺の事を話すのは構わない。だがそれは、俺達を家に迎え入れる前提の話だろう。いいのか、そんな事を独断で決めて」
「可愛い子供のためなら、余るばかりの部屋を2つ用意して、情報操作するくらい、両親はやってくれるでしょう」
笑顔で言い切るミアに、ヴィルヘルムは何とも言えない表情で笑っていた。だが、否定する気配もない。その交渉は、彼ら任せでいいのだろうか。
続いて、はしゃぎ続けるフウに言葉をかける。
「フウ、学校に行く条件として、その刀は俺が預かる」
「えー!!」
思いきり文句が飛んできたが、その藍色の目を睨み付ける。
「そうでもなければ、約束を守れないだろう」
「……う」
怯んだフウが、渋々頷いた。刀は、学校に行く日までは好きにさせてやろう。この不便な生活を憂う気持ちは、俺の方が強いのだから、配慮くらいはする。
「まだある。これから彼らにいろいろ聞くが、こっちの常識に合わせて行動しろ。これはするなとか、この魔法は使うなとか、俺が指示する。それは絶対に守れ。どんな状況でも、だ」
「……はい」
言いたい事は伝わったらしく、フウが頷く。こいつはアホだが、こういう常識は俺とマスターが叩き込んだから、理解できる。
「そして最後に、……ちゃんと勉強しろよ」
しみじみという俺を、フウはきょとんと見上げた。こいつが試験前に俺が泣きついてくる事には、変わりないだろうけどな……
いろいろ事情を知るマスターは、声を殺して身を震わせていた。ああ、その気持ちは理解できる。
……魔術書を書く側の俺と、1分とじっとしていられないフウが、机を並べて、魔法を学ぶ。異常な光景だ。
「……でも、目立つでしょうね。フージュはともかく、貴方がその年から学校に編入なんて。もう資格を取れる年ですから」
「……ちょっと待て」
何だか困ったような顔で妙な事を言うヴィルヘルムに、俺は再び呼びかける。
「俺はお前達と同年代だと思うぞ」
「……失礼ですね。私は17、お兄様は18です」
怒った様子のミアの言葉に、こいつもかと溜息をつく。
「……だから、同年代だ」
「「…………」」
兄妹が言葉を失う。マスターとフウは、顔を見合わせ、同時に吹き出した。
「う、嘘だろう!? とうに22,3くらいかと……」
叫ぶ兄に、無言で何度も頷く妹。まとめてぶっ飛ばしてもいいだろうか。
「正確な年は知らんが、多分お前達くらいだ」
一応確認のためマスターに目を向けると、未だに身を震わせるじじいが首肯を返してきた。
「後、フウは俺の1つ下くらいらしい」
「ええっ!? 13,4歳じゃないの?」
「あ、ヴィルさん酷い!!」
急に笑いから回復したフウが、怒ったように叫ぶ。だが、これは予想済みだ。こいつの言動はかなり幼い。
「というわけで、年齢的な問題は無い」
再び笑いの発作に崩れ落ちている変態は放っておいて、話を纏めた。ついでに、普段からあの口調で話している様子の妹はともかく、兄が俺に対して敬語で話す理由も理解できた。多分、もうタメ口になるだろう。俺もその方が楽だ。
「今後の方針は決まったな。後他に、話す事はあるか?」
「……いや、今のところは思い付かないよ」
ヴィルヘルムとミアが頷くのを見て、俺はマスターに向き直った。
「で、マスターはどうするんです?」
「たまに遊びに来るよ。2人の様子を見にな」
こんな面白い事を見逃す手はないと目が言っているが、俺としてもそれは助かる。
「では、その度に、新しく発行された魔術書や論文の類いを持ってきて下さい。出来れば、協会から直接」
「……この、魔法オタク。この世界に馴染むのではなかったのか?」
「これを見てから、そういう台詞を吐いて下さい」
そう言って、傍らの魔術書の内、この部屋で1番詳しいものを差し出す。ぱらぱらと黙ってそれに目を通したマスターは、俺に手を差し出してきた。
「協力しよう」
この稚拙な内容の魔術書しかない世界で耐えられる魔法士など、元の世界にはいない。マスターとて魔法士だ。直ぐに理解したらしい。
「分かってもらえて何よりです」
そう言って手を取った瞬間、俺の身に魔力が走った。失態に気付いたが、もう遅い。
身の奥に押し込んでおいたはずの激痛が、全身を駆け巡る。押さえ込んだ分だけ濃縮されたダメージが、一気に解放され、体内で暴れ狂った。
「————!」
堪えきれずに悲鳴を漏らして、俺は意識を失った。
ようやく彼らの年齢が判明。




