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契約 〜Noir〜

 1冊読んだだけで飽きたらしいフウが書斎から姿を消してから数分後、再びノックの音が響いた。スキャンの魔法を止め、声をかける。


 来客は、少女だった。顔はやや青ざめているが、足取りはしっかりしている。部屋に入って、俺と真っ直ぐ視線を合わせた。



「何だ?」

 しばらく待っても何も言わないので、こちらから声をかけると、少女は頭を下げてきた。


「昨日は助けていただいて、ありがとうございました」

「……ああ」


 返す言葉に詰まり、ただ頷いた。少女が疑問をぶつけてくる。


「何故、私を助けて下さったのですか?」

「心中する趣味はない」

 ぶっきらぼうに答えるも、少女は怯まない。


「いえ、その前です。私を庇う必要なんて、どこにも無かったでしょう?」


 いつか指摘されると分かっていた事だった。用意していた答えを返す。



「フウが、お前を救い出すという依頼を受けていた。俺達にとって、依頼は重い。あいつはどうも理解しきれていないがな。お前に死なれると、依頼が反故になる。一応あいつの世話役としては、それを見過ごすわけにはいかなかった」



 少女がふわりと笑みを浮かべた。何故か苛立ちが募る。


「一体何だ」

「優しい方だな、と思いまして」

「……………は?」


 聞き違いかと思った。間の抜けた音を出す俺を余所に、少女は更に続けた。



「あれほど死を望んでいた貴方が、彼女1人のためにそれを諦め、私を救って下さった。これだけでも十分優しいと思いますが、それだけが理由ではないでしょう? それなら、他に方法があったはずです。私に気を遣って、そんな言い方をなさっているのでしょう?」


「……おい。何か誤解しているようだが、俺は優しさなど一欠片も持ち合わせてはいない。お前を庇ったのは、元々死ぬ気でいたからだ。そうじゃなきゃ、俺自身の依頼でもないのに、今まで縁の無かった人間を庇ったりしない」



 俺が優しいなど、悪夢のような話だ。優しさなど、何年も前に焼却炉で灰も残さず燃やし尽くした。今更優しいなどと言われると、怖気が走る。


「そういう事にしておきます」


 相変わらず笑顔の少女を張り倒したいという衝動を堪え、突き放すように言った。

「用件はそれだけか? 俺もお前達に少し話があるが、その前にもうしばらく調べ物をしなければならない。後で呼ぶまで、大人しく寝てろ」

「いえ、もう1つ」


 そういって少女はおもむろに懐に手を入れると、ナイフを取り出した。腕を前に出して、ナイフを掲げる。



「……馬鹿か、お前は」

 彼女のナイフが腕を貫く前に、その手からナイフを取り上げた。


「まだ貧血が治っていないのに、無茶をするな。昨日は失血死寸前まで血を失ったんだ。昨日の今日で血を失えば、ぶっ倒れるぞ」

「それは私の言葉です」

「何?」


 間髪入れずに言い返してきた少女は、思いの外強い目で俺を見つめて、いや、睨み付けていた。


「あれだけの傷を負い、死ぬ寸前まで血を失ったのです。ただでさえ貧血だった私から血を飲んだくらいで、どうにかなるはずないでしょう」


 強い口調で指摘された内容に、思わず溜息をついた。最近溜息が多いと自覚しつつ、少女に説明する。


「その点は問題無い。今朝の朝食で補った魔力で、回復魔法をかけた。健康体と言って差し支えない。体力も魔力を代替物として使用しているから、当分は必要ない。いいからお前は寝ていろ。俺に気遣いは要らない」


 そう言って、少女に部屋から出て行くよう促す。少女はしばし躊躇っていたが、やがて諦めた様子で足をドアの方へ向けた。



 後1歩でドアに辿り着くというところで、少女が不意に足を止めた。良い事を思い付いた、といわんばかりの表情で振り返る。



「あの、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「……何を藪から棒に言い出すんだお前は」


 今まで避け続けてきた話題をついに持ち出され、遠回しに拒絶の意を示す。少女はめげずに続けてきた。


「いつまでも貴方、お前と呼び合うわけにもいかないでしょう。私は貴方の餌なのですから」

 だから名前を教えて下さいと続ける少女に、胸の中に苦々しさが広がるのを感じた。



 正直、名乗りたくないのだ、あのセンスの欠片もない名前は。所謂厨二病としか思えない。魔法士の資格を取ったときに付けられたわけだが、未だに呼ばれるのすら頭が痛い。ましてや、名乗れ、だなど何の嫌がらせだと言いたい。



「……俺はこのままでも困らない」

「私は困ります。言わないのなら、勝手に名前を付けますよ? ポチとか」


 ………この世界にもあるのか、ポチなんて名前。


 笑顔で言い切る少女に、俺は彼女に対する印象を変えた。この女、見かけより遙かに強かだ。

 この世界に来てから何度目か、数えれば余計疲れそうな溜息を、深々とついた。


「…………スブラン・ノワール。ノワールと呼べ」


 俺をスブラン( 支配者)と呼んだ奴は、全力で叩きのめすと決めている。



「ノワール、ですね。私の名前は、ミア=ティーナ=パーヴォラです。ミア、とお呼び下さい」



 少女の名乗りに、俺は息を止めた。



「………み……あ……………?」

「……はい。どうかなさいましたか?」


 不思議そうに首を傾げ、少女が問いかけてきた。全力で平静を保ち、頭を振る。

「……何でもない。ミアと呼べばいいんだな」

「はい。これから宜しくお願いします、ノワール」


 頷く少女——ミアを見て、どこか悟った気分になった。



 どこか「彼女」に似るこの少女を俺が救ったのは、俺が死にたかったからではなく、勿論フウの依頼の為などでもなく。「彼女」と同じ名を魂に記した少女を、俺が見捨てられるはずもなかったのだ。



 ならば、もう良い。俺は、この少女を死なせない。



「ああ。宜しく、ミア」



 その決意を口にした俺を、嘲笑うように。


 俺の躯に、異変が生じた。


 躯が独りでに動き、気付けばミアの腕を掴み、引き寄せていた。



「……なっ……!?」



 慌てて手を離そうとするも、躯が言う事を聞かない。それどころか、そのまま少女を抱き寄せ、拘束した。



 焦っているだろう俺の表情を見て、ミアはどこか勝ち誇ったように微笑んだ。


「ご存じなかったようですね。吸血鬼と餌の主従関係は、名を呼び合い、餌から血を得ることで成立します。私達が互いに名を呼び合った今、貴方が血をお求めになるのは当然です。吸血鬼の本能がそうさせているのですよ」

「お前……っ、分かってて……!」


 力尽くで腕を引き剥がそうとするも、腕はまるで張り付いたように動かない。次第に自分の躯が前のめっていくのを感じて、強い焦燥に駆られた。



「この馬鹿! 大人しく寝ていろと言っただろう!」

「大丈夫です。フージュさん、でしたね。彼女に治癒魔法をかけていただきましたから。それに、朝食をいただいて以来、体も軽く、貧血の症状はありません。だから——我慢しなくて、いいんですよ」



 ミアが静かに言霊を紡いだ瞬間、理性が急速に揺らいでいくのを感じた。


 目の前にある白い首筋に喰らい付きたい。その血を啜り、渇きを満たしたい。「吸血鬼」としての俺の声が、大きく鼓膜を震わせる。



「く……っ、この……っ」

「やっぱり、ノワールは優しいですね。餌から血を摂ることを、何故躊躇うのですか?」



 抵抗するに決まっている。俺は、化け物である自分を嫌悪しているのだ。たとえこうして生きていくことを選んでも、化け物であることを積極的に肯定しようとは微塵も思わない。


 それなのに。躯はもう、止まらない。自然と歯が尖り、ますます身を乗り出す。


 これ以上抑えきれないと思った時、ミアが俺の躯に身をもたせかけた。更に近付いたその首筋を見た途端、完全に理性が飛んだ。


 首に牙を突き立て、溢れ出る血を夢中になって飲み下していく。鉄の味が喉を通るのを感じて、恍惚となった。



 しばらく血を貪って、ようやく我に返った俺は、慌てて口を離した。血が止まっているのを確認してから、ミアの様子を窺う。


 ミアは俺を目が合うと、いたずらっぽく笑った。そのまま、膝から崩れ落ちる。



「……だから、駄目だと言っただろう」



 そのまま倒れる前に抱き留めて、治癒魔法と回復魔法を同時に行使する。魔力が収まる頃には、ミアは目を開け、驚いた顔で俺を見上げていた。



「もう歩けるだろう。自分で立て」

「あ……、はい……」


 未だ驚きの醒めやらぬ様子で、ミアが自分の足で立った。今度は、自然と腕が離れた。


「部屋に戻れ。調べ物の邪魔だ」

 そう言って、邪険に手を振る。ミアは戸惑いがちに頷き、部屋を出て行った。



 彼女の気配が完全に遠ざかるのを確認してから、俺は大きく息を吐き出した。


 椅子に座り、頭を掻きむしる。激しい自己嫌悪に駆られていた。



 別に口実でも何でもなく、今の彼女に血を失う余裕などなかった。餌とて人間だ。血を大量に失えば、死ぬ。

 そのことを、頭では十二分に理解していた。だから、今日は決して飲むまいと心に決めていた。


 それなのに、躯は、本能は、それを無視して血を求めた。まるで、餌の体調など知ったことではない、といわんばかりに。



「最低だな。心まで化け物じゃないと、これでも言えるのか」


 誰に向けるでもない問いかけを吐き捨てる。そして、自答する。俺はとうに化け物なのだと。


「……あの時も、こういう事だったのか? どれだけ抑えても抑えきれなかった、そういう事なのか」

 本当にうんざりする。何よりも憎んでいた、受け容れるつもりもなかったこの本能を、自分の身をもって理解してしまうとは。



 顔を手で覆う。荒れ狂う激情を、全力で押さえ込む。そして、新たに決意した。



 仮に「そういう事」だったとしても、俺は絶対に「アイツ」を許さない。それはつまり、俺は俺を許す気は全くない、という事。

 ——俺は自分を、一生蔑み続ける。本能のままに血を求める、人の心を解さない化け物だと。



 冷静になったところで、俺は調べ物を再開した。


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