終宴 〜Noir〜
「……さて、そろそろ幕引きだ」
廊下の気配に気付いて呟く。数秒後、ドアが勢いよく開いた。
「ノワ、こっちは終わったよー」
フウが部屋に入って、明るく言った。その身には、返り血1つ浴びていない。かなりすっきりした顔をしていた。
「……おわ……った………?」
掠れた声に振り返ると、長が目を見開いていた。その目に映るのは、恐れ。
自然と口端が吊り上がるのを感じながら、フウに確認した。
「奥にいた奴らもか?」
「うん。最初の方は手強かったけど、たくさん集まっているところについたら、後は流れ作業。でもすっきりしたよー。何しろ、血も赤だし」
「なんだそれは」
長の目に恐怖と絶望が映るのを横目に見ながら、相槌を打つ。
「ここの魔物、ヘドロ色の血の奴とかいるんだよ! 気持ち悪い!!」
「そりゃ、<緋華の舞姫>じゃないな」
「お前……同胞を殺したのか……!?」
生き残りの長老の振り絞るような言葉に、フウが頷く。
「うん、全部。後はここにいるだけ」
「フウ、喜べ。お前のために、やりがいのありそうな奴を残しておいたぞ。好きに切り刻め」
「うんっ!」
嬉しそうに頷いて、フウは双刀を構えた。気圧されたように、長老共が後退る。
フウが足を踏み出した、と思うと、2体の長老がバラバラになった。
「相変わらずで……」
独り言を漏らしながら、俺も2体を切り伏せた。そのまま長に歩み寄る。少し首の圧迫を緩めてやってから、嘲るように言葉を掛ける。
「何をそんなに驚いている? 言っただろう、殲滅すると」
「……お前の件には、我々しか関わっていなかった……! 彼らは何も知らなかったのに、それを……!」
苦渋に顔を歪めて吐き出された言葉に、嘲笑をかぶせた。
「馬鹿か。確かにお前には私怨があるが、そもそも化け物を見逃すほど俺はお人好しじゃない。これだけの数が蔓延っていれば、掃除するのが俺達の仕事だ」
「お前も……っ!」
余計な事を言い出す前に、首の圧迫を元に戻す。ついでに戒めを抉って、俺は振り返った。
——その時俺は、あり得ないはずのものを、見た。
半開きのドアから、真っ青な少女がよろめきながら入ってくる。背後には、少女とどこか似通った少年。
少女と目が合う。少女は息を呑み、俺に向かって叫んだ。
「いけません! こんな——」
瞬間、全ての音が消えた。全ての動きが、やけにゆっくりと見える。
長老の1匹が、少女の声に反応したフウの剣戟を避け、何事か叫びながら少女へと突進していく。フウが振り返ろうとしたが、残りの奴らがまとめて襲いかかった為、目が離せない。長老が、その鋭い爪を少女に向け、距離を詰めていく。
1秒にも満たない後に、少女は爪に貫かれる。フウは間に合わない。長は何か喚いているが、動けない。1番近くにいるはずの少年も、反応できていない。
————目を見開き、動かない少女の姿に、『 』の姿が、はっきりと重なった。
————堅いものが肉を貫く音が、やけに煩く響く。
「————————っ!」
言葉にならない悲鳴が直ぐ後ろで聞こえると同時に、全ての音が元に戻った。時の流れも通常に戻る。
胸が、熱い。熱はじわじわと広がり、俺の躯から力を奪っていく。灼け付くような熱は、しかし、どこか心地の良いものだった。
「どうして——」
少女の問いかけには答えず、手に握った刀で、少女を庇う形で受けた爪を根元から叩き折り、長老を消し炭にした。
「ノワ!!」
悲鳴のような叫び声に目を向けると、フウは残りの長老を全て切り刻むところだった。いつもよりも速く、作業が雑だ。焦ってでも、いるのか。
「焦って、何になるんだ……」
苦笑混じりにそう独りごちて、俺はゆっくりと膝をついた。
胸元に視線を落とす。深々と突き刺さった4本の尖った爪を、無造作に引き抜く。
開いた穴から勢いよく血が吹き出るのを見ながら、俺は横ざまに倒れ込んだ。
足音が響き、気配が集まるのを感じた。乱暴に仰向けにさせられる。
「……っ駄目、こんな傷治せない……!」
フウの慌てた声に、もう1度傷口に視線を向けた。拍動に合わせて噴水のように血を吹き出す4つの傷は、全て貫通していた。感覚から判断するに、内2つは肺を、1つは——心臓を、貫いている。
「フウは、致命傷は無理だったな、そういえば」
「何で冷静にそんな事言ってるの!? 魔力は残ってるんだから、早く塞いで!」
フウのパニクった声に、失笑を漏らす。ゆっくりと首を振って見せた。
「……いや、これでいい。多少順序が前後したが、誤差の範囲内だ」
「何言って——」
「フウ、依頼は完遂しろ。俺の依頼は、吸血鬼の「殲滅」。1匹残さず、奴らを消すことだ」
繰り返した言葉に、フウは言葉を失った。長に視線を向ける。同じくそちらを見ると、魔法が解けたのか、こちらにゆっくりと歩み寄ってきている。
フウが警戒しているのを横目に、俺は伸びてきた手を掴んだ。
「おい、命令だ。——俺を、救うな」
息を呑む気配が、3方向から伝わってきた。初対面の少年まで驚いたようだ。
「前は邪魔されたが、2度と同じ失敗は繰り返さない。餌特有の魔法、か。失念していた」
「どうして、そんなに……」
「その疑問には、何度か答えた、はず……っ」
不意に息が詰まり、咳き込んだ。咳と共に、大量の血を吐き出す。くらりと視界が歪み、全身が急に重くなった。
「ノワ!!」
フウの悲鳴は無視して、言葉を続ける。大分肺から空気が抜けたのか、次第に息苦しくなってきていた。
「お前の兄は、お前を救う手助けを、フウに依頼した。だが、少し手遅れ、だった。俺達にとって、依頼は、絶対だ。……餌から解放、されるのは、飼い主が、死んだ、時」
「……やはり始めから、死ぬつもりでいらっしゃったのですね」
哀しげな声に、頷く。
「最後に、フウに、殺らせる気、だったが、な。……そいつは、俺が、この手で、祓いたかった」
そういって、長を目で示す。長は目を細め、愕然としているフウを気にすることなく、俺を見ていた。
「……これ以上、お前の思うように、して、たまるか。俺は、自分で、死を選ぶ。邪魔は、させなぃ……っ」
再びの吐血。躯に力が入らなくなってきていた。話すのすら億劫だ。
息を大きく吐き出して、完全に躯から力を抜いた。あっという間に四肢が冷たくなっていく。
「……死ぬのか」
確認のように問う長に、はっきりと答えた。
「ああ。これ以上、お前の好きには、させない」
「……そうか」
静かな言葉に、もう邪魔は入らないだろうと、意識が闇に沈むに任せた。心地よい、待ち望んだ平穏をようやく手に入れ、目を閉じ闇に身を委ねようとした、その時。
「——ならば、その娘も死ぬぞ」
長の声が、やけに大きく聞こえた。
「……何……?」
目を開け、問い返す。長は、完全な無表情で俺を見ていた。
「餌の魔法、お前の魔力量、不完全な吸血鬼であるお前の躯と心、互いの魔力の親和性。偶然が偶然を呼んで、お前達を結ぶ絆は、類を見ないほど強力なものになっている。今お前が死ねば、お前の中にあるその娘の血が、娘を死へ誘う」
反射的に少女に目を向けると、少女は静かに笑みを浮かべていた。
「知って…………?」
「はい。長から伺いました」
ですが、と彼女は小さく笑った。
「貴方が望むのならば、構いません。弟を救うために、餌としてこの身を捧げた時に、覚悟しましたから。貴方の餌となった以上、貴方に一生を捧げると決めました。だから、共に死んだとしても、私は貴方を恨みません」
彼女の笑顔は、諦念と共に、何かすっきりしたかのようなものを含んでいた。
——マスターの言葉が、蘇る。
『お前達、化け物になるなよ』
確か、フウがマスターの元に身を寄せた、1年後だ。唐突な言葉に、不快感を隠さず言い返したのを覚えている。
『いきなり何を言い出すんだ。人が化け物になるわけがないだろう』
『いや、なる。人は、簡単に道を踏み外す。道を踏み外せば、人は化け物になる。
ノワール、化け物とは、その姿形で決まるものではない。人間として生きておっても、人の血肉を糧にする、人の形のしたものは、化け物だと思わんか? 逆に、化け物のような外見でも、人より優しいものもおる。人と化け物の違いは、結局、その心だ。
……絶対に、道を誤るなよ。人として死なぬのは、何よりも外道だ』
真剣な表情で紡がれたその言葉を、心に刻んだ。
————もし、ここで少女を道連れに死んだとして。
————俺は、人として死んだと言えるだろうか。
————何よりも憎んでいた吸血鬼としての縛りによって、どこか『 』に似た彼女を、殺せるのか。
————どう考えても、化け物の死でしかないその死を、受け容れられるのか。
「……はっ…………」
自分が化け物だと受け容れられないのに、そんな事、出来るはずもなかった。
ああ、本当に。神はどうあっても、俺を化け物として生かしたいらしい。
血の流し過ぎで、頭は朦朧とし、魔力はほとんど底を尽きている。今から治癒魔法で傷を塞ぐのは、不可能だ。
だが、どうすれば良いのか、何故かはっきりと分かった。
「……手を、出せ」
上手く動かない口で、少女に声をかける。少女が目を見張った。
「……え?」
「早く、しろ」
もうあまり時間がない。可能な限り強い口調で急かすと、少女は戸惑いつつも、俺の目の前に腕を差し出してきた。
「もっと、近く」
「え……」
息を呑んで、少女が俺を見つめた。その翡翠の瞳に、俺の顔が映っているのが見えた。
深呼吸して、少女が俺の口元まで腕を差し出した。その真っ白な腕を見て、夕べのように歯が疼くのを感じた。
尖ったそれを、彼女の腕に————突き立てた。
「……っ」
周りが息を呑む気配を感じつつ、俺は口内に流れ込む血を飲み下していく。
ゆっくりと、傷が塞がっていくのを感じた。同時に、少女の体から力が抜けていくのも。
傷が完全に塞がる。それでもまだ、血を飲むのをやめるわけにはいかない。失った血を最小限補わなければ、傷が塞がっていても、死ぬ。
彼女の失血量と俺の失血量のバランスを測って、俺は口を離した。
少女がぐらりと傾いで、床に倒れ込む。ぎりぎりのところで少年がそれを支えたのが、霞んだ視界の片隅に見えた。
意識が急速に遠ざかっていく。流石に無茶が過ぎたようだ。
「……生を選ぶか」
遠くから声が聞こえて目を向けると、長が見えた。表情は、霞がかっていて、見えない。
「……心中する、趣味はない。それに——」
——これ以上、吸血鬼の被害者を出したくなかった。
「……そうか」
俺の心の声が聞こえたかのように、長は静かにそう言った。
「これでお前は、餌を飼う吸血鬼だ。もう、元には戻れない」
「……元々、戻る方法なんか、ないだろう」
「ああ。……だが、もう死ねないぞ。良いのか?」
「……構わ、ない」
もう俺の目の前で、吸血鬼のせいで死ぬ人がいないならば、それで。
そんな思いと共に、俺は睡魔に身を委ねた。




