要求 〜Noir〜
ノックの音が聞こえて、俺は外の様子を探った。
外にいるのは、人1人と化け物1匹。魔力の波動からして、あの少女と吸血鬼で間違いなさそうだ。
用件は想像がついたので、黙って結界を解く。
予想通りの招かざる客が入ってきた。ベッドで身を起こしている俺を見た吸血鬼は、やや驚きを見せた。
何故驚いているのかは容易に想像がついた。大方、俺の回復に驚いているのだろう。魔力を代償にした、回復力を上げるこの魔法は、魔力量が相当多くなければ使えない故、あまり普及していない。効率は良いのだが。
説明する義理も無いので、用件を聞いてやる事にした。
「何だ?」
俺の問いかけで我を取り戻したようだ。吸血鬼が平静を装って答えた。
「随分回復したようだな。だが、その分飢えているはずだ。血を飲め」
少女が無言で歩み寄って来る。昼より随分顔色が良い。おそらく、奴が治癒魔法でも使ってやったのだろう。そうでなければ、あれほど重度の貧血が、たかだか数時間で回復するはずもない。
他人事のようにそんな事を考えていると、少女が腕を差し出してきた。そこに傷は、無い。
「……何をしている?」
今まで自分で傷を作って差し出してきた少女の不自然な行動を、怪訝に思った。尋ねると、吸血鬼が代わりに答える。
「それだけ回復したんだ、自分で飲め。そうすることで、血が定着する」
——あまりの要求に、吐き気を覚えた。
少女の腕を見る。白く細い腕。昼まで彼女が自分でつけていた傷の跡は無い。
その腕から、血を飲む、為には。
歯が、疼いた。口元に手をやるまでもない。俺の歯が——正確には犬歯が、牙のように鋭く尖り始めている。
これを、彼女の腕に突き立て、飲め、ということか。
——真の化け物に、なる為に。
「……巫山戯るな」
「巫山戯てなどいない。そのままではお前の命が不安定なままだ。早く飲め」
「断る」
きっぱりと言い切って、俺は少女の腕を掴み、無理矢理引き寄せた。前のめりになった少女の懐からナイフを取り出し、少女の手に握らせ、腕に突き刺させる。
「あっ……!」
「おい!!」
2人の声を無視して、ナイフを抜き、滴り落ちる血を飲み始めた。
今までと違い、理性が保てている。周りの様子に、少女の状態に、気を配る余裕があった。少女の困惑も、吸血鬼の怒りも、察することが出来る。気分の悪い話ではあるが、随分慣れてきたようだ。
努めてゆっくりと、少女の体調を観察しながら飲む。少女の体から少し力が抜けたところで、傷口を軽く舐め、口を離した。少女が戸惑った様子で立ち尽くす。貧血の症状は無さそうだ。密かに安堵する。
「……何の真似だ」
唸り声に近い詰問に、敵意を剥き出しにして答えた。
「何か勘違いしているようだな。そもそも俺は、こいつを望んではいない。さらにつながりを強固なものにしようとするはずが無いだろう」
「いつまでも、直ぐに飢える状態のままだとしてもか?」
無言で首肯する。吸血鬼が溜息をつき、頭を掻きむしった。
「命知らずの馬鹿だとは思っていたが、まさかここまでとはな……」
奴の言葉を無視し、顎をしゃくってドアを示した。
「もう用事は済んだだろう。出て行け。それから、明日の朝はお前は来るな。もう止めてもらう必要も無い。俺が入れるのはその少女だけだ。お前や他の奴がいたら、結界は解かない」
「……その時は、力尽くで壊すだけだ」
強気に言い返す化け物を、鼻であしらう。
「そんな事をしようとすれば、この屋敷もろともお前を吹っ飛ばす。屋敷を対象にすれば、その少女も死ぬだろう。いくらお前でも、地形が変わるほどの攻撃から、自分以外を守る余裕は無いはずだ」
少女の顔が強張った。吸血鬼が忌々しげに舌打ちした。
「……良いだろう、お前の意思を尊重してやる。ただし、血は必ず飲め」
嫌悪に顔が歪むのを押さえきれないまま、俺は黙って頷いた。
吸血鬼は、しばらく俺を睨み付けていたが、やがて出て行った。
「お前も早く出て行け。いつまで突っ立っているつもりだ」
何も言わずに立っている少女にそう告げた。見ると、彼女は怒ったような顔をしていた。
「どうして、あんな事をなさったのですか?」
「説明はしただろう。あいつに、だが」
つまらない質問を繰り返す少女の言葉を切り捨て、そのまま追い出そうと立ち上がった。しかし少女は怯むこと無く、言葉を続ける。
「その事ではありません。貴方は先程、自分が満足するまで血を飲んでいらっしゃらないでしょう。まだきちんと回復したわけでもないのに、無理をなさらないでください。……もう1度、お飲みになるべきです」
「要らん。お前が倒れても面倒だ。食い物を台無しにする馬鹿がどこにいる」
あえて化け物らしい言葉で言い返し、追い出そうとした。それでも少女は引き下がらない。
「私の事を気にする必要はありません。餌は、血を飲まれたところで死にませんから」
「俺が知らないと思って適当を言うな。餌とて人間だ、血を失えば死ぬ。……そんなに納得がいかないなら、何か食事を寄越せ。魔力で補充する」
そう返すと、少女が驚いた顔をした。
「魔力で、補充……?」
この世界にそういう技術は無いようだ。つくづく不便な話だ。
「お前に説明してやる義理は無い。餌は、飼い主の命令には絶対服従のはずだ。お前に命令する。俺に血を飲ませようとするな。今日の所は必要ない」
俺の言葉を聞いた少女は、一瞬反論する気配を見せた後、諦めた様子で頷き、ドアへと向かって歩き出した。
俺の想像通り、この少女は俺と同等の吸血鬼に関する知識を持っている。妄執だなとマスターに呆れられるほどに奴らについて調べた俺と、同等の。
「食事を持って来ます。せめて、それだけでも召し上がって下さい」
出口の前で振り返り、少女が強い口調でそう言った。断っても譲りそうに無いので、仕方なく頷いた。
少女が踵を返し、部屋を立ち去る。あらかじめ用意していたのか、5分としないうちに戻ってきた。
手渡された食事を胃におさめる。魔力の補充が昼よりも効率が良い。計算通りの回復だ。
食べ終わったところで、少女が手を差し出す。空になった食器を渡すと、少女は黙って出て行った。
しばらく待つ。少女の気配が完全に遠ざかり、吸血鬼も相当遠くにいることを確認してから、俺は結界を組み替えた。部屋の中の様子が、外からは分からないように。魔力を遮り、第三者が侵入しても気付かれないように。
さらに中の音が外に漏れないようにしてから、もう1度外の様子を探る。結界の変化に気付いた様子は無い。魔力の流れが不自然にならないように気を遣ったのが、功を奏したらしい。
頭の中で計画を確認してから、俺はフウに合図を送った。