Prologue 〜Noir〜
窓から月光が差し込む中、俺は遠話の魔法を使い、遠くの相手に話しかけていた。
「……依頼完了。余計なのまで紛れ込んでいましたが、良いんですか?」
『問題ない。迷子まで含めて全て、と言うのが依頼だったからな』
「それならいいです」
あっさりと言うのも問題なのだろう、一般的には。自覚はあるが、どうでもいい。
辺りの光景は、凄惨の一言に尽きた。部屋一面が血で彩られ、大小様々の原形をとどめないものが、あちこちに倒れている。
それは一見、人間の惨殺死体に見えるかもしれない。だがこいつらは、断じて人間ではない。こいつらは——化け物、だ。
俺の職業は、平たく言えば化け物退治。生まれ持った才能と人生経験、この電話相手——マスターと呼んでいる——の情け容赦無い訓練を基盤に、化け物を祓いまくり、この世界でも指折りの祓い屋と認識されるようになった。ただ、同業者に滅多に会わないから、自分の立ち位置は今ひとつ分からない。
おまけに、魔法士としての資格を取った際、余計な名を付けられた。
職業上恨みを買う事も少なくはないし、何の愛着も無い本名以外に名乗る名があるのは悪くないのだが、もう少しましな名前は無かったものか。
『……ところで、<漆黒の支配者>。<緋華の舞姫>はどうした?』
今更とはいえあんまりな名前に顔を顰めつつ、適当に答える。
「あのじゃじゃ馬? さあ。どこかで舞っているのでしょう」
<緋華の舞姫>——通称フウは、俺の知る数少ない同業者だ。
あいつを一言で言い表す言葉は——狂戦士。輝く双刀を引っ提げ、化け物を切り刻んでいく。芸術的なまでの剣筋と身のこなしは、磨き上げられた美しい舞いのよう。魔法の才能はそれほどではなかったが、俺とマスターの2人掛かりで鍛えた所、剣術と併用して使えるようになり、最強の名を恣にしている。
俺の魔法、あいつの剣という組み合わせは、向かう所ほぼ敵無し。普段は野戦だから一緒に戦うが、今回はビルに潜入しての仕事だったため、大きな音を立てても問題ない地下を担当させていた。
俺が終わったくらいだから、あいつも終わったと思うが。何か気に入ったものを切り刻んでいるのかもしれない。まあ、そろそろこっちに来るだろう。
『依頼は終了したのだろう?』
「多分。化け物の気配はありませんから。……ん?」
言葉の途中であり得ないはずの違和感に気付き、周囲に気を配る。だが、結果は同じだった。
「……マスター、気配がありません」
『!?』
話し相手は俺の言葉の意味に気付いたらしく、電話の向こうで息を呑んだ。俺は俺で、抜けかけていた気を引き締め直した。
自慢ではないが、気配には敏感だ。この鉄筋コンクリの4階建てのビルで生きている奴がいれば、気付ける位には。
だからこそ、おかしい。あの困り者の連れの気配を、俺が見逃す筈も無い。
つまり。あいつはいない、という事になる。
『まさか、逃亡!?』
「いや、それは無いでしょう。あいつは逃げるという選択肢なんて持ちません。……それに」
このビルから出て行く事は出来ない。誰も、何も逃がさないよう、あらかじめ結界を張っておいたのだから。
言葉にはしなかったものの、相手もそれは分かっている。緊迫した声が命令を下す。
『今直ぐ探せ。まさか……』
「あり得ないと思いますが。あのベルセルクが、だなど」
軽い口調で答えつつも、神経は張り詰めたままだ。何度探っても、生きている人間の気配は無い。
目を閉じ、魔力を薄く広げていく。ビル全体を覆い、中の情報を一気に取得した。
結果。
「化け物退治は終わっているようです。ですが、やはりここにはいません。……気配が途切れていますね。転移魔法でしょうか?」
『ありえんだろう! お前ではあるまいし、結界の外に転移魔法など!』
「俺もそう思いますが、事実——」
そこで言葉を呑んだのは、無理も無いと思いたい。
誰が想像できるだろうか。俺の張った結界をやすやすと突き破り、ここまでの大規模移動魔術を発動させる魔法士など、今この時代には、いない。
それなのに。
足下の魔法陣は、俺をどこかへと引きずり込もうとしていた。
咄嗟に阻止しようとして、気付いた。魔法陣によって繋がった先から、あいつの気配がしている事に。
——仕方が無い、か。
『おいノワール、どうした!』
「……他に方法も無さそうなので、あのじゃじゃ馬を回収して来ます。帰って来られるかは、五分五分ですが」
『何!? おい、待て——』
それ以上の言葉を待たずに、魔法陣は俺を飲み込んだ。