侵入者 〜Rouge〜
部屋の空気がぴんと張り詰める。一瞬で思考が切り替わった。
「ノワ、どこ?」
ぱっと立ち上がって聞くと、目を伏せていたノワが答える。
「……中庭だな。フウ、先に行け」
「了解!」
虚空間から取り出され放り投げられた双刀をキャッチして、私はノワの横を通って窓から飛び降りる。身体強化魔法をかけ、着地と同時に走り出した。
最短距離で向かった中庭は、まさに交戦中。魔法が飛び交い、金属音が鳴り響いている。
『土よ、捕らえたまえ!』
「させるかっ、『連爆!』——『水爆!』」
拘束用に放たれた土属性魔法がいくつもの火球に燃やされ、そこに投入された水属性魔法で水蒸気爆発が起こる。悲鳴が上がる中、ちかっと銀の光が過ぎった。
「ん? あれって……」
銀色の光、っていうので思い付いて、私は久々に身体魔法で視力を強化した。目を凝らした先、銀色の輝きが反射する。独特の衣服を纏った20歳少しくらいの女の人が目に止まった。
大きくドレープを寄せた白一色の布を肩に巻き付けるように羽織り、下は防護服に似たシックな青色の上着。下は上と同色の細身のパンツに、銀の留め金がお洒落な黒革の膝丈ブーツ。そして何より、肩に巻き付けた布と同じ生地の平たい帽子。
銀製の武器と合わせて1度見たら忘れない制服を身に纏ったその女の人が、攻撃を躱すためか身体を回転させる。紫紺の長い髪が煙の向こうで翻った。特徴的な色の髪をポニーテールにしたその姿は、見覚えがある。
「こんっの、どきなさいよ! 『火炎水流舞!』」
「なっ、なんだこれは!?」
後、どう見てもこっちの世界にはない魔法を連発して警備の人を驚かせまくってる所も、想像した人の性格にぴったり。
「あちゃー……」
物凄く厄介な事になりそうな予感を覚えながら、ひとまずノワに報告する。
『ノワ、向こうの世界からだったよ。警備の人、大苦戦中』
1対多で警備の人を圧倒している女の人を見ながらそう言えば、ノワから返事が返ってくる。
『知った顔か?』
『うん。シャスーズさんだよ、久しぶり』
『……あいつか』
ノワの声が途端うんざりした感じになった。思わずちょっと笑う。
『ノワ苦手だもんねー』
『苦手と言うよりも鬱陶しい。……ひとまず止めろ、頭に血が上ると面倒だ』
『んー、もう上ってる気もするけど、やってみるー』
ノワの指示を受けて、交戦中の真っ直中に飛び込んだ。
「うわっ!」
警備さん達の驚愕の声を背中に、まさに振り下ろされそうになっていた銀の武器を受け止める。
髪の毛と同色の瞳が、私を認めて大きく見開かれた。
「っ、ダンスーズ・フージュ!」
「ヴァレンティナ、久しぶりー」
にこっと笑って、双刀を相手の細く長い剣に絡めた。鍔迫り合いに持ち込んで、話を続ける。
「こんなとこまでお仕事大変だねー。お兄さんも一緒?」
「うっさい! あんたに用はないんだから、どいて!」
噛み付くようにそう言って、ヴァレンティナは剣に力を込めた。剣を押し返す力で飛び下がると、鋭い水の矢がいくつも地面を抉る。
「ノワに用事? 駄目だよ、こんな騒ぎにしちゃ。ここはあっちと違うってば」
言いながら一気に間合いを詰めて、続いて放とうとしていた術式を中止させた。ゆっくり目に振るった双刀を慌てたように受け止めて、ヴァレンティナはこっちを睨み付けてくる。
「あたしはただあいつに用があるだけってのに、向こうが攻撃してきたのよ! 防戦は当たり前でしょう!?」
「いやー……そりゃあ攻撃されるんじゃないかなー」
言い分はあってるんだけど最初がなあ……と思いながら、やけくそのように振るわれた剣に双刀を合わせる。そのまま角度をずらして力を込めれば、ヴァレンティナはあっさりと剣を取り落とした。
「っくそっ、邪魔しないでよ!?」
「私のはそれこそ防戦なのにー」
一応怪我させないようにかなり我慢して振るっているのに、ヴァレンティナはまるで私を敵のように睨み付けてくる。小声でぼやきながら放った炎の矢は、ヴァレンティナが胸元から十字架を取りだして編み上げた結界が弾いた。
「ヴァレンティナー、取り敢えず戦うのやめない? ヴァレンティナも戦うのが目的じゃないでしょー」
取り敢えず剣を取り戻せないよう結界を張って、十字架を掲げて本格的な魔法を紡ぎ出すヴァレンティナの説得に挑戦する。幾つか魔法を放って結界を揺さぶりつつ、更に続けた。
「ここは一旦戦うのやめて、お話ししない? 私もお腹すいたー」
「……っ、うっさいって言ってるでしょ! 良いから下がんなさい! 『貫け!』」
ヴァレンティナが顔を強張らせたと思ったら、更に怒った顔で怒鳴りつけてくる。これは駄目かなあって思って、障壁を張った。障壁の1点を貫通した魔法を双刀で切り捨てて、ノワに連絡を送る。
『ノワー、無理っぽいー。全然聞いてくれないの』
『俺が行った方がややこしくなるんだがな……』
うんざりした声でそうぼやいて、ノワが指示を下す。
『周囲の人間を遠ざけて、結界を張れ』
『はーい』
返事と同時、声を張り上げた。
「みなさーん、下がっててください。結界張ります」
警備の人達は遠巻きに眺めてたんだけど、声をかけると我に返ったように使用人さん達を誘導して避難し始める。十分に遠ざかるのを待って、私達の周りに結界を張った。念の為、ちょっと強化魔法もかけておく。
「今度は何を企んでるのよ!」
早速噛み付いてくるヴァレンティナの魔術をまた切り裂いて、答える。
「ヴァレンティナ、ここは異世界だよ? 大事になったら困るんだってば」
「はあ? 何言って——」
胡乱な表情でヴァレンティナが睨み付けてきた、そのタイミングで。
「——相変わらずだな」
言葉と同時に、頭上から容赦なく魔術が降り注いだ。ヴァレンティナが魔法具を使って張った結界を紙のように破いて雨あられと降り注ぐのは、火と土の塊。マグマのようにぐつぐつと煮え立っていて、近くに寄るだけでも火傷しそう。
ヴァレンティナは結界が破れたのを見て、慌てたように飛び退いた。ステップで避けつつ視線を巡らせたヴァレンティナが、魔法の使い手を認めて表情を歪める。
「スブラン・ノワール……!」
敵意剥き出しの低い声に、嫌そうな顔をしたノワが溜息をついた。
「感情最優先で状況を読もうともしない。いい加減、その愚かさを修正出来ないのか? フウですら周りを巻き込まないように戦う術を覚え始めているんだぞ」
何か酷い言い方されたけど、その通り。こんな所でこんな派手な真似をするなんて、ヴァレンティナの任務を考えたらまずあり得ない。それくらい、多分ヴァレンティナよりお仕事経験の少ない私でも分かる。
それなのに、ヴァレンティナは反省するどころか、更に憎々しげに顔を歪めて喚いた。
「うっさい! お前なんかに指図されたくない!」
「おい……」
げんなりした表情で溜息をついたノワは、次の瞬間空気を切り替える。
「——どの口が言うんだ、下っ端」
冷え冷えとした声で吐き捨てたと同時、ノワの姿が消えた。
「っ、どこにっ、うあっ!」
転移魔法で見失ったヴァレンティナの死角を付いて、ノワがヴァレンティナを地面に引き摺り倒す。うつぶせで腕を後ろに回して押さえ込んだまま、ノワが吐き捨てるように言った。
「シャスーズの中でも単身での討伐すら任されてないような雑魚が、俺の指示を拒絶するなど許される訳がないだろう。巫山戯ているのか」
「うるさ……あぐぅっ!」
もがいてたヴァレンティナが悲鳴を上げる。容赦なく肩の関節を外したノワが、更に体重をかけながら、醒めた声で言い放つ。
「幹部は逆らう下をどう扱っても許される。……殺してやろうか」
本気の響きに、ヴァレンティナがびくっと震えた。可哀想だけど、向こうが悪いので黙って眺める。
……それに、多分また殺せないし。
「そこまでにしていただけませんか」
やや高めの男の人の声が、すっと響いた。
ノワがヴァレンティナを押さえつけたまま、顔を顰める。ゆっくりと顔を上げ、声の主を睨み付けた。
「……いい加減、手綱を握れないのか。<氷炎の観測者>」
視線の先、膝と片手の拳を付いて頭を垂れた20歳半ばくらいの男の人が、そのままの姿勢で答える。
「我が妹の失態は我が失態。責任は如何様にもお取りしますので、どうか矛を収めてくださいませんか」
「……ちっ」
大きく舌打ちをして、ノワがヴァレンティナを離した。跳ね起きたヴァレンティナがフラムグラスの元へ戻る。フラムグラスはヴァレンティナの肩に治癒魔法を施しながら、柔らかい口調で窘めた。
「……ティナ、言っただろう。この世界で無闇に暴れるなって」
「うう……だってあいつは」
「ティナ」
フラムグラスが厳しい声を出す。ぐっと詰まるヴァレンティナに溜息をついて、フラムグラスは改めてノワにお辞儀した。
「このような形で伺う事になってしまって申し訳ありません。魔法士1級オブサバタ・フラムグラス、協会の任務で参りました」
ヴァレンティナそっくりな顔を申し訳なさそうにして、フラムグラスは私の方に向き直る。
「フージュもすまないな」
「いいえー、大丈夫ですよ」
にっこりと笑って頷いた。実際、ヴァレンティナを相手にするのは簡単だしね。
そんな本音を何となく悟ったのか、ヴァレンティナがつんと顎を逸らした。
「ふんっ。シャスール協会と魔法士協会の協定を無視し続ける奴に、幹部がどうのって言われても」
「こらっ」
慌てて口を塞ぐフラムグラスを眇めた目で見据え、ノワが吐き捨てる。
「……俺が幹部だからこそ命拾いしていると、その阿呆はまだ理解出来ないのか」
魔法士幹部は魔法士の教育が任務。だから幹部は、未熟な魔法士が面倒を見ている異能者を勝手に断罪してはいけないってルールがある。勿論、面倒を見ている魔法士に処罰を下す権限はあるけど、その人が余程はっきりと敵にならない限りは殺しちゃ駄目って言うのが暗黙の決まり、らしい。
だから、ノワはフラムグラスに謝られるとヴァレンティナを殺せない。ヴァレンティナはノワを目の敵にしてるから、こんなやり取りはもう何回目か覚えていないくらいだったりする。
「はは……、貴方のしでかした事は、それほど僕達には許しがたいんですよ」
苦笑しつつも目が笑ってないフラムグラスに目を細め、ノワは踵を返した。
「……取り敢えず、来い。話はそれからだ」
「はい」
フラムグラスが頷いて、ヴァレンティナを連れてノワの後を追う。私はちょっと迷ったけど、結界内のぼろぼろになった中庭を直すのを優先する事にした。
結界を解いた途端、ヴィルが駆け寄ってくる。
「フウ! 大丈夫?」
「うん、平気だよ」
にこっと笑って告げると、ヴィルはほっとした顔をした。中庭に修復魔法をかけてると、ヴィルが躊躇いがちに訊いてくる。
「あの……さっきの人達、知り合い?」
「うん、向こうの知り合い。お兄さんは魔法士、妹はシャスーズなんだ」
ヴィルが首を傾げた。
「シャスーズって?」
「あ、吸血鬼を狩るのを生業にする人だよ」
途端、ヴィルが顔を強張らせる。
「そ、れって……」
「うん、ちょっと心配だけど……ヴァレンティナだからなー」
あのヴァレンティナが、ノワの隠蔽に気付けるとはあまり思えない。だから大丈夫だとは思うんだけどね。
……ノワはちょっぴり警戒してるみたいだったから、油断は出来ないかな。
「まあ知り合いだし、ノワもそろそろ誰か人を寄越してくるだろうって予想してたから、何とかなるんじゃないかなあ」
疾が暴れてるし、こっちの報告書も出してるし、内容について追求するために魔法士を寄越してくるかもしれないってノワは警戒してた。当然対策も考えていたから、警戒はしてもあんな2人に捕まるような事はまずないと思う。
「そっか……なら良いんだけど……」
未だ表情の硬いヴィルに、魔法を終えて向き直った。
「取り敢えず、私もノワのとこ行ってくる。お話聞きたいから」
「……うん。行ってらっしゃい」
何かちょっと変な顔をしたヴィルに見送られて、私はノワの部屋に転移した。




