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Noir et Rouge 〜闇夜に開かれし宴〜  作者: 吾桜紫苑
第1幕 始まりの宴
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衝動と策 〜Noir〜

今回長めです。

 目を開けると、不本意ながらここ数日で見慣れた天井が目に入った。


 躯を起こす。途端に自身を襲った目眩を目を閉じてやり過ごしてから、現状を再確認した。


「……あの……馬鹿女…………っ」

 収まらない怒りそのままに、吐き捨てた。



 ようやく手に入れた筈の安息は、一体全体どうやったのか、あの少女に奪われてしまった。俺の死を妨害するだけでは飽き足らず、抵抗した俺を押さえ込んで、無理矢理、血を、飲ませた。



 ——俺は遂に、意識あるままに、血を、飲んでしまった。



「……っ」


 強い吐き気が込み上げ、口元を手で押さえる。あの時の感覚が、躯中に生々しく残っていた。


 広がる鉄の味は、しかし全く不快に感じず、まるで甘美な美酒のようで。始めは飲み下すまいとしていたそれを、俺の躯は何時しか夢中になって取り込んだ。

 衝動のまま、欲望の、ままに。それを——快感と感じる、己がいた。


 吐き気がますます酷くなった。こみ上げて来るものを唾液と一緒に飲み下し、逆流を押さえる。それでも吐き気は収まらない。

「……う…………」

 堪えきれずに呻きを漏らす。口元を押さえる手の力を強めた。


 限界だった。衝動を抑えきれず、最も忌むべき行動をとってしまった自分に、それを快感と思った自分に。……何より、あの少女を壊してしまった、自分に。


 彼女に怒りを向けるのはお門違いである事など、とうに分かっていた。彼女は俺に無理矢理餌にされて、それでも自分の役割を果たそうとしたのだ。哀れまれたり感心されたりする事こそあれど、怒りをぶつけられる筋合いは無い。俺が彼女に持つ怒りが、八つ当たりである事は確かだ。


 だからこそ、そんな事をする自分、それでも彼女を餌として求めてしまう自分、そして何よりも、憎んでいた吸血鬼である自分がおぞましい。



 吐き気が限界に達し、我慢できずに戻してしまいそうになったその時、部屋のドアが開いた。


 少女が盆を手に入って来る。俺と目が合った彼女は、目を見開いた。

「……どうなさったのですか!?」

 大慌てでテーブルに盆を置き、俺に駆け寄って来た。


「ご気分でも悪いのですか? 何か、私に出来ることは——」

「要らぬ世話だ」


 俺の手を包み込むように握ってくる白い手を振り払う。少女を押しのけ、吐き気を堪えてベッドから立ち上がった。


 先程少女が手に持っていた盆が、テーブルに載っていた。覗き込むと、簡単な食事が用意されている。

 何とは無しに手を伸ばして、気付く。今の俺に、これを食べる意味は無い。


「……朝食です。私が作ったのですが……、お気に召しませんか?」

「嫌味か」

「え?」


 不思議そうに首を傾げる少女に、吐き捨てるように言った。

「嫌味かと聞いている。俺は、これを食っても意味が無い。それはお前が言った事だろう」


 少女が目を瞬く。1拍後、首を横に振った。

「確かに、これが飢えや渇きを満たす事は出来ません。ですが、魔力の補充には不可欠です。血を飲むだけでは、魔力を補う事は出来ません」


 『血を飲む』という言葉に再び吐き気を覚えたが、それ以上に彼女の言葉が気になった。


「……血を飲むだけでは魔力が補充できない? 吸血鬼どもは化け物だ、人の血肉から魔力を得る。食事をしなければならないというのは、おかしい」


 目に灼き付かせた光景がちらつく。あの時のあいつは、間違いなく血から魔力を得ていた。

 それとも、この世界では違うのだろうか。



「……どうやら、私が思っていた以上に詳しいようだな」



「!」

 不意に死角から声が聞こえて、素早く振り返り、身構えた。そこには、俺の攻撃を受けて尚無事だった吸血鬼がいた。


 全身に緊張が走る。存在に全く気付けなかった。


「まだまだ本調子では無さそうだな、少年。我々を攻撃して来たときの勘の良さが嘘のようだ。魔力も精気も、随分と消耗している。娘、きちんとこいつに血を飲ませろと言っただろう」

「……申し訳ありません」

 視界の片隅で、少女が頭を下げるのが見えた。腑が煮えくり返る。


「巫山戯るな。俺は血など要らない。どういうつもりでこんな事をしたのかは知らないが、俺はそれを許容する気は無い」

「要らない? そんな筈は無い。お前の躯は血を欲し、血を飲む事に喜びを覚える。それが吸血鬼だ。許容も何も、躯は既に受け容れているはずだぞ」


 そう言うやいなや、吸血鬼は無造作に俺との間合いを詰めてきた。


「っ!」


 咄嗟に繰り出した拳を易々と絡め取られ、関節を極められる。そのまま押さえ込まれて、身動きがとれなくなった。

「っの……、離せ!」

「……本当に、完快からは程遠い状態だな。身のこなしも膂力も、まるで何の力も無いガキのようだ」


 独り言のような呟きを聞いて、かっとなった。込み上げる怒りそのままに、魔法を放つ。


「つっ!」

 まさかこの超至近距離で攻撃してくるとは思っていなかったのか、拘束する腕の力が緩んだ。身を捩って無理矢理振り解き、高火力の魔法を一気に叩き込む。


「っ、この……、馬鹿者!」

 ガードした腕の合間から俺を睨み付け、吸血鬼は口の中で何事か呟いた。


 続いて放とうとしていた攻撃魔法が霧散する。魔力ごと消えるそれは、初めてこいつらとやり合ったときと同じ。


「何度も同じ手を、食うかっ!」


 吠えながら、魔法が消えた瞬間を利用して作り上げた魔術を展開。巨大な炎の塊が、相手を飲み込んだ。


 苦しげな悲鳴が聞こえた。火は吸血鬼の弱点の1つ。いくらこいつが強力な吸血鬼でも、流石に応えたようだ。 


 とどめを刺すべく、攻撃魔法を練り上げて放った。


 肉を断つ音が響き渡る。



 魔術の効果が切れ、炎が収まった。風を起こして立ち上る煙を吹き飛ばし、そこにあるはずの吸血鬼の姿を探す。



「……そこまで弱りきって尚、これだけの魔法を使うか。腕は確かだな。そんな体調では、無謀としか言いようがないが」



 いきなり背後から声が聞こえ、俺は息を呑んだ。


 振り返るより早く、両腕を捻り上げられた。すぐに魔法を放とうとして、魔力が絡めとられ、魔法が使えない事に気付く。振り解こうと腕に力を込めるも、相手の腕はびくともしない。


「く……っ、この……っ」

「無茶をするなと言っている」

「黙れ、この、化け物!」


 足を踏みつけようとするも、あっさりと躱された。膝の後ろを蹴られ、無理矢理跪かされる。吸血鬼の腕に力が入り、やや仰け反るような体勢にさせられた。


「お前もその化け物なんだよ、少年。まだ理解できないのか?」

「お前が俺を化け物にしたんだろうが!」

「それは否定しないがな。まあ、いくらお前が抵抗しようと、事実は変わらない。それはお前の躯が1番知っている。——娘」

「はい」


 今まで一言も口をきかなかった少女が、唐突な指名にも拘らず、まるで予測していたかのように即答した。俺に歩み寄りつつ、懐からナイフを取り出し、躊躇いもせずに腕に食い込ませる。



 ——新鮮な血の匂いが、俺の鼻を突いた。



「う、ぁ……っ」

 身の内から、強烈な衝動が沸き上がった。鼓動が乱れる。



 やけに煩く響く心臓の音を打ち消すかのように、声が、聞こえた。自分の声なのに、聞き慣れない響き。彼女の血を拒絶しようとする俺の意思に反した、忌むべき声。



 ——ホシイ


 ——アノチガ、ホシイ


 ——ハヤク、ノマセロ



 ……違う。俺は、求めてなどいない。俺は、化け物じゃない。



 どんなに言い聞かせても、声はやまない。衝動はどんどん大きくなっていく。凄まじいまでの血への飢えが、俺の理性を揺るがす。欲求を否定する声が、次第に小さくなっていく。



「言っただろう。お前の躯は、既に現状を受け容れている。いくらお前が血を拒絶しようとしても、お前の躯はそれを欲している。狂おしいほどに、な」

「違う、俺は……!」


 少女が近づくにつれて強くなる血の匂いに、ますます強まる血への欲求に、もがき、必死で抵抗する。


 その一方で、鼓膜を叩く声は、次第に大きくなっていく。


 ——ホシイ、ホシイ、ヨコセ……!

 違う、俺は欲しくなんかない!


 どれだけ、否定しても。彼女の血から、目が離せない。少しでも気を抜けば身を乗り出してしまいそうなほど、躯が彼女の血を欲している。



 まるで俺のそんな状態を見知っているかのように、吸血鬼が淡々と言葉を発した。


「違わない。虚勢を張るな。……ほら、求めているのだろう? 飲め」


 吸血鬼の言葉が終わると同時に、少女の傷口が俺の口に触れた。血が流れ込んでくる。口の中に、覚えのある鉄の味が広がった。



「う……っ! ……っ、……………」



 抵抗する間もなく、俺の躯は独りでに血を飲み始めた。傷口を抉るように舐め、滴る血をすすり、少しでも多く血を取り込もうと、無我夢中で飲み下していく。


 やめろ、飲むな!


 必死で言い聞かせるも、躯が言う事をきかない。ただひたすら、糧を得るべく、血を吸い続ける。


 頭の片隅でやめろと叫ぶ一方で、口の中に広がる血の味に、喉を下っていく感触に、痺れるような快感が全身を支配した。


 陶然とした感覚が脳内に広がっていく。陶酔は思考を、理性を鈍らせ、忌避していたはずのその感覚が、全てを塗りつぶしていく。


 いつしか快感に浸りきった俺は、自分がどれだけおぞましい行動をとっているか、意識できなくなっていた。



 しばらく快感に身を任せた後、名残惜しむように何度も傷口を舐め、俺は口を離した。


 少女がややふらつきながら離れていくのを見て、俺は我に返った。——自分のした事を、思い知った。



「……やはり、相当飢えていたな。やせ我慢など、しようと思うな」


 吸血鬼の言葉に、唇を噛み締めた。今自分がとった行動が、俺の心を打ちのめしていた。

 自分が次第に壊れて——化け物となっていっているのを、まざまざと、思い知らされた。


 項垂れる俺に抵抗の意思がないと判断したのか、吸血鬼は俺の腕を放し、遠ざかった。力が抜け、そのまま腰を落とす。


「娘、こいつに定期的に血を飲ませろ。日に3度与えても足りないくらいだ。お前の躯が保つ限り、飲ませろ」

「……分かりました」


 俺の頭上でそんな会話がなされた。血の滲むほど唇を噛み締めている俺に、非情な言葉がかけられる。


「舌噛み切って死のうなんて馬鹿な事を考えるなよ、少年。お前に魔術をかける際、言葉が通じるようにするのと同時に、自殺できないようにさせてもらった。以前に死んだ奴がいたからな。せっかく魔術が成功したのだ、我々としても、同胞をそう易々と失いたくない」


 耳を疑った。顔を上げ、呆然と聞き返す。

「……何……だ、と………?」


 吸血鬼と目が合った。俺の魔法は少しは効いていたようで、所々に火傷を負い、浅くは無い傷を手で押さえている。

 しかし、怪我のダメージを一切見せず、奴は繰り返した。


「お前はもう、自分の意思で死ぬ事は出来ない。その娘を部屋に入れずに死のうとしたらしいが、次そんな事をしたら、俺がお前の結界を壊す。ここを出て行こうとしても、弱ったお前には逃げ切れない。死を選ぶ事は、許されないと思え」


 愕然と目を見開く俺を冷たく見据え、吸血鬼は出て行った。



 軽く右手を振ると、漆黒の刃を持つ刀が現れた。化け物を祓い始めたときからずっと使い続けている愛刀を、首筋に当てる。

 そのまま力を込めて食い込ませ、一気に引こうとして——腕が、動かなくなった。


「……くそっ!」


 刀を首筋から離す。今度はあっさりと腕が動いた。


 続いて刃をこちらへ向け、心臓へ向けて、一気に振り下ろした。勢いをつけ、自分の力でも制御できないほど、速く。

 刀は、胸を貫く——直前で、止まった。どれほど力を込めても、腕が、動かない。


「……嘘、だろう……」


 力なく言葉を漏らした。手から力が抜け、刀が滑り落ちる。カランと、頼りない音が響いた。



「……どうして、自分の命を大切になさらないのですか?」

 黙って俺の行動を見つめていた少女が、責めるように言った。目を向けると、彼女は哀しげな、どこか痛みを堪えるような目で、俺を見つめていた。


「世の中には、生きたくても生きられない人がたくさんいます。今生きているというのは、幸せな事です。どうして、その幸せを自ら捨てようとなさるのですか?」


 いっそ滑稽なほどの綺麗事を真顔で吐く少女に、嫌悪するより先に感心した。


「言っただろう、化け物として生きるくらいなら、死を選ぶと。……どうやら、それも叶わなくなってしまったようだが」

「そんな——」

「お前の綺麗事に付き合う気は無い。用は済んだだろう。失せろ」


 そう言って、邪険に手を振って見せた。少女がぎゅっと歯を噛み締める。


「……朝食を召し上がってください。先ほどはきちんと説明出来ませんでしたが、貴方の魔力は多すぎて、血だけでは補いきれないそうです。ですから、普通の食事を摂らなければ、魔力が尽きます」

「不要だ。まだ魔力が尽きるほど減ってはいない。いいから出て行け」


 立ち上がり、テーブルの上の盆を少女の手に押しつける。そのまま背を押し、ドアへと押しやった。


「あの、またすぐ来ます」

 ドアの外でそんな事をほざく少女に吐き捨てる。

「俺が呼ぶまで来るな、鬱陶しい」

「駄目です。お呼びにならないでしょう?」

「ああ、呼ばないとも。俺が死ねば、お前は餌として扱われなくて済むんだぞ。その方が好都合だろうが。お前としても、俺としてもな」


 少女の目に怒りが浮かんだが、意に介さず、ドアを閉め、防音の機能を付加した結界を張った。これでしばらくは1人でいられるだろう。



 ベッドに身を投げ出す。胸に、苦々しいものが込み上げた。


 どうやら俺は、否が応でも化け物として生きるよう、強要されているらしい。


「……ふん。神は余程酔狂だな。俺に、生きる価値など無いんだが」

 そう吐き捨てた時、ふと、自分に似通ったところのある少女を思い出す。



『神は、至高の存在だ。気まぐれで興味を持った対象に力を貸す事はあっても、基本的に人の願いを叶える事は無い。個人の人生など、気にもかけない』



 感情の無い、死人のような目をした彼女は、いつも己の死を求めながら、ある約束のせいで、自ら死ねないでいた。


 夢で1度会っただけだが……、今どうしているのだろうか。


 前に会ったとき、これでよく壊れないものだと感心した。彼女は何かを諦めたかのように、ただ独りで生き続け——いや、存在し続けていた。


 彼女の言葉に納得して、珍しく相槌を打った。普段なら、こういう雑談に興味は無いのだが。



『もし神が人を気にかけたら、どうなる?』

『人が壊れる。神の加護を受けて平気でいられるわけがない。普通はその重圧に負けて、狂う事になる』

『放任されるが花、という事か』

『そうだ。……時には構って、災いを世界から取り除いてほしいと、私は思うがな』



 その災いというのが何を指すのか、その目に覗いた狂おしい程の願望を見れば、疑いの余地は無かった。その願望の深さに、思わず、俺が殺してやろうかと口にしかけた。


 言わなかったのはおそらく、彼女が手に入れるだろう死の安寧が、羨ましかったからだ。



 ……今の俺を見たら、あいつは俺を殺すだろう。彼女も、大の化け物嫌いだった。俺が人の血を吸って生きていると聞けば、表情1つ変えずに殺してくれそうだ。


「ま、夢でしか会えないから、叶わぬ夢だが」

 そう呟いて、閃いた。


 ……その手があったか。

 どうして今まで思い付かなかったのか、不思議なくらいだった。



 行動を起こすのは、夜まで待つ。とりあえず、結界が俺の魔力を遮断しないように、少しだけ組み替えた。


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