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干戈 〜Noir〜

「一応ルールを確認するか? 殺し合いじゃねえから、最低限の線引きはいるだろ」


 当たり前すぎる疾の問いかけに、直ぐに頷いて答える。


「まず大前提として、屋敷を壊さない。意図的に訓練場や屋敷を破壊した時点で負け確定だ。また、フウの張ってる障壁をわざと攻撃するのも禁止する」


 疾が片目を眇めたが、無視して続けた。


「次に、即死あるいは治癒魔法の追いつかない恐れのある攻撃も禁止だ。大体の怪我はどうとでもなるが、全身損壊や首の切断、頭の破壊は間に合わない可能性があるから禁止にする」

「それ言うなら、ノワールの魔力が尽きるのもアウトじゃねえの?」


 笑い混じりの分かりきった問いかけには、肩をすくめる。


「まずないと思うが、俺の魔力が尽きた時点で決着が付いていなければ、その場で引き分けとする」

「オーケー。ま、あり得ねえ話だろうが」

「ああ」


 頷き合い、考えて付け加える。


「それから屋敷の破壊については、トラップなど設置魔術で破壊しても失格だ。この場を吹き飛ばすような武器や魔道具も禁止。何か異論は?」


 尋ねると、疾は口元を歪めた。


「自分でハンデを付けるとは余裕だな?」

「ハンデはどちらにもかかっていると思うが?」



 視線での探り合いは数瞬。疾がふっと笑い、組んでいた腕をゆるりと解く。



「ま、良いだろう」



 肘を軽く曲げ、両手を開く。瞬きの後、それぞれの手には鈍く光を反射する黒い銃が握られていた。銃身に蔦のような彫刻が施された、一般的な拳銃よりやや大きい二丁銃。これが疾の武器だ。


 闇属性の特権とも言える虚空間を作れる筈のない疾がどうやって顕現させているのかは興味があるが、それもこの闘いで見せてもらえば良いだけの話。


 右手に刀を喚び出す。一振りして魔力を流し、疾に向ける。



 始まりは、唐突。



 疾の姿が消えるのを視認して、俺は強く地を蹴った。横薙ぎに刀を振るうと同時、破裂音と鈍い衝撃が立て続けに響く。無属性魔力弾と判断して、そのまま刀を振り抜いた。


 魔力が放散し、第2波とそれに隠された魔術ごと吹き飛ばす。


 間髪入れずに身体強化を発動、一息で距離を詰め返す刃で相手を薙ぐ。両断する気で振るった刀は、連続で叩き付けられた弾に跳ね上げられた。


 迷わず刀を手放しナイフに手を伸ばす。ホルスターから引き抜く勢いも利用して、向けられた銃口を逸らした。破裂音と共に、弾が髪を掠める。

 続いてねじ込まれたもう1つの銃口に、すぐさま複数の魔法を展開した。


 閃光が奔る。魔法と放たれた弾が衝突し、軽い爆風を起こして相殺した。


 小さな舌打ちが耳に入った。振るったナイフをその瞳に捉え、疾が最初に逸らされた手を振るう。

 銃を握った手が唐突に加速する。ほとんど感覚で捉えたそれを空いた手で払いのけた。そのまま鎖骨の上目掛けてナイフを突き出す。刃先が食い込みかけた所で、脇腹にめり込んだ靴先が強引に俺の身体を引き剥がした。


「っ!」


 痛みは思考から切り捨て、魔法陣を宙に描かず魔術を展開する。攻撃性の高い火属性の魔術が、飛んできた2種類の弾を受け止めた。瞬間、意識が周囲に向かう。


 魔術に反応したか、地面に魔法陣が浮かび上がった。魔力感応式のトラップだ。


 吹き上がった紅蓮の炎より内側に竜巻を展開する。巻き上げられた炎を操作し、疾に叩き付けた。

 蹴りの勢いも使って距離を置いていた疾は、動じず迫り来る炎に向け発砲。高密度の魔力が打ち込まれた炎は大きく飛散して、間合いを詰めようとしていた俺を足止めする。


 今度はこちらが舌打ちする番だ。刀を喚び寄せる時間も惜しんで頭の中で魔法陣を組み立てていく。


 身構える俺に不遜な笑みを浮かべ、疾は両の銃を構えた。


 発動の為の魔力が流し込まれていない魔法陣が無数に展開される。1つ1つの威力よりも数を優先したそれらを全て視認するより先に、疾が引き金を引いた。



 連続した発砲音と共に、弾と魔術の嵐が襲いかかる。



 魔力弾により魔力を供給された魔法陣が吐き出す魔術に、2種類の弾そのものの殺傷性。これだけでも対多数兵器並みの威力を発揮するが、これで終わりならばどうという事はない。



 最小の動きで弾を避け、魔術で魔術を相殺していく。魔力弾が魔法陣に着弾した瞬間に魔法陣に干渉を仕掛ければ、制御を乗っ取り反撃の武器となる。時折トラップが魔術や魔力弾に反応するが、存在さえ意識しておけばその無差別兵器に指向性を持たせ防御に利用可能だ。

 これだけならば、対策さえ練れば上級魔法士が2人もいれば怪我もなく叩きのめせる程度の技術。



 だが、あらゆる魔法士を無力化すると恐れられるこの男の実力は、ここから発揮される。



 干渉を仕掛けようとした魔法陣が、唐突に力を失う。同時に迎撃に用いていた魔術が弾を受けかき消えたのを見て、咄嗟に魔法と魔術の2種類を放つ。



 属性を自由に付加出来る魔力弾と、魔術どころか魔力そのものを打ち消す抗魔の弾。疾の両の手からは、対極の力が射出されている。


 それを可能にするのは、彼の特異すぎる異能故か。



 魔法が構造から壊され霧散した。続いて魔術も根底を揺るがされたが、基板となる魔法陣は崩されなかった為に発動し相殺に成功する。疾が小さく口元を上げたのが見えた。



 魔術も魔法も構造から破壊する異能。疾はそれを、魔力を一切消費せず発動する。抗魔の弾も魔力を消費しないようだ。一体どういう仕組みなのか、そもそも異能の正体は何なのか。

 1つだけ分かるのは、あらゆる魔術、魔法を打ち壊す彼の異能は、魔法士にとって攻撃手段を封じられたに等しいという事。俺でさえ、独自に研究した魔術の構築手法——魔法陣を外部に投射せず思考で演算処理する——がなければ、こいつに魔術を使う事が出来ない。



 その時、背筋に緊張が走った。思考より先に躯が反応する。避けた筈の魔力弾を皮1枚で避け、それが魔法陣を撃ち抜き発動した魔術を障壁で防いで斜め後方へ飛んだ。横から飛んできた抗魔の弾が髪を掠める。


 今までは結界に食い込むばかりだったこの魔力弾、物理強度の調整が可能なのか。跳弾の方向をも操る射撃技術と演算力に驚嘆した俺は、しかし着地した瞬間失敗を悟った。咄嗟にストックしていた魔術を2つ発動する。


 地面が光り、隠蔽魔術が施されたトラップが複数発動した。無差別に暴虐を振りまくそれを、間一髪、闇魔術で強引に地面へ引き摺り落とした。トラップが消滅すると同時、続く遅延発動型トラップが発動するより先に転移魔法で離脱する。


 だが疾はここで、隠蔽しなかったとはいえ、転移座標を読んできた。


「よくぞお越しくださいました、ってな!」


 姿を現す瞬間の硬直に合わせて魔力を篭めた蹴りが襲う。息を詰めた俺に、疾が満面の笑みで追撃を仕掛ける。周囲に配置された魔法陣が輝き、跳弾も正面からの弾も、全方位から俺へと攻撃が飛んできた。



 罠へ誘い込む手口、並外れた身体能力に魔力への勘の良さ。反則的な異能と武器に驕らず、戦闘への天与の才と努力を惜しみなくつぎ込んだ彼の戦闘は余りにも常軌を逸しており、同時に強い。



 気付かぬうちに、口元に笑みが浮かんでいる。攻撃が襲いかかる直前、溜めに溜めていた魔法陣を解放した。

 幾重にも重ね合わせた魔術。俺を起点に発動したそれは、疾の攻撃を全て相殺して尚威力を失わず、敵へ向けて襲いかかった。


 疾が凶悪な笑みを浮かべる。それに笑みを返し、背後から飛んできていた弾を魔術で相殺した俺は、それを口にする。


『切り裂け』


 詠唱の構築能力に土属性、風属性、闇属性が反応した。魔術を避けて宙へ飛んだ疾目掛け、空気を裂きながら飛ぶ。


 疾が空中を蹴った。魔力を纏わせた足で展開した魔法陣に触れる瞬間、魔術に干渉して制御を奪う。足場となる魔術が無効化し、疾の体勢が大きく崩れた。


「!」


 この闘い初めて、疾の目に動揺が浮かんだ。1メートルにも満たない場所まで迫った魔法に体勢の立て直しを捨て、歯を食いしばって銃を構える。


 指が見えない程の速さで引き金が引かれ、正確に核を打ち抜かれた魔法が消し飛んだ。その瞬間を待っていた俺は、間髪入れずナイフを放つ。


『加速』


 呪文本来の魔力増幅で魔法が強化され、転移に近い速度を引き出されたナイフが、狙い過たず疾の左手を襲った。


 甲高い音が響く。すんでの所で手首を捻り、銃で受け止めたのだ。だが所詮は応急処置、疾の手から銃が吹き飛んだ。


 すかさず闇魔法を発動、体勢が戻りきっていない疾に重圧をかける。バランスが崩れ気を取られている隙に刀を喚び戻し、袈裟懸けに振るった。


 視界が動く。転移で疾の左側をとった勢いのまま、刃が疾の躯に触れる。


「っ、らああ!」


 疾が吠えた。闇魔法を破壊するやいなや獣じみた反応速度で躯を捻り、鎌で刈り取るように柄を蹴る。


 鮮血が舞った。刀の振るわれた方向と同じ回転をかけて切断は免れたが、無傷とは行かなかったようだ。疾に食い込んでいた刃が肌を裂き、腕を伝っていく。

 視界の片隅でそれを捉えつつ、腕を引き寄せ刀を横に倒す。一拍後、疾の蹴りが峰に入った。


 疾の魔力が腕へと流れ込む。スイッチが入ったように拳が加速し、払おうとしていた腕をすり抜けて顎を襲う。ギリギリで仰け反って避けた反動で脚を跳ね上げたが、紙一重で避けられる。


「「ちっ」」


 舌打ちが重なった。疾が距離を詰めてきたのを見て、魔術を発動した。


「何度も同じ手を——っ」


 魔術を破壊しようとしていた疾が、言葉の途中で横っ飛びに飛んだ。飛ぶ瞬間のみ脚だけに魔力が集中しているのを見て、確信する。


 ——残り魔力を、気にし始めた。


 疾が先程までいた場所から俺の立つ場所まで、完成された魔法陣が姿を現す。それは疾が仕掛けたトラップと反応して、疾へと襲いかかった。


 障壁で余波を凌ぎつつ疾を探せば、膝を付いた姿勢で腕を掲げている。腕を覆う薄い魔力と細かな傷を見るに、防ぎきる事を捨てて急所を守ったようだ。障壁を選ばなかったのは、魔術に耐えるだけのものを構築する魔力を惜しんだか。


 最大の弱点が露呈し始めた相手に、しかし油断は出来ない。目を眇めて、刀を上段から振り下ろす。


 数珠つなぎに連なった魔法陣が発動した。剣閃の延長上で立ち上がった疾が、心底楽しそうに笑う。


 刀の間合いの外に立つ彼に向け、続けざまに火属性の魔術が叩き付けた。同系統ながら別種の魔術が相互に干渉し合い、派手に爆ぜる。爆風が部屋中に広がり——同時に、仕掛けられていた全てのトラップを誘爆する。部屋の視界が、一時的に煙で制限された。


「人が折角仕込んだ物を利用しようたあ、イイ度胸だなあ!」


 疾の声が聞こえたと同時、頭上から弾丸が降り注いだ。飛び退く事の出来ない範囲にばらまかれたと察し、闇魔法を叩き付ける。


 相殺され打ち消された魔法の先、天井を蹴った疾は両手に銃を握っていた。左の銃口に刀を合わせつつ、右腕にナイフを突き刺す。


 鈍い痛みが腕に走り、捻挫を悟った。構わず返す刀を薙ぐと、それを蹴って疾が距離をとる。


「……本当にお前は、あらゆる意味で規格外だ」


 確かに取り落としていた銃が血を流す右手にしっかりと握られているのを見て、思わず呟きを漏らした。聞きつけたらしい疾は、無言で笑みを深める。



 今、疾は魔力を節約している。武器を転移魔法で喚び寄せる等という無駄な消費をする筈がなく、実際に魔法は使われていない。にも関わらず、疾の手に忽然と銃が現れた。魔力を放つような気軽さで、力を顕現させるかのように。


 もしもこの観察に間違いがないなら、こいつから武器を奪う意味はない。壊そうが奪おうが、疾の意思1つで彼の手元に現れるだろう。



「考え事は済んだか?」

「考え事? まさか」


 疾のからかうような言葉に返し、刀を横に振るう。同時、疾の撃った銃弾を切り落とした。


 その隙に間合いを詰めた疾が、上段蹴りをかます。少し反るだけで避ければ、出来た隙間に銃をねじ込まれた。


 発砲音よりも早く、跳ね上げた刀で銃口を逸らす。頬を僅かに掠めた銃弾は、跳弾してまた襲いかかってきた。慌てず障壁で防ぐ。


 疾が微かに目を細めた。魔力弾と抗魔の弾を見分けたのが意外だったか。銃をこまめに持ち替えてはいるが、注意して視れば対極の性質が分かる。


 しかし疾は動揺を見せず振り下ろした刀を右手の銃で受け止め、左手の銃口を向けてくる。刀を持たない手で弾けば、間髪入れずに蹴りが飛ぶ。

 流れるような体術もまた、この男の武器だ。攻撃の度に身体強化のかける部位を切り替える器用さに半ば呆れ半ば感心しつつ、至近距離での攻防を受けて立った。


 蹴りが来れば受け流して蹴り返し、銃は刀を使って銃口を逸らし、殴りかかってくればカウンターを狙う。刀の間合いを保ちながらの攻防の間にも、魔法や魔術を打ち込む隙を狙う。


 対して疾もそれら全てをいなし、捌き、構築される魔法、魔術を破壊し、尚も攻撃をねじ込んでくる。


 紙一重の攻防。息をつく暇すら与えられない駆け引きの中、避けきれなかった傷が次第に増えていく。それでも尚、互いの動きに鈍る気配はない。



 両者一歩も譲らぬ攻防はしばし続いたが、やがて均衡は崩された。



 そもそも浅くはない傷を負っていた疾が、ついに呼吸を乱した。肩が揺れる事でずれた照準を見逃さず、今まで空だった手にナイフを出現させ突き出す。肉を穿ち骨を砕く、確かな感触。


「っ」


 疾の顔が僅かに歪む。元々ナイフを受けていた右手で庇うつもりだったようだが、予測済みだった俺は寸前で軌道を変えて肘を壊した。疾の指から力が抜け、銃が滑り落ちる。


 片牙をもがれた疾は、しかし一瞬も怯まず続く刀での一撃を避けきった。大きく距離をとった相手に追撃をと魔術を放つ。



 ——刹那、疾が嗤った。



 横合いから唐突に叩き付けられた衝撃に、横に吹き飛ぶ。壁に向けて魔法を放ち勢いを殺した俺は、疾を目で探して息を止める。


 天井まで届く正円の巨大魔法陣。複雑な紋様が焔のように波形に織りなし、中央に聖杯のような絵柄を刻まれたそれは、魔法士でさえ長い詠唱を必要とする、特定の敵を滅ぼす為のもの。


 ——今までの魔力節約と接近戦は、この魔術の為か。



「——消し飛べ」 



 無事な左手で銃を構えた疾は、凄絶な笑顔で引き金を引いた。魔力弾が、魔法陣に魔力を供給する。干渉を捨てて全身全霊の防御術式を織り上げた。


『防御、冷却、無効』


 唱え終えると同時、轟音と共に白炎が燃え上がる。肌が焼けたと錯覚するほどの熱を発するそれは、しかし天井を焦がす事はない。炎の直ぐ側に立つ疾もまた、熱の影響を受けている様子は無い。


 唯1つの敵を——吸血鬼を滅ぼす炎が、術式に叩き付けられる。


「——!」


 凄まじい衝撃が全身にかかった。術式にかかった過剰負荷だけで、全身がばらばらになりそうな痛みが襲う。術式に皹の入る音を聴いた俺は歯を食いしばり、空気を切り裂くように刀を薙いだ。


 全てを呑み込む黒が白炎と衝突する。白炎は一瞬それと拮抗する様子を見せたが、直ぐに魔力を奪い取られて縮小していった。みるみるうちに小さくなった炎が、闇に呑み込まれる。



 術式を解散させた刹那、背筋を冷たいものが這い上がった。



 何も考えず、何も意識せず、かつてない程の焦燥に障壁を築く。が、それすらも悪手。

 障壁が溶けるように消え、魔力が部屋に充満していたものまで一ヶ所に吸い寄せられていく。その先に握り拳大の魔石を掌に乗せた疾を視認し、息を大きく吸い込んだ。


 悪辣な笑みと共に疾がそれを放り投げた瞬間、叫ぶ。


『干渉無効!』


 魔石に——魔導書を転写した魔石に刻まれた魔法陣が、発動する。


 魔力が無差別の嵐を生み出した。照準設定を追加で組み込んでいたらしく、ご丁寧に嵐は俺を取り込むようにして荒れ狂う。


「……っ」


 唇を噛み切り、口の中に広がった血の味で正気を保つ。その場しのぎに組んだ魔法は構造が荒かった為、防ぎきれない魔力が全身に叩き付けられ、魔力回路を混線させる。四肢が痺れ、刀が滑り落ちた。——制御出来ない。


「っち……!」

 暴走すら許さず許容限界を狙う攻撃に舌打ちした瞬間、心臓が大きく跳ね上がった。ざわりと、身の奥で淀んだ力が蠢く。


 格下とばかりやり合っていた状態での最大の強敵との接戦、余剰魔力を消化しきれない日々、存在そのものを狙った魔術、魔力の乱れ。積み重なった悪条件が、奥底に封じ込めていたはずのソレを呼び覚ます。


 全てを放棄して目覚めかけた衝動を押さえ込む。魔力の制御と強烈な衝動の押さえ込みに全集中を注いだ俺は、はっきりと動きを止めた。


 致命的な隙を晒した俺を、疾は見逃さない。


 魔力の嵐が止まると同時、魔力弾が膝、肩を正確に打ち抜く。倒れ込む俺の懐に潜り込み、疾は銃口を心臓の真上に押し付けた。引き金にかけられた指に力が入る。


 引き金が動くのを見た刹那、意識が途切れた。



 ——発砲音と、激痛。じわじわ広がる熱に無理矢理意識を立て直せば、目の前で疾が笑っていた。



「——俺の負け、だな」



 言葉と同時、疾の口から血が溢れ出す。そのまま2度3度と喀血する疾の瞳が焦点を失い、全身から力が抜けていった。


「……一応、と注釈は付くがな」


 言葉を返しつつ疾の左肩を掴み、相手の胸を貫いているナイフを引き抜く。噴水のように血が噴き出すより先に、高密度の魔力を一気に叩き込んで治癒魔法を発動した。


 最高位の治癒魔法が、みるみるうちに胸の傷を塞いでいく。失血をも補う魔法によって、意識を失いかけていた疾の顔に生気が戻っていく。

 他の傷も全て癒して魔法を終了させた時には、疾は膝を付きながらも普段通りのふてぶてしい表情を浮かべていた。


「致命傷でも5秒で治せるとか、ホンットに反則だな。しかもその傷で」


 そう言って口元を上げる疾に肩をすくめ、身体強化を切った。気力と魔法のみで支えていた躯が傾ぐが、なんとか倒れ込まずに腰を下ろし答えた。


「そのまま返す。その失血量で、よくもあんな動きが出来るものだ」

「引き金引く一瞬でナイフ喚んで殺しかけた奴に言われたくねえぞ。……くそっ、勝ったと思ったのに」


 心底悔しそうな声で——口元の笑みは相変わらずだが——そうぼやき、疾は綺麗になった右手を床に座り込んだ俺に向けた。

 膝と肩、そして、急所を守る代わりに弾を受けた腹部。未だ血の止まらないそれぞれの部位に魔力が流れ込み、傷を癒していく。上級治癒魔術によって、全ての傷が消え去った。


「……上級治癒魔術を扱えるだけの魔力が残っていたのか」


 傷の消え去った躯を見下ろしつつ、呟く。疾が魔力消費の大きい治癒魔術を扱うのを初めて見た。使う理由がなかった——本人は大抵無傷だし、敵になりうる俺を治癒する甘さなどあり得ない——というのも大きいだろうが、それだけの余力を残しているとは流石に複雑な気分だ。


 だが疾は俺の呟きを聞いて、珍しくはっきりと苦笑した。


「まさか。ノワールと本気で闘って残るかよ、ほぼエンプティだ。今ので残ってた魔石と予備魔力まで、使い切っ、た」


 言葉が終わるより早く、疾が床に崩れ落ちる。うつぶせに力無く横たわったまま、手だけを俺に伸ばしてきた。


「つーわけで、怪我治した対価。魔力寄越せ」

「……らしくないと思えば、そういう事か」


 流石に苦笑させられつつ、腕を掴ませてやる。魔力の波動を疾のそれに合わせてやれば、勢いよく魔力が引き抜かれた。不愉快な感覚をしばし耐える。



 疾は倒れたまま微動だにせず魔力を受け取っていたが、やがて手を離し起き上がった。

「よっし、満タン。流石ノワール、俺程度の器を満たしたくらいじゃ顔色1つ変わらないのな。戦闘でアホみたいに使ってたくせに」

「その魔力を狙った攻撃を仕掛けておいて何を言う。というよりも、何故10割まで奪った」


 流石に目を眇めて苦情を言うも、疾は涼しい表情。


「バッテリーって、100%まで充電した方が保ちが良いらしいぜ」

「魔力と同じにするな。大体、生成力だけなら俺にも劣らないだろうが。動けるまでになったら後は自分で回復しろ」


 真っ当な主張に、疾は元々造作の良い顔に完璧な笑みを浮かべて返す。


「貴重な俺の魔力で回復してやった対価だと言っただろう。どーせ俺程度の魔力満たしてどうにかなる量じゃねえんだ、みみっちい事言うんじゃねえ」

「総量が多いからと言って奪われても平気なわけでは……ああ、もういい」

 堂々巡りが見え、気力を削がれて諦めた。



 疾が魔法士と認められない理由であり、最大の弱点。それがこの、実力にそぐわぬ魔力量の低さだ。


 フウに敵わないどころか、魔法士の基準すら満たさない。流石に普通の魔術師よりは多いが、最高位の魔術師とギリギリ並ぶかどうかという量。そのくせ生成効率は魔力増幅症の俺と並ぶ為、空になっても数時間で回復する。よって魔力切れを狙った襲撃は返り討ちにしているようだが、今のように戦闘中に魔力が枯渇すれば、その時点で敗北がほぼ決定する。


 幾ら効率化しようが、魔術は魔力量で威力が決まる。魔術師が魔法士より下に見られがちな理由はそこにある。それでも疾は今日まで、魔力切れより先に相手を踏みにじり勝利を収めてきたのだ。



 溜息をつく俺にくつくつと笑い、疾はゆるりと視線を巡らせる。


「さてと。侯爵、これで満足か?」


 つられて視線を向けた先、ラルスは蒼白になっていた。無理もないだろう、俺も疾も魔法士にすら異常扱いの技能を惜しげもなく使い倒して闘った。侮っているつもりはなかっただろうが、彼が無意識に俺を自分の枠で捉えていたのは気付いていた。衝撃は生半可なものではあるまい。


「侯爵?」

 仕方がないので、少しだけ魔力を篭めて呼ぶ。ラルスは鋭く息を吸い込み、瞬きを繰り返した。


「あ……ああ」

「取引はこれで良いですか?」


 俺の問いかけにようやく我に返ったらしいラルスは、目を閉じた。しばらく深呼吸を繰り返した後、真っ直ぐ見返してきた視線は、ひどく真摯な色を宿していた。


「今までの無礼を詫びよう。どうやら私は、君達を見誤っていたようだ」

「ようやく気付いたのか、鈍いな」

 せせら笑う疾に苦笑し、ラルスは軽く頭を下げる。

「見せてくれた事に、感謝を。私に可能な限りの援助はさせてもらうよ」

「そりゃありがたい」


 挑発すらも流して取るべき態度を貫いた事で少しは評価を上げたのか、疾は珍しく皮肉でない返事を返した。だが、直ぐに意地の悪い笑みを浮かべる。


「で、そこのチビガキはなーにをへたばってんだ。情けねえ」

「もー……ノワも疾も、ばかー!」

「普段防御を俺任せにしているからだ」


 床にへたり込んだまま叫ぶフウに適当に言い返し、最後に意外な反応を見せている相手に視線を向けた。同じく意外だったのか、疾が声をかける。


「ガキンチョはやたら嬉しそうだな」

「はい! 凄い魔術が沢山で、とても格好良かったです!」

 子供ならではの柔軟性が、素直な賞賛へと導いたらしい。ラルスとは正反対に目を輝かせるユハナに、疾でさえまんざらでも無い様子だ。


「素直でよろしい。さーて、運動したら腹減ったな。メシはまだだろうが、何かあるか?」

「使用人に言って用意させよう。部屋で待っていてくれ」


 無遠慮な要求に苦笑しつつもラルスが応じ、それに片手で応えた疾が立ち上がった。


「そうする。—— Merciありがとよ, Noir」

 不敵な笑みと感謝に込められたメッセージを正確に受け取り、俺も口元を上げてみせる。

Moi aussiこちらこそ


 互いに手札を晒し合い、分析の手掛かりを得た。リスクに見合う重要な情報を手に入れ、何より久々の接戦に心躍らされた。それ故の、感謝。


 好敵手との初めての手合いを終え、俺達は訓練場を後にした。

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