表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Noir et Rouge 〜闇夜に開かれし宴〜  作者: 吾桜紫苑
第1幕 始まりの宴
14/230

差し伸べられた手 〜Noir〜

 ドアに触れる事すら許してくれなかった結界が、唐突に消えた。


 倒れる音が聞こえてから、早2時間。声を限りに叫んでも返事は無く、頑として私を拒み続けた彼が心配で、大急ぎでドアに駆け寄った。

 ドアノブを引く。鍵が私の侵入を拒んだ。吸血鬼の1人から手渡されていた鍵でそれを開け、中に飛び込む。



 先ず1番に目に入ったベッドは、もぬけの空だった。側にある、たくさんの食料と水が置いてあった筈のテーブルの上も空。彼が全て口にしたらしい。


 そして。テーブルの直ぐ側に、彼が仰向けで倒れていた。眠るように目を閉じた彼は——息を、していなかった。


 大急ぎで駆け寄り、抱え起こす。冷たく重い躯、触れない脈。どう見ても手遅れだ。——けれど。



 大きく息を吸い込んで、はっきりと呪文を紡ぐ。

『其は吾が主、其は吾が命。吾、その命を潤し、全てを捧げ、其に一生を捧げるもの。今、癒しの力にて、其の命を救わん』



 吸血鬼の長に習った魔法。餌のみに使える、己を飼う主人の為の魔法。血を取り込む事で私と特別な繋がりを持った彼に、この魔法を使う事で、魔法でも適わない筈の奇跡を成し遂げる事が出来る。



 銀色の光が彼を包む。祈るような気持ちで、それを見つめ続けた。

 やがて光は、彼に吸い込まれるように消えていった。完全に光が収まった時、彼は、——小さく胸を上下させていた。



 ほっと胸を撫で下ろしながら、私は彼の頭を膝の上に乗せた。ポケットから小さなナイフを取り出し、左腕に食い込ませる。

 鋭い痛みを堪えてナイフを抜くと、血が溢れるように流れ始めた。服を汚さないよう気を付けつつ、弱々しい呼吸を繰り返す彼の口元に、傷口を当てがった。


 彼の躯が、ぴくりと動く。瞼が震え、光の無い黒い瞳が、うっすらと見えた。


「大丈夫ですよ。飲んで下さい」

 聞こえているのかも怪しい彼に、優しく語りかける。無意識のうちにでも良いから、少しでも安心できるように。


 少しして、彼の喉が小さく上下した。ようやく私の血を受け容れた彼は、そのままゆっくりと血を飲み下していく。

 意識もないままにただひたすら命の水を飲んでいくうちに、次第に彼の顔に生気が戻り始めた。瞼の隙間から見える黒い瞳にも、少しずつ光が宿っていく。


 間に合ったようだと分かり、心から安堵した。空いている方の手で、目にかかった前髪をそっと払う。



 顔を色濃く覆っていた死の影が完全に払拭された時、彼は傷口から口を離した。瞼を重そうに持ち上げ、ぼんやりと私を見つめている。


「……お加減はいかがですか?」

 死にかけた相手に言う言葉には余り相応しくないようにも思ったけれど、他に思いつかず、そう言った。


 彼はしばらくの間、その顔に混乱を宿したまま、私の顔を呆然と見上げていた。やがて、徐々に状況を把握していくうちに、彼の顔には激情が宿り始める。


「……お前……っ、……何、を……考え……て……!」


 ほとんど音になっていない掠れた声で、彼は怒りのこもった言葉を口にした。宥めるように、優しく言葉をかける。

「危ない所でした。だから入れて下さいと言ったのです。……ですが、もう大丈夫ですよ」


 逆効果だった。彼はますます興奮しだした。目はぎらぎらと輝き、手が地を掻く。

「……の……っ、……か……や……ろ…………っ」


 まともに言葉を発せないままにそう言って、彼は私の膝から頭をどけ、床に落ちた。鈍い音が響く。かなり痛い筈なのに、委細構わず私から距離を取り始めた。


「何を——」

「……近……寄る……な………!」


 必死の表情で四肢を動かし地を這っていく彼に、何故か強い憐憫の情を覚えた。どこまでも私を拒絶し続ける彼に、必死で語りかける。


「無茶をなさらないで下さい。貴方は死にかけたのですよ。まだ血も足りていないのでしょう? 今動けば、今度こそ死にます」

 そう言って、未だに血が流れる手を差し伸べたけれど、彼はその手を打った。

「ふ、ざ……ける……な……っ。……俺……から、……離……れろ……!」


 自分の躯さえ持ち上げられない程弱っても尚私を威嚇するその様は、深手を負い、追いつめられた獣の姿と重なった。諦めずに言葉をかける。


「駄目です。血を飲んで下さい。そうしないと、死んでしまいます」

「ば、け、……も……のと、して………、生き……る、くら……い、なら…………、死ん、で、やる…………!」


 息も絶え絶えで、きちんと声を出せないままに紡がれたその言葉は、彼の心の底からの叫びだった。思わず叫び返す。


「馬鹿なことを仰らないで下さい!」

「……ばか、じゃ、……ない…………!」


 私を強く睨みつける彼に手を伸ばし、その腕を押さえた。両手を片手で押さえ込みながら、もう1度口元に傷口を運ぶ。彼の顔に焦燥が浮かんだ。


「やめ……ろ……っ、はな、せ………!」

「飲んで下さい。死のうだなんて考えないで下さい。貴方だって、喉が渇いているのでしょう? この血を、飲みたいのでしょう?」


 吸血鬼は、本能的に血を求める。その欲求の強さは、有名だ。たとえ彼がどれほど私を嫌っていようと、躯はこの血を欲している。だからこそ、先程も意識のないまま、飲む事が出来た。

 無理矢理でも良い、一口飲ませれば、後は躯が自然にそれを受け容れるだろう。だから、誘惑するように言葉を続けた。


「飲みたくはありませんか? 飲めば、渇きも飢えも消えるんです。苦しみから解放されるんです。……この血を欲しいと、思いませんか?」


 彼の瞳が見開かれ、大きく揺れる。強い拒絶の色が薄れ、怪しげな光が宿り始めた。その光は、始めて私の血を飲んだ時に彼が宿していたものと、同じ。 

 彼も身の内の衝動の意味に気付いたのか、焦りの色が深まる。


「っ、や、め……、俺、は……!」


 拒絶を紡ぐ言葉は、しかし、混乱に呑まれたように、途中で消える。


 もう一押し。彼の目に流れる血が映るように腕を掲げて、囁くように語りかける。

「欲しいでしょう? 飲みたいでしょう? ……美味しそうだと、思うでしょう?」


 その言葉に呼応するように、彼の目に宿る光が強くなった。彼は、身の内に沸き上がる欲求に抵抗するように暴れだしたけれど、極限まで弱った彼に、私の手を振り払うだけの力は無い。


「美味しいのでしょう、私の血は。だから……飲んで下さい」

 そう言って、傷口を彼の口に押し当て、血を流し込んだ。


「…………!」

 彼は顔を歪め、必死でそれに抗った。身を捩り、上手く力を入れられないだろう腕を揺すり、私の拘束を解こうとする。 私は何も言わず、爪を立ててしまわないよう気をつけながら、ただひたすら彼を押さえ込み、彼の口に血を流し入れ続けた。


 彼の目に、揺らぎが生じた。口の中に広がる血の味が、彼の本能を刺激しているのだろう。初めて私の血を飲んだ時のように、湧き上がる欲望を制御しきれなくなってきているらしい。少しずつ、抵抗する力が弱まっていく。



「……、…………」



 元々血を求めていたはずの彼は、ついに誘惑に負け、血を飲み始めた。始めは、ゆっくりと。次第に飲む勢いが増していき、意識が戻った為だろう、先程よりも力強く、貪るように血を啜っていく。


 躯に奇妙な感覚が走った。本能に呑まれ、欲求のままに血を求める彼は、傷口を舌で舐め、そこから滴る血を1滴も逃すまいと吸い上げている為、傷口は酷く疼いている。本来は嫌な感覚であるそれは、けれど、私に充足感を与えていた。



 ——餌は、飼い主に血を与えるのを至高の快感とする。



 以前に本で読んだ文章が頭をよぎる。あの頃は、まさかそれを自分の躯で実感する事になるとは、夢にも思わなかった。


 けれど、構わない。私は、自分でこの道を行くと決めたのだから。



 長い時間の後、彼は最後に傷口をゆっくりと舐め、口を離した。そっと腕を放すと、傷が塞がっていた。主に血を与える為の傷は、血を与える事で傷が塞がる。これも知っていた。


 彼の瞳は、焦点が広がり始めていた。血を得たとはいえ、体力の限界。眠気に襲われているようだ。


 目元をそっと手で覆い、囁きかける。

「お休み下さい。もう、大丈夫ですから」


 しばらくして、呼吸が規則正しいものになった。手を外すと、穏やかな寝顔が露になった。



「……お休みなさい、良い夢を」

 母がよく私に言ってくれた言葉を呟き、私は彼をベッドに寝かせる為に、吸血鬼達に助力を求めるべく、部屋を後にした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ