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VS勇者

 アンが良達に魔法を教えてから一週間後。

 風呂から上がったアンは、息をつきながら階段を上がっていた。

 初日からの流れで、舞とずっと一緒に入浴しているのだが、いい加減あのスキンシップはやめてくれないだろうか。

「しかも自分がのぼせちゃうし……」

 そんな訳で舞は、バスタオル姿で居間のソファーに寝ている。

 もう寝てしまおうか。それとも舞に借りた本でも読もうか。アンはそんな事を考えながら足を動かす。

 彼女が現在読んでいるのは、この世界の流行ファッションや漫画等が載っている「カチューシャ」という本だ。

 月刊誌であるそれをバックナンバーから辿って読んでいるのだが、その中でもアンは、地味な女の子の前にイケメンロック歌手が現れて恋人になってしまう話が好きだった。

 イケメンロックの意味はよく分からないが、勇者様が自分を迎えにくる事をよく夢想していたアンとしては、主人公にとても共感できる。

 新たに増えたギタリスト、ドラム、シンセサイザーとの関係も気になる所だ。

 要するに勇者様と魔法使いと僧侶と戦士に同時に告白されるようなものよね。どうしましょう。

 意外にミーハーであるアンは、そんな想像をして一人悶えた。

「まぁ、私が同居してるのは魔王様だけど……」

 それも見習いというかそれ未満の男である。

 悪い人じゃないんだけどね。と、魔王としても男としても喜ばれない評価を件の男につけながら、アンが二階へと辿り着くと。

 カッ。カッ。と、何かがぶつかるような音が聞こえてきた。

 何事かと、アンが音のする和室を覗き込むと。

「あぁ、お前か」

 悪くない魔王、良がノミを手に何かを突いていた。

「何をしてるんですか?」

「儀式の……準備だ」

 近づき、手元を覗き込むと、良が顔の横に降ってきたアンのお下げを煩そうに叩く。

 ごめんなさいと謝って、アンは彼の向かい側に座り直した。

 風呂上りのアンのおさげは、普段のような両側に垂らす三つ編みではなく、ゆるく結んだ太い一本の物となっている。

 シャンプーにリンス、ドライヤーというカガクの結晶のおかげで毛艶が増し、最近は櫛を通すのが楽しくて仕方ない。

「儀式って、異世界への穴を開くという例の」

「他に何がある。まったく、お前の所為でとんだ手間だ」

 ぶつぶつと文句をいう良が持っているのは、円形の板だった。

 溝に何やら紋章が刻まれており、貧乏な宗教家が使う聖印のようにも見える。

「これが儀式に使う触媒なんですか?」

「あぁ、ここの溝が緑色に染まっているだろう。この色は時間と共に溝を沿って広がっていくのだ。なのでこれが端まで染まったら魔道書の通りに次の溝を掘る。するとそのラインに色が付くので、それが端まで来たらまた彫る。この繰り返しだ」

 丁寧に説明する良は、いつもより機嫌が良さそうに見える。

 こういう細かい作業が好きなのだろうか。

 微笑ましい気分で、アンはそれを見守った。そして彼が話し終えた所で、ふと思いつく。

「へー、溝が……あ、これってもしかして癒樹ですか?」

「癒樹?」

「えーっと、自らの傷を、大気に漂うラーナを集めて癒す木です。その性質を利用して、傷薬とか秘薬を作るのに使われるんですよ」

 アンの家の三軒隣にも、その養殖を生業とする人間がいたのでよく覚えている。

 そうか、この世界にはないのか。首を捻る良に説明すると、彼は「ほぅ」と息を漏らし、興味深げに印を眺めた。

「ではこの緑のラインは、魔力が凝縮したものか」

 要するに、こちらの世界の人間に足りない分の魔力を、これを媒介にして補おうという事だろうな。などと考察する良。

 彼が自分の世界を理解したのが少し嬉しくて、アンは笑顔で頷いた。

「はい。ラーナに触れさせすぎるとそれを消費して傷を治してしまうので、普通は上に特殊なニスを塗るんですけど」

「うむ、それも後で塗らなければな。上級異世界ゲートセットの場合スプレーなのだが、三万も余計にかかるので手が出せなかった」

 アンがおじさんの仕事を思い出しながら尋ねると、やはりニスもあるらしい。

 頷きながら線をなぞる良。彼の話では、確かに時間をかけ過ぎると印から線が消えてダメになってしまうのだそうだ。

「あの、前から気になっていたんですけど、良さんってその魔道書と道具一式をどうやって手に入れたんですか?」

 この世界において魔法が一般的な技術ではないことは、アンにもとうに理解できている。

 ならば良はどうやって魔法という力を知り得、儀式を執り行うことが出来たのか。

 アンが問いかけると、良はぽつりと答えた。

「通販」

「つ、つう、はん?」

 短すぎる答えに、アンは唖然となる。

 そんな彼女の表情を見て、良は一旦印を新聞紙の上に置くと説明を始めた。

「お前がよく読んでいる雑誌の裏側にも書いてあるだろう。ここに電話して金を払うとこんな物と交換しますよと言う奴だ。というかお前、ああいう雑誌ばかり読むのは感心せんぞ。間違いなく、偏った知識が身につく」

 後半はただの説教である。なるほど。と納得しつつ、アンはそれはそれとして思いついた事を言った。

「良さんって、お父さんみたいですね」

「な、何を言う! 俺はお前のボケがこれ以上進行されては困ると思ってだな!」

 慌てふためく良がおかしくて、アンはくすくすと笑った。

 風呂上りでも無いのに顔を赤くした良が、視線をそらしながら呟く。

「……俺も適当にサイトを巡っていて、偶然見つけただけなのだがな。シャレで買ってみたが、まさか本物だとは」

「探していて見つけた訳じゃないんですか」

「まさか。本当に異世界などあるとは思っていなかったからな」

「ふぅん……そうなんですか」

 少し不思議な気がする。良も舞も、アンの世界について大よその知識を有しているのに、その存在は信じていなかったと言う。

 あのテレビの中の人を動かすあのゲームというものや、アンも読んでいる漫画などで得た知識だという事は聞いたが、ならばそれを作った人達は自分のようにあちらの世界に行った事があるのかしら。

 それなら何故あちらには、この世界のことが伝わっていないのだろう。

 もしかして都会ならこちらの世界と交流が盛んになっていたりして。アンはそんな事を考えてから、意識を目の前の良に戻した。

「そういえば儀式って、後どれぐらいでできるようになるんですか?」

 尋ねると、良は電燈に板を透かすようにして見ながら答える。

「このペースだと、あと三週間ほどだな。前回よりも溜りが早い」

「三週間……ですか」

 その返答に、アンは複雑な表情を浮かべた。

「なんだ。これ以上は縮まらんぞ。……そもそもの原因はお前なんだからな」

「い、いえ、そうじゃないんです。私なんて誰も心配してないでしょうし」

 言ってしまってから、良が顔を曇らせた事に気づく。

「あ、あの、良さん?」

 しまった。そんな事を言うべきではなかった。アンの胸に後悔が沸く。

「ごめんなさ――」

「悪かった」

 謝ろうとしたアンの声に被さって、信じられない声が耳に届いた。

 一瞬、呆然となってからアンは理解する。

「あ、良さん。今久しぶりに誤翻訳が出ました。何と良さんが謝って……」

「謝ったんだよ!」

「えぇ!?」

 完全に通訳魔法の誤作動だとだと思ったのに、そうではないらしい。

 アンは驚愕の声を上げ、信じられないまま彼に問うた。

「な、なんで良さんが謝るんですか!?」

「その、あまり言いたくない事を言わせたからな……この間、魔法を教わった時にも」

「一週間も前の事じゃないですか……」

「うるさい! タイミングが無かったんだよ!」

 アンがつっこむと、良は真っ赤になって彼女に言い返した。どうやら彼は、その事をずっと気にしていたらしい。

「ふふっ」

「な、なんだよ。じゃない、なんなのだ……」

 不器用な彼の優しさを、アンは嬉しく思う。

 舞にしてもそうだ。彼らはアンに良くしてくれて、そして彼らと過ごしたこの世界は楽しかった。

 だからつい、アンは口に出してしまった。

「その、だから全然気にして無いです。むしろ、もうちょっと長くここに居たいなぁって」

 伺うように、チラリと良を見る。催促をした訳ではない。そうではなく、それを言ったら彼がどんな表情をするか、それが見たかった。

 しかし良はむぅっと唸り、仏頂面をしたままである。

 二人の間に妙な沈黙が落ちた。

 それから、アンは自分の言った事に気付いて慌てて訂正を入れた。

「な、なんて、無理ですよね! あはは」

「あ、当たり前だ! お前のようなごく潰しをこれ以上養っていられるか!」

 予想していたリアクションだったが、そう声高に言われると腹が立つ。

 先ほどの沈黙が妙に照れくさくもあり、それを誤魔化すためにアンは声を張り上げた。

「りょ、良さんだって一日中家でゴロゴロしてるじゃないですかぁ!」

「俺は夏休みだから良いんだ!」

 指摘するが、良は胸を張り、むしろ誇らしげだ。

 夏休みとは、要するに暑過ぎて身が入らないから長期休暇をとりましょうという仕組みらしい。

 良も舞もそのおかげでここ数日、買い物以外はずっと家にいるのだが。

「舞ちゃんは家事とか手伝ってくれるのに、良さんは全然手伝ってくれないし」

「お前に召使いとしての自覚が芽生えるよう、ワザとゴロゴロしているのだ!」

「良さんはいつもそんな子供みたいな事を言って! この前もせっかく作ったシチューをニンジンだけ舞ちゃんに押し付けてたじゃないですか!」

「うるさい! 人間は嫌いな物を無理に好きになる必要は無いのだ!」

 ましてや俺は魔王だからな。と開き直る良。

 ニンジンが弱点の魔王など、誰にも恐れられないと思うのだが。

 色々と彼の将来が心配になり、アンは忠告してみる事にした。

「好き嫌いばっかりしてると、勇者様に退治されちゃいますよ」

「子供用の脅し文句か!? つうか何食おうが退治しに来るだろアイツ!」

 良が子供みたいな文句を言うから、自分も子供を注意するように諭したのに。

 憤慨する良に、アンもまた頬を膨らませた。

 ……アンの村では、実際に子供を叱る際、そのような脅され方がよく使われていた。

 もっとも、普通は「悪い事をしていると魔王に攫われちゃいますよ」なのだが。

「というか、勇者なんて本当にいるのか? 困っている人間を無償で倒して世直し、なんて人間が」

「いますよ! あ、いえ、何で倒すんですか!? 勇者様は人を助けるんです!」

 発言を慌てて訂正するアンに、良がにやりと笑った。

 本当に悪戯好きの少年のようだ。アンは膨らませた頬から息を抜く。

「ふん、信じられんな。そんなお人好しがいるなどと」

「本当にいるのに……だって私、会った事ありますもん」

「はぁ? なんでファンタジー一般人のお前が、勇者なんてものと知り合う機会がある」

 アンが呟くと、良は胡散臭げな視線を余計に強めた。

 何故この人は私の言うことをいつも信じてくれないのだろう。

 くやしくなって、アンはその時の事を必死で話し始めた。

「あれは、私が十歳の春を迎えた時でした。私は水を汲みに村の入り口まで行ったんです」

 その時の情景が、アンの頭には今でもはっきり浮かぶ。

 当たり前だ、憧れの勇者との邂逅なのだから。

「するとそこに、質素な服と片手に棍棒を持った見慣れない方がいらっしゃって」

「まさかそれが勇者か? 不審人物じゃなく?」

 話の途中で良が口を挟む。その目は不信を通り越して可愛そうなものを見る目に変わり始めていた。

「そ、そうですよ! その頃はまだ駆け出しだったので、きっとお金が無かったんです! その、私だってそれが勇者様だって知ったのは、後で皆が話してるのを聞いてからでしたけど」

 よくよく考えれば、現在もそうだがあの頃は魔王が世界侵略をしていた時期である。

 それを服一枚棍棒一本の一人旅をしている人間が、普通の人間であるはずが無い。

 良にそれが伝わるか心配であったアンだったが、彼は「なるほどレベル1だったのか」と妙に納得した様子で頷いて、アンに話の続きを促した。

「まぁ良い。それで? まさか見かけただけじゃなかろうな」

「ち、違います! ちゃんと話もしました!」

「どんな?」

 尋ねる良に、アンは頭でその時の情景を思い浮かべながら語った。

 あぁ、今でも思い出す。まだ肌寒い朝の空気の中、一枚の布に頭を出す穴を開けただけのような服を着た青年が、鳥肌を立てながら彼女に話しかけてきたときの事を。

 そして自分は、彼に答えたのだ。

「勇者様がここは何と言う村ですか? って水汲みをしている私にお聞きになったので、私は『ここはアチューンの村です』って答えました!」

 言い切り、どうだとばかりに胸を張るアン。なんたって勇者と話したのだ、これには良も驚くだろう。

 ちらりと彼の顔をうかがうと。

「……ぷっ」

 良が、噴出した。

「ぶあははははは! お前それじゃRPGの村人Aだろうが! まさかそこまで典型的だとは思わなかったぞ!」

「え、え、え、何で笑うんですかー!? ちょっと、良さぁん!」

 どうして彼が笑うのか、アンには理解できない。

「んもぅ……」

 しかし、大口を開け楽しそうに笑っている良を見ていると、何だか自分まで楽しくなってくる。

 あと三週間。とにかくこの世界を目一杯楽しもう。アンはそう決意した。


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