VS魔法
「多分この世界の人にも、魔力孔はあると思うんです。あるけど、使ってない所為で凄く小さくなってるか、魔力塵って言う埃みたいなものが詰まってるんだと思います」
そうでなければ、いくら道具があっても召喚魔法などというものは使えないはずだ。
自らも魔法が使えるわけではないので恐る恐るという感じになりながら、アンは良達にこれから行う事について説明を始めた。
話している最中、良は自らの腕を裏返したりしながらじっくりと見、舞は嫌そうに腕の埃を払うような仕草をする。
そんな事をしても見えたり払えたりはしないのだが、それに苦笑しながらアンは話を続ける。
「それを解消する、魔力孔開放運動っていうものがあるんです。本来は魔力孔が広がりきっていない子供や、魔力孔が弱ってきたりさっき言った魔力塵が詰まったお年寄りがやるものなんですけど」
「……ラジオ体操みたいなものか?」
「名前を聞くとデモとか集会とかしそうだけどね」
アンの講釈に、兄妹が顔を見合わせ交互に何か言っている。
ひとまずそれは放っておき、アンはそれを続けた。
「用途毎に運動の方法は違うので、お二人には効果が無いかもしれません。それでも良いですか?」
「あぁ、可能性があるならそれで構わない」
「私もおっけーだよ」
揃って頷く二人。
やはり自分も覚悟を決めざるをえないようだ。アンは大きく息を吸った。
「では、始める前に一つ注意をします。魔力孔解放運動はある意味神聖な魔法儀式です。途中で疑問、質問があっても絶対に口を挟まないでください。絶対ですよ!」
そして、腰に手を当て、二人に強く警告した。
「あ、あぁ、分かった」
「お、おっけー……」
気圧された様子で首を縦に振る二人。それを見、アンは自らも大きく頷く。
そうして、二人を立たせ、三人で居間の中央に立ち、彼女は体操を開始した。
「えーと、まずは腕立て伏せをしまーす。辛い人は膝をついてください」
言うと、二人が揃ってえ? という顔をしたが、アンが率先して始めるとそれについてくる。
十回を越えた辺りで舞が、二十回を越えると良も膝をつきだしたので、二人とも体力は無い方なのかもしれない。三十回を越えた辺りで、アンは別の体操に切り替える。
「次は、胸の前で手を合わせて、十秒ほど押し合いまーす」
その際息を吐き、胸の筋肉を意識してという注釈も忘れない。
それを五セット繰り返した後で、アンはなるべく自らの言葉を意識しないようにしながら二人に告げる。
「右腕を持ち上げて、その、右の胸を左手で持ち上げます。反対側も同じように」
少々恥ずかしいが実践して見せると、良が一瞬固まるが、舞に小突かれ真似をする。
「脇の下から、ち、乳房までお肉を集めて、寄せます」
「なぁ、これって……」
言いかけた良を、アンが睨む。それに押され、良は再び口をつぐんだ。
「乳房をゆっくり揉みます!」
良が黙るのを確認すると、アンはやけくそ気味にそう宣言した。
そうしてから、自らの乳房に手を当て、おずおずと動かしだす。
兄妹が同じ角度で首を捻りながら、それに従った。
そうして、それから彼らは二十分ほどその体操を入念に行った。
「しゅ、終了です」
中盤からは赤面しっぱなしだったアンは、熱い息を吐きながらそう宣言する。
しばし、彼らは無言で息を整えた。
そうして、一番最後に息が整った様子の良が彼女に叫んだ。
「バストアップ体操じゃねーか!」
彼女が行った体操は、あの後に行われた物も含め、全て胸、もしくは胸筋を意識させるものばかりだった。
流石に良達も気づいたらしい。というか前半に気づいてずっとお預けを喰らっていた所為で、それが言えた今、若干すっきりとした顔をしているぐらいである。
「ち、違います! 魔力孔を開放する効果もあります!」
「もって言ったね、今」
舞が容赦なく指摘すると、アンはのの字でも書きそうな様子で背中を丸め俯いた。
「だって、この運動を行うと、今まで眠っていた魔力孔が胸から花開いて、劇的な魔力の向上とバストアップ効果が望めるって触れ込みだったんですもん……」
「両方得られなかった訳だ……」
「む、胸は少し大きくなりましたもん!」
「昨日はっきりとAだと聞いたぞ」
「お、お兄ちゃん! Aでも十センチの幅があるんだからね! ギリギリAとAAAじゃ全然違うんだから!」
何故か舞の方から抗議が入り、良はため息をついた。
「はいはい、分かった分かった。しかしこれではやはり、効果は期待できそうにないな」
「そ、そうですよね」
落胆した様子の良に、アン自身も気持ちが萎えてくる。
アンも夜な夜な試しては、呪文を唱えてみてガッカリしたものだ。
そんな彼女を横目で見、ふんと鼻を鳴らしてから良が呟いた。
「ま、試してみるだけ試してみるか」
はっと顔を上げたアンから無理に顔を背けるようにしながら、良は手をプラプラと振った後、前に伸ばした左手首を右手で掴んだ。
そして彼は、静かに目を閉じ呟く。
「異界に眠る紅蓮の炎よ……」
「え?」
それは、呪文の詠唱であった。
「我レ魔王也、我ガ契約ニ従イその力を示せ!」
「契約なんていつの間に」
もしかして、例の魔道書とやらに記されていた呪文なのかもしれない。
そう思い、舞を見るが、こちらは何だか頭痛を我慢しているような表情で、こめかみに手を当てている。
「グレーター・ブレイズ」
ついに出る。アンは身構えた。
「オブ」
が、詠唱はまだ続いていたようだ。がくっと体の力が抜ける。
「デスブラックファイヤー!」
良が吼えた!
「……」
そしてまるで予定調和のように、沈黙が響いた。
声をかけようか迷っているアン。呆れた表情の舞。良の足元へと歩み寄り、鼻をピスピスと鳴らすキク。
「イグニッショオオン!」
「あ、往生際が悪い」
気まずさを誤魔化すように、良が叫んだ。
しかし、やはり何も起きない。
呪文は格好良かったですよ。と、アンがとりあえずフォローしようかしらと口を開いた瞬間。
ゴトリ。と、音がした。
何事かとアンが周囲を見回していると。
「よっしゃぁぁぁ!!」
良がガッツポーズを作り、歓声を上げていた。
「え、なに、何が起きたんですか?」
問いかけると、彼は感極まったのか目頭を押さえながら、先程まで掌を向けていた机の上を指差した。
そこにはペットボトルと言ったか透明な容器が一本。それが倒れて中身がトクトクと零れていた。
「た、大変。良さんこれ倒れちゃってますよ! 雑巾雑巾!」
アンは慌ててテーブルに駆け寄ると、良に呼びかけた。しかし彼は芝居がかったボーズでバッと手を振ると、彼女の言葉を否定する。
「違う! 倒れたのではなく俺が倒したのだ! この魔法で!」
「え、魔法?」
聞き返しながら、とりあえずペットボトルを立て直そうと手を触れる。
「ひぅっ!?」
すると指先に異様な感触がし、アンは慌てて手を引いた。。
「な、なんか今ヌルっとしました!」
ペットボトルの底に、何やら半透明のヌルッとした物がこびりついていたのだ。
どういうこと? とアンが良に当惑の視線を向けると、彼は腕組みをしながら高笑いを始めた。
「フハハハ! つまりその液体は、摩擦係数を限りなくゼロにするほどの強力なグリースなのだ! しかも物体と物体の間に割り込ませることができる! それが机の僅かな傾きに反応し、その安定性の高いペットボトルを事もなく倒れさせたのだ!」
「はぁ……」
笑いながら良は解説をするが、彼のはしゃぎように若干引いているアンにはよく理解できない。
すると、同じような表情をしている舞が、テーブルへと近づいてきた。
「呪文名から察するに間違いなく意図した魔法じゃないのに、よくそこまで解説できるねお兄ちゃん」
ていうかペットボトルの蓋開けっ放しにして置かないでよ。などと文句を言いつつ、彼女はテーブルを覗き込む。
「うっわぁ、何か気持ち悪ぅい。えーと……ペロリ。何だろこれ、甘苦いね」
「フハハハハハ! この魔法はゼロリバースと名づけるかゼログリップと名づけよう!」
気持ち悪いと評した物を平然と指で掬い舐める妹と、今使った魔法に早速名前をつけ始める兄。
なんだろうこの兄妹。自分ってさっきこの人達の言葉で感動したはずよね。
ペットボトルを流し台にもって行きながら、アンは何だか涙が出そうになった。
「よぅし、我が妹よお前も何かやってみろ!」
「アイサー」
アンが雑巾を用意している間にも、兄妹は話を進めている。
「使いたい魔法を強くイメージするのだ! すると!」
「違う魔法が出るんでしょ? どうすればいいのかな、アンお姉ちゃん」
すっかり魔法の講師気取りの良を無視し、雑巾でまずはテーブルから拭き始めたアンに尋ねる舞。
「え、えーと、目標を見つめて集中しつつ、深くゆっくり魔力孔で呼吸するような感覚を持ちながら、落ち着いて出すと良いらしいです」
いいのかなと思いながらも、アンは姉に聞きかじった知識を、彼女に教えた。
「分かった、やってみる」
頷くと、舞は数回深呼吸をした後、良しと呟いて呪文を唱え始めた。
「異界に眠る紅蓮の炎よ……」
「おい!」
詠唱をそのまま使われた良が、抗議の声を上げる。
しかし、アンには見えた。舞の周囲に懐かしきラーナの淡い緑光が浮かび上がるのを。
そうか。この世界のラーナはあちらよりずっと薄いのだ。それが集まるとこうやって目に見えるようになって……。
「良さん伏せて!」
「へ?」
嫌な予感がし、アンは自らもしゃがみながら良に叫んだ。
同時に、舞の魔法が完成する。
「デスファイヤー!」
ボン! 叫びと共に、良と舞達の中間辺りに火の球が出現した。アンが両手でやっと抱えられるほどの大きさで、表面を火の粉が踊っている。
「で、出たぁ!」
一番驚いているのは、出した張本人である舞であった。彼女が慌てて体を捻ると、それに合わせて中空の火球が踊る。
「ば、バカ何出してんだ! 早く仕舞え!」
「し、しまうってどうやって!?」
頭を抱え伏せた良が舞に叫ぶ。しかし彼女自身も混乱し、どうして良いか分からないようだ。
もちろんアンも、出しかけた魔法を中断する方法など知るはずがなかった。
自分のせいで大変なことになった。 どうしようと混乱する頭の中で、ふと閃き、アンは良に叫んだ。
「良さん、キクちゃんを近づけてください!」
「え、あ、わ、分かった!」
アンの声に、良が頷く。
彼は隣で自分の真似をし伏せていたキクを拾い上げ、火球に投げつけた。
途端。
パァン! と音がして、火球が弾け飛ぶ。
飛んできたキクを慌ててキャッチするアン。
ドラゴンの持つ、自らを傷つける魔法を無力化する特殊能力の効果である。
しかし自分は近づけろと言っただけなのに、躊躇いなく炎の中に投げ入れるとは。
やはりこの男、天性の魔王なんじゃないかしら。
アンは腕の中にいるキクと顔を見合わせる。
「やったー! 魔法使えたー!」
そんな彼女達に構わず、舞が嬉しそうに部屋中を飛び跳ねた。
呪文を唱える前は冷静に見えたが、やはり彼女も魔法を使いたかったらしい。
普段は背伸びをしている様子の舞が年相応にはしゃぐ姿を見て、アンは微笑ましく思った。
「今のは使えたとは言わんだろ!」
「でもお兄ちゃんと違って、思った魔法出せたもんねー」
「んだと!? あれは詠唱フェイントと言う高度なテクで……」
「あ、お兄ちゃんそこ燃え移ってる」
「のわーーー!」
舞に食って掛かる良が、彼女の指摘でカーペットに燃え移った火を必死で消す。
異世界人に、自分には使う事のできない魔法を使われた。
彼らに教える前、それはもっとショックな事だと思っていた。
しかし今、魔法を使えるようになり喜ぶ彼らを見ても、アンの胸には思ったほどの嫉妬も憂鬱も沸いては来ない。
それどころか、教えて良かったという喜びが胸を満たした。
何故だろう。考えてはみたが、明確な答えは浮かばなかった。
「この家って、本当に壊れてばかりですね」
「大元の原因のお前が言うな!」
まぁいいか。楽しいし。
魔王に魔法を教えてしまったというのに、アンの胸には爽やかな気持ちが広がっていた。