VS劣等感
買い物に行ったアン達は、すっかり日が暮れた頃に帰宅した。
この世界の生活必需品というものは思いのほか多く、ついでに夕飯までそのデパートというところで済ませて来たためだ。
そして、長時間家に残された子竜、キクだったが。
結果だけ言ってしまえば、この子竜の留守番は完全に失敗に終わった。
幼きドラゴンは良を待ちきれず、クッションを二つ破壊し、ソファーを酸で溶かし、冷蔵庫を漁り開けっ放しにし、中の食材をいくつかダメにした。
良は大いに怒り、結局きちんと留守番をすれば帰ってきた後キクを撫でるという約束は、破棄となった。
そして次の日の昼。
アンは居間で洗濯物を畳んでいた。
「お兄ちゃんのナデナデを喰らいたての体で、半日も我慢できる訳ないのに」
妙に勝ち誇った顔をしているのは舞。部屋の隅で丸まっているキクを横目に、彼女はアンと向かい合わせになり畳むのを手伝っている。
兄とのスキンシップを邪魔されてから、彼女はキクに妙な対抗心を持っているようだ。
キクが暴れた理由はナデナデ中毒だったのか。良の下着を畳みながら、アンは改めて彼の指に恐怖を感じた。
「クッションはともかくソファーはどうすれば良いのだ。とりあえず布テープを貼っておくとして……」
件の良は、大きな穴の開いたソファーを前にぶつぶつと呟いている。昨日も買い物が終わったサイフの中身を見て悲しそうな顔をしていたし、魔王家の財源は底なしと言うわけではないらしい。
自分も節約には協力しようと、アンは決意した。
しかしそれはそれとして、良が呟く度彼の方を気まずそうに見、彼に気づかれる前に窓へと視線を向けなおすキクは少々不憫だ。
「ま、まぁ、ドラゴンがやった事としては被害は極小でしたし。むしろ家が壊れてなくてラッキーぐらいに思ったほうがいいかと」
自分の所為で帰りが随分遅れたという罪悪感も手伝い、アンはキクをフォローした。
「力が強いのは分かるが、そんなに凶悪なのかこいつは」
アンに言われ、良が胡散臭げな視線をキクに向ける。
彼は自分がどんな危険なものを飼っているのか理解していないのか。アンは必死になって説明した。
「あ、当たり前ですよ。普通の剣じゃ傷も与えられないし、魔法だって弱いものは届く前に消されますし、骨格はトカゲというより猫寄りで、大きくなればなるほど素早くなるんです!」
へぇ、と感心したようにキクを見る良と舞。
あまり恐怖した様子がないのは、例えに猫など出したせいだろうか。
「村娘の癖に詳しいな。例の姉の受け売りか?」
「それもありますけど、ドラゴンってやっぱり有名なんです」
「それはやはり、こいつが異世界最強の魔物だからか?」
「えーっと、実はドラゴンって、魔物じゃないんじゃないかっていう学説が有力なんです」
「魔物以外のなんなのだ、こいつが」
穴を避けてソファーに座りながら、良がキクを指差す。
少し考えてから、アンは答えた。
「ドラゴンってくくりの動物……ですかね。そもそも魔物というのは、元々は魔王が作り出した生物って意味らしいんですけど」
現在、アンのいた世界にいる魔物のほとんどは初代魔王が作り出したもので、それらが交配しあったり進化して種類が増えている。
人間の家畜、もしくは友として暮らす魔物もいるので、人類に仇名す生物を全て魔物とは呼ばない訳だが……。
「多分この世界にはないと思うんですけど、私達の世界の主要な街とか道とかには、魔物避けの結界が張られているんです。魔王が毎回現れる北の大地デガメルギオから遠ざかるほど強い結界が張られていて……というか魔王はそれを近場から壊そうとするので、遠地ほど強い結界が維持されてるんですけど」
アンのいた村は北の大地から遠く離れており、彼女の通った泉への道もまた魔物避けの結界が張られていた。しかし。
「でもドラゴンは、それに引っかからないんです。いつでも、どこでも、どんなに結界が強くてもフラっと現れてその場所を破壊しつくすので、ドラゴンは有名なんです」
ドラゴンは魔物避けの結界の影響を一切受けない。そしてだからこそ、ドラゴンは魔物ではないのではないかと言われており、人々に恐れられているのだ。
「それは、えげつないな」
「最強っていうか最凶?」
それを聞き、ようやく顔を曇らせる兄妹。
舞が同じ発音の言葉を繰り返すが、アンにはそのニュアンスの違いがはっきりと分かった。これも翻訳魔法の力だろうか。
キクがこちらを見、満足げに鼻を鳴らす。勘違いかもしれないが、どうやら恐れられてご満悦のようだ。
「そちらの方が正しいかもしれません。ドラゴンの制御ができた魔王は歴代でも二人だけで、その時は両方とも世界が本気で支配されかけた、もしくは一度支配されてしまったそうですから」
だから、竜とは本当に恐ろしい生き物なのだ。普通の人間なら間違っても手元になど置きたくは無いのだが。
「そして俺が三人目というわけだ」
その言葉を聞き、良がニヤリと笑いを漏らす。
しまった、余計な事を教えてしまったかもしれない。良が世界征服の野望を持つ魔王なのだと久々に思い出し、アンは呻いた。
「そもそも魔王って、なんなの?」
舞がくりくりとした眼でアンに尋ねる。魔王の妹がそれを聞くのか。
改めて問われるとアンも困ってしまい、良の方を見る。
「魔王って、なんなんでしょう」
「俺に聞くな」
「え、だって良さんって、魔王の業務内容に憧れて就職を希望してるんじゃないんですか!?」
「魔王を職種のように言うな! 俺はその、せっかく異世界に行くのだからでかい事をしてやろうと……」
「ノープランだったんですか……」
良の言葉に、半ば呆れるアン。良は何かやりたい事があってあちら側に行きたいわけではなかったのか。
では何故異世界になど来ようと思ったのか。アンは疑問に思ったが、同時に良がこちらを睨んで「それで?」と眼で尋ねる。
どうやらアンなりの魔王の定義を尋ねたいらしい。
「えーと、魔王っていうのは、とりあえず北の大地から現れて、魔物を従えて人間を襲う人、もしくは魔物の総称だと思います。大体五十年に一回ぐらい現れて、人類と戦争をします」
思いの外あやふやな説明になってしまった。しかし前回の魔王が倒されてからアンは生まれ、今回の魔王に関しても、北のほうにそういうモノが出たという話しか片田舎の村には入ってこない。
ドラゴンとは違い、魔王とは謎に包まれつつも人々に恐れられる存在なのであった。
「……スパンの長い祭りか自然現象のような奴らだな」
「良さんが収穫祭のような楽しいお祭り魔王になるというのなら、私も喜んでこちらの世界に招待するんですが」
アンが苦笑しながら言うと、良は嫌だねと顔を歪ませた。それなら人類と共存できるのに。アンは口を尖らせてから、ふと思いついた事を言ってみた。
「大きい事をしたいのであれば、勇者様になったらどうです?」
これなら成功すればこちらの世界で最大級の功績になりうるし、アンも彼を喜んであちらの世界に招待できる。
良い事ずくめだと思ったのだが。
「勇者……勇者だと?」
良は、こめかみに血管が浮き出るのではないかというほど顔を歪ませている。
「ダ、ダメでしょうか」
「当たり前だ! バカを言うな! 勇者など、そこら辺に悩んでそうな奴がいればおせっかいに手を伸ばし、善意ですという顔をして、し、親切を押し付けるはた迷惑な職業ではないか!」
ソファーから立ち上がり、ジェスチャーを加えながら自らが持つ勇者像を演説する良。
え、それのどこがいけないの? とアンは思うのだが、彼にとっては大問題らしい。
何かまずいことを言ったでしょうかと舞を見ると、彼女は弱弱しい微笑みで首を左右に振った。
「あー、そんな者になどなれるか! 俺はやっぱり魔王だ! 魔王になるぞ! よし!」
ついに良は自分の就職先について決意を固め、握りこぶしを作って天に掲げた。
私、もしかしてとんでもない人に火をつけてしまったのでは。
初日は物理的に火をつけたが。
などとくだらないことを考えていると、良の顔がこちらを向く。
「よし、ではお前は俺様に今すぐ魔法を教えるのだ!」
そして彼は、突拍子もない事を言い出した。
「な、何で急に」
「昨日から考えていたが、お前の姉のようなターミネーターと戦うことを考えれば、やはり魔法は必須だ!」
「タ、ターミ?」
意味は分からないが、姉があまり良く言われていないのは分かる。
良の言葉は続いているが何か言い返さなければとアンが考えた。
「お前の世界には魔法が生活に密着しているのだろう? お前とて魔法の一つや二つ、使えないのか!?」
が、その思考は、彼の言葉で一瞬にして霧散した。
魔法、そうだ。魔法だ。
「使え、ません」
「本当に何も使えないのか? ほれ、手から小さな火を出す程度でもいいぞ」
「使えません!」
自分でも驚くほど大きな声が、アンの口から出た。
良はおろか、舞とキクまで自分を唖然とした顔で見ている。
「その、すみません。本当に、使えないんです。私の世界には、魔力に反応して動く耕作用の機械もありますが、それも使えません。私には、魔法を使う力が一切無いんです」
小声で、言い訳か、もしくは懺悔をするような調子でアンは語った。
むしろ彼女の世界では、機械と言えば魔力を動力にして動く物だ。アンはそれらをまるで動かす事ができなかった。
何故なら……。
全て吐き出してしまえ、心の中で誰か呟いている。
「その、それは珍しい事なのか?」
「少なくとも、私の村にはいません……」
「で、でもほら、魔法が使えないぐらいなら気にすることないんじゃないかな。別に機械が動かせなくても他にできることは……」
「昨日、言いましたよね、お姉ちゃんの話」
「あ、あぁ、露出狂の姉の話か?」
雰囲気を明るくする為か、良はわざとそういった挑発的な物言いをしたようだった。だがそれに乗ることは出来ず、アンは頷いて話を続けた。
「冒険者の、人間の皮膚が固くなるのも、ラーナ……魔力のおかげなんです。魔力を取り込んだ人間は、力も強くなりますし病気にも強くなります。一般人でも、仕事や遊びでも体を動かせば、ある程度魔力が体に取り込まれます」
ちなみに、硬くなると言っても鉱石のように弾力が無くなる訳ではありません。むしろツヤは増します。そうアンは補足した。
そう、魔力を体に取り込むことは良い事尽くめなのだ。
それなのに自分は……。
「でも、私には魔力孔っていう、魔力を取り込む器官自体が無いんです。だから、仕事も人の半分しかこなせなくて役立たずでしたし、子供に受け継がれる事を恐れて、もらってくれる人もいませんでした。普通の人より肌を守る力も無いから肌だって汚いし、凹凸だって少ないし」
言い出すと、自分でもその口が止められなかった。おかげで、言わなくて良い事まで次々と口から出てしまう。
良はアンを一般人だ一般人だと言っていたが、自分はそれ以下なのだ。
……部屋に、沈黙が落ちた。
「アンお姉ちゃんの体、キレイだったと思うけどな」
そんな中、ふと舞が呟いた。
「そんな、嘘ですよ……」
魔力が無い自分の体が、そんな風に褒められる物のはずがない。アンの口元に、自嘲の笑みが浮かぶ。
そんな彼女の瞳を、舞がじっと見た。アンも思わず彼女の顔を見る。
「じゃぁアンお姉ちゃんは、私のこと汚いって思う? 私も多分魔力穴だかは無いと思うけど」
「そ、そんなことありません! 舞ちゃんは、その、可愛いと思います」
舞の問いかけを、アンは勢いこんで否定した。そんな訳はない。彼女はアンから見ても魅力的な女の子である。
その返事を聞き、舞は満足げに大きく頷いた。
「うん、私も、魔力なんてなくてもアンお姉ちゃんのこと、キレイだし可愛いと思う。それじゃダメかな?」
そうして、首を傾げて再度問いかける。その言葉が、アンの心にすっと染みこんだ。
こんな事を言ってもらえるなんて。そしてそれを、こんなに素直に受け入れられる日が来るなんて。
「いえ、ダメじゃ……無いです」
喉を詰まらせながらアンが答えると、二人は同時に微笑んだ。
「お兄ちゃんだってそう思うよね」
何か気まずそうにしている良に、舞が話を振る。
良はそれに対し、うっと唸ってから、あらぬ方向を見つつ口を開いた。
「ふん、お前がどう言おうが、俺にとってはお前なんてそこら辺の人間と同じ一般人だ。少しぐらい違うからと言って調子に乗るなよ。というかそんな些細なことより自分の思考のポンコツさに悩め」
喋りながらどんどん首を反らしていき、ついには真後ろを向いてしまったので彼の表情は見えない。
それを見、舞は苦笑しながらアンに告げる。
「ほら、お兄ちゃんも『俺にとって君が大事な女の子だという事には変わりないさ。少しぐらい違うからって何さ。そんな事より君の優しさにカンパイ』って言ってるよ」
「あ、そういう意味だったんですか?」
「言ってねぇよ!」
アンがパンと手を叩くと、良はぐりんと首を正面に戻し、真っ赤な顔でそう言い返した。
何だ、違うのか。何だか妙にがっかりし、アンは肩を落とす。
「その、お前がどう受け取ろうが、それは勝手だが……」
すると彼は、今度は下を向くと、語尾を曖昧に濁しつつそう言った。
「ふふ、じゃぁありがとうございます」
ならば思い切り良いほうに受け取っておこう。
そう決めて、アンは良に礼を言った。
やっぱり、ここの人たちは優しい。
魔法で使えない事に悩み、色んな事を試してきたのが馬鹿らしく思えてくる。
それを思い出し、ふと、アンの脳裏によぎった事があった。
「あの、それで思い出したんですけど、もしかしたらお二人にも魔法を使う方法があるかもしれません」
「なんだと!?」
「お兄ちゃん……現金過ぎ」
身を乗り出した良の裾を、恥ずかしそうに舞が引っ張る。
それに苦笑してから、アンは説明を始めた。
今まで役立たずだと思っていた自分が、この人たちを喜ばすことが出来るかもしれないと期待しながら。