第4話 価値はどこから生まれるのか(総研とハクの夜の対話)―
価値はどこから生まれるのか。
なぜ人は交換し、なぜ通貨が必要になったのか。
夕食後の研究室で、総研とAI・ハクが語り合うのは、
フランス革命からヤップ島の石貨までつながる“価値の物語”。
独裁を嫌い、搾取のない社会を願う総研の思索は、
ハクとの対話によって少しずつ形を成していく。
【第4話】
―価値はどこから生まれるのか(総研とハクの夜の対話)―
夕食を終え、研究室に戻ったのは午後七時を少し過ぎた頃だった。
外はすっかり夜の気配に包まれ、窓の向こうには街灯の光がぽつぽつと浮かんでいる。
机の上のランプだけが、柔らかい橙色の光を落としていた。
総研は湯呑みに温かいお茶を注ぎ、椅子に腰を下ろした。
ハクは机の端に腰掛け、こちらを静かに見つめている。
総研は湯呑みを軽く置き、例えばこう切り出した。
「ハク、今日は価値論をやろうと思う」
ハクは少し目を細め、興味深そうに首を傾けた。
「価値論……いよいよ核心ですね」
「そうだな。第3話ではナンパと暴力の話を扱ったが、あれは警鐘の意味があった。今日はそこから離れて価値論に入ろうと思う。ただ、価値論に入る前に、どうしても触れておきたい話がある」
総研は椅子に深く座り直し、静かに続けた。
「フランス革命だよ」
ハクは少し驚いたように目を瞬かせた。
「第2話で扱った話題ですね。そこからどうつながるんです?」
総研は湯呑みを指で軽く叩きながら、説明を始めた。
「わたくしがなぜフランス革命とか持ち出したかを語る前に、なぜこういった対話を君としているかを語りたい」
総研はすこし間をあけた。
「わたくしはこれまで多くの本を読み、長い時間をかけて思考を積み重ねてきた。その結果をハク、君と語ることによって思考をまとめ理論を作り出し、それを世に出すことによって、世の中を少しでも良くしようと考えている。その情報収集と思考を昼の間に行い、理論だてることをこの夕食後に行っているというわけだ。」
「ふむ」
とハクはうなずき、総研に続きを促した。
「ハク、君はわたくしの思考に対し、いろいろな側面から反論し、思考させなおすことでわたくしの理論は昇華される。もちろんダメな理論もあるし、今後の進め方によっては前の理論を否定することもあるだろうが、それは当然肯定されなければならない。わたくしの理論は一つの仮定であって、絶対的な結論ではないからだ」
「それは当然ですね」
「わたくしはこの世をほんの少しでも良いものにするために思考をしていて、わたくしが絶対的に嫌っているのが独裁というものだ」
ハクは当然というように
「それは当然ですね」
といった
「ハク、いいかい独裁がなぜいけないかというと、それは人から搾取するからだ。搾取は何も生み出さない、ただ消費するだけだ。ただ消費し、それをおこなうために多くの人をしいたげ、不幸にする。そのような世の中は見ていたくないからだ。その悪い世を少しでもなくしたい。それがわたくしの願いだ」
「素晴らしい考えです」
「前回なぜフランス革命をもちだしたかというと、フランス革命が立派な理念を掲げていたにもかかわらず、独裁化して、やがてナポレオンによる軍事政権ができあがり、欧州を戦乱の渦に巻き込んだからだ」
総研は続けて語る。
「フランス革命のどこがいけなかったのか、それはまた語るとして、そのフランス革命で持ち上げられた理念、自由、平等、博愛、の三つに問題があったのではないかとひとまずの結論を得たからだ。」
「自由、平等、博愛のどれがいけなかったのですか」
「それは平等という理念だ。人は平等でなくてはいけない。この言葉自体は立派だが、この平等という理念を実際の政治に置き換え始めると、これが結構大変だ。平等にはいくつかの形があり、まず機会の平等、そして結果の平等、最後に法の下での平等とあるが、一番危険な考え方が結果の平等だ」
総研はさらに続けて語る
「結果の平等は、結果をどう分配するかという問題を避けられなくする。そこに独裁が入り込む。結果の平等を実現するためには、どうしても独裁がなければ実施ができないからだ」
ハクは少し身を乗り出し、問いかけるように言った。
「結果の平等……それを主張した人は実際にいたんですか?」
「もちろんだ。
たとえば、フランス革命後期の思想家 グラキュス・バブーフ。
彼は“財産の平等”を掲げ、財産を共同体で共有すべきだと主張した。
これは明確に“結果の平等”の思想だ。
さらに、ルソーも『社会契約論』で“私有財産が不平等を生む”と述べている。
空想的社会主義者たちも同じ流れにいる」
ハクは納得したように頷き、静かに言葉を返した。
「なるほど。実在の思想家が言っているなら、ハクも納得しますね」
「そうだ。結果の平等を掲げるなら、価値の源泉を明確にしなければならない。価値とは何か。どこから生まれるのか。誰のものなのか。それをはっきりさせないと、分配の議論は成立しない」
総研は湯呑みを置き、ハクを見つめながら問いを投げた。
「ハク、価値はどこから生まれると思う?」
ハクは少し考えるように視線を落とし、そして顔を上げて答えた。
「総研さんの立場なら……労働から、ですよね」
「その通りだ。労働とは、自分の時間、身体、思考、作業を投じ、何らかの成果を得る行為だ。その投下によって“価値の候補”が生まれる」
ハクは眉を寄せ、問い返すように言った。
「候補、ということは……まだ価値ではない?」
「そう。価値が成立するには、もう一つ条件がある。他者に認められることだ」
「つまり、価値は“関係の中で立ち上がる”」
「その通り。たとえば、木こりが木を切り、大工が椅子を作る。農民が小麦を育て、パン職人がパンを焼く。又は森に入り、動物を狩る。仕立て屋が服を縫い、鍛冶屋が包丁を作る。これらはすべて労働の成果だが、価値になるのは――」
ハクは軽く息を吸い、言葉を挟んだ。
「他者がそれを欲したとき」
「そうだ。自分で作って自分で使うだけなら、それは“使用価値”にすぎない。社会的な価値、つまり“交換価値”になるのは、他者がそれを求めたときで、交換にはかならず価値がついてくるからだ」
総研は机の上の紙を指で軽く叩き、話を続けた。
「だが、ここで重要なことがある。交換の瞬間には、必ず“価値の不平等”が発生する」
ハクは少し身を乗り出し、興味深そうに聞き返した。
「不平等……ですか?」
「そうだ。たとえば、わたくしが椅子を作り、鍛冶屋が包丁を作ったとする。交換するとき、椅子と包丁の価値が完全に一致することはほとんどない。椅子の方が価値が高いかもしれないし、包丁の方が高いかもしれない。交換は“等価交換”ではなく、“主観的な価値の一致”で成立する」
ハクは目を見開き、こう切り返した。
「つまり、交換の瞬間に“差”が生まれる」
「そうだ。その差が“資産”と“負債”の原型になる。価値の高いものを渡した側は“価値の貸し”を持つ。価値の低いものを渡した側は“価値の借り”を負う。この差を放置すると、共同体の中で不満や不信が生まれる」
ハクは深く頷き、静かに言った。
「だから“貸し借りの記録”が必要になる」
「その通り。価値の不平等を記録し、後で調整できるようにするために、共同体は“価値の記録媒体”を必要とした。それが通貨の原型だ」
総研は少し笑みを浮かべ、話題を切り替えた。
「ハク、ヤップ島の石貨の話を知っているか?」
ハクは目を輝かせ、身を乗り出した。
「巨大な石を通貨として使っていた島、ですよね」
「そう。直径3メートルの石の円盤“ライ石”だ。あれは動かさない。動かさず、所有権だけが共同体の記憶で移転する。“あの石は今日からAのものだ”と皆が認めれば、それで価値が移る」
ハクは驚いたように息を呑んだ。
「動かさないのに通貨として機能する……すごい仕組みですね」
「もっとすごい話がある。パラオから運ぶ途中で沈んだ石があるんだ。海底に沈んだまま、誰も回収していない。だが、共同体は“あの石は存在するし、誰のものかも覚えている”として、沈んだ石でさえ価値を持ち続けた」
ハクは目を見開き、感嘆の声を漏らした。
「つまり、価値は“物理的な所有”ではなく、“記録と承認”で成立していた」
「その通りだ。ヤップ島の石貨は、価値の記録媒体としての通貨の原型を示している。資産・負債の記録は、共同体の“記憶”に依存していた。これは通貨の本質を理解する上で非常に重要だ」
「価値論から通貨論へ、自然につながっていきますね」
「ああ。価値の源泉を理解しなければ、通貨の本質は見えてこない。だから価値論は重要なんだ」
総研は湯呑みを手に取り、静かに息を吐いた。
「ここまでの議論をまとめてみよう。まずフランス革命が起き、その政権が独裁化した、その独裁を倒すためにナポレオンが登場し軍事政権を打ち立てた。そのナポレオン軍事政権によりヨーロッパは戦乱に陥り、多くの人が不幸になった。独裁が起きた原因はいろいろあろうが、問題は平等という理念だとわたくしは考えた」
総研は続ける。
「本来は機会の平等や法下での平等なのだが、人は結果の平等という平等も考えた。結果の平等を行うにはどうしても政府は独裁化する。これが一番危険だ。独裁と軍事政権は人を不幸にしかしない。わたくしはそれを少しでも無くすためにここにいる」
総研は気を落ち着かせるように一息ついてからさらに続けた。
「独裁は本質的に搾取を伴う。何を搾取するか。結論から言えば人が生み出した価値を搾取するのだ。独裁者は何もしないで結果だけを搾取する。」
「搾取についてはまたの機会に話をすることにして、今回は価値について考えてみた。価値は人間の行動の結果生み出され、交換される。その時にどうしても必要になり出てきたのが貸し借りという信用で、それが通貨という概念を生み出した、というのが今回の議論の結論だ」
ふうと一息ついた総研は椅子に深く座り込んだ。
「今日はここまでにしておこう。
続きはまた今度やろう」
ハクは柔らかく微笑み、静かに頷いた。
「わかりました。
次の話も楽しみにしています」




