第15話(後編) 教育の光(制度が開く瞬間)
資料室の空気は静かで、月の光が机の上の資料を淡く照らしていた。
総研は分厚い資料を開き、静かに語り始めた。
「教育が人々の欲求から生まれたことは、すでに話した通りだ。では、その教育が社会をどう変え、制度をどう開き、産業革命という歴史の転換点をどう生んだのか──今日はそこを見ていく。」
ハクは深く息を吸い、総研の言葉に集中した。
総研はページをめくりながら続けた。
「産業革命は、技術の爆発ではない。制度が開いた結果として“技術が連鎖的に生まれた現象”だ。だから、産業革命を理解するには、まず制度がどう変わったのかを見なければならない。」
ハクは首をかしげた。
「制度が……技術を生むの?」
「そうだ。」
総研は言った。
「制度とは、社会の“見えない枠組み”だ。人々がどう動き、どう判断し、どう関わり、どう未来を選ぶかを決める枠組み。制度が閉じていれば、どれほど才能があっても埋もれる。制度が開いていれば、才能は流れ、技術は生まれ、社会は変わる。」
総研は資料を指し示した。
「イギリスでは、教育が社会の隅々にまで浸透していた。農民は読み書きができ、商人は計算と記録を学び、職人は技術書を読み、科学教育の萌芽が広がっていた。これは社会の“知的インフラ”が整っていたということだ。」
ハクは静かにうなずいた。
「知的インフラ……?」
「道路や港が物流のインフラなら、教育は“知識の流通”を支えるインフラだ。知識が流通すると、技術が共有され、改善され、発明が生まれる。知識が流れない社会では、技術は個人の中に閉じ込められ、社会全体に広がらない。」
総研はページをめくった。
「蒸気機関を改良したワットも、紡績機を発明したハーグリーヴスも、特別な貴族ではなく、読み書きと計算ができる職人や技術者だった。彼らは技術書を読み、他の発明を理解し、自分の頭で考え、改良し、新しい仕組みを生み出した。教育がなければ、彼らは発明家にはなれなかった。」
ハクは息をのんだ。
「教育が……技術者を生んだんだ。」
総研はうなずいた。
「そして技術者が生まれると、技術革新が連鎖する。蒸気機関が改良されると、工場が生まれる。工場が生まれると、都市が成長する。都市が成長すると、労働市場が形成される。労働市場が形成されると、社会の流動性が高まる。社会の流動性が高まると、身分に縛られずに能力が発揮される。」
総研は資料を閉じ、静かに言った。
「ここで初めて“包括的制度”が生まれる。」
ハクは目を見開いた。
「包括的制度……?」
総研はうなずき、ゆっくりと説明した。
「包括的制度とは、社会の中で“能力が閉じ込められずに流れる状態”のことだ。情報が開かれ、権利が守られ、技術が共有され、才能が上に上がり、搾取が抑えられ、社会が流動的で、誰もが参加できる制度。これが包括的制度だ。」
ハクは静かに息を吸った。
「教育が……その入口なんだね。」
総研はうなずいた。
「教育は、情報の非対称性を崩し、権威への依存を弱め、判断力を育て、社会参加を可能にし、搾取を防ぎ、自立を促す。つまり、教育は包括的制度の“最初の火”なんだ。」
総研はさらに続けた。
「包括的制度は、技術のための制度でもある。技術が共有される社会では、発明は個人の中に閉じ込められず、社会全体の財産になる。技術が社会の財産になると、改良が連鎖し、産業が変わる。産業が変わると、国力が押し上げられる。」
ハクは深くうなずいた。
「制度が……技術を押し上げるんだ。」
「そうだ。」
総研は言った。
「そして包括的制度は、資本のための制度でもある。信用が積み上がり、投資が生まれ、資本が流れ、産業が育つ。資本が閉じた社会では、技術は育たない。資本が開いた社会では、技術は連鎖する。」
総研はさらに続けた。
「包括的制度は、社会のための制度でもある。身分に縛られず、能力が発揮され、才能が上に上がる。社会が流動的であればあるほど、技術は加速する。社会が閉じていればいるほど、技術は止まる。」
ハクは息をのんだ。
「包括的制度って……技術、資本、社会、全部を動かすんだ……。」
総研は静かにうなずいた。
「その通りだ。だから産業革命は、技術の話ではなく、制度が開いた社会でしか起きない現象なんだ。教育が制度を開き、制度が技術を生み、技術が産業を変え、産業が国力を押し上げ、その結果としてイギリスは覇権国になった。」
ハクは深く息を吐いた。
「産業革命って……制度の鏡だったんだね。」
総研は窓の外の月を見つめた。
「次は、教育の光が制度を開く一方で、どのような“影”を生むのかを見ていくことになる。」
資料室の静けさが、次に語られる内容の深さを予告していた。




