第14話(後編) 制度の分岐点
資料室の空気は、さらに静かに沈んでいた。
だが窓から差し込む光は変わらないはずなのに、どこか柔らかく感じられる。
机の上には、世界各地の制度構造を示した図や年表が、整然と並べられていた。
総研は一枚の紙を指先で押さえた。
そこには、搾取制度に陥った社会の共通パターンが簡潔にまとめられている。
「搾取制度の本質は、社会が“閉じている”という点にある。情報は偏り、選択肢は限られ、能力は発揮されない。閉じた制度は、個人の努力では突破できない壁を作る。」
ハクはその言葉を胸の奥で反芻した。
「閉じている……だから、どれだけ頑張っても報われないんだね。」
総研はうなずいた。
「搾取制度では、努力は構造に吸収される。個人の力では制度を変えられない。だからこそ、社会は停滞し、やがて衰退する。これは特定の国や時代だけの話ではない。構造が閉じれば、必ず同じ方向に進む。」
ハクは視線を資料に落とした。
そこには、異なる地域・異なる時代の社会が、似たような軌跡をたどって滅びていく様子が並んでいた。
税の負担が一部に集中し、身分が固定され、政治参加の道が閉ざされる。
細部は違っても、構造は驚くほど似通っている。
「搾取は、誰か一人の悪意から生まれるわけではない。構造が閉じているとき、その構造の上に立つ者は、意識せずとも搾取する側に回りやすくなる。逆に、下にいる者は、意識せずとも搾取される側に押し込まれる。」
総研の声は淡々としていたが、その内容は重かった。
ハクは静かに息を吐いた。
「じゃあ……搾取をなくすって、“悪い人をやめさせる”って話じゃないんだね。制度そのものを変えないといけない。」
「そうだ。」
総研は別の図を広げた。
そこには、搾取制度とは対照的な構造が描かれていた。
線は閉じるのではなく、外側へ向かって伸び、枝分かれし、重なり合っている。
「搾取制度の反対にあるのが、包括的制度だ。社会が開かれ、情報が共有され、選択肢が広がり、能力が発揮される。閉じた制度とは違い、成長する方向へ向かう。」
ハクはその図を見つめた。
「開かれた制度……それって、自由が必要なんだよね。」
総研はうなずき、フランス革命の自由の理念について扱った時の、自由の要点がまとめられた紙を取り上げた。
「自由とは、好き勝手に行動できることではない。自由とは、選択肢が開かれ、情報があり、選んだ結果を受け止められる余白があり、能力を発揮できる状態のことだ。」
ハクはその言葉を思い出すようにゆっくりとうなずいた。
「自由は……個人の中にあるものじゃなくて、環境の条件なんだよね。どれだけ能力があっても、環境が閉じていたら自由は機能しない。」
「その通りだ。」
総研は静かに続けた。
「自由は環境変数だ。だから、自由が整っていなければ、包括的制度は成立しない。だが、自由だけでは不十分だ。」
ハクは首をかしげた。
「自由だけじゃ、足りない……?」
総研は新しい資料を手に取った。
そこには、教育制度の歴史的変遷と、その社会的影響が簡潔に整理されている。
「自由は選択肢を開く。だが、選択肢を扱う能力がなければ、自由は機能しない。教育は、自由を現実の力に変える制度だ。」
資料室の空気が、静かに沈んでいく。
ハクはその言葉の意味をゆっくりと噛みしめた。
「じゃあ……教育って、自由を支えるための“もう一つの前提条件”なんだね。」
「そうだ。」
総研はうなずいた。
「包括的制度は、自由と教育の両方が揃って初めて成り立つ。自由が選択肢を開き、教育がその選択肢を扱う力を育てる。どちらか一方だけでは、制度はすぐに歪む。」
ハクは少し考え込んだ。
「自由だけがあって、教育がないと……選択肢はあっても、どう選べばいいかわからない。逆に、教育だけがあって、自由がないと……能力はあっても、使う場所がない。」
総研は静かにうなずいた。
「その通りだ。自由だけの社会は、選択肢の過負荷に陥りやすい。教育だけの社会は、能力が制度に吸収され、固定化されやすい。包括的制度は、その両方をバランスよく整える必要がある。」
ハクは深く息を吸った。
「搾取制度が閉じていく制度なら、包括的制度は開いていく制度……。その違いを決めるのが、自由と教育なんだね。」
総研は窓の外に視線を向けた。
光がゆっくりと資料室に差し込んでいる。
その光は、机の上の資料だけでなく、これから語られる内容の方向も照らしているように見えた。
「次は、その教育がどのように制度を支えるのかを見ていくことになる。教育は、個人の未来だけでなく、社会の未来を形づくる“構造”そのものだ。」
ハクは静かにうなずいた。
搾取制度の影を見てきたからこそ、これから語られる“教育の光”がどれほど重要なのかを感じ取っていた。
自由が環境の条件だとすれば、教育はその環境の中で人が立ち上がるための足場なのだろう。
資料室の静けさが、次に語られる内容の重さを静かに予告していた。
ハクは机の上の資料にそっと視線を落とし、これから始まる「教育の物語」を受け止める準備を整えた。




