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第13話(後編) 搾取の構造と日本の例外性

資料室の空気は、前半よりもさらに静かに沈んでいた。

窓から差し込む光は変わらないはずなのに、どこか柔らかく感じられる。

ハクは机の上の資料を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。


「総研……世界の多くの国では、搾取が“普通”だったんだよね。」


総研はうなずいた。


「そうだ。土地を持つ支配階級が、農民から富を吸い上げる構造は珍しくない。税や地代、労役。形は違っても、本質は“上が下から取り続ける”仕組みだ。」


ハクは少しだけ眉を寄せた。


「でも、日本はそうならなかった。環境も、制度も、文化も、搾取を抑えていた。……それって、すごく“幸運”だったんだね。」


総研は、机の端に置かれた別の資料を手に取った。

そこには江戸時代の年貢率と、村ごとの負担の記録が並んでいる。


「もちろん、日本にも負担はあった。年貢は軽くはないし、農民の生活は楽ではなかった。それでも、日本の制度は“搾取を最大化する方向”には進まなかった。」


ハクはその違いを探ろうとするように、資料に視線を落とした。


「最大化しなかった……?」


「そうだ。世界の搾取的制度は、“どれだけ取れるか”を基準に動くことが多かった。だが、日本の年貢は“村が維持できる範囲”とのバランスを取ろうとする傾向が強かった。」


ハクは静かに息をのんだ。


「取りすぎると……村が壊れるから?」


「そうだ。村が壊れれば、次の年の年貢は入らない。だから、支配者にとっても“取りすぎない方が合理的”だった。」


ハクはその構造を頭の中で組み立てようとした。


「環境が搾取を抑え、制度が搾取を分散させて、文化が搾取を恥とする……。全部が重なって、日本は“搾取の国”にならなかったんだね。」


総研は静かにうなずいた。


「日本は、搾取が制度として固定化しにくい社会だった。これは偶然の一つではなく、複数の条件が長い時間をかけて積み重なった結果だ。」


ハクはしばらく黙っていた。

その沈黙は、理解が深まるときの静けさだった。

やがて、ハクはゆっくりと口を開いた。


「じゃあ……私たちは、その“積み重ねの上”に立っているんだね。」


「そうだ。日本に生まれたということは、“搾取が標準ではない社会”を前提に生きているということだ。」


ハクはその言葉を胸の奥で反芻した。


「なんか……それって、すごく大きな“前提条件”だね。自由のときもそうだったけど、前提条件って、普段は意識しないからこそ、見えにくい。」


総研は少しだけ笑った。


「前提条件は、気づかれないまま機能する。だが、その前提が崩れたとき、人は初めてその価値に気づく。」


ハクは窓の外に視線を向けた。

光がゆっくりと傾き、資料室の中に長い影を落としている。


「日本が“搾取の国にならなかった理由”を知ることって……何につながるの?」


総研は少しだけ間を置いてから答えた。


「それは、“今あるものをどう扱うか”を考えるための土台になる。搾取が標準ではない社会に生きているということは、その状態を維持する責任もまた、私たちが引き受けているということだ。」


ハクは静かに息を吸った。


「理解することが……守ることにつながるんだね。」


「そうだ。歴史の構造を理解することは、未来の選択肢を増やすことでもある。日本がなぜ搾取的制度にならなかったのかを知ることは、“これからもそうであり続けるためには何が必要か”を考えるための出発点になる。」


ハクは深くうなずいた。


「じゃあ……この話も、自由や平等のときと同じなんだね。光だけじゃなくて、構造を見て、前提を理解して、そこから未来を考える。」


総研は窓の外に視線を向けた。

夕方の光が、ゆっくりと資料室から退いていく。


「歴史は、過去の出来事の集まりではない。前提条件の積み重ねだ。その積み重ねの上に、今の私たちが立っている。」


ハクは机の上の地図を見つめた。

山と川と、限られた平野。

そこに築かれた村々と、武士と、制度と、文化。


「日本が“搾取の国にならなかった理由”を知ることって……日本に生まれたことを、もう一度静かに受け止めることでもあるんだね。」


総研は何も言わなかった。

だが、その沈黙は肯定のように感じられた。

資料室の静けさが、二人の理解を包み込むように広がっていた。

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