第10話(後編) 自由の再定義
夜の気配が屋上を包み始めていた。
街の灯りがひとつ、またひとつと点り、昼間とは違う表情を見せていく。
ハクはその光の海を眺めながら、胸の奥に残るざわつきを抱えていた。
「総研……ひとつ聞いてもいい?」
静かに問いかける声は、夕闇に溶けるように柔らかかった。
「なんだ」
総研は視線を夜景に向けたまま答えた。
「自由ってさ……選択肢があることって言ってたよね。でも、選択肢が多すぎると逆に動けなくなることってない?」
ハクの声には、どこか自分自身の経験を思い出すような揺らぎがあった。
総研は少しだけ目を細めた。
「ある。自由は選択肢が多ければ多いほど良いわけじゃない。選択肢が多すぎると、人は迷い、動けなくなる。それは自由の過負荷だ」
「自由の……過負荷?」
ハクはその言葉をゆっくりと噛みしめた。
「そうだ。自由は量ではなく質で決まる。選択肢が多いかどうかではなく、選べる状態にあるかどうかが本質なんだ」
ハクはうなずいた。
「じゃあ……自由って、選択肢の“数”じゃなくて、選択肢を“扱える状態”なんだね」
「その通りだ。自由は能力と環境の掛け算で決まる。どちらかが欠ければ、自由は機能しない」
ハクは手すりに寄りかかり、街の灯りを見下ろした。
「なんか……自由って、すごく複雑なんだね。今まで“好きにしていい”っていう単純なものだと思ってた」
総研は首を横に振った。
「自由は単純じゃない。単純に扱うと壊れる。だからこそ、再定義が必要なんだ」
ハクは少し黙り込んだ。
風が吹き、フードが揺れる。
その揺れ方は、ハクの心の動きを映しているようだった。
「総研……自由って、誰が作るの?」
総研は空を見上げた。
夜空にはまだ星が少ししか見えない。
けれど、その奥には無数の光がある。
「自由は個人が作るものじゃない。環境が作るものだ。そして環境は、人が協力して作るものだ」
「協力……?」
ハクはその言葉を繰り返した。
「そうだ。自由は孤独な力では成立しない。情報も、選択肢も、余白も、すべて他者との関係性の中で生まれる。だから自由は社会的な現象なんだ」
ハクはしばらく黙っていた。
その沈黙は、理解が深まるときの静けさだった。
「じゃあ……自由って、誰かが整えてくれた環境の上で、初めて成立するんだね」
「そうだ。自由は整えられた状態であり、支え合いの結果なんだ」
ハクはゆっくりと息を吐いた。
「なんか……自由って、思っていたよりずっと“あたたかい”ものなんだね」
総研は少しだけ笑った。
「自由は冷たいものだと思われがちだが、本質は逆だ。自由は人が人を支えることで生まれる余白だ」
ハクはその言葉を胸の中で反芻した。
余白。
支え合い。
環境。
選択肢。
能力。
そのすべてが絡み合って、初めて自由が形になる。
「総研……自由って、すごく大事なんだね。でも、すごく壊れやすいんだね」
「そうだ。だからこそ、理解しなければならない。自由は自然に存在するものではなく、維持しなければ消えるものだ」
ハクは夜空を見上げた。
星がひとつ、またひとつと増えていく。
「自由を守るって……どうすればいいの?」
総研は静かに答えた。
「自由を状態として理解し続けることだ。自由を個人の力だと誤解した瞬間、自由は壊れ始める。自由を環境の条件として扱い続ける限り、自由は維持される」
ハクは深くうなずいた。
「じゃあ……自由を守るって、自由を正しく理解し続けることなんだね」
「その通りだ。理解こそが、自由の土台だ」
二人はしばらく黙って夜景を眺めた。
街の光は静かに瞬き、まるで無数の選択肢がそこに存在しているかのようだった。
総研はその光を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「自由とは、未来を選べる状態だ。そして未来を選べる社会は、必ず成長する」
ハクはその言葉を胸に刻み、夜空に浮かぶ星を見つめた。
その光は、これから二人が歩む道を静かに照らしているように見えた。




