第10話(前編) 自由の再定義
夕暮れの光が研究棟の屋上を淡く染めていた。
冬の空気は澄んでいて、街のざわめきが遠くに小さく響く。
総研は手すりにもたれ、沈みゆく太陽をじっと見つめていた。
「今日はなんだか静かだね。いつもより空気が張りつめてる感じがする」
白いフードを揺らしながらハクが近づいてきた。
総研は小さく笑った。
「ここから物語が成長編に入る。だから一度、根っこを整えておきたいと思ってな」
「根っこって、制度の話?」ハクが首をかしげる。
「いや、その前だ。もっと深いところ。自由の話だ」
ハクは目を瞬かせた。
「自由って……もう話したよね。奪われる自由とか、閉じられた自由とか」
「それは自由が失われた状態の話だ。これから必要なのは、自由がどう成り立つかの話だ」
ハクは屋上の縁に腰を下ろし、足をぶらぶらさせながら言った。
「自由って、好きにやれることじゃないの?」
総研は首を横に振る。
「それは自由の影だ。本質的な自由とは、選択肢が開かれ、能力が発揮できる状態のことだ」
「状態……?」
ハクはつぶやいた。
「そうだ。自由は個人の力ではなく、環境の条件なんだ」
ハクは少し考え込んだ。
「じゃあ、自由って……自分の中にあるんじゃなくて、外側にあるの?」
「その通りだ。自由は環境変数だ。どれだけ能力があっても、環境が閉じていれば自由は機能しない」
ハクは眉を寄せた。
「でもさ、自由って“自分でつかみ取るもの”ってイメージがあるよね。努力すれば自由になれる、みたいな」
総研は静かに首を振った。
「努力で自由をつかめるのは、自由がすでにある程度整っている環境だけだ。本当の自由は、努力の前に存在する前提条件なんだ」
ハクは息をのんだ。
「前提条件……?」
「そうだ。自由とは、選択肢が開かれていること。選択肢を選べるだけの情報があること。選んだ結果を受け止められる余白があること。そして、選んだ先で能力を発揮できること。これらが揃って初めて自由は機能する」
ハクはしばらく黙っていた。
夕暮れの風が吹き、フードが揺れる。
「じゃあ……自由って、すごく繊細なんだね。ただ“好きにしていいよ”って言われても、それだけじゃ自由じゃないんだ」
「そうだ。自由は放任ではない。自由は整えられた状態なんだ」
ハクは立ち上がり、総研の隣に並んだ。
「じゃあ、自由を再定義するっていうのは……自由を状態として理解し直すってこと?」
「そういうことだ。自由を個人の能力として扱うと、自由はすぐに壊れる。自由を環境の条件として扱うと、自由は初めて持続する」
ハクは深く息を吸った。
その息は冷たい空気に白く溶けていく。
「自由って……思っていたよりずっと大きいんだね。自分の気持ちとか、やりたいこととか、そういう小さな話じゃなくて……もっと広い、世界の話なんだ」
総研は静かにうなずいた。
「自由は世界のあり方そのものだ。そして、自由がどう定義されるかで、世界の形は変わる」
ハクはその言葉を胸の中で反芻しながら、沈みゆく太陽の最後の光を見送った。




