3話
「ありがとうございました。またいらして下さい。」
夜もふけり、お店も閉店の時間。最後の客が帰り、店の扉にかけられた「オープン」の看板を「クローズ」に架け替え扉を閉める。
「今日もご苦労様。コーヒー一杯飲んでくかい。」
「ありがとうございます。頂きます。あっ、先に着替えてきますね。」
そう言うと幸人はバックヤードに入っていく。マスターはそのうちに引いた豆をアルコールランプで温めていたフラスコの上部のロートに入れる。そうこうしていると着替えた幸人が鞄持って出てくる。そしてカウンター席に着いた。
沸騰したお湯がロートに上がる。引いた豆がそれを見慣れたコーヒー色付ける。スプーンでかき混ぜ、香ばしく心地の良い匂いが充満する。アルコールランプを消し、スプーンを取り出し眺めていれば、先程の逆でロートからフラスコにコーヒーが落ちる。ロートを外しカップにコーヒーを注ぎ幸人の前に差し出す。
「砂糖は要らなかったよね。」
えぇと返すとカップ内の水面に視線が落ちる。決して真っ黒ではない、ほのかに茶けた暖かみのある色合い。手にとれば外の寒さを忘れさせる。一口飲み自然と一息吐く。
「やっぱりマスターの入れてくれるコーヒーは最高ですね。」
「ははは、嬉しいことを言ってくれるね。それにしても幸人くんはコーヒーが好きだね。いつもブラックで飲んでるし。」
ゆったりとカップを口に運ぶ幸人。同じようにコーヒーを味わうマスターは朗らかに笑う。
「インスタントのはそうでもないんですが、うちの父親もよくコーヒーを入れて飲んでたんでその影響ですかね。」
幸人もまた笑顔を見せた。そして飲み終わったカップをソーサーに置き席を立つ。
「ご馳走さまでした。それじゃあこれで失礼します。妹も待ってますし。」
「うん、また宜しくね。ほのかちゃんにもよろしくね。」
肩ほどの高さで小さく手を振るマスターに同じく小さく手を振り扉を開け外に出た。
時刻は九時を回った程。行き交う人もまばらになり、皆帰路に、もしくは遊びにか歩いている。この十二区都心に近い事もあって街灯や電光掲示板も多い。そのため夜道はさほど暗くない。治安も迷宮がいつ発生するか分からないためにガードが常に巡回している為、せいぜい起こる事件は小競り合い程度だ。
サクサクと薄ら残った雪を踏みしめながら歩く。喫茶店から駅まではそこまで離れていないがもう何回も見た景色に変化がないか、少し高い位置を見ながら歩く。さっき飲んだコーヒーのおかげか、はーっといつもより白い息が出る。それ位しか変化のない。いつも通りの、代わり映えのない世界だった。
はずっだった
ある路地の前で足が止まる。別に見慣れないわけでもない。いつも通る駅までの道の、いつも通る店々の隙間にある少し薄暗い路地。ジッと目を凝らすも違和感はない。しかし無性に気になる、この先に行けば何かあるといった予感するのだ。
「何かあれば引き返せば良いだろうし、行ってみるか。」
一抹の不安は残るがその路地に足を踏み入れる。室外機や雨樋の配管、先日の雪の残りなど変わったものは見受けられない。
広告の音や車の騒音、人の話し声と言った喧騒は次第に小さくなり、だんだんと幸人自身の歩く音しか聞こえなくなる。
「何も無いなぁ。やっぱりやめとけばよかった。」
ある程度進んだ路地の真ん中で、引き返そうと呟く。振り向きざまにL字になった道の先を見て足が止まる。
「嘘だろ、あれってまさか。」
目を見開き、呼吸が次第に荒くなる。そこにあったのは路地には不釣り合いな階段。それもまるで地下深くまでは続くような深い石階段。さらに青白い火が、まるで目印のように等間隔に壁面お照らしている。
とても現実味のない建造物。それに相応しい呼び名を幸人は一つ、知っていた。
「迷宮」
「なんでこんなところに迷宮が。もしかしてあのお客さん達が言ってた消失した迷宮って。」
喫茶店で聞いた話が脳裏に蘇る。レベル七の超危険な迷宮。それがこれなのかもしれないと。しかし幸人は妙に落ち着いていた。
「なんだろう、不思議と恐怖心はない。それどころか。」
安心感、もしくは安らぎに似た感覚を感じていた。マスターのコーヒーのような。
ふと視線を歩いてきた路地の方にやる。喧騒は相変わらず聞こえないが、その光は眩しいほどに見えていた。肩にかけた鞄をグッと握り、息を吐く。
「いざとなれば戻ってこれるだろうし、行ってみるか。」
きっと無謀と言われるだろう。そう思っても好奇心に似た感情に突き動かされ一歩、また一歩と石段を降り始めた。




