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ホラー短編集

地蔵峠

 「地蔵峠」という名称は全国各地にある。

 これは、某地方にある地蔵峠にまつわる話である。


 当時、私は山歩きを趣味としていた。登山と呼べるほどのものではない。リュックサックに昼食と水筒を入れ、カメラを片手に遊歩道や旧道を散策する程度のものだ。

 連休があると泊まりで山歩きを計画する。その土地の昔話を肴に地酒を楽しむのも目的のひとつだったため、全国展開のホテルよりも、地域に根差した宿を選ぶ。


 その時も、三代続くという古民家の民宿に宿泊した。

 私の他に客はない。

 囲炉裏端で夕食を頂きながら、私は女将と話をしていた。山歩きが趣味であり、明日は〇〇山へ行く予定だと言ったところで、不意に女将が口を閉ざしたので、私は酒の手を止めた。

「どうかなさいましたか?」

 すると女将は、言い淀むように目を伏せた。

「〇〇山へ行かれるのでしたら、地蔵峠を通られるのでしょうか」

「ええ。ネットで見たモデルコースにそう書かれてますので」


 言葉に逡巡するように、女将は目を泳がせる。不審に思い、私は

「それが何か?」

 と尋ねた。


 すると女将は、「近頃の人は迷信だと気にも留めないのですがね」と前置きをした上で、顔を上げてこう言った。


「あの峠にある首無し地蔵の頭が落ちていたら、引き返してください」


「首無し地蔵の、頭?」

 一見、矛盾する言葉である。

 しかしその後の女将の話で、私はその理由を知ることとなる。



 ***



 その地方は貧しかった。年貢で全てを奪われ、年中飢えていない民がいないほどだった。

 そのため、子殺しが後を絶たない。それでは農村が衰退し、徴収する年貢が減ってしまうと、大名は子殺しを固く禁じた。


 困ったのは農民である。

 ただでさえ飢えているのに、幼子の食い扶持など確保できない。


 そんな彼らが取った手段が、「子捨て」だった。


 村の裏山にある峠道。

 崖沿いの狭路であり、交通の難所であるこの場所で、子を崖から突き落とす。


 隣村への用で通った際の「事故である」と言い張れば、役人もそれ以上詮議できない。

 幼子の手を引き、或いは背負い、急な山道を行く母親。

 そして峠に来たところで、その手を離し、崖に向けて背を押すのだ。


 勿論、罪悪感がないはずがない。

 名目上は多発する事故(・・)への供養と地蔵が建てられ、『地蔵峠』と呼ぶばれるようになったのだが……。


 ある時、石の地蔵の首がなくなっているのに気付いた。

 誰かの悪戯か……と、村人は地蔵を建て直すが、しばらくすると、また頭がなくなっている。


 これはどうしたことかと、ある者が崖の下を調べてみると、地蔵の頭が幾つも落ちているではないか。

 不気味に思った村人たちは、首が落ちたまま地蔵を放置。峠に近付く者もいなくなった。


 その何年か後。

 藩の役人が検地のために、この峠を通りかかった時のこと。


 馬子に馬を引かせ、役人は首無し地蔵の前を通り過ぎようとした。

 ――すると。


 突然、馬が足を滑らせ、役人共々、崖の下へ真っ逆さまに落ちたのである。


 村へ駆け込んだ馬子にそれを知らされた村人たちは、ようやく首無し地蔵の真相に気が付いた。

 崖に捨てられた子の怨念が、地蔵の首を取り、峠を通る者を引きずり込むのだと。


 それから村人たちは首無し地蔵を丁寧に祀り、頭の代わりに石を置いた。

 だがしばらくすると、その石が崖の下に落ちている。

 その代わり、首無し地蔵に石が乗っている間は、事故は起こらない。


 地蔵の頭が身代わりになるのである。


 そのため、地蔵峠を通る者は必ず、首無し地蔵の上に石があるかを確かめ、無い場合は決して通らないようにしている――。


「近頃じゃ、地元の人はあの道を通りませんので。たまに世話役が見に行って、頭が落ちていたら乗せてくるみたいですけど」



 ***



 気味が悪いとはいえ、よくある昔話である。

 私は「興味深い話でした」と聞き流し、食事を終えると部屋で休んだ。


 ――翌日。

 私は〇〇山へと向かった。

 散策路として整備されており危険はないように見えたし、さすがに今どき、そんな昔話を信じて計画を変えるのもどうかと思ったため、予定通りハイキングコースに入った。


 薄く落ち葉が積もっている以外、管理された遊歩道である。木漏れ日と通り抜ける山風が心地良い。

 なおかつ、有名な観光地でもないため、私以外に散策者はいないようだった。


 登り坂をしばらく行くと、道が狭まり石段になる。そこに、

『この先狭路 通行注意』

 と書かれた看板が立っていた。


 その横に、『地蔵峠』の標識。


 昨夜の女将の話を思い出し、私の歩みは自然と緩くなっていく。

 摩耗し苔むした石段。そこをかつて、子の手を引き、あるいは子を背負い通ったであろう母親の姿を思い浮かべると、上気した肌を濡らす汗が一気に冷えた。


 とはいえ、たかが昔話だ……と、私は気持ちを改め、石段に踏み込む。

 両手に迫る鬱蒼とした木々は、三十段も登ったところで途切れた。


 その先は、峠。

 崖沿いの狭路が、山肌に沿って延びていた。

 突如開けた景色に、私は足を止めた。そしてカメラを構え、渓谷の絶景を収めようと足を踏み出し、ギョッとして立ち止まった。


 ファインダーの中にある、小さな祠。

 崩れ去りそうに朽ちたそれを認識して、私は見間違いではないかと、何度も確認した。


 祠の隙間に見える石の地蔵に、首がないのだ。


 ――峠にある首無し地蔵の頭が落ちていたら、引き返してください――


 昨夜の女将の言葉がぐわんぐわんと脳裏を巡る。

 この先に進んだら、何が私を待ち受けるのだろうか。

 カメラを持つ手がじっとりと汗ばむ。震えで焦点が定まらないファインダーを覗いたまま、私は動けなくなった。


 とはいえ、昔とは違う。柵もあれば、道もなだらかに整備されている。ことさら危険な印象もない。

 けれども足が、一歩も前に進まないのだ。


 嫌な汗が背中を濡らす。

 頭では「そんな迷信に惑わされるのはどうかしている」と分かっているのだが、体が全く言うことを聞かない。


 それからどのくらいそうしていたか、記憶にない。

 だが、背後から掛けられた、

「こんにちは」

 という明るい声に、ギクッと大きく振り返ったのは覚えている。


 それは、私と同世代の男性だった。

 同じくよそから来た散策客だろう。トレッキングシューズの足取りも軽やかに、彼は私の横を通り過ぎていく。


 山で人に会ったら挨拶をするのがマナーというのは、私も聞いたことがある。万一遭難した時のため、他の登山者に印象を残しておく、という目的もあるようだ。

 だから彼が私に挨拶したのには全く他意がなく、マナーとしてのものに違いない。


 一方私は、カメラを構えたまま動けなかった。

「進んではいけない」

 という声が喉まで出かかっているにも関わらず、私の理性が「馬鹿馬鹿しい。迷信を根拠に彼を止めても、おかしな奴だと思われるだけだ」と、それ以上出てこないのだ。


 その間にも、彼の足音は遠ざかっていく。早く彼を止めねばという気持ちと、そんな馬鹿なという理性がせめぎ合い、脳は混乱し、心臓は拍動を速め、肺は柔軟性を失う。

 浅い呼吸を繰り返し、祈るような気持ちで目は彼の背中を追う――何かの拍子に足を止め、こちらを振り返ってくれないものか。

 もしくは何事もなく、この峠を通り去ってくれないものかと。


 だが、祈りは届かなかった。

 彼がちょうど、祠の前を通り過ぎた時。


「アッ――!!」

 短い叫び声を上げ、彼はよろめく。

 そして、まるで吸い込まれるように、足から柵の隙間を抜け、崖の下へと姿を消したのだ。


「………あぁ……あぁ……」

 震える吐息が喉から漏れる。辛うじて身を支えていた膝がガクリと折れ、私は腰から崩れ落ちた。

 こんな事……こんな事など、あっていいはずがない……こんな事……!!


 だが辛うじて、私の理性は残っていた。

「助けを……助けを呼ばなければ……!」

 と意識し、ようやく私の身は自由になった。

 半ば転げるように山道を下りながら、私は携帯電話を手にした。



 ***



 その後、地元の警察署で事情を話した。

 彼は遭難死として扱われるようだ。状況的に、誰がどう見ても事故である。


 しかし、私はひとつだけ、警察に言わなかった。



 ――崖の下から伸びた無数の手が、彼の足を掴んで引き摺りこんだのを――



 自分ですら、そんな記憶を信用していない。警察に言ったところで頭のおかしな奴だと思われ、運が悪ければ、私が突き落としたと思われかねない。

 一通り事情聴取を終えると、私は逃げるように街へと帰った。


 それからというもの、二度と山歩きはしていない。

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