第一話 そうして僕は逃げ出した7
さて、どれほど苦手だろうとも、自分で認めてしまった事は、簡単に裏切るべきでは無いと勇太は考える。
「よーし! 息が乱れて来ても走れ! 全力で走れ! 君は君の全力を知るべきだし、持久力を鍛える事は悪い事じゃあない! だーかーらー休むなっ!」
結構辛い事が多いものの、身体を動かすのは気分転換になる。そのはずだし、それ以外にする事も無かったし……。
「良いか? 敵と対面した時に重要な事は二つだ。一つは敵から目を逸らさない事。もう一つは常に頭で判断し続ける事。難しいって? 問題無い。生き死にが関わってる戦場じゃあ、集中力がぐんぐん上がってくるのが人間だ! だけど今、君は集中力が切れた! はい終了! はい君は今死んだぞ!」
多少、身体が痛む事もあれど、訓練を続ける内に、その場所も色々と融通される様になったらしく、この世界で活動できる範囲だって増えていく。
「剣の振りはそうじゃない! 力任せに振ったって、棒一本だって上手く使いこなせないんだぞ! だいいち君の力だったら半端な剣は折れちゃうから繊細に、じーーーっくり扱ってやるんだ! 女性の扱い方みたいに! え? 知らない? あ、それはごめん」
そうだ。辛くは無い。ロオンが続けて来る訓練は厳しさと複雑さを増す一方だったが、それでも続いてひと月程。多少なりとも慣れて来た。そのはずだ。根を上げる事も無くなっている。
むしろ完璧だ。完璧に近い状態で―――
「もー駄目だ! 無理! ギブアップ! なんなんだよもー! 剣とか盾とか鎧の着方とか、そんなのまで訓練する必要あるの!?」
騎士団庁舎の一部である、学校の校庭の様なグラウンドで寝転がりながら、勇太は叫んだ。
汗だくで、周囲の他の騎士団員から何事かとじろじろ見られているが、知った事か。第一身を守る訓練に、クロスボウの使い方や背負い方、背負ったままの長距離行進なんていったい何がどう繋がるのか。
もっと早く気付くべきだったが、関係の無い訓練までしている気がする。
「いやー、俺もちょーっと気合が入っちゃってたかなー。けど喜べ、ユウ。君はもっと前にそれを言っても良かったが、今日まで耐えてた。かなり予想外。かなり鈍いとも言える」
「嬉しくないんだけどさぁ!」
がばっと上半身を起こしつつ、ここ最近はずっと勇太の訓練を続けてくれているロオンを睨む。
親しくはなって来ているのだろうが、いまいち一歩踏み込めない関係性ではあった。それにはまあ、色々理由があるのだが、第一は彼の性格だろう。
「あーほら。俺って何度も言ってるけど、君みたいな人間への興味が抑えつけられない時があるっていうかさ。こう、これさせてみたらどんな感じなんだろうみたいな? そういう好奇心がもう……止まらないんだ!」
「人を実験動物みたいに見てくるなよ! ったく!」
これである。彼との距離がなかなかに狭まらないのは、彼への警戒心が解けないからだ。それに、理由はそれだけではない。
「だいたい、兵士がする基礎的な訓練は続けてると思ってるけど、僕の身体の中にある力? みたいなのは、ぜんぜんそれっぽい訓練はしてないじゃないか。なんでそっちはしないの?」
「うーん? それはどういう?」
はぐらかされた様な物言いをされるので、少々イラっとしてしまう。言いたい事が分からない訳でも無いだろうに。
「言葉が通じたり、文字が読めたり、こうやって激しい運動をしたってすぐ息が整ってくるくらいに身体能力がある事は分かってるけど、ほら、以前、庁舎を襲った男、西村・王平だっけ? 彼を僕も直接見てるんだよ?」
チンピラみたいな男であったが、勇太と同様の身体能力以外にも、別の事をしていた様に見えた。
「……特異能力の事を言ってるのかい?」
「西村が使ってた物を爆発させる光の玉みたいな奴の事を言っているなら、そうだよ」
「あれはほら……確かに、君たちの力ではある。似た様な現象に魔法があるけれど、そっちは体系化されててどうしてそれが起こるのかはその順序が幾らか判明もしている」
魔法に関しては勇太の生きて来た世界には無い力だが、こちらの世界にはあると聞く。何も無いところで火を発生させたり、物に力を宿らせて特殊な効果を発揮させる等も出来るらしいが……異世界人が使う力はまたそれとは別であるらしい。
だが、それくらいしか勇太は知らない。こちらへの好奇心が旺盛であるはずのロオンすら、その力の事を詳しく話したがらないのだ。
「僕も、使い方さえ分かれば、あれと同じ様な事が出来る?」
「それは分からない。というか、異質な力であるからこそ、どう使うのかすら分かってないんだ。だから教えられないし、君はまったく違う力を使う様になるかもしれない。これまで知られている異世界人達は、同じ力を使ってはいなかった……と思うけど、例が少ないから断言も出来ない」
何も分からない力。であれば猶更、ロオンの様な青年は調べたがるのでは無いか。それこそ、勇太の様な丁度良い観察対象があるのだから。
「なら、試しに鍛えてみない? 僕なら、そういう力を持ったところで、君たちに危害は加えない」
「あーそれはちょっと心を惹かれる部分はあるけど……駄目だ。駄目駄目駄目。それをするのはまだ早いって言われてる」
「誰に?」
「あ……」
口を塞ぐロオンであるが、もう遅い。彼にそんな事を命じるのは、彼の上司のアイシンカくらいだ。
つまり、勇太が自分の身を守れる様に鍛えると言っても、それは色々と限られた部分での話なのだろう。
「僕に対して、何か隠し事をしている。そんなのが分からない僕じゃあないよ」
「いやそれはさぁ……ちょっと、複雑な事情って言うか……考えてくれよ。君はもう、今の時点ですら優れた力を持っている。そこらへんの騎士団員なんて、素手で何とか出来るくらいの力だ。俺がそこは保障する。けど、なら、それ以上の力を持った時、どうなる?」
「そうだね。これ以上、僕が力を持つと、君たちの方が大変だ。万が一にでも僕が反抗的になれば、制圧する事が出来ない。僕が腹立たしいのは、未だに僕はそういう存在だって見られてる事さ。何かあれば、苛立ち紛れに周囲を傷つける人間だって」
だから、彼らとは仲良く出来ないのかもしれない。どうしようも無い壁がある。自分と、この世界の人間達とは。
「その件なんだけどな。団長には考えがあるんだよ。これは口留めされている事だけど―――
ロオンとの話の途中で、勇太は咄嗟に立ち上がる。
驚いて一歩下がるロオンであったが、勇太の方はきょろきょろと辺りを伺っていた。
「何か聞こえなかった?」
「何って、特になーんにも聞こえやしない……悪い。聞こえた。しかも嫌な音だなこれは」
爆発が混じった破壊音。以前にも聞いた覚えのあるその音に、勇太は走り出そうとするも、ロオンに止められる。
「ちょっと待てって! おい、ユウ! どこ行くつもりだ!? 逃げるんだよな? 逃げるって言ってくれよ? でないと、この音が予想通りの音なら、何も出来やしないぞ!?」
「何もって、何かあるだろう!? また来たんだ。西村とかいう向こうの世界から来た人間が!」
実際のところ、何が出来るか勇太には分からない。けれど、自分と同郷の人間がこの世界の人間や建物を無遠慮に傷つけているというのは、どうにも止めるべき行為に思えてしまうのだ。
「訓練はまだ途中だ! 幾らお前だって、こういう破壊活動に慣れ切った奴相手に正面からぶつかったってどうなるもんじゃあない! もっとちゃんと……戦うならもっと先の話なんだよ!」
「もっと……先?」
「あ、しまった」
口を塞ぐジェスチャーをするロオン。違和感を覚えた彼の言葉は、実際に失言の類であったらしい。
「先になると、僕は他の人間と戦えるって事? なんで? 訓練は僕の身を守るためのものだったはずじゃあ……」
「いや、それはな、ユウ。慎重に話を聞いてくれよ? 頼む。それというのも―――
「彼らは君を我々用の兵器にするつもりなのだよ。別世界から来た人間に、別世界の人間をぶつけるつもりなのだ」
ロオンから咄嗟に視線を外す。声が聞こえた。さっきまで誰も居なかったはずの方向から声が聞こえて振り向くと、そこには黒いローブのナニカが居た。
「お前は!」
突然に現れたそのナニカを警戒する。
以前、周囲を爆発させる特異能力を持った西村と一緒に現れたその時は、このナニカの方が、立場が上に見えたが、今はナニカ一人だけが、勇太の前に立っていた。
そのローブ姿のせいで、身体の輪郭も定かではない、恐らくは男の声をしたナニカ。それが今、目の前に居て勇太に語り掛けて来る。
「暫くこの世界に暮らしてみてどうだった? 中沢・勇太君。彼らは……君を自由につもりが無い。それは分かって来たのじゃあないか?」
彼ら……この世界の住民すべてを一括りにした傲慢な表現。しかし、その男の声にはどこか共感出来てしまえる意味が込められていた。
「君はどう足掻いたところで、今のままであれば利用される。彼らは君を恐れているからだ。常に恐れ、どうすれば安全に居てくれるかを、君を見て考える。少なくとも、放し飼いにはしないだろう。その行動は恐怖が源泉である以上、それは理屈ですら無い本能だ」
「お前達がまず暴れたんだ! だからみんな怖がっている。なのにそれを言うのか! 勝手に来て、勝手に不満を言って、勝手に暴れだした。それを怖がるなって!?」
男に反論したのはユウでは無く、ロオンであった。ユウには向けない、敵意に満ちた感情を、男に向けるその姿。
(こんな彼は……初めてだ)
当たり前の話だ。勇太はロオンの事を碌にしらない。世界の事すら、未だに良くわかっていないのだから。人間の機微なんて分かるはずも無い。
「事実、恐怖はあるだろう? だが、その恐怖の克服する方法が問題だ。まさか……我々に敵わないから、我々と同じ存在を飼い慣らして、ぶつけ合わせようなどとは。恐ろしい事を考えるものだ。そうは思わないか? 中沢・勇太君」
「それは……本当なのか? ロオン」
視線は黒いローブの男から、ロオンの方へと戻る。しかしその視線は、元通りの物では無く、不信感があふれ出しそうになった物であった。
「ま、待ってくれ。ユウ。君は何かを勘違いしかねない状況だ。良いか? 確かに、この男の言っている事には一部真実が混じっている。だからって君に戦う術を教えていたのは、ちゃんと違う目的もあったんだ!」
「じゃあ、彼らと戦わせようって目的はあるって事か! 彼らは、そりゃあ悪い事はしているけれど、僕と同じ世界の人間だぞ! ぶつけて、殺し合わせて、それで終了って、そういうための存在として僕を見てたっていうのか!?」
「違うんだ! 話を聞くために、落ち着いてくれユウ! 後でちゃんと説明をする! だから今は―――
「今は、私を殺せと、この世界の人間はそう言っているのだ。中沢・勇太君。それでも君は、ここに留まるのか?」
ローブの男を見る。ロオンを見る。交互に見て、やはり悩む。いったい、自分はどういう状況になってしまったのか。
この世界に来てもう随分経ったと言うのに、未だ自分の立ち位置すら定まっていなかった。そんな事をここに来て思い知る。
自分は、いったい何をどうしていくのが正しいのか?
「今日まで、漫然とこの世界の人間が言う通りに過ごして来たのだろう? だが、それで知れる世界は恐ろしく狭い。ただ、やるべき事を押し付けられて、それをするのが自然な事だと教え込まれる。それが君だ。考えろ、中沢・勇太君。君は何を、どうしたい? 我々は……君に自由を与えようと言っている」
選べない。選べるわけがない。だってローブの男の言う通り、勇太は何も知らない。これまで、何も教えられていなかったから……。
(そうだ。ロオンも、アイシンカさんだって、まだすべてを教えてくれていない。肝心な事は、何も)
決断出来る材料が無い。与えられて居ないのだから出来るわけが無かった。なら、まだ、自分に自由を与えるという男の話の方が、選択肢は多くあるのでは? そんな事も頭に過ぎった瞬間―――
「おい! ボス! いい加減、話は終わったかい? 前と同じ場所をぶっ壊したところで、こっちは飽きちまうよ!」
爆発音と共に、西村の声が聞こえた。騎士団庁舎の一部を破壊し、土煙が立つ中、奴が現れる。
遊びみたいに建物を、人を爆発させているあいつ。
(こいつらに付いて行くって? 冗談じゃあない!)
どこへ行っても、碌な状況にはならない。そう勇太は判断した。判断して、走り出した。
「おい、ユウ! どこだ!? どこに行く!?」
ロオンの声を背中に、土煙の中を走り出す。走って走って走って、また背中に声が聞こえた気がした。
「次だ。中沢・勇太君。次、君の進退を決めて貰う。その時まで答えを見つけておくと良い」
そんなローブの男の声も背中に、ただひたすらに勇太は走り続けた。騎士団庁舎の外壁も、おかしな身体能力で登り切り、そこを越えていく。ロオンは追ってくるだろうか? アイシンカは? 他の騎士団員達は?
だがそんな物すら振り切って、勇太は走り続けたのだ。
いや、何も選べなくて逃げた。