第一話 そうして僕は逃げ出した1
勇太が目を覚ました時、そこは暖かいベッドと病室っぽい天井……が、そこにある事が望ましかったが、そうでは無く、硬い石壁と石の床に囲まれた、そんな空間で目が覚めた。
唯一の出入り口らしき外へ繋がるその場所は、石壁の代わりに鉄格子が存在しており、棒と棒の間は赤ん坊だって通り抜けられないくらいに狭い安全設計。
「……また違う夢でも見ているのかな」
と、呟いてみるものの、手足を縛るロープは気絶する前に縛られた物であるのは明らかで、引き続き、妙な夢を見ているらしい事が分かる。
一応、服や髪は乾いていたから、その程度の時間は経過しているのだろう。不自然な事があるとしたら、ずっとこんな硬い床に転がされていたであろうに、身体はそれほど痛くは無い事。むしろすこぶる快調に思える。いや、川の水が乾いた生臭い臭いは不快感があるものの。
「けど、痛みが無いって事は、多分夢だよ。うん。間違いない。試しに頬でも摘まんでみれば……ああ、どうしよう。縛られて手が動かせない」
「独り言が多いな、異世界人。まあ、起きたという事がすぐに分かるのは都合が良いか」
と、勇太が居る部屋の外から声と足音が聞こえて来た。
足音は鉄格子のある場所まで近づいてきて、その主の姿を鉄格子越しに見せて来た時点で止まる。
そこには、気絶する前に見た鎧の男と似た様な恰好をした、長身の女が立っていた。
「……」
勇太はその女を見て驚く。随分と美人だ。燃え盛る様な赤毛が特徴で、鎧を着こんでいるから正確には分からないが、きっとスタイルも良いのだろう。
ファッション誌のモデルか何かか? そんな風にも思うものの、そんな女性がコスプレみたいにファンタジーっぽい鎧を着ているのだから、絶句もする。
「異世界人の中には、時々、そういう反応をする輩もいる。いったいどういう具合なんだ? 私みたいなのがそんなに珍しいのか。そっちでは」
「め、珍しいって言うか……確かに珍しい。いや、待って。異世界人? それって僕の事?」
「そうだ。そっちにとっては聞きなれない言葉なのだろうな。君らにとっては私の方がそういう事になるのだろう? 何にせよ、いったいどうなっているのか」
忌々しい事でもあったのか、端正な顔の額に皺が寄っている。睨む様にこちらを見ている事から、その忌々しさの原因は勇太にある様だが……。
「どうなっているかはこっちのセリフだよ! 夢にしたって、こんな……こんな場所で縛られっ放しは酷い! あんまりだ! いや、僕の夢なんだから僕の責任って事で、言っても仕方ない事ではあるけども!」
「一つ言って置くが、これはお前にとって夢でも幻でも無い。現実だ。もう一つの現実とでも言って置こうか」
「え?」
こっちの言葉を遮る様に、赤毛の女は続けて来る。
「ここに来る前、別の世界に居たのだろう? 確か、そっちは灰色の街並みらしいな。ひたすらに高くて無機物な建物が並んでいるとか。馬も無いのに走る馬車みたいなのがあるなんて話もあるが、それは本当か?」
「ちょっと。ちょっとちょっと。確かにそれは僕が知っている街並みを……持って回った様な言い方をしてるけど……まるでここはそうじゃないみたいな。ははーん。そうか。つまりそういう夢で―――
「何度も言う。夢ではない。お前はお前のそういう世界から、こっちに来た。分かるか? 我々の世界にだ。これからそれを説明してやるが、今は何度だってはっきりと言ってやる。ここはお前の世界じゃあない。お前は違う世界から、我々の世界へとやってきた、異世界人だ」
そう率直に言われたところで、はいそうですかと受け入れられる人間も珍しいだろう。
やはり夢だ。これは夢だ。そう納得する方が容易いし、夢で無ければ起きない事が起きているのだから事実、夢のはずなのだ。
「ああもう。実際にちょっと身体を抓ってみれば分かるんだよこんなの。そうすれば、はいこれで全部終わり。どこかで目が覚めるはず」
「なら、やってみれば良いだろう」
「お生憎様だけど、手足がこんなんでね! 君らが縛って来たロープのせいで、痒いところにも手が届かない」
「ロープなぞ、千切ってみせれば良いと言っているんだ」
話が通じない。心底そう思えてしまうが、話をしなければ前に進めないので、勇太は赤毛の女に言い放つ。
「君らが……違う世界の人間だったっけ? そういう輩なら出来るんだろうけど、僕はか弱い人間なんでね。そういうのは無理だ」
「我々とて無理だ。いや、我々の方が無理だ。だが、そっちは違う。試してみろ」
「試すって……」
ロープだ。太いロープが手首と足首に何重も巻かれていて、力を込めたってこんなものが千切れるわけ―――
「え……?」
それは、まるで綿の様に、勇太の動きに合わせて千切れた。多少の抵抗はあれど、それでも容易く勇太の手足に自由が戻ってくる。
「言っておくが、店で売られているくらいには相応に頑丈に作ってあるロープだ。それをお前は、簡単に千切って見せたんだ。次は頬でも抓ってみせたらどうだ」
「こんな……なんで、こんな事が……」
頬では無く、自分の腕に爪を立てる。痛い。ちゃんと痛い。夢ならば覚めてしまいそうに力を込めているのに、痛みは続いたまま、目の前は何も変わらない。
「さて、いろいろ説明する事もあるだろうが、とりあえず言って置こうか。ようこそ我が世界『デーン』へ」
そう言って、赤毛の女は勇太を見つめて来た。不敵な笑みを浮かべながら。