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Day Dream~あの頃に夢見た未来~

作者: 市尾弘那

 その王国には、『魔王石』なるものが存在している。

 強力な魔力で人間を操り、永遠の命と引き換えに意識を支配すると言うその石は、かつて現れた魔王の化身と伝えられていた。

 王城の一室で、魔力を封じる箱に納められていたその石が、王城仕官ラザレスによって盗み出されたのは、数十年前のことだ。

 魔王となって君臨したラザレスは、魔物を呼び寄せて長い間人々を苦しめ、王女ルナを攫った。

 だが、乱れた時代が、勇者と呼ばれる若者を生み出すことになる。

 女戦士リリィ、白魔導師サラ、司祭カイルの三名を率いて魔王に立ち向かった若者は、魔王と戦って『魔王石』を箱に封じ、無事王女の救出を果たした。

 その若者の名を、レイと言う。

 王国が平和を取り戻してから、十年の月日が経とうとしていた。


 ◆


「レイ! レーイ!」

 午後の穏やかなまどろみをぶち壊さんと、凶暴な声と共に足音が近付いてくる。

 庭の片隅でハンモックに揺られていた俺は、薄く片目を開けて声の方に視線を向けた。

「またこんなところでグウタラしてるっ!」

 姿を現したリリィは、まさしく鬼女の形相で俺を睨みつけた。思わず舌打ちが漏れる。

「何よ、今の舌打ち」

「うるせえのが現れた」

「あんたねえっ。毎日毎日何もしないでゴロゴロゴロゴロとっ! たまには窓の一つでも磨いたらどうなのっ?」

 こんな形相のリリィを見る度に、俺は過去を振り返って後悔する。

 ああ、どうしてあの時、王女ルナと結婚しないでこんなこうるせえのと結婚しちゃったんだろう?

 あの頃、『一体どこで防御してんだか理解不能なくせに、やたらと防御力の高い高価なボディコンハイレグアーマー』に包まれていたナイスバディは、今はだっせぇワンピースに隠されている。さらさらした長い金髪の下のきりりと整った綺麗な顔には、どこか所帯染みた弛緩が見え隠れしているような気がする。

 そんなことを考えているのを見透かしたかのように、リリィは腰に手を当てて仁王立ちで俺を見下ろした。

「全く、あの頃のかっこよさはどこに行ったのよっ?」

 そう言うと、草食動物のように静かな俺の頭を力一杯平手で叩いた。

「いてえなっ」

「こんなことならカイルにしとけば良かった! この嘘つきっ」

「嘘つきだあ? この俺が一体何をどう嘘ついたってんだよっ?」

「あの頃見せてたあんたの全てが嘘じゃないのっ! 完全な別人じゃないっ」

 お前だって人のこと言えるかよっ!

「お前だってなあ、あの頃はこんなに口うるさく……」

 いや、うるさかったな、よく考えれば。元々口が悪く気の強い女だった。

「こんなふうに暴力だって……」

 いや、元々名立たる女戦士だったから、凄ぇ強かったし、手足の速さは天下一品だった。

「と、ともかくっ。うるせえんだよっ」

 何で俺、こんなのと結婚しちゃったんだろう? 勇者勇者と持て囃されていたあの頃なら、王女を筆頭に選びたい放題だったのに。王女なんて、アレだぜ? 美人だわ、金も権力も背景に引っさげてるわ、おっとりと女らしいわで文句のつけようがなかったんだぜ? まあ、それがゆえに田舎物根性丸出しの俺には高嶺の花で、気後れしたりしたわけだけど。

 でもそんなのはよく考えりゃ時間が解決する問題じゃねえか。くそ。しくじった。

「全く、あの頃の俺に膝を割って説教してやりてえよっ」

「膝を割るのはさぞかし痛いんでしょうね」

 ですよね。

「あーあ。ルナちゃんはおしとやかで可愛かったなあーっと」

 言った途端、ハンモックが引っ繰り返された。

「ぬおっ!」

「私だってがっかりよ、ごく潰しっ! 今のあんたなんて粗大生ゴミじゃないのっ。馬鹿! ばかばかばかばかばか!」

 言うだけ言うと、リリィは肩を怒らせて踵を返す。その間、俺はハンモックから転がり落とされたまま呻いていた。ようやく這い上がった時には、リリィの姿はどこにもない。

「馬鹿馬鹿言いやがって」

 小さく悪態をつきながら、ハンモックに縋りついてため息をつく。

 魔王を倒した後、国王から近衛警備隊の仕事の話もあったんだ。だけど長く厳しい旅の後のこと、しばらくはぼうっとして過ごしたかったし、元々ただの田舎者だから城に勤務なんて考えるだけで肩が凝っちゃって。

『魔王石』奪還の報奨金なんてもんももらっちゃってるから、それだけで十分生きてはいけるし。

 結果、ただダラダラとあれから十年。

 そりゃあ俺だって、ずーっとこのままじゃあいかんよなあとは思うよ? でもさ、ごく潰しって言うけどさ、今の生活を支えてる報奨金をもらってんのって主に俺じゃん? 働かなくたって安泰が保障されてんじゃん? 何がいけないの? それで良くね?

 リリィに言うと三倍返しくらいで罵られるのがわかっているから、心の中だけで呟く。

 あくせく働いて飯もろくに食えない人だって一杯いるんだぜ? 贅沢じゃね?

「おじさん」

 おじ……。

 ぐちぐち考えていると、背後からガキの声でそう呼びかけられた。

 おじさんって、あのなあ。俺、まだ二十八歳だぞ。

 不愉快もピークを極めながら振り向くと、庭の垣根の向こうから、予想通りガキがこっちを覗いていた。あどけない顔で俺を見つめている。十歳やそこらのガキから見りゃあそれは完膚なきまでにオジサンかもしらんが、やっぱちょっとプライドが許さない。

「せめてお兄さんにしてくれる?」

「うん。おじさん、この家の人?」

 改める気がないなら、俺だってお前をクソガキと呼ぶ。

「ああ、そうだよ、クソガキ」

「じゃあさ、勇者様のお家がどこか知らない?」

 俺の嫌味を受け流し、クソガキはキラキラと目を輝かせた。……は?

 俺の表情をどう受け止めたのか、クソガキが生意気にも呆れたような顔をする。

「オジサン、知らないのお? この町に勇者レイが住んでんだぞ」

 俺ですが、何か?

「おれのじいちゃんがこの町に住んでるから遊びに来たんだっ。すっげぇ楽しみにしてたんだっ。勇者に会えんじゃねえかって。ねえ、おじさん、勇者の家知らない? この辺のはずなんだよ」

 俺だよーん、俺が勇者様だよーん……と言ってやりたい気がしたが、なぜか躊躇われた。代わりに尋ねる。

「何で勇者に会いたいの?」

 するとクソガキは、俺を小馬鹿にするように見た。

「だって勇者だぜっ? おれもいつか勇者みたいになるんだっ。だからさ、いろんな話を聞きたいんだよ。どんなふうに強くなったのかなとか、憧れる人は誰ですかとか。今、何してんだろうなあ? 王様に気に入られて騎士団に誘われたけど、辞退したんだってさ。また旅に出ちゃったのかなあ? やっぱ剣の稽古を今でも日課にしてたりすんのかなあ。おじさん、何か知らない?」

 いえ、毎日家でぐだぐだして、嫁に説教されるのが俺の日課です。

 純粋にキラキラしている目を見ていると、何だかとても自分だとは言い出せなかった。コレが勇者のなれの果てとか思われて、がっかりされそう。

「えーっと。勇者の家は知らないんだけどー」

 のそのそとハンモックから体を起こして、歯切れ悪く口を開く。

「『魔王の城』ならどこにあるか知ってるよ、俺」

「えっ? 本当?」

「本当。連れて行ってやろうか」

 などと言い出したのは、嘘をついてしまったと言うちょっとした罪悪感からだ。

「ほんとに連れてってくれるの? それって遠いんじゃないの?」

「大丈夫。俺に任せとけ」

 どうせ暇だし。

 クソガキは、先ほどの小憎たらしい表情を消して、わくわくしたような顔をしている。

「よし、早速行くぞ」

 久しぶりにやることを見つけた俺も、もしかすると、わくわくした顔をしていたかもしれない。


 ◆


「おじさん。これって、何?」

 町を出て数分。

 俺たちはある祠の前に来ていた。

「おじさんって言うな、クソガキ」

「おじさんだって、クソガキって言うな。おれはケインって言う立派な名前があるんだよっ」

「お前知らないのか? これは『移動の祠』って言うんだよ」

「何それ」

 やだねえ。ジェネレーションギャップって言うの? コレ。最近の若いモンは『移動の祠』も知らねえんかい。

「こいつはな、まだ町の外を魔物が徘徊してた頃に、人々が町から町への移動に使ったもんなんだよ」

「へえ! ここから違う町に行けるの?」

「ああ。行ったことがある町に限るけどな。行ったことがあったって、そっちにも祠がなきゃ行けねえし」

「ふうーん。便利だね。何でそんな便利なもの、みんな使わないのかな」

「使えるようになるには、ある程度の冒険者レベルがねえと駄目なんだよ。まあ、一般の町人にゃあ、なかなか使えるもんじゃねえやな」

 偉そうに言ってやると、ケインはふてくされたように頬を膨らませた。

「何だよ。じゃあ知るわけねえじゃんか。ってことは何? おじさんは困ってる人を助けてくれる冒険者か何かだってわけ?」

 お兄さんだと言うのに。

「冒険者じゃなきゃレベルは計れない」

 結構大変なんだぞ、レベルアップの試験って。

 冒険免許証をヒラヒラさせながら、祠の前に立つ。

「へえ。じゃあおじさん、ちゃんと試験受けてんだ?」

 正確には受けてた、だけどね。

 一応、レベルアップは試験制だ。国が月に数回開催する試験を突破することで、冒険免許証にレベルが表記される。実力に応じて数レベル上を受けることも出来たり、レベルによって各地で特典を受けられたりといろいろとルールはあるんだが、いずれにしても上限は九九まで。それ以上になることは出来ず、そしてどんだけ実力が下がったとしても、一度クリアしたレベル以下に落とされることもない。

 ゆえに今でも俺はレベル九九の冒険者だが、ブランクが開き過ぎて、実際の実力は三十くらいに落ちてる気がする。

 祠にある平たい石に冒険免許証を触れると、中の黒い空洞にぽっかりと浮かんでいる地図上に、俺がかつて行ったことのある祠が現れた。

 その中から、今も忘れもしない『魔王の城』を選択する。他の町に行ける冒険者はいるだろうが、地図上に『魔王の城』が表示されるのは、俺たちのパーティくらいのもんだろう。

 そんなことを思っている間に、周囲の景色が一瞬歪んだ。ふわっと体が浮くような気持ち悪さを感じた後、ケインの歓声がしたと思ったら、そこはもう『魔王の城』だ。

 果てしなく続くかのような黒々とした深い渓谷を渡る、細く荒い岩の道が見える。それをずっと視線で辿ると、岩山ををただ粗く削っただけのような巨城が、あの時と変わらない佇まいを見せていた。城の背景はお約束の暗雲渦巻く曇天だ。『魔王の城』には付き物のオプションだろう。

「あれ、本当に『魔王の城』なの?」

 おーおー、声を震わせちゃって。

 どうやら城を目の当たりにして怖じ気付いたらしい。

「そうだよ。ほら、行くぞ。外から見て満足ってわけじゃないんだろ」

 わざと置いて行く勢いで歩き出すと、ケインが慌ててついてきた。

「だって、その、魔物とかいないの?」

「いても、俺がついてりゃ平気平気」

 なんちゃって。本当はもういないの、知ってるもんね。

 でも、それを言っちゃ面白くない。元勇者の嗜みとして装備してきたバスタード・ソードを頼もしげに叩き、俺はケインを促した。

「さあ、行くぞおー。『魔王の城ツアー』だ」


 ◆


「でな、ここに魔王が座ってたわけよ」

 で、いきなり『魔王の間』。

 別に話をはしょったわけじゃない。『魔王の城』に入って最初に辿り着いた場所が、実際ここなんだ。

 ラスボスをようやく倒して、「やったー」っつって、帰る為にまた長い長いダンジョンを戻る気になる? 普通はならんでしょ。少なくとも俺は嫌だね。

 と言う理由かどうか知らないが、『魔王の間』から外への近道がある。つまり、外からも最短距離で『魔王の間』へ行ける。

 とは言え、魔王がこの部屋にドーンといる間は鍵がかかってるから、俺様によってこの道が通じるようになったわけだけどね?

「へえー。この椅子に?」

「そう。その椅子に」

 そうだよなあ。

 はしゃぎ回るケインを眺めて、やや感傷的な気分になる。

 ここで俺は、生死を賭けた戦いをしたんだ。それまで苦楽を分かち合ってきた仲間と共に。

 あれから十年。

 思えばあれが人生の絶頂期だったんだな。使命感と正義感に燃えて、まあ野心なんかもあったりして、とにかく俺は頑張っていた。

 その結果が、今のコレだ。

 この場所で戦っていた俺や仲間――リリィたちの姿を幻視し、俺は顔を横に振った。

 やめぃやめぃ。感傷的になってどうすんだよ。センチメンタリズムなんて、生憎と柄じゃない。

 いーじゃん。今、楽じゃん。寝て、食って、散歩して、寝て。

 命を狙われることもなく安穏と生きて、そんで金は入ってくんだぜ? ビバ・放蕩生活。そりゃあ嫁はうるさいが。

「よーし。んじゃあ次の部屋に行くぞー」


 ◆


『魔王の城』は、今でも雰囲気だけはしっかりと残している。

 天井近くになぜか未だにかかっているカンテラから僅かな灯りが下りてくるが、何せ天井は遥か上。つまりカンテラも遥か上。届く光は僅かなもので、一寸先は暗闇だ。仄かに青味を帯びた石畳は空気をひんやりとさせ、トラップや魔物を警戒したくなる空気感たっぷり。

 カツンカツンと、俺たちの足音が静かに反響する。

「んでな、確かこの通路を歩いてる時にカイルって奴が……」

「おじさん、何でそんなに詳しいの? 嘘なの? それとも本当は元魔王なの?」

 どうして俺が魔王か。

「だって、元魔王って人間でしょ? 『魔王石』に取り憑かれてたんだよね。勇者との戦いの後、ただの人間に戻って王城に捕らえられたって聞いたけど、もう釈放されたんじゃない? それがおじさん」

「あのな」

 隣の小坊主の頭をグーでぐりぐりやりながら反論しかけた俺は、何か音を聞いたような気がして口を噤んだ。ついでに足を止める。

「どうしたの?」

「しっ」

 何だろう、この音。

 忘れかけてた緊張感が全身に走った。鼓動が速くなる。

 背後からだ。微かに反響する音が耳に届く。フゥー、フゥーと言う荒い息遣いのような音と、それの合間にゴロゴロと言う唸り声のような不快な響きが混じった。

 振り返っても、漆黒の闇が広がるばかりで目には何も見えない。

 だけど確かにいる。何かが。

 何か――魔物。

 目を凝らした闇の中に、獰猛な空気をはらんだ赤い光が二つ、浮かび上がった。

「に」

「え?」

「逃げるぞっ……」

 震撼した俺は、咄嗟に握りかけた剣の柄から手を離し、代わりにケインを横抱きに引っ掴んだ。小脇に抱えたまま全力で走り出す。

「うおあああっ」

 だって俺、一体どんだけ魔物と戦ってないと思うんだ? 十年だぞ、十年。レベル九九って言ったって、この十年、剣の素振りさえやったことないんだ。どんだけレベルが落ちてるかなんて俺にだってわからない。だけどここの魔物は確か、レベル三十程度じゃ太刀打ち出来ないし、俺のレベルがまだそれ以上だなんて保証はどこにもない。

 今の俺じゃあ勝てないって!

 とは言え、ガキを小脇に抱えた運動不足のアラサーが、ただでさえ驚異的な身体能力を誇る魔物と追いかけっこをして逃げ切れるとも思えない。

 つーか、何で魔物がいるわけ? 魔王討伐で魔物もいなくなって大団円だったんじゃなかったっけ? いないはずの魔物がいるってことは、トラップも復帰してるってこと? ここ、結構がっつりトラップってたと思うけど、俺、全力疾走して大丈夫?

「――!」

 背後に響く地を爪が打つような硬い音に追い立てられ、脇目も振らずに突っ走る。が、不意にその音が途切れた瞬間を察知した。やべえ、飛び掛って来る!

 そこは昔取った杵柄と言うべきか、咄嗟に勘で右へ跳ぶ。跳躍した魔物が脇を掠めてやや前方に着地した。その正体を見て、俺はいよいよ絶望的な気分になった。

 ケルベロス――地獄の番犬とも言われる獰猛な三ツ首の魔物だ。口からは炎を吐き、首は切り落としても再生する。魔法か魔法を帯びた武器でないと、再生は止められない。鋭い牙と爪が、久々の獲物を前にいきり立ってさえ見えた。

「下がってろ」

 ケインを下ろして、仕方なく剣を抜く。終わったな、俺。『かつての英雄、遊びに行った攻略済みダンジョンで魔物に襲われ、不慮の死』……だっせぇ。

 いや、やってみなきゃわかんねえじゃん? 仮にも勇者なんだから、怠慢してたって何とかなるかも。戦い方なんか忘れちゃったけど。筋力も体力も、あの頃とは比べものになんないけど。

 剣を抜いた俺に、ケルベロスが間合いを取って唸り声を上げる。

 と、対峙したままケルベロスと睨み合う俺の耳に、背後からの新たな足音が届いた。新手? 完全に絶望的。

「下がって!」

 そう思った矢先、鋭い声と共に、後方の足音が風のように俺の横を駆け抜けた。やった、もしや助けっ?

 ……って。

「え?」

 突然現れた男が、地を蹴ってケルベロスに剣を叩き込む。炎の掃射が準備される間もないほどの鮮やかさ。悲痛な悲鳴と獰猛な雄叫びが交錯する。

 その間、俺は男の後ろ姿に釘付けだった。

「勇者だっ!」

 俺の背後で、完全に石になっていたケインが小さく叫ぶ。俺の視線も、ケルベロス相手に鮮やかな剣技を見せる男の背中から離せない。

 その通り、それはかつての俺とそっくりに見えた。

 そりゃあ自分の後ろ姿なんて見たことはないさ。だけど背格好の想像はつくし、付けていた装備ははっきりと覚えてるんだ。

「右の脇道に入れ! 俺の仲間が来てるはずだ! 行けるかっ?」

 そう言って微かに振り返った男の横顔は、あろうことか十年前の俺そのものに見えた。そんな馬鹿な。あれも俺、俺も俺、みんな俺、イェイ。

「う、うん」

 ま、何でもいーや。とにかくここは、俺そっくりのあの男に任せちゃおうっと。

 ケインを再び脇に抱えると、先ほど男が示した方へ向かって駆け出す。出迎えるように前方から複数の足音が聞こえて来た。

「レイ! 急にどうしたのっ?」

 俺の名を呼ばれ、きょとんとする。しかしそれに答えたのは、案の定と言うか先ほどの男だった。

「こっちだ! 彼らを守ってやってくれ!」

「彼ら?」

 俺たちが脇道へ辿り着く前に、足音の方がこちらの通路へ出て来た。そこに現れた面々を見て、いよいよ俺は困惑する。

 ええっと。

 これ、タイムスリップですか?

「リリィ、サラ、カイル……」

 十年前にここのダンジョンを共に攻略した仲間たちの変わらぬ姿を見つけ、完全に混乱する。足を止めると、リリィが真っ先に駆け寄ってきた。

「あなたたち、こんなところで何してるのっ? ここは『魔王の城』よ? どうやって入ったの!」

 半ば怒鳴るような質問に、ケルベロスの断末魔が重なった。振り返ると『勇者レイ』が――あの頃の俺が、すとんと地に降り立ったところだった。ぶんっと剣を横薙いで血を払う。その背後で、血溜りに倒れ臥したケルベロスの動かない肢体が見えた。

「怪我は?」

「大丈夫、です」

「なら良かった。逃げてるのが見えたから」

 くしゃっと笑って近付いてくる姿は、好青年そのものだ。誰、アレ。その十年後、コレ? 人間、変われば変わるもんだ。

「で、何してんのよキミたち親子は!」

「あ、俺とこいつは別に親子じゃなくって」

「とにかくここから移動しよう。話は落ち着けるところに行ってからだ」

 反論を許さない凛とした声で遮られ、俺を詰問しかけたリリィが言葉を飲み込んだ。素直に頷くと、俺とケインの周囲を固めるようにして歩き出す。

 向かってんのは多分『回復の間』かな。水を湛えた小部屋で、体力や魔力を回復してくれる。そこには魔物も入ってこない。

「『回復の間』と言うのがあるんだ。そこには魔物も入ってこないから、少し落ち着ける。もう少しだから頑張って」

 くぅ、爽やかだぜ、俺。

 幸いケルベロス以降魔物に遭遇することもなく、俺たちは無事最寄の『回復の間』に到着することが出来た。懐かしい、淡く発光する部屋に足を踏み入れる。

「ねえ、勇者様だよね! 勇者レイでしょっ?」

 部屋に入るなり、ケインがレイに飛びついた。さっきまで泣きべそをかくことさえ出来ない放心状態だったくせに、現金な奴だ。

 ケインの頭をレイがくしゃっと撫でた。

「勇者、かどうかは……。でもレイは俺だよ。魔王を倒しに来たんだ」

「やったあ。凄ぇや。ホンモノの勇者様に会えると思わなかったよ。おれ、あんたに会いに来たんだ! あんたに会いたくて、あのおじさんに連れて来てもらったんだよ」

 少々話が歪められているような気がするが、それはまあ、良しとしよう。それより問題は、今一体何が起きておるのかということだ。

 ちなみに俺の記憶によれば、『魔王の城』のダンジョンでこんなわけのわからん二人組を助けた覚えはない。

「ふうん? え? 俺に会いにここまで?」

「そうだよ!」

 うんうん、さっぱりわからんだろうな、レイ。どういうこっちゃいって感じだよな。まあいいじゃないか。深く突っ込むなよ。

「あなたも冒険者ですかあ?」

 それまでぼーっとしていた白魔導師サラが、おっとりとした口調で尋ねる。どこか天然少女な空気感の彼女は、パーティの『いるだけで癒し系』キャラだった。

「えーっと。まあ、そういうことになるんですかねえ」

「どうやって入ったの? 『魔王の城』への鍵は、私たちしか持っていないはずなんだけど」

 リリィが言っている鍵は、開錠したら開きっ放しって親切なシロモノじゃない。嵌めるべき場所に嵌めると、俺らが中に飛ばされるって仕組みのモノ。つまり鍵を持っている人間以外は入れない。魔王がいなくなった後は、その仕掛けもなくなったけど。

 さて、どう説明しようか。

 言葉を選ぶ俺の空気を読まず、ケインが勢い良く口を開いた。

「このおじさんが、抜け道を教えてくれたんだ!」

「えっ?」

 全員の視線が一斉に俺に向けられる。

「抜け道?」

「あー」

「そんなものがあるんですか?」

「うー」

「僕たちでさえ見つけられなかったものを……あなた、何者です?」

 穏やかで誠実な人柄を思わせる思慮深い眼差しを、司祭のカイルが向ける。

 えーい、面倒臭ぇ。言っちゃおうっかな。「未来のレイくんです」って。

 つか、そこ、みんな疑問に思わないわけ? たかだか十年で誰かわかんないほど面差しが変わっちゃってるってこと? 普通そこまで変われないでしょ? そりゃあ少し太ったし、さらさらの短髪だったこの頃と違ってボサボサに伸びたりしてるし、無精髭も生えてるけどさ。せめて「親戚?」くらいの疑問は持って然るべきだと思うが、その辺りどうだろう?

「実わ」

 言っちゃえ言っちゃえー、別に俺悪いことしてないしー、と思いながら口を開きかけた俺は、真っ直ぐに俺を見詰めるレイの目を見返して、思い止まった。

 自分で言うのも何だが、澄んだ意志の強そうな真っ直ぐな目。

 過酷な今を乗り越えてたどり着く先が俺って……どうなの? 何か可哀想。

 いや、わかってるよ? こいつに「十年後のレイだよーん」と言ったって、今の俺がどんなふうに生きてるかを知っているわけじゃない。いきなりショックを受けるとは限らないさ。ってゆーか、言っただけで落ち込まれたら、そりゃあ俺の方がショックなわけで。

 でも……。

 勇者の未来の姿として誇れる生活をしていないことが、俺の舌を鈍らせた。

「えーと、た、たまたま、かな」

「たまたまあっ?」

 この頃の俺って、何考えてたんだっけな。

 最初は仲間もいなくて一人で、凄ぇ冒険者になることを夢見て、レベルアップに夢中で。いろんな場所に行って、見るもの聞くこと全てが新鮮だった。新しい謎やダンジョンに出会うたびにわくわくして。

 そんで一人で旅してる間に、最初はリリィ、それからカイル、サラと出会って仲間になって。途中で死んだ仲間もいたし、でかい怪我負ったりもしたけど、とにかく毎日が必死で。

 そんで。

「たまたまって何なのよ。そんなふうに紛れ込めるものなの?」

「紛れ込めちゃったんだなあ、これが。つーか迷子だな、どっちかって言うと。うん」

 そんで……リリィに惹かれてった。

 俺が惚れた当時そのままの姿をしているリリィが、唇を尖らせる。

「そんなのアリ? ずるいわよ。間違えて入れちゃうなんて。私たち、ここに来る為に随分苦労したのに」

 屈託なく笑う彼らに、なぜか申し訳ない思いで一杯になった。

「はは……じゃあ、ちょっとラッキーなのかな? いやでも『魔王の城』に迷い込むって、普通にアンラッキーじゃない?」

 俺の言葉に、レイが苦笑めいた表情を浮かべる。その顔を見て、俺は胸の内でそっと呟いた。

 ……夢見た姿になれてない俺で、ごめんな。


 ◆


「とにかく、魔王のところに連れて行くわけにはいかないわよ」

 その後、話題は俺とケインの処遇をどうするかに移った。

 ケインは勇者が大活躍するはずのラスボスとのファイトを見たがったが、当然許されるはずもない。と言って、ここはワンダリング・モンスターがうじゃうじゃいるダンジョンなわけで。俺もケインも、こんなところにいるとは信じられないほどの軽装だし。

 別にコワいわけじゃないよ? だけどこんなことになってしまった以上、装備がナマクラのバスタード・ソードだけでは、いかにも心許ない。もっとマシなのを持って来れば良かった。

「でも放り出すわけにもいかないよ」

「一度入り口まで戻らない? 私たちがいれば、城の外には出られるはずだし」

 リリィが言った途端、倦怠感が部屋に降りた。

 そりゃあそうだよな。

 この城を一度踏破している俺には、その気持ちは嫌と言うほどわかる。

 だってこの城って、えげつないんだもん。一度通ったところは絶対二度と通りたくないほど。

 俺とケインが『魔王の間』から遡って間もなくレイたちに遭遇していると言うことは、逆に彼らは相当奥まで進んで来ていると言うことだ。入り口までの道のりは長い。増して彼らは、またここまで戻って来なきゃならんのだし。

「大丈夫だよ」

 彼らより大人であるはずの俺は、虚勢満載で口を開いた。

「俺が何とかするから。君らはしなきゃならないことがあるはずだ。俺たちのことは……」

「放っておけるはずがないじゃない」

 リリィが強く遮る。

「魔王を倒す為って言って、目の前の人を見捨てるの、変じゃない。そんなことしないわよ。目の前で困ってる人を優先するべきでしょ」

 きっぱりと言うリリィを見て、思い出す。……昔、俺は彼女のこういうところに惹かれたのかもしれない。

 強情なまでの潔癖さと、正義感の強さ。

「僕らが攻略するまで、ここで待ってもらう?」

「それで万が一、私たちが全滅したらどうするの? ここから出られないじゃない。そりゃあ負けるつもりはないけど、絶対じゃないでしょ。そんな不安の中に置いていくわけにいかない。こんな小さな子だっているのよ?」

 それから……温かさ。

 元はと言えば子供を何でこんなところに連れてきたとか、今更言っても変わらない事実を指弾しない優しさと前向きさ。

「じゃあ、どうする?」

「こうしよう」

 少し考えるように黙っていたレイが、みんなを見回して口を開いた。

「『魔王の間』の近くまでは一緒に行く。それから、その付近で待機していてくれ。あんたたちが迷い込んだ道は『魔王の間』の中にあるんだろう?」

 元来た道から帰れない理由として、先ほどケインがべらべらと『魔王の間』から来たからだとしゃべっている。何でその時魔王がいなかったのかについては、「知らない」の一点張りで逃れた。

「まあ、ね……」

 ただし、『十年前の魔王を倒す前』まで戻ってるらしい今、鍵は恐らく魔王を倒さなければ開かないだろうが。

 そう思ったが、何も言わずに飲み込んだ。言ったところで、話がまた「じゃあどうする?」に戻るだけだ。これ以上迷惑はかけられない。

 それに……彼らは勝利をおさめるはずだ。でなければ、そもそも俺の存在すらなくなる。

「じゃあ、俺たちが魔王を引きつけている間に、隙を見つけて抜け道とやらに飛び込めるかな。場所がわからないから俺には判断出来ないんだけど、出来そうか?」

 実際問題として、魔王が生きてる以上扉は開かないし、開かない以上中に飛び込めるはずもない。でも、少なくとも扉に続く小さな通路には入れるはず。魔王と戦っている間に、俺たちがまごまごしているのを見て気が散ると言うことはないだろう。

 問題は、万が一過去が変わって彼らが魔王に負けた場合どうしよっかなあってところだけど……。

 ……ま、大丈夫だろう。正直、彼らが俺の記憶通りに無事魔王を倒してくれることを祈るしかない。城を出た後のことは今考えてもしょーがないから考えない。

「出来る」

 アバウトな方向に決意を固め、俺も力強くレイを見返して頷いた。


 ◆


 それから間もなく移動を開始する。

 最終ステージに近づいていることもあって、魔物はどんどん強くなり、トラップも難解なものになっていく。

「レイっ! 新手よっ!」

「リリィ、右は任せた!」

 レイとリリィの剣が閃き、サラの攻撃魔法が、カイルの防御魔法が疾る。

 役立たずの俺とケインは、防御魔法の恩恵にあやかってひたすら傍観した。

 言っちゃナンだけど、やっぱ凄ぇな俺。かっこいいなあ。俺ってか、レイ。十年前の勇者様。

 剣捌きと言い、身のこなしと言い、判断の速さと言い。

 リリィはリリィで、こうして客観的に見ていると、実に的確にレイのサポートをしていることに気がつく。かゆいところに手が届く感じ。

 そう、こいつの動きでどれだけ助けられたか。戦闘時のパートナーとしても最高だったんだ、本当に。

「隠し部屋だ」

 魔物をどんどん片づけ、トラップをばんばん解除し、一通りこのフロアを巡った俺たちは隠し部屋を見つけた。

 ああ……覚えてる。

 ここにある泉で、装備を最高ランクに上げてもらえるんだ。冷静に考えると親切だな、魔王。ダンジョンでラスボスの前にこういう仕組みはよくあるけど、何のサービスなんだろう?

「中、行かないの?」

 ケインがうずうずした顔で俺を見上げるが、俺は黙って扉の傍に立っていた。片手で扉を押さえ、片手でケインと手を繋ぐ。

 横道や隠し部屋は何が仕掛けられているかわからない。探る人間以外は動かないのが鉄則だ。ケインなんか論外。

 加えて俺は、ここの扉が一度閉まると再び開けるのに偉い苦労したことを覚えていた。

「どうしたの?」

「邪魔にならないように見てるのさ。ケインがちょろちょろしたりしたら、何が作動するかわからないだろ」

 こちらに戻ってきたリリィに答える。微笑んだリリィは、俺の傍で足を止めた。

「じゃあ、私が護衛する。通路から魔物が来るかもしれ……あら?」

 何気なく足下を見たリリィが、驚いた顔で口を噤んだ。それから俺を見上げる。

「もしかして、トラップ?」

 床に微かに残るトラップの作動痕に気づいたらしい。シーフでもかなり上級じゃないと察知出来ないレベルの痕跡だ。俺だって予め知ってなきゃ気づかない。

「いや、まさか。俺がわかるわけないっしょ?」

 曖昧に笑う俺の言葉を無視して、リリィは足下の痕跡を丹念に調べ始めた。それから扉や溝を探ると、立ち上がって大きく息をつく。

「私にははっきりとわからないけど、閉じたら内側からは簡単には開かないんじゃない? ……扉を押さえてくれててありがとう。余計な時間を食うところだった」

 特にコメントせずに微笑んでみせて、視線を逸らす。横顔にリリィの視線を感じた。

「あなた、レイに似てるね」

「えっ?」

 咄嗟に返す言葉を見つけられずに困惑する。見返すと、リリィが優しく目を細めた。

「どこが?」

「何となく」

 リリィはそれきり答えようとしない。そこへ、レイから声がかかった。

「中に入っても大丈夫だ。ケイン、おいで。見たいだろ」

「うんっ」

 勇者様のお許しをもらい、ケインが跳ねるように駆け出した。そんな彼らをリリィが優しい表情で見守る。レイに注ぐ視線には愛情が滲んでみえて、俺は少し照れくさくなった。

 リリィはずっとこんなふうに俺を見ていたんだろうか。俺は、気がつかなかった。

「……彼の、どこを好きになったのかな」

「え?」

 唐突な俺の問いに、彼女は一瞬意味がわかりかねたようだ。切れ長の目を瞬いて俺を見上げ、刹那にばーっと赤くなった。

「なっ、わわ私は別にレイのことが好きとか言ってないし! 何言い出すのっ」

「え? 何か呼んだ?」

 ケインとじゃれていたレイが、自分の名前に反応してこちらを向く。リリィが「何でもないわよっ」と、顔を赤くしたままで怒鳴った。俺もこれ以上突っ込むと叱られそうなので黙っていると、同じく沈黙して上目遣いに空を睨んでいたリリィが口を開く。

「そんなにわかりやすい? 私」

 真っ赤な頬をしきりと撫でながら小声で問う姿が可愛らしく、俺は小さく吹き出した。

「いや。本人は全く気づいてない、んじゃないかな。だけど俺は知っ……気づいちゃったってだけのことで」

「何で気がつかないのよー……」

 そんなこと言ったって。難しいなあ、もう。

 だけど実際、この時の俺はリリィの気持ちになんて気付こうともしなかった。自分の気持ちさえあやふやで、目を逸らしていたと言うのが正しいかもしれない。

 あの頃の自分を思い返しながら、口を開く。

「多分……今自分が果たそうとしていること――魔王を倒すんだって、それだけで頭が一杯で、女の子の気持ちにまで気が回らないんだと思うよ」

 リリィが拗ねた表情で俺を見上げる。戦う時の凛とした表情とは違う、年相応の女の子らしい不安定な顔だ。

「だけど、それは別に君の気持ちが届かないって言ってるわけじゃない。ただ、今は気がつかないだけで。全てが終わったら、その時は彼もゆっくり自分の気持ちや君の気持ちを考えるようになるんじゃないかな」

「そう、かな?」

「多分ね」

 不意に部屋の方から大きな歓声が上がった。顔を向ける。どうやらレイの装備がレベルアップしたらしい。

「そうだといいな」

 小さな小さな、ともすれば聞き逃しそうな呟きに、俺は再びリリィへ視線を戻した。俺に語るでもなく、リリィが小さな声のままで続ける。

「やっと見つけたの。大好きになれる人。ずっと一緒にいたいんだ」

 その横顔は、レイについて語るだけで幸せに溢れて見える。

「目標に真っ直ぐ向き合う姿が好きなの。何をするにも一生懸命で、だけど私たちのこともちゃんと考えてる。結構論理的に計画を立てるくせに、最後の最後で情に流されちゃったりする弱さも好き。一生懸命生きてるんだなあって思わせるんだ、レイって。その分頑固なところもあるけど、凄く凄く純粋なんだ」

 何やら盛り上がっているレイたちに向けたリリィの目は、レイへの愛情に溢れている。今の俺には自分事じゃないけど、全くの他人事でもない。何だか少しどきどきした。何を今更ときめいてんだか。

「リリィ!」

 満面の笑顔で、レイがこちらに向かって手を振る。

「装備のレベルアップが出来る。そんなとこにいないで、こっちに来いよ」

「うん、でも」

「俺は平気。魔王と戦わなきゃいけないんだから、装備のレベルアップはした方が良い」

 頷いてみせると、リリィも頷き返して扉の傍を離れた。弾むようにレイに近づき、何かを話している。笑顔を向けあう二人の雰囲気は俺が見てもお似合いだった。こんなふうに見えてたんだな。

 初めて聞いたリリィの偽らない想い。

 気持ちが通じ合った後でもリリィは俺に対しては意地を張るから、あんな優しく温かい想いを抱いてくれているとはわからなかった。いや、感じ取ることはあったけど、俺が自分で勝手に感じるのと、ああして言葉ではっきり告げられるのはやっぱり違う。

 リリィって、本当に俺のことを好きでいてくれてたんだ。

 ――がっかりよ!

 今朝怒鳴られた声を思い出して、胸が詰まる。先ほどリリィが言った『好きな俺の姿』は、きっと今の俺には見出せなくなったんだろう。

「あなたの装備もレベルアップしてもらったら?」

 はしゃぎ合う二人の姿をぼんやりと眺める俺に、サラがのんびりと近づいてきた。

「リリィから聞いたわ。扉にトラップがあるんだって? 私が代わりに押さえてるから行ってきて」

「あ、うん。ありがとう」

 レイが俺を手招きする。近づくと、俺ににっこりと笑って泉を示した。

「あんただって剣を持ってるんだから、レベルアップした方が良いんじゃないかな。戦うこともあるかもしれないし」

「ああ、うん。そうかな」

 まだ残る胸の痛みを飲み込みながら、曖昧に笑って泉の前に立つ。腰の剣を抜き出して泉に翳した。

 柔らかく青白い光が泉から立ち上り、剣先から俺の全身を包み込んでいく。

 視界の全てが、乳白色の光に覆われた。


 ◆


「あれ?」

 レベルアップの泉から光が引き、失われていた視力が戻ると同時にケインの声が聞こえた。はっとする。

 まるでどっぷりと夢の世界に浸っていたところを唐突に叩き起こされたみたいだ。

 人の気配がかき消えたような静けさに振り返り、俺は辺りを見回した。

「勇者はっ?」

 ケインが素っ頓狂な声を上げる。

「みんながどっか行っちゃった!」

 部屋は、先ほどと同じ部屋だ。レベルアップの泉がある。だけどその泉も今は枯れ果て、押さえなくても開け放されたままの朽ちた扉が見えた。

 周囲を見回しても、レイやリリィたちの姿はない。

「夢……?」

「違うよ!」

 小さく呟く俺の言葉を聞き咎めたように、ケインが尖った声を出した。

「違う! 夢じゃないよ。だっておじさんとおれが一緒に夢見てるなんて変だろっ?」

 それはそうだけど。

「勇者っ! 勇者様っ? どこ行ったのっ?」

 ケインが大声で叫ぶが、俺は彼らがもう傍にはいないのだと言うことを感じていた。

 それこそ論理的な理由があるわけじゃない。ただの直感。レイたちと会ったのが夢にしろ夢でないにしろ、いずれにしても彼らはもうここにはいない。いや、俺たちがもう彼らの傍にいないと言うべきなのかもしれない。

『魔王の城』が見せた、白昼夢。

「ケイン。帰ろう」

「えっ? 嫌だよ。せっかくホンモノの勇者様に会えたのに」

「もうここにはいないよ。彼らは、彼らのすべきことがあるから」

 ふてくされたように口を尖らせて反抗的な眼差しを向けるケインの頭を、くしゃりと撫でる。

「そんな顔するな。いつか自分がもっとかっこいい勇者になればいいだろ?」

「そんなん無理だよ」

「そうなりたくて、勇者に会いたかったんじゃなかったのか?」

「……まあね」

「じゃあ頑張ってみもしないで諦めてんな」

 ピシッと額を弾いて、ケインを促す。

「だって」

「だってじゃないだろ。大丈夫だって」

 ケインの手を引いて歩き出す。

「……こんな俺だって、なれたんだからさ」


 ◆


『魔王の城』を出て、再び『移動の祠』から町へと戻る。

 ケインをじいさんの家まで送り、俺が家の近くに辿り着いた頃には、既にすっかり夜だった。俺とリリィが暮らす家の屋根が近付いてきて、ふとこの町に住み始めた頃のことを思い出す。

 勇者としての国からの報奨金と言うのは馬鹿にしたものではなく、はっきり言えば俺は『一夜成金』と言えるだけの金を手にした。そして国からは毎年、そこそこの纏まった金が入る。地方の田舎町に家を構えることなんぞ造作もなく、豪邸だって夢じゃなかった。

 だけど、リリィが反対した。

 豪邸なんか欲しくない、どこにいても互いの存在を感じられる規模の温かい家が欲しい――そう言った。

 その意見に従って、俺とリリィはごくごく普通の庭付き二階建てに住んでいる。そして事実、俺は家のどこでゴロゴロしていてもリリィにバレる。俺も、リリィが近所のオバハンと立ち話している笑い声なんかを聞く羽目になっている。常に、互いの存在がどうしているのかを知っている距離にいる。

 そういう家だ。

 ――やっと見つけたの。大好きになれる人。ずっと一緒にいたいんだ。

 リリィの言葉を思い出して、胸が温かくなる。同時に微かな痛みも感じた。

 いじらしいトコあんじゃん、あいつ……。

 謝るか。ちょっと反省。いきなり昨日今日で変われるかはわからないけど、反省を伝えるのは大事だよな、うん。

 一人でしみじみしながら人気のない暗い道を家の傍まで辿り着き、勝手に爽やかな気分で家を見上げる。

 そこで俺はぴたりと足を止めた。

「あれ?」

 灯りがついていない。

 よもやまさかこれは、例のアレですか? 勝手に独りよがりに反省とかして「この先は頑張ろう」なんて朗らかな気分になって、肝心の相手の方はいよいよ見切りをつけて出てっちゃったって言う『後の祭り現象』ですか?

 門の前に立ってみるが、どう考えても中に人がいる気配はない。

 はは。

 ですよねー。

 いや、呆れられてんなーってのは知ってたんだよ。そりゃあ出て行くよね。リリィが惚れた頃の俺の要素なんて何も残ってないもんね。

 人間、ショックを受けた時はとりあえず笑うのだと知った。

「悪かったよ」

 いないと知っていながら、小さく呟く。完全にモノローグの世界。

 俺の背後で微かな足音が聞こえたのは、その時だった。

「本当にそう思ってるの?」

「……リリィ」

 どきっとして振り返ると、そこにリリィが佇んでいた。

「お前、どこに」

「今『悪かったよ』って言ったのは、私に対して?」

 俺の問いには答えず、リリィが真っ直ぐ俺を見る。言葉を探して視線を彷徨わせた俺は、ふうっと一つため息をついて頷いた。

「うん」

「良かった」

 思いがけず、リリィがくしゃっと笑顔を見せる。

「私、レイが怒って出て行っちゃったのかと思った。……心配したわ。探した」

 探してくれたのか……。

 悪いのは明らかに理想とかけ離れていった俺だろうに、リリィはそう言って泣き出しそうな笑顔を見せた。さっき見た十年前のリリィのはにかんだ笑顔が、その上に重なる。

「ごめんな」

 自然と謝罪の言葉が出た。

「甘え過ぎてて」

「やだな。どうしたの急に。今まで何を言ってもどこ吹く風だったくせに」

「なあ」

 少しくすぐったそうに肩を竦めると、リリィは「家に入ろう」と俺を促して歩き出した。その背中に続きながら言葉を重ねる。

「また二人で、どこか旅でもしないか」

 振り返ったリリィが目を瞬いた。

「え?」

 今日反省したって言ったって、急に何かを変えられるわけでも、新しい目的を見つけられるわけでもない。魔王は倒しちゃったし。

 だけど、何かを探す旅ってのも悪くないじゃん?

 出会った頃のように、二人で。

「どこへ?」

「うーん。そうだなあ。とりあえず魔王でも探しに行くか」

「とりあえず魔王って……ラザレス?」

「そう。『その後の勇者』と『その後の魔王』の再会。もう釈放されてるんだろ」

 魔王なんつー大罪を犯したわりに、受ける懲罰は『窃盗』。魔王としての行為を働くのは『魔王石』だからだそうだ。

 リリィがくすくす笑いながら扉を開ける。

「家はどうするの?」

「時々ここに帰って来る。で、また何かを探しに旅に出る」

「何かって?」

「未来」

 キザ過ぎる返答に吹き出したリリィが、ひとしきり笑ってから振り返った。

「いーかもね」

 久しぶりに、十年前と同じ笑顔を見たような気がした。





Fin.

 某サイトで投稿した作品ですが、せっかく書いたので読んで下さる方がいると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こういうお話好きです。 とてもおもしろかったです。
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