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(2-2)


   ◇


 王宮の裏口に引き出されたエレナに用意されていたのは干し草が積まれた荷車だった。

 衛兵達は縄で縛られたエレナの体と脚を担ぎ上げて、干し草の上に放り投げた。

 荷車に馬がつながれ、すぐに動き出す。

 また酔いませんように。

 エレナは干し草の上で横になりながら祈った。

 青い空を見上げながら裏門から出て、いったん王宮の外側をぐるりと回ったところで、表門のそばまでやってきた。

 ここに来たときはあの門をくぐったのに、裏口から追い出されるなんて。

 荷車の上で体を起こしながらエレナは様子を眺めていた。

 壮麗なラッパが吹かれ、表門から王室騎兵隊に護衛された四頭立ての四輪馬車が颯爽と姿を現す。

 車輪が軽やかなリズムを奏でながら馬車が近づいてくる。

 荷車の横で止まると、窓からミリアが顔を出した。

「あらまあ、お似合いね。どちらに乗ってもどうせ酔うでしょうから、あなたに馬車は無用の長物でしょう。荷馬車なら、吐きたくなったら、いつでも吐けて都合がいいでしょうね」

 そう言うと、ミリアは御者に命じた。

「急ぎなさい。夕刻までに伯爵領へ到着するのですよ」

「かしこまりました」

 馬車の隊列に続いて荷車も動き出す。

 かなりの勢いで転げ落ちそうなほどに跳ねる。

 エレナはすぐに酔ってしまった。

 しかし、止まってはくれないし、後ろ手に縛られていては、荷車のふちにつかまることもできず、外に顔を出すこともできなかった。

 どうにもならず、横になったまま干し草の上に吐いてしまった。

 干し草に顔をこすりつけて吐瀉物をぬぐう。

 涙で顔がぐしゃぐしゃになる。

 ふと見ると、プリーツに隠れていたゴキブリが表に出てきていた。

「隠れていなさい。どこかへ飛んでいってはいけませんよ」

 言葉が通じたというわけではないだろうが、ゴキブリは触角を揺らしながらもう一度ドレスに潜り込んだ。

 エレナはもうろうとした意識の中でその様子を眺めてから、あまりの気持ち悪さに耐えきれなくなって気絶してしまった。

 お城に到着したのは暗くなってからだった。

 荷車から降ろされたエレナは衛兵に引きずられながら城館へ入った。

 ミリアが命じて縄が解かれる。

 棺におさめられた父と対面したときには、もう涙はすっかり涸れてしまっていた。

 お父様。

 もうしわけありません。

 婚約どころか罪人として戻って参りました。

 それに、わたくしがこの手でお父様に毒を飲ませていたなんて。

 わたくしもすぐに後を追いますから、先に天国でお母様と一緒になっていてください。

 ああ、でも、わたくしはご一緒できませんね。

 わたくしの行き先は地獄ですものね。

 エレナにとって、棺の中の父が静かな笑みを浮かべていたのだけは幸いであった。

 伯爵家代々の墓地はお城の地下にある。

 暗い階段に松明がたかれ、使用人の男たちが棺を運びおろした。

 城付の司祭によって簡単な儀式が行われ、埋葬が終わる。

 司祭たちが階段を上がっていく。

 ミリアは衛兵にエレナをまた縛るように命じた。

「この女を地下牢へ閉じこめておきなさい」

 地下墓所の奥には遠い昔に使われていた地下牢がある。

 もちろん、エレナはそんなところへ行ったことはなかったし、どんなところか想像もつかなかった。

 松明を掲げた衛兵に先導されながらミリアも一緒に地下牢へ向かう。

 カビと腐臭の混じったような空気が固まったように動かない。

「ここでわたくしを殺すのですか」

 地下洞窟に虚しく響くエレナの言葉にミリアは静かに答えた。

「殺しはしません。ただ閉じ込めておくだけです。それからあなたがどうなるのかは私には関係のないことです」

 そして鼻で笑いながら肩をすくめた。

「私の手はいつでも綺麗ですから」

 暗闇の中に、松明に照らされた鉄格子が浮かび上がる。

 その奥には白骨化した死体が転がっていた。

 それを見ても不思議と恐怖心はわいてこなかった。

 もはや抵抗する気力も、生き抜こうとする希望も無くなっていた。

 鉄格子の鍵は錆びついているようで、衛兵が岩でたたきつけて壊した。

「別の鍵を持ってきなさい」

 ミリアの命令で衛兵が一人地上へ駆け戻っていく。

 扉を開けるとキイッと嫌な音が地下の暗闇に広がる。

 エレナは衛兵に押し込まれる前に自分から中に入った。

 新しい錠前を持って戻ってきた衛兵が派手に金属の音を鳴らしながら扉を閉める。

 鉄格子の向こうでみながエレナを哀れみの目で見ている。

「おまえたち」と、ミリアは棺を運んだ男二人を呼んだ。

「へい、なんでしょうか」

「おまえたちは松明を絶やさないようにここで見張りをしなさい」

「え、こんなところでですかい?」

「最期まで見届けるのですよ。いいですね」

 不満そうな顔をしつつ、衛兵たちににらみつけられて男たちは肩をすくめるだけだった。

「では、これで本当に終わりね。さようなら、お馬鹿さん」

 ミリアは衛兵たちを引き連れて高笑いを残しながら去っていった。

 地下に取り残された男二人も、ミリアたちの気配が消えるとそわそわしはじめた。

「なあ、よお、こんなところにいるのは俺はいやだぜ」

「そりゃあそうよ。松明さえつけておけば、ここにいることもあるめえよ」

「だよな。どうせ一週間も持たねえだろうから、その頃に見に来ればいいよな」

 エレナは二人に声をかけた。

「あなたたちにお願いがあります」と、背中を向けて鉄格子に押しつけた。「せめて縄をほどいてくれませんか」

 男たちは顔を見合わせてから首を振った。

「それはいけませんぜ。逃げ出されたらあっしらが死刑ですよ」

「いくら両手が使えてもこんな頑丈な鍵を壊すことはできません」

 背中を押しつけたまま顔だけ向けて説得してみても、それでも疑いの目を向けている二人に、エレナは手の指を伸ばして見せた。

「この指輪をあなたたちに差し上げましょう」

 それは亡き母の形見だった。

 松明の炎で照らされて輝くサファイアを見て男たちの表情が変わった。

「いいんですかい?」

「かまいません。もうわたくしには必要のないものです。おまえたちの生活の足しにするといいでしょう」

「それじゃあ、遠慮なく」

 二人はエレナの手を押さえて指輪を抜き取った。

「では縄をほどいてくださいな」

 ところが男たちは松明の炎をすかしながら宝石の輝きを見つめているばかりで、いつまでもほどこうとしない。

「何をしているのですか」

「へへへ」と、片方が下卑た笑みを浮かべる。「どうせこのまま死ぬんだから、縛られてたって同じじゃねえですか」

「なっ、そんな」

 もう一人が鉄格子の間から手を入れてエレナのドレスをつかむ。

「それよりよ、相棒」

「おう、なんでえ」

「どうせ、このお嬢様、ここで死ぬんだからよ。ちょいと俺たちで味見させてもらったっていいんじゃねえかい?」

「おう、なるほどな」

「へへへ、高貴なお嬢様だぜ。こんな幸運めったにないからな」

「役得ってもんだな」

 エレナはとっさに鉄格子から離れて振り向いた。

「あ、味見とは、どういうことですの?」

「おやおや、お上品なことぬかしてやがるぜ」と、男たちはかえって興奮しているようだった。

「本当は全部知ってるくせによ」

「ま、いいさ、俺たちがかわいがってやるぜ」

 二人ともいきなりベルトを外し、ズボンを下ろした。

 扉に手をかけたところで、片方がつぶやく。

「おい、でもよ、鍵がないぜ」

 自由を阻むはずの鉄格子が今は自分を守ってくれていた。

「おう、そうか。上から取ってこようぜ」

 ズボンを下ろしたままあわてて歩こうとして足が絡まっている。

「おいおい、馬鹿だな。まずはその粗末なモノをしまってからにしろよ」

「へっ、おまえだってそうだろうがよ」

 二人はゲラゲラと笑いながら牢屋から離れていく。

 と、そのときだった。

 暗い洞窟の奥からコウモリの群れが一斉に飛び出してきた。

 慌てた男たちが転んで、壁に掛かっていた松明に突っ込んでしまう。

 落ちてきた松明を二人ともかぶってしまい、たちまち服に火がついて燃え上がる。

「あ、あっちい!」

 床を転げ回りながらなんとか服を脱ぎ捨てたものの、松明を蹴飛ばしてしまい、バラバラになった薪が牢屋の中へ転がっていき、白骨死体の服に燃え移る。

 蝋の焦げるような嫌な臭いの煙が上がって、もうもうと立ちこめる。

「おえっ、くっせえ。やべえよ、逃げようぜ」

 男たちはエレナを置いて階段を駆け上がって行ってしまった。

 暗い地下洞窟の中が炎で幻想的に照らされ、それを黒煙が遮る。

 ゴホッ、ゴホッ!

 まともに息もできない。

 さっきまでは諦めかけていたのに、目の前に危機が迫ると不思議なことに逃げ出したくなる。

 こんなふうに苦しんで死ぬのは嫌だ。

 しかし、どこにも逃げ道はなかった。

 ふと見ると、ドレスの上をゴキブリが這っている。

 ああ、まだついてきてくれていたのですね。

 でも、このままではおまえも死んでしまうでしょう。

「おまえだけでも逃げなさい。おまえならどこかの隙間から出られるでしょう」

 でも、ゴキブリは触角をユラユラとさせるだけで逃げようとはしない。

「早くお行きなさい。少しの間でしたが、お相手をしてくださってありがとう。私はここで終わりですから、おまえはもっと生きていきなさい」

 エレナは目を閉じて祈りの言葉を唱えた。

 父よ、母よ、天国でお幸せに。

 親不孝のこのわたくしのことをお許しください。

 バリッ……。

 ん?

 バリバリバリッ……。

 何か音がする。

 何かが燃えている音だろうか。

 バキッバキバキバキ!

 何かがすぐ目の前で起きているようだった。

 祈りの言葉を唱え終わったエレナはそっと目を開けた。

 何か黒いものがうごめいている。

 それはつもなく巨大化したゴキブリの腹だった。

 ドレスの上を這っていた小さな虫がムクムクと巨大化していき、エレナの背丈の二倍以上にもなって全体が見渡せないほどだった。

 その巨大なモンスターが、一つの節が人間の腕ほどもある長い脚をギシギシ言わせながらエレナを抱きかかえようとたちふさがっている。

「い、いやああああああああああああ!」

 叫び声を上げてみても、縛られた身で後ろは鉄格子。

 後ずさることも逃げることもできない。

 なのに巨大ゴキブリはエレナに迫ってくる。

 悪魔の首刈り鎌のような鋭いかぎ爪がエレナの肩をつかむ。

 ヒッ! ヒィィィ~~~!

 あまりの恐ろしさに口から泡を吹いてエレナは失神してしまった。

 火事の勢いはどんどん増していき、地下洞窟に黒い煙が充満していく。

 ゴキブリはエレナを片方の脚で抱き上げると、牢屋の奥へと向かう。

 そこには狭い隙間があった。

 巨大化した体ではとてもその中に入ることはできそうになかったが、不思議なことに、ゴキブリはそのまま隙間に体をねじ込ませると、エレナと一緒に闇の中へと消えていった。


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