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伯爵令嬢のつもりが悪役令嬢ザマァ婚約破棄&追放コンボで冥界の聖母になりました  作者: 犬上義彦


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(4-5)


   ◇


 子犬のミルヒと一緒に暮らすようになってからエレナの生活には一定のリズムが刻まれるようになっていた。

 サキュバスの作る食事を与え、掃除をし、洗濯をする。

 時には一緒に寝ている布団の中でお漏らしをされてしまうこともある。

 目覚めたときに自分も濡れて冷たくなっていると、いまだに『アッ!』と叫びそうになってしまう自分に赤面してしまうが、そういったよけいな後始末が増えても、単調だったこれまでよりもかえってメリハリができてかえって気が晴れるように思えてくる。

 おねしょをしたり、食事の皿をひっくり返してしまったときなど、失敗をしたときにすりすりと体を寄せてくるミルヒをエレナはいつも優しくなでてやっていた。

 そのたびに、冥界の闇の中で『ごめんね、ごめんね』と必死に謝っていた男の子の姿が重なって見えた。

「いいのですよ。心配はいりませんよ」

 そうやって語りかけてやると、安心して眠る姿もかわいらしい。

 その一方で、今までになかった悩みも出てきた。

 冥界の館での生活にも慣れて安心するようになったのか、子犬のミルヒは時々イタズラもするようになった。

 ベッドのシーツを引っ張ったり、クローゼットに隠れて見たり、エレナのドレスに頭を突っ込んでくることもあった。

 たしなめてやれば止めるからと、最初のうちはしたいようにさせていたものの、だんだんひどく散らかしたり、ちょっと調子に乗りすぎることもあった。

 そのたびに叱らなければならないのがエレナには苦痛だった。

 それが親としての役目ではあっても、イライラしたり気が滅入ったりするものだし、そもそも自分はこの子の親というわけでもない。

 しつけや教育をすべて背負わされてしまって、自分のことでも精一杯のエレナにとっては思った以上の負担になるのだった。

 サキュバスはミルヒのお腹をかき回すようになでるのが楽しいらしく、エレナのいないところではしょっちゅうちょっかいをだしているようだった。

 今も、掃除を終えてキッチンに来ると、鍋をとろとろと火にかけながらミルヒと遊んでいた。

 クゥン、クゥンと鳴き声を上げながらくすぐったそうに身をよじる姿を見てサキュバスがケラケラと笑っている。

「気持ちいいでしょ。あたしもね、帝王様にくすぐられちゃうとアハンハンってなっちゃうしぃ」

「何をしているのですか」

「えー、べつにぃ、遊んでるだけだよ」

「変なことを教えないでくださいよ」

「変なことってなあに?」

 分かってるくせに。

 というよりも、今やっているそれですよ、と指をさしてやりたかったけど、妖魔を調子づかせるだけだと知っていたから我慢した。

 ミルヒは仰向けになってお腹を見せて、もっとやれと催促している。

「えへへ、ママがね、甘やかしたら駄目だって。怒られちった」

 クゥン、クゥンと悲しそうな声で鳴く。

「ミルヒ、いらっしゃい」

 エレナが呼んでもサキュバスのところから離れようとしない。

「あたしと遊びたいんだもんね」

 床の上で仰向けになって、一緒になってぐるぐる転げ回っている。

 モップじゃないんだから……。

 ほこりが舞って、エレナはくしゃみが止まらなくなってしまった。

「くしゅん。そんなこと……くしゅん、していると……くしゅん、ほこりまみれになってしまいますよ」

 子犬と妖魔の二人はまったく聞く耳を持たず、オンオン、ケラケラと陽気にふざけあっている。

 少し甘やかしすぎたのだろうか。

 言うことを聞きそうにない。

 エレナはテーブルを思いきりたたいた。

 ドンッ!

 ビクッとしてミルヒがおとなしく床に座り込む。

「えー、何なに、どうしたの?」と、サキュバスが立ち上がって詰め寄ってくる。

「遊んでばかりいてはいけません」

「なんでよ。子供は遊ぶもんじゃん。悪い?」

「甘やかせるのは、本人のためになりません」

「あんたみたいに何にもできなくなるもんね」と、サキュバスがペロッと舌を出す。「全部任せっぱなしの元貴族のお嬢様」

 言い返せないのが悔しい。

「ええ、そうです」と、開き直るしかない。「だから、厳しくするところはしっかりとしなければいけないのです」

「べつにいいじゃん。まだ早くない? 遊びたいんだし……」と、サキュバスがちらりとミルヒに視線を送る。「あの子、あんまり遊んでもらったことないんだよ、たぶん」

 冥界に堕ちてきたときに泣いていたばかりいた男の子。

『ママ、ぶたないの?』と、おびえてばかりいた男の子。

 エレナはその姿を思いだして、何も言えなくなってしまった。

「たぶん、人間の子供でいるのが嫌になっちゃったんじゃないかな。だからワンちゃんになったのかも」

 サキュバスの考えも一理あるような気がした。

 かといって、まさに自分のように何もできないまま大きくなってはいけない。

 エレナは困ってしまった。

 まだ子を産んだこともないのに母親の役目を負わされるとは。

「まあ、いいんじゃない」と、サキュバスが火にかけた鍋の様子を見る。「あんたはあんたのしたいようにすればいいじゃん。あたしはあたしのしたいようにするから」

「遊びとしつけの役割を分担するということですか」

「そんな難しいこと、あたし、分かんない」

 結局のところ、何が正しいのか、エレナにも分からなかった。

 ルクスに相談するわけにはいかないし、そもそも地上へ悪人を探しに行っていてほとんど屋敷にはいなかった。

 戻ってきてもサキュバスと寝室にこもってしまう。

 エレナは一人で悩むしかなかった。

 だんだんと、ミルヒの姿を見るたびにため息をついてばかりいるようになっていき、あれほどやりがいを感じていた掃除も面倒になってしまった。

 寝たいときに勝手にベッドに入って寝させて、自分は暖炉の炎の前でぼんやりとしていることもある。

 丸まって寝ているミルヒをなでているとかわいいとは思う。

 でも、起きてイタズラばかりしていると、どうにかしなければいけないのではないかと心配になる。

 少しずつ大きくなっていく姿を見ていると、時間を無駄にできないのではないかと焦ってしまう。

 サキュバスはあいかわらず下品な食べ方をあらためようとはしない。

 特にミルヒに食べさせるときには注意していてもそれをまねしてしまいがちだ。

 そのたびに妖魔と言い争いになる。

 そして、最後は結局、『あたしはあんただし、あんたはあたしじゃん』と、お決まりの台詞でごまかされてしまうのだった。

「おまえがかわいいから、立派になってほしいのですよ」

 眠っているミルヒに語りかけたところでどうにもならないのは分かっている。

 でも、エレナにできることは他に何もなかった。

 わたくしがあたえられるものなど、何もありませんもの。

 あるとすれば愛情だけだ。

 ただ、それが伝わらなければ、それもまた何の意味もないものだった。

 悩みは深まり、ため息ばかりが増えていく。

 そんなとき、また寝言が聞こえてきた。

 ……エレナ……。

 もちろんルクスなのは分かっている。

 ただの寝言など放っておけばいい。

 あんな男には妖魔がお似合いなのですから。

 何が冥界の帝王ですか。

 だが、少し様子がおかしい。

 うぅ……エレナ……。

 何かにうなされているようだ。

 おぉ……エレナ……。

 あえぐような、もだえるような、苦しげなうなりも混ざっている。

 エレナはミルヒを残して自分の部屋を出た。

 暗闇の中からうめき声は確実に聞こえてくる。

「光あれ!」

 いつもの言葉を唱えても明るくならない。

 フィアトルクス!

 闇はどこまでも深いままだ。

 エレナは手探りで進むしかなかった。

 ただ、声のする方ははっきりと分かっていた。

 寝室のドアを開け、中に入る。

 ベッドの上で寝返りを打っているのか、シーツがさざ波のような音を立てている。

 手探りで進んでいると突然手をつかまれた。

「あっ!」

 逆らう間もなく抱きしめられる。

 ……エレナ……。

 な、何を……。

 思わず体が震え出す。

 彼の体が冷え切っていた。

 まるで氷の像に抱きしめられているかのようだった。

「いったい、どうしたのですか?」

「エレナ……」

 声をかけても返事をする余裕もないのか、ただ彼は暴力的にエレナを抱きしめるだけだった。

「しっかりしてください」

 あたためてやろうにも、こちらの方が凍えてしまう。

 しかも彼はエレナをきつく抱きしめて離そうとしない。

 闇の中で抱きしめられたままエレナは身動きがとれなかった。

「うぅ……エレナ……」

「しっかりなさって。どうしたのですか?」

 彼はうなり声を上げるだけだ。

「ルクス……しっかり、ルクス……」

 どうなってしまうというのですか。

 抱きつかれるままにエレナもまた彼をしっかりと抱きしめた。

 凍りついてもいい。

 彼を救えるのならどうなってもいい。

 わたくしにあたえられるものがあるとするなら、すべてを奪い去ればいい。

 衣服を剥ぎ取られ、密着した肌から体温を奪われ、それでもなお彼はエレナをむさぼり尽くそうとする。

「あぁ……エレナ……」

 いいのです。

 それが望みなら、わたくしはすべてを投げ出しましょう。

 ……それで、いいのです。

 エレナは祈りを唱えた。

 光あれ!

 それがどのようなものであれ、わたくしたちの行く末を照らすなら、冷酷な痛みも二人を結ぶ絆となるでしょう。

 彼女は光に刺し貫かれ、その瞬間、意識がはじけ飛んだ。

 闇に取り残されたのは行き場のない切ない想いだけだった。


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