(4-4)
◇
夢を見ていた。
真っ赤なバラの花束を持ったルクスがエレナを迎えに来る夢だ。
『まあ、これをわたくしに』
『美しいものはあなたにこそふさわしい』
『まあ、おじょうずですこと』
彼の胸に飛び込んで抱きついた瞬間、姿が変わる。
……ああ、まただ。
もう何度同じ夢を見ただろうか。
目を開けると、暖炉の火はまだついたままで、洗濯物はだいぶ乾いたようだった。
子供を寝かしつけているうちに、自分もいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
と、肝心の男の子がいない。
あら、どこにいったのかしら。
立ち上がって部屋を出る。
『光あれ!』
埃の積もった廊下には小さな足跡がついている。
だが、なんだか変だ。
子供の足にしても、小さすぎる。
エレナはその足跡を追ってみた。
階段を下りてキッチンへ続いている。
ドアの隙間から明かりが漏れている。
そっと顔を差し入れて中の様子をうかがうと、そこには見慣れない生き物がいた。
真っ白な子犬がテーブルの下でミルクをなめているのだ。
「あら、まあ、これは……」
「やっほー、子犬ちゃんだよ」
椅子に座ってその様子を眺めていたサキュバスが、子犬を抱きかかえてそばにくる。
「かわいいでしょ」
「ええ」
「抱っこしてやんなよ」
サキュバスに渡された子犬はおとなしく、つやの良いふわふわな毛に覆われて抱き心地がいい。
「あの子はどうしましたか?」
「この子だよ」
「あの男の子のことです」
「だからこの子だよ」
何を言っているのだろうか。
子犬がぺろぺろとエレナの顔をなめる。
かわいいのはいいが、今はそれどころではない。
子供はどうしたのだろうか。
サキュバスがエレナの腕から子犬を取り上げると、高く持ち上げて、ぶらんとぶらさがった下半身を目の前に掲げた。
「ほら、オスだよ」
まあ、かわいらしいこと。
でも、知りたいのはそういうことではない。
「あの、そうではなくて……」
「だから、この子だってば」
はあ?
この子って……。
まさか!
エレナはようやく理解できた。
「あの子がこの子犬になったというのですか」
「そうだよ」
まあ、ここは冥界だ。
何があってもおかしくはない。
もう一度子犬を受け取ってからエレナはたずねた。
「でも、どうして」
「さあね。あんたの部屋から出てきたときにはこの姿だったよ。元々冥界に墜ちてきた悪者は獣になる運命なんだから、こっちが本当の姿だったんじゃないの?」
サキュバスはまったく気にもしていないようだった。
「この方が帝王様にも話しやすくていいんじゃない?」
それはそうだが、なんだか寂しさも感じてしまう。
もう少しこの子のママでいたかったような気がする。
と、廊下から足音が聞こえてきた。
噂をすれば、ルクスが帰ってきたようだ。
今さら隠すわけにもいかなくなってしまった。
「あたしに任せてよ」
エレナは言われたとおり子犬を抱きしめたままキッチンの隅に立っているしかなかった。
中に入ってきた彼をサキュバスが両手を広げて迎える。
「あらあ、お帰りなさーい。くりいむシチューとあたし、どっちにしますかぁ」
「おまえに決まっているだろう」と、ルクスがサキュバスを抱き寄せる。
はあ?
蕁麻疹が出そうなセリフだ。
ルクスがマントからバラの花束を取り出す。
「地上の土産だ」
「やだあ、これ、あたしにですかぁ?」と、わざとらしく声を上げてサキュバスが受け取る。
「美しいものはおまえにこそふさわしいからな」
なによこれ、夢で見たとおりじゃない。
でも、なんでわたくしにではなくて、こんな妖魔が相手なのですか。
夢ではときめいていたのに、他人がやっているのを見ているとイライラしてしまう。
「その子犬はどうしたのだ?」と、ルクスがこちらを見る。
「あのぉ、えっとぉ……」とサキュバスが体をくねくねさせながらルクスの首に腕を回して耳元に息を吹きかけた。
「なんだ、どうした」
ルクスはニヤけながら妖魔の言葉に耳を傾けている。
「あのぉ、あたしぃ、子犬ちゃんが飼いたいなぁーとかってぇーいうかぁ。あん、もう、帝王様ってばぁ、わかるでしょぉ」
「そこの白いのがいいのか」
「そうなのぉ。ミルヒっていうのよ。いいでしょう?」
まあ、何ですか!
勝手に名前までつけて!
でも、真っ白で乳のようだから、ミルヒというかわいらしい名前も悪くはないような気がした。
「まあ、よかろう」と、ルクスも鷹揚にうなずいている。
「やったぁ」と、サキュバスがエレナに向かって片目をつむってみせる。「じゃあ、あたしぃ、お礼に帝王様に思いっきりサービスしちゃうからぁ、はやくあっちに行きましょうよ」
「今ここでもいいんだぞ」
「えー」と、妖魔がエレナをチラチラと見ながらニヤけている。「ここだとぉ、ワンちゃんに見られて恥ずかしいていうか、見せつけちゃうんですか? やだぁ、もう、帝王様ったら大胆なんだから。お仕置きしちゃう、アハ」
ルクスはまったくエレナの存在に気がついていないようだった。
というよりも完全に妖魔に惑わされている。
なんなんですか、これは……。
「もう、呆れましたわ。こんな人たちはおいてお部屋に行きましょう」
エレナはミルヒを抱いたまま、わざとルクスにぶつかってキッチンを出た。
でもやはりエレナの姿は見えていないらしい。
「あの犬は機嫌が悪いのか?」
そんな彼の声などこっちが無視してやる。
「ワンちゃんはご機嫌ですよぉ。機嫌じゃなくてぇ、性格が悪いんですぅ」
ハァ!?
なんですって!
一瞬、戻ろうかと足を止めた彼女は、相手にするだけ無駄だと思いなおして部屋へ引きこもった。
暖炉の前に座り込んで膝にミルヒを乗せる。
つぶらな瞳で見上げる子犬をなでてやると、クゥンとかわいらしく鳴く。
「おまえだけがわたくしのそばにいてくれればそれでいいですわ」
あの二人のことなどどうでもいいのです。
柔らかな毛がふわふわと気持ちいい。
しばらくの間、暖炉のゆれる炎を見つめていると、眠くなってきてしまった。
眠っても眠らなくても良い冥界で眠くなるのは心が落ち着くときだ。
エレナはミルヒを優しく抱きしめてささやいた。
「ママと一緒に寝ましょうか」
ミルヒを連れてベッドに入ると冷たいお布団の中でもぞもぞと這い回って一生懸命あたためてくれる。
「ありがとう。おまえはいい子ですね」
ひょっこり顔を出したミルヒがエレナの耳をなめる。
「あらまぁ、くすぐったいこと」
彼女はイタズラ好きな子犬をつかまえて口づけた。
わたくしには、まだこのくらいが丁度いいですわ。
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