(4-2)
◇
屋敷を出てみたところで、周囲は暗黒に包まれていて何も見えないし、どこにも行けない。
『光あれ』と唱えてみても、自分の手元が明るくなるだけで、やはりまわりの様子はまったく分からない。
エレナはこれまでも家の外の様子を見ようとしたことがあったが、いつもこんな調子であきらめていたのだった。
でも、今度ばかりはあの家にはいたくなかった。
あんな妖魔が自分の代わりに愛されるなんて納得できない。
手探りで暗闇の中を歩く。
ルクスが言っていたことを思い出す。
冥界には獣がいて、堕ちてきた罪人を食べる。
それが魂の浄化なのだと。
ならば、いっそのこと食われてしまった方がましだ。
自分も浄化してほしい。
もうこんなところにいたくはない。
しかし、そんな一時の激情を吹き飛ばすようなことが起きた。
ウオオオオォーン!
「な、何ですの?」
暗闇のどこからか獣の遠吠えが聞こえてくる。
ウオオオオォーン!
恐怖で思わず体が震え出す。
食われてしまえばいいなどと思っていた自分を呪いたくなる。
どこにいるのだろうか。
何が吠えているのだろうか。
オオカミか野犬か、はたまた見知らぬ魔物だろうか。
と、また暗闇から音が聞こえてきた。
ガリッ!
何の音ですか?
バキボキッ!
パクッ!
獣が獲物を食らう音だ。
骨を砕く音。
肉を引きちぎる音。
顔を天に向け、喉の奥へと肉を送り込んでいく音まで、まるで耳元で聞かされているようにくっきりと聞こえる。
そんな……。
すぐ近くだというのですか。
エレナは思わずルクスの助けを求めてしまった。
いつでもどこからでも駆けつけると言っていたはずだ。
なのに、ルクスは姿を見せない。
ルクス、お願いです。
わたくしが愚かでした。
助けに来て。
私を屋敷に連れ帰ってくださいな。
なのに彼は姿を現さない。
「ルクス! ルクス! わたくしはここです。お願いです。助けに来て!」
恐怖で声がかすれてしまうが、エレナは必死に彼を呼んだ。
と、そのときだった。
エレナの声に紛れるように、人の泣き声が聞こえてきたような気がした。
彼女は口を閉じて、耳をそばだてた。
……えーん……、……えーん……。
聞こえる。
間違いない。
子供の泣き声だ。
エレナは声の聞こえてくる方に向かって歩き出した。
駆けつけてやりたくても、暗闇の中で走れないし、どこにいるのか分からない。
それに野獣に出くわしてしまうかもしれない。
それでも、エレナは気持ちを奮い立たせながら声の主を探し歩いた。
「誰か、いますか?」
返事はない。
だが、泣き声は確かに聞こえる。
「どなたかいるのですか? どこですか?」
……えーん、えーん……。
ウォオオオオン!
また獣の遠吠えが聞こえた。
嫌な予感がする。
子供の泣き声を聞きつけて襲おうとしているのではないか。
自分が襲われる心配をしているどころではなかった。
急がなければ。
……えーん……。
野獣の鳴き声に混ざって子供の泣き声が聞こえる。
「どこにいるのですか? わたくしの声は聞こえますか?」
……ごめんなさい……。
かなり近いところで聞こえたようだ。
「大丈夫ですか。助けに来ましたよ」
……うえーん、ごめんなさい……。
「どうしてあやまっているのですか? 大丈夫ですよ」
と、手探りで進んでいると、足に何かがぶつかった。
ただ、それは暗闇に沈んでいて姿が見えない。
自分の姿は光っているのに、相手の姿は照らされないようだし、相手にもこちらは見えていないようだった。
「いるのですか?」
「うん」
エレナはしゃがみ込んでそこにいる何かを手でなでた。
子供の顔のようだ。
涙と鼻水でグショグショだ。
「いいですか? わたくしと同じ言葉を唱えるのですよ。『フィアトルクス』。言ってごらんなさい」
「フィルトクス?」
「フィアト、ルクス」と、一言ずつ区切って言い直してみる。
「フィアト、ルクス」
「そうです」
すると、闇の中に子供の姿がぼんやりと浮かび上がった。
小さな男の子だ。
まだ三、四歳くらいだろうか。
「大丈夫ですか。怪我はありませんか? どこか痛くないですか?」
「ううん」と、泣きながら首を振っている。
エレナは子供をそっと抱き寄せた。
「大丈夫ですよ。泣かなくてよいのですよ。よしよし……」
と、語りかけてやったところで、子供はなかなか泣き止もうとしない。
ウォオオオーン!
獣もまだどこかにいるらしい。
「えぐっ、うわーん」
ますます大声で泣いてしまう。
これでは獣を呼び寄せているようなものだ。
エレナは子供をきつく抱きしめた。
「大丈夫。大丈夫ですよ。わたくしがギュッとしていれば、あなたは食べられたりしませんからね」
「ボク、食べられちゃうの?」
かえって怖がらせてしまったらしい。
「大丈夫ですよ。わたくしが追い払ってあげます」
子供の頭を包み込んで獣の遠吠えが聞こえなくなるようにエレナは抱きしめる腕に力を込めた。
「ママ、痛いよ」
「あら、ごめんなさいね」
加減が分からないし、そもそも自分もこわいからついきつく抱きしめてしまったのだ。
そもそもママではないのだけれど。
少し力を緩めてやると、安心したように胸に顔を押しつけて男の子はようやく泣き止んだ。
「胸がなくてごめんなさいね」と、思っただけのつもりが、つい声に出してつぶやいてしまった。
男の子が細い腕でエレナに抱きついてくる。
「ママはおっぱい大きかったけど、ギュッてしてくれなかったよ」
それはかわいそうに……。
そういえば、あなたのママはどうしたのですか、とたずねそうになって、エレナはその言葉を飲み込んだ。
一人でこの冥界に堕ちてきたのだ。
元々家族に愛されていたのなら、天に召されていたはずで、こんなところにはいないのだろう。
つまりそれがこの子の運命だということなのだ。
だからといって、獣に食われてしまえばいいなんてことはないはずだ。
男の子を屋敷へ連れて行こうとした、そのときだった。
ガウッ、ガウワウッ!
急に闇の中からぼんやりとした光が浮かび上がる。
すぐ近くに狼のような姿をした獣が現れた。
背中が丸く体は細いが、足の爪と口から飛び出した二本の牙が鋭い。
うつろな目で二人を見つめながらよだれを垂らしてうなり続けている。
エレナは子供を後ろに隠しながら静かに立ち上がった。
ガウッ、グルゥゥゥウ!
獣はじっと視線を合わせたまま前足で地面を引っ掻いている。
後ずさりしようとすると、獣の体が跳ねそうになった。
エレナはとっさに腕を上げて獣の目をにらみつけた。
一瞬ひるんだような目を見せて獣がまた間合いを保ったまま地面を引っ掻き始めた。
男の子はエレナの右脚にしがみついてブルブルと震えている。
逃げようとしても、飛びかかられたら終わりだ。
とはいえ、いつまでもにらみ合っていても、どうにもならない。
ルクス!
助けてくださいな。
お願いです。
だが、助けは現れない。
すぐにどこからでも駆けつけるなんて言っていたくせに。
全然役に立たないではありませんか。
何が冥界の帝王ですか。
あんな妖魔に手玉に取られて、ただの無能なダメ男ではありませんか。
イカ墨ベッタリ腹黒王子と同じですわ。
エレナは少しずつ後ずさりながら獣との間合いをはかっていた。
コツンと、足に何かが当たる。
石だ。
エレナは獣をじっとにらみつけたまま、石を取り上げようとしゃがみながら手を下げた。
どうやら一つだけではないようだ。
両手で二つ三つと、一度に持てるだけつかむ。
姿勢が低くなったエレナを狙って獣が飛びかかるタイミングをはかっている。
視線をそらしたら終わりだ。
ゆっくりと立ち上がりながらエレナは獣に語りかけた。
「ここから去りなさい。さもないと石を投げますよ」
獣はグルルゥゥウと低くうなり続けている。
少しだけ声を張り上げてみる。
「去りなさい! 本当に投げますよ!」
ウウウウウ!
「本気ですよ。わたくしはこの子を守るのです。投げますよ!」
振りかぶって右腕を高く上げて投げるそぶりを見せても、獣は立ち去ろうとしない。
「行きなさい! 行くのです! でないと、本当に投げますよ!」
わたくしはおまえに乱暴なことはしたくはないのです。
そんな願いなど通じるわけもなく、獣は足を踏ん張って姿勢を低くしながら、今にも飛びかかってきそうな体勢になった。
じょわぁぁぁぁ……
あら?
……何かしら?
なんだか脚が温かい。
エレナの脚にしがみついていた男の子が恐怖のあまりおしっこを漏らしてしまったのだった。
エレナにもかかって、びしょびしょだ。
あら、まあ、どうしましょう。
「ごめんなさい。ママごめんなさい」
男の子がブルブルと震えて大声を上げてまた泣きだしてしまった。
弱みを感じ取ったのか、獣の目の色が変わったように見えた。
駄目だ。
このままでは二人とも食われてしまう。
エレナは心の中で祈りを唱えた。
お母様、乱暴なわたくしをお許しください。
エレナは両手につかんでいた石を一度に思いっきり投げつけて叫んだ。
「来るな! どっか行け! ゴラァ!」
石の攻撃とさっきまでとは違う言葉の調子に驚いたのか、前へ踏み出そうとしていた獣があわてて向きを変えて逃げ出す。
数歩で立ち止まってこちらを振り向いた瞬間、エレナは両手を振り回しながらまた大声を出した。
「行けって言ってんだろぅが! こっちが食ってやるぞ!」
エレナの勢いに恐れをなした獣は尻尾を丸めて闇の中へ消えていった。
膝が崩れそうなほど震えていたが、エレナの顔には満足げな笑顔が浮かんでいた。
ああ、すっきりしましたわ。
こっそり読んだ小説に出てきたセリフを覚えていて良かったですわね。
ルクスにもこんなふうに言ってやりたかった。
でも、あの人にはもっと汚い言葉を浴びせてしまいそうですわ。
……うふふ。
安堵したエレナが振り向くと、男の子はへたり込んで泣きじゃくっていた。
「こわいよぉ、こわいよぅ」
「もう大丈夫ですよ」とエレナが駆け寄ると、男の子がもっとおびえ出す。
「こわいよぉ」
「もう大丈夫ですよ。こわい獣はいなくなりましたからね」
「ママこわいよぅ」
どうやら獣ではなく、エレナの剣幕の方が恐ろしかったらしい。
抱きしめてやろうとすると体をよじって逃げ出そうとする。
そんなに怖がらせてしまったのだろうか。
エレナは反省しながらも、自分の力に少し自信を持った。
自分は何もできないわけではないのだ。
ただ、その力と勇気を正しく使えば良いだけだ。
エレナはあらためて優しく語りかけた。
「ごめんなさいね。あんな乱暴な言葉を言うおねえちゃんはいけませんよね。よしよし、大丈夫ですよ。もうこわくありませんよ」
男の子はようやく泣き止んでエレナに抱きついてきた。
「そう。こわくありませんよ。わたくしも、もうあんな乱暴なことは言いませんからね」
「こわくないの、ママ?」
わたくしはママではありませんよ、と言おうとしてエレナは思いとどまった。
ママであるかどうかはどちらでもいいことだ。
ママと呼びたければそうさせてやればいい。
抱きしめてやっていた男の子がエレナの腕の中でポツリとつぶやく。
「ママはぶたないの?」
「どうして?」
「前のママは僕がお漏らしするといつもぶったよ。悪い子だって」
エレナはそっと男の子の頭をなでてやった。
「ぶったりしませんよ。ギュッてしてあげますよ」
そういえば、男の子の服が濡れたままだ。
早く着替えさせてやらなければ。
エレナは男の子を抱きながら立ち上がろうとした。
しかし、まだ小さいとはいえ、それなりに重たい。
今まで、こんな重たいものを持ったことはなかった。
エレナはいったん男の子を離して、背中を向けてしゃがんだ。
「おんぶしてあげましょう」
男の子は素直に背中に乗ってくる。
手で支えてやると、お尻が冷たくなっていた。
「冷たくて気持ちが悪いでしょう」
背中で男の子がうなずく。
「おうちに帰って着替えましょうね」
男の子がもう一度うなずく。
「ママ、ごめんね」
「いいのですよ」
「ママはどうして怒らないの?」
「ママだからですよ」
「ママはいつも僕のこと怒ってぶってたよ」
まあ、なんてかわいそうなんでしょう。
エレナはミリアのことを思い出していた。
おねしょをしても、ミリアは叱ることもなく、文句も言わずに処理してくれていた。
少なくとも、ぶたれたことはない。
それがたとえ主人である貴族の令嬢と侍女の関係とはいえ、感謝すべきことなのではないだろうかと、今さらながらに気がついた。
もっと感謝の気持ちを伝えるべきではなかったのか。
エレナはミリアのために祝福の祈りを唱えた。
「もうママはぶたないから大丈夫ですよ」
「僕ね、お漏らししちゃうとママにぶたれちゃうから、夜ね、寝るとお漏らししちゃうでしょ。だから僕ね、夜は寝ないように頑張ってたんだけど、いつの間にか寝ちゃってて、おねしょしちゃって、お布団乾かさなくちゃって暖炉の前に持って行ったら、燃えちゃったんだ」
まあ、そうだったのですか。
「一生懸命火を消そうとしたんだけど、おうちが燃えちゃってね。みんな死んじゃったの」
「そうだったのですか」
それでこの子は冥界に堕ちてきたのだろう。
でもだからといって、獣に食われてしまっていいわけではない。
「もう心配いりませんよ。ママがいつでもギュッてしてあげますからね」
安心させてやりたくて屋敷へ戻ってきたのはいいが、この子を中に入れてもいいものだろうか。
ルクスはなんと言うだろうか。
玄関の扉を少しだけ開けて中を見ると、人の気配はないようだった。
エレナはしゃがんで男の子を下ろすと、向かい合って口に指を立てた。
男の子がうなずく。
ニッコリと笑って頭をなでてやると、男の子も笑顔になった。
口に指を立てたまま左手で男の子の手を引いてキッチンへ向かう。
ドアの隙間からぼんやりとした光が漏れて、変な鼻歌が聞こえてくる。
中をのぞくと、キッチンにはサキュバスしかいないようだった。
片付けものをしているらしい。
「ねえ、あなた」と声をかけて、エレナはチョイチョイと手招きした。
「ん? なあに?」と、手を止めてこちらへ来る。
「ルクスは?」
「帝王様なら、今出かけてるよ。悪い奴でも探しに行ったんじゃない?」
それはちょうど良かった。
「まだシチューはありますか?」
「あるよ。食べる?」
「わたくしではなく、この子に食べさせてあげてくださいな」
エレナは男の子の背中を押してキッチンへ入れてやった。
「わあ、かわいいじゃん。君なんてえの?」
そういえばまだ名前を聞いていなかった。
「わかんない」
「わかんないって、なんでよ」と、サキュバスがしゃがみ込んで男の子をギュッと抱きしめる。
「だって、ママは馬鹿とか間抜けとかのろまとかしか言わなかったから」
「へえ、じゃあ、あたしが名前つけてあげよっか」
うん、とうなずきながら男の子がサキュバスの胸の谷間に顔を埋めた。
「気持ちいいでしょ」
「うん」
「男の子はみんなギューが大好きだもんね。帝王様もあたしにはデレデレなくらいだし。まあ、あたしのナイスバディなら無理もないけどぉ」
はあ、とエレナはため息をついた。
王宮のクラクス王子とカミラのことを思い出してしまう。
どうせわたくしでは満足できないでしょうよ。
「わたくしはエレナですよ」と名乗ってみても、まるで興味を示さない。
「ママ、おなかすいたよ」
この子には名前などどうでもいいようだ。
サキュバスが男の子の濡れたズボンをするりと脱がす。
「あらまあ」とエレナは思わず声を上げてしまった。
サキュバスが一瞬ぽかんとして笑い出す。
「たいしたもんじゃないじゃん。帝王様なんかもっとすごいよ」
何を言い出すのでしょうか、この妖魔は。
「子供の前でそういうことは言わないでください」
「ふーん、あっそ」
「ねえ、僕、おなかすいたってば」
口をとがらせる男の子にサキュバスが微笑みかけた。
「まずはお着替えしてからだよ。おちっこそのままにしておくとクチャイからね」
「クチャイのやだ」
「だよね」と、顔を見合わせて二人で笑い合っている。
お行儀が悪いのは困るけど、思ったよりも仲良くなったみたいでエレナはほっとしていた。
「着替えはどこかにありますか?」とたずねるとサキュバスが首をかしげた。
「子供の服はないから、洗ってる間なんか巻いておくしかないんじゃない」
「そうですか」
エレナはキッチンを出てタオルを探しに行った。
クローゼットの中から大きめのタオルを取ってきて戻ると、サキュバスと男の子はもうテーブルに並んでシチューを食べていた。
「おいしいね」
「でしょ。あたしが作ったんだもん」
仲がいいのはかまわないが、二人とも食べ方がめちゃくちゃだ。
肉は手づかみだし、皿に顔を近づけて犬のようにペロペロとなめたかと思えば、持ち上げてずるずるとすすり上げたりしている。
獣のような、いや、獣以下のマナーに辟易してしまう。
エレナは男の子に注意した。
「音を立てて食べてはいけませんよ」
「どうして、ママ?」
「音を立てて食べる人は嫌われてしまいます」
しゅんとしてうつむきながら上目遣いにつぶやく。
「ママは僕のこと嫌い?」
「嫌いではありませんが、もっと好きになるために必要なことなのですよ」
「ごめんなさい」
「ちゃんとスプーンを使って食べましょうね」
「はーい」
「いいお返事ですね」
サキュバスはエレナを無視して相変わらず下品な食べ方を続けている。
クッチャクッチャとわざとらしく音も立てている。
それにくらべると、男の子の方は言われたとおりにちゃんとおとなしく食べている。
「シチューはおいしい?」
「うん」
「ちょっとぉ、作ったのはあたしなんだけど」
「わたくしはあなた、あなたはわたくしでしょう。ならばいいではありませんか」
ちぇえ、とサキュバスは不満そうだが、エレナはいつものお返しができて満足だった。
「おいしかった! もっと食べたーい」と、男の子が両手を挙げる。
「おっ、元気だねえ。はいはい、いっぱいあるからね」
機嫌を直したサキュバスが男の子におかわりをよそいながら耳打ちする。
「この子、どうするの?」
「ここで暮らせませんか?」と、エレナも小声で返した。
「やめときなよ」
「どうしてですか?」
「帝王様に怒られるよ」
やはりそうだろうか。
「怒られないうちに、食べ終わったら追い出さなくちゃ」
「追い出すなんて、そういうわけにはいきません」
「なんでよ?」
「助けてあげませんと。外に出たら獣に襲われてしまいます。さっきはたまたまわたくしが追い払いましたけど」
「しょうがないよ。そういうもんだから」
「だって、まだ子供ですよ」
「だからさ、子供だからって、なんでよ?」
「かわいそうではありませんか」
「歳とか関係ないじゃん。悪いことしたから冥界に堕ちてきたんだもん。あんただってそうじゃん」
ふと気がつくと男の子が食事に手をつけずにしょんぼりとしている。
「あら、どうしたのですか。食べてていいのですよ」
「ママたちけんかしてるの?」
「いいえ、相談してるだけですよ」と言い訳したところで、子供には違いが分からないだろう。
「おうちでもママはけんかばかりしてたよ」
エレナは無理に作り笑顔を向けて子供の頭をなでてやった。
「ごめんなさいね。心配しなくても大丈夫ですよ。ママはこのお姉ちゃんと仲良しですから」
自分がママでサキュバスがお姉ちゃんというのは少し抵抗があったが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
サキュバスがニヤけている。
「えー、うちらいつからそんな仲良しになったんだっけ」
「わたくしはあなたであなたはわたくしでしょう? ならば、最初から仲良しに決まっているではありませんか」
一瞬ぽかんとした表情を見せてから妖魔がエレナに抱きついてくる。
「えへへ、あんたなかなかいいやつじゃん……って自分だけどぉ。気に入ったよ」
正直、ただ言いつくろっただけだし、道化のような化粧の妖魔に抱きつかれるのは不快だったが、エレナは笑顔を崩さないように努力していた。
「さあ、お食事をしてしまいましょうね。冷めるともったいないですから」
「うん」
安心したように頬をゆるめてシチューを食べる男の子を見ながらサキュバスがまた耳打ちしてきた。
「ていうかさ、その襲いかかってきた狼がこの子のママだったんじゃないの?」
ま、まさか……そんな。
自分の子供を食い殺そうなんて。
人の罪はどこまで深いというのでしょうか。
でも、ここは冥界だ。
ありえないことではないだろう。
「なら、なおさら外に出すわけにはいきませんわ」
「でも帝王様はどうするのさ?」
「わたくしの部屋にかくまいます」
「モロバレじゃん」
「あなたも協力してくださいな」
「えー、どうしようっかなぁ……」
ペロリと舌を出して何か悪いことを考えているようだ。
「あなたがルクスの気を引いてくれればいいではありませんか」
「やだあ、あたしに帝王様とずっとイチャイチャしろってえの? まあ、言われなくてもしちゃうけどぉ。でも、どうしよう、あたし、カラダが持たないかもぉ……」
はいはいはい。
また一人でなんかわけの分からないことをしゃべり始めている。
エレナは右から左へと聞き流しながら男の子の食事を見守ってやっていた。
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