5話 気づいたら下僕になっていた
蜜のような期待をしていたのだが、光太郎が連れてこられた場所は区役所だった。
それもただの区役所ではない。
隠れた存在のために設けられた、ナポタ管轄の窓口である。
「さっきのは何だったんだろう?」
リュウの笑顔に思い出すと、それだけで顔が赤くなる光太郎は、紛らわすように周囲の人間を見つめる。
否。
彼らは全員、人間の姿をしているだけらしい。
光太郎にはその判別が出来ないが、その謎の一体感に心は踊った。
自分の番号が呼ばれて、光太郎は役所のお姉さんの前に座る。
左右を白のパーテーションで仕切られており、両隣にもきっと自分のように手続きをしにきた隠れた存在がいるのだろう。
挨拶もそこそこに、お姉さんは訥々と説明をし始めた。
「……という感じで、これはナポタ側からの自立支援を申請する手続き書類で、こっちが夜見さんの戸籍になります。住所はすでに登録されていますから、本人確認としてサインを頂けますか?」
止めどない説明を終えたお姉さんは、ふとそこで顔を上げた。
そこには頭から煙が出ていそうな光太郎がいた。
「す、すみません。ずっと何を言っているのか分かりませんでした」
「いえ、ほとんど皆さんも同じ顔をされますから安心してください」
「やっぱりそうですよね」
「はい。この区役所は後方支援には自負がありますから、私たちにお任せください」
その後、お姉さんの指示のもとこの世界で生きていくための手続きを済ませたら、経歴を作成するために色々な質問が行われた。
「なるほど、河童なのに水が苦手なんですね」
「それは書かないでください。というか質問上手いですね!」
自分のコンプレックスを綺麗に剝がされて、光太郎の顔は羞恥で赤らんでいる。
「では最後に、来日目的を教えてもらえますか?」
「来日目的……」
「あの、夜見さん?」
その意味は分かっていた。
けれど、僕は灯里に手を引かれるまま、この世界に足を踏み入れた。
来日目的だけ言うのであれば、「家族と暮らすため」という真っ当な答えを持っているが、それは都合であって、自分の目的とは違う気がする。
自分の目的が何なのか、それとも本当にそんなものがあるのかさえ分からない。
その時、左隣から少女の声が聞こえた。
「来日目的って、そんなの決まってるわ。私はこの世界を私の惑星にするのよ! それから家族も探さないとだし、とにかくあんたの脳では追いつけないほどの目的を抱えてるのよ!」
「分かった、分かったから、落ち着いて!」
「落ち着いてるわよ。それにあんたが聞いてきたんじゃない! 私がどれだけむさ苦しい説明を聞いてあげたと思ってるのよ。これでも我慢した方なんだけど」
「す、すみません……」
「その臭い謝罪はいらないわ。本心で言ってるなら鈍重な肉体を地面に伏して、私の前で土下座でもしてみなさい!」
その鋭い剣幕に押されるように、男の職員は声だけで狼狽えているのが分かった。
我を通したような少女の声は、この区役所の中でもひと際目立ち、光太郎の心臓はどくどくと鼓動を早めた。
それは本能というか、見たら殺される、という危機感が胸の中に渦巻いたのだ。
そして誰もが言葉を発するのをためらわれたかと思ったその時、今度は右隣りから声がした。
それは若くも自信に満ち満ちた青年の声である。
「来日目的だって? そうだな……、あまり考えた事が無かったけど、たった今思いついたよ。僕はこの世界で芸術を学び、美を追求したいんだ!」
「芸術ですか?」
「芸術はどこにでもあることを知っているかい? 例えば、あなたの瞳だって芸術になる。僕の心はまさしくそういった美を求めているんだよ!」
「あ、そうなんですね」
「何だい、その冷め切った瞳は。いや、それもブラフなのか。それこそもある種の芸術に含まれるのではないか?」
「いや、私に聞かれても知りませんよ」
何なのだろう、この二人は。
まるで臆することなく、淡々と自分の目的を言えるこの二人は。
光太郎は自分とは違った、単体で輝く恒星を見た気分である。
「あのう、もしもし夜見さん?」
「ああ、すみません」
軽く宇宙に行っていました。
「えっと……来日目的ですよね? 僕はまだ自分でも分からないんです」
「そうですか、では保留にしておきますね。早く見つかれば良いですね」
「そうですね……」
と言い残して、光太郎は席を立った。
そしてタイミングをはかったかのように、少女と青年も席を立ちあがった。
「うん、みんな終わったようだね」
後ろから近づいてきたリュウに、真っ先に青年が近づいていく。その顔には嬉々とした満面の笑みが浮かんでおり、どれだけ懇意にしているのかが読み取れた。
「先生、無事手続きを終えました。これで僕もこの世界の住人ですよね?」
「うん、そうだね。でもその前に、これからの仲間に挨拶するのが先ですよ」
「仲間ですか?」
「はい」
「あのリュウさん、これってどういうことですか?」
そこで直哉が光太郎を訝しむように見てきた。そもそも自分以外に他にも同類がいるのなんて先の話には無かった。
「要するにあんたたちと私は、これから一緒に暮らす。そう言うことでしょう?」
「はい、その通りです」
会話に割り込んできたのは、先ほどの少女である。
少女の突っぱねるような瞳とそれを受け止めるようなリュウの瞳が交錯する。
そこには見えない冷戦が繰り広げられているようで、光太郎は一歩後ずさった。
少女の方から切るように視線を外すと、やおらリュウは三人に向き合った。
「君たちはこれから一緒に暮らしていく仲間です。まずは自己紹介から始めましょう」
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「彼女は月代遊さん。ヒカルド生命体と呼ばれる異星人で、先日ナポタが保護しました。それで……」
「そのくらい自分で言うわ。私は事情あってこの地球に来たけど、来たからには思う存分に楽しむつもりよ。いずれこの世界も征服するから覚えておきなさい!」
「とまあ、こんな子だよ」
「か、変わってますね……」
「あんた誰よ? というか、私に口答えするつもり?」
「いや、そんなつもりは無くて……。ただ感心するというか……、尊敬するというか……」
手をもじもじさせながら、光太郎は視線を反らした。
「ふうん、まあ良いわ。特別に私の下僕第一号にしてあげる。光栄に思いなさい」
「は、はい…………えっ?」
誇らしそうに顔をする少女は、腕を組んで小さな胸を張っていた。
小柄ながらもそこから発せられる強烈なインパクトに光太郎を身がすくんだ。
それに下僕第一号なんていう、名誉なんだか不名誉なんだか分からない役職についている。
自分が言ったことだけど、もう取り消しとかは出来そうな雰囲気ではなかった。
月代遊。
改めて見ると、細緻なタッチで描かれたような美少女である。
ウェーブのかかった金色の髪、そして髪の先は変色したような真っ白で、前髪、横髪もすべてが金色と白色で別れていた。
そして長いまつげに縁どられたくりくりの瞳は、太陽のような橙色で強い意思を宿している。
リュウとはまた方向性の違う、王道の美少女という貫禄があった。
「それで彼は夜見光太郎くん。河童と呼ばれる異世界人で、ついさっき彼を引き取りました」
「ああ、なるほど。先生が突然いなくなったのは、そういうことだったのか」
光太郎は頬をかきながら、自分からも挨拶をする。
「コータローは私の下僕よ、あなたのものじゃないから唾つけないでね」
「えっと……、コータローってもしかして……、僕のこと……?」
「他に誰がいるのよ。目と耳悪いんじゃないの?」
「あ、はい」
「光太郎くん、私のことも忘れてないでね?」
「なっ! さっきあったばかりの新参者に、先生がう、うう、ウインクをなされた! 僕だってまだされたことないのにどうしてなんだ? これが差別ですか?」
「直哉くんもまだ会って二日目ですよ」
「いや、それはそうですが、こういうのには白黒はっきりつけとかないとだめですよ。僕の祖国では封建主義が当たり前でしたから。後輩、僕のことは直哉先輩と呼ぶんだ!」
気難しい人なのかなと光太郎は内心で思いつつも、上下関係をはっきりするのは光太郎も賛成だったたので従った。
「よろしくお願いします、直哉先輩」
「うむ、誰かに先輩と呼ばれるのも悪くはないな……」
そう直哉はひとりで頷き合うと、何かを得心したように笑った。
「最後は犬飼直哉くん。つい二日前に青森で捕獲された犬人です。ゲートを通って日本に来たのがその三日前で、光太郎くんと同じ異世界人ですね」
「ほうほう。後輩、僕らは同じ世界から来たのだな」
「そ、そうですね」
犬飼直哉。
柴犬色のような茶髪は、手入れがされたような直毛で、その顔立ちはどこかのタレント事務所に在籍していてもおかしくないほど整っている。一見して中性的な柔らかい心証を受けるが、それでも緑色の瞳からはそこはかとない自信が覗いて見えた。
背は光太郎より高く、年齢も光太郎より一歳年上である。
「でも異世星人と異界人の違いって?」
「良い質問だね。まず異星人というのはこの地球の周り、どこかの惑星から来た対象を言います。遊さんのようにね。逆に、異世界人というのはゲートを通って異世界から来た対象を指します」
「ああ、なるほど」
「勉強になったな、後輩」
「ああ、はい」
そこでつまらなそうに会話を見ていた遊が火に油を注いだ。
「それでいつまでこの不毛な会話に付き合わなきゃいけないの?」
「ああ? 今、先生が貴重な説明をしてくださっているのに気づかないのか?」
「犬は黙ってろ!」
ぴしゃりと遊に一喝されて、頬を染める直哉を光太郎は見逃さなかった。
「そもそも私はあの澄ました態度が気に食わないのよ!」
「澄ましてなんかいませんよ。これが普通ですから」
「だからそういうのを言ってるのよ! 私は誰かの上に立つのは好きでも、誰かの下につくのが一番嫌いなのよ。せっかくこの世界を私のものにしようと思ったのに、着いたら早々、変な組織に捕まえられて、私の愛機まで奪われたし……、こんなの全然面白くないわ!」
「あなたの飛行船は無事に保管されています。それにこの世界には人間のルールがあります。だから郷に入れば郷に従ってもらうのは当然です」
それをまるで包み込むように宥めるリュウは、どこまでも余裕があった。だからこそなのだろうが、遊はますます目くじらを立てた。
「ルールは破るためにあるもんでしょう!」
「それは甘い考えですよ。ルールが無ければ、この国は成り立っていません。それにルールが無ければ力なき者は何を頼るのでしょう? 私ならルールを破るという衝動的なことはしません。ルールの中で遊べば良いだけですからね」
「ふん、やっぱりあんたじゃ駄目ね。どれも保守的でつまらないわ」
「では試してみましょうか。ルールに準じたこの国のやり方で遊さんをもてなしましょう」