第一章その九 「謎の印④」
プルルルル、プルルルルっとそんなコール音を五度ほど繰り返した後に電話は繋がった。
「……なんだよ?」
おそらく寝ていて電話の音で目覚めたのであろう。どこか不機嫌そうな声で電話先の男は開口一番そう問う。
いつもであったらそんな態度に慌てて機嫌を良くしてもらおうと取り繕うのであるが今はそんな気分にはならない。
むしろ今の今まで何故こんな男に惚れて媚びへつらっていたのかと過去の自分に嫌気がさす。
「悪いけど私新しく好きな人ができたの、だからもうお店には行けないわ、さようなら」
一方的に用件だけ伝えると向こうから何やらと言いかけてくる声が聞こえていたが、構わずに電話を終える。
はぁっ……なんでこんな男なんかに惚れていたんだろう。
仕事仕事で碌な恋愛経験もなく二十代前半を終えた頃ちょっとした思いつきでふらりと寄ったホストクラブだったのだが、思いの外居心地が良くのめり込んでしまったのだ。
以来給料のほぼ大半はホストに捧げてきたし、結婚のためにと溜め込んでいた貯金だって惜しみなく使った。
当然そんな生活が永遠に続くはずもなく、貯金も底をつきこれからの生活をどうしよう、借金でもするしかないかと思い悩んでいる時、その男は現れた。
男はいきなり香水を手渡してくると
「これは“見惚れの聖水”といって、この聖水の香りを嗅いだ人物は貴方に恋に落ちてしまいます。自分自身に振りかけても効果はありますが、直接恋に落としたい人物に振りかければ効果は絶大です」
それだけ言ってから去っていった。
胡散臭すぎる男であったが金欠だし貰えるものは貰っておこうと普通の香水として使用することにした。
正直人を惚れさせる効果など期待していなかった。だが、その聖水の効果は目に見えて明らかだった。
何度も何度も男性社員からの視線を感じ、その日の内に何度もディナーやデートに誘われた。もちろん生まれて初めての経験である。
効果が本物だと知ってから、何度も何度もその聖水の力で男を魅了させてはお金を貢がせて、そしてそのお金は全額ホストに落としていった。
金を使えば使うほど、「愛しているぜ」と言ってもらえるのが何よりも幸せだったのだ。
余談であるがホストへは“見惚れの聖水”を使用していない。「愛しているぜ」の言葉を本気で捉え、正真正銘相思相愛だと信じ切っていたからだ。
今考えればそんなものただの営業手口なのであろうと馬鹿馬鹿しく思えてくる。
ーーほんとなんであんな男なんか……
はあっ、ともう一度小さくため息をついてから、携帯の画面を見つめると、その表情は困り顔から少し口角が上がり頬も赤くなる。
携帯の画面には樅木から聞き出した(嘘の)電話番号が表示されている。
「ふふっ遂に見つけちゃった……私の運命の人」
画面を見つめていると今にもスキップをし始めるのではないかと言うほど上機嫌になり、鼻歌を歌い始める。
ーーすてきな人だったなぁ……ユニークでカッコよくて、お洒落な眼帯までつけて……あら? そういえば名前聞くの忘れてたわね……まぁいいかな、こうして電話番号も教えてもらえたし、またいつでも会えるわよ、ふんふ〜ん
「ーー随分とご機嫌なようですね」
ついにスキップをし始めていると不意に背後からそんな声が聞こえ、振り向くとスーツ姿に眼鏡をかけた男、そう“見惚れの聖水”を渡してきた男が立っていた。
「“見惚れの聖水”を返していただきに来ました」
男は眼鏡をあげつつ笑いながらそう言った。




